12月24日 「子供のころの話」
水木一郎さんはクリーニング屋さんで生まれました。以前はレコード店を営んでいただけあって、家には沢山のジャズのレコードが。子供のころからスタンダードジャズを口ずさんでいたのだそうです。目立ちたがり屋の水木さんは、中学校時代には、小倉智明さんと一緒に音楽や落語にはまっていました。老人ホームなどを訪問しては水中亭源五郎の名前で落語を演じ、そしてその合間に懐メロも披露していたという水木さんでした。水木さんは16歳で、ジャズ喫茶のオーディションに合格、歌手としての第一歩を歩み始めます。最初に水木さんの歌を流したのはこの文化放送、歌は「僕のマシュマロちゃん」です。
12月25日 「レコードデビュー」
水木一郎さんは20歳でレコードデビューをしました。カンツォーネ調が好きで選んだ「君にささげる僕の歌」はあまり売れず、サイン会では次の人が並ぶまでわざと時間を稼ぐようなこともしていたのだそうです。そんなある日、キャンペーン中に、一般の女性から「個性が無い」と指摘されてショックを受けます。水木さんは歌手になることを断念しようとしますが、そこにアニメソングの話が舞い込んできました。ジャケットに顔が出ないけど良いか?と訊かれ、それはかまわないと思った水木さんでしたが、逆に、「毎週テレビで流してもらえるなんて!」と、アニメソングのメリットにも気がついていました。
12月26日「特撮・アニメの主題歌でブレイク!」
アニメの主題歌を歌うことになった水木一郎さんは、特撮モノの主題歌を歌える人を探している東映のプロデューサーから声が掛かり、仮面ライダーシリーズなど、特撮モノの主題歌を唄うようになりました。NHKの「おかあさんといっしょ」では歌のお兄さんをやりながらでしたが、キャラクター分けには苦労しなかったそうです。
フジテレビの企画で24時間に1000曲歌うライブもやりました。500曲を越えて、疲れが出てきたころ、仮面ライダーを唄っていたらそこに仮面ライダーの化身とも思えるバッタが飛んできて、元気を得たのだそうです。いろいろあったけど、1000曲歌ったことが後の自信につながったと、水木さんは感じているのだそうです。
12月27日 「海外でも活躍」
1000曲ライブを無事歌い終えたとき、花火があがり、9mのマジンガーゼットが姿を現しました。自分のためにこんなにと思ったとき、水木一郎さんは泣いてしまったのだそうです。その後、香港のアニメイベントのオファーが来て訪中した水木さんは、海外でのアニメ熱に圧倒されました。一般紙までもが取材に来ていて、日本以上にアニメファンが広がっているということを水木さんは強く感じています。
アニメソングは国境を越える、アニメファンは皆とても良い子だと、水木さんはしみじみ話してくれました。
12月28日 「プライベート/今後について」
水木一郎さんは今、「水木一郎ヴォーカルスクール」で、後進を育てています。長所をほめるとなんとなくいやらしくならなってしまうので、欠点を減らしていくような指導法をとっているのだそうですが、後輩が小さくまとまってしまいがちなのが残念なのだそうです。自らを「夢老い人」と称し、いろいろチャレンジしている水木さんは、マジンガーZの40周年記念アルバムを出しました。さまざまなアレンジの主題歌を収めているアルバムなのだそうですが、40年間、声が変わっていない!事にも気がついてほしいと、水木さんは胸を張って話してくれました。
<水木一郎>
1948年東京都出身。1968年に歌謡歌手としてデビュー。その後1971年に「原始少年リュウ」の主題歌をきっかけに活動の場をアニメソングへと移す。以降「マジンガーZ」「バビル2世」「仮面ライダーX」「超電磁ロボ コン・バトラーV」「宇宙海賊キャプテンハーロック」などアニメ、特撮番組の主題歌を数多く発表し「アニメソングの帝王」の異名をとる。1999年には前人未踏の「24時間1000曲ライブ」も敢行。自身の持ち歌は1200曲を越え、近年は中国、フランス、シンガポール、タイなど海外でもライブを実施。