終わりよければ・・・(放送終了)

12月3日~12月7日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、歌手の園まりさん

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12月3日(月) 「子供の頃の話、父に連れて行ってもらった合唱団」
今、歌うことが生きがいという園まりさん。
子供のころ、姉がすでに女優(アイドル)として活躍していました。
父親は音楽好きで、定職が持てず、ふらっと家を出て何週間も帰らないこともあり、学校の提出書類に父の職業をなんと書けばいいのか悩んだこともありました。会話の少ない家庭でしたが母がものすごく苦労していたのは覚えているそうです。
10歳のときに合唱団に入り、11歳の時には「つゆの玉ころり」という曲で童謡歌手としてデビューしました。

12月4日(火) 「プロデューサー的存在の父とスパーク3人娘」
風来坊の父が、ある日渡辺プロダクションの社長のお宅に園さんを連れて行きます。
今で言うプロデューサー的才能があったようです。そこで一曲歌わされて、それがきっかけで渡辺プロダクションに入ることに。
当時高校生でしたが、中途退学。その後、中尾ミエ、伊東ゆかりとともに「スパーク3人娘」を結成。ポップス全盛ではありましたが、自分の目指すものとはちょっと違っていました。それが功を奏したのか大人気に。AKBに匹敵するぐらいの忙しさ。3人いつも一緒。移動のときにはしゃぐのが楽しい思い出でした。3年の活動を経て方向性が見えてきたので3人娘は解消に。

12月5日(水) 「ソロ歌手としての活躍とむなしさ」
スパーク3人娘を解消して、ソロ活動に入った園さん。
宮川泰先生に一語一語指導を受けながら「ささやきムード歌謡、園まり節」が確立していきます。語るように歌うことを心がけていたという園さん。一方で、忙しければ忙しいほど、自分が何をしたいのかわからなくなってきているのに気づきます。
打ち明けたり相談できる人もいなく悩みは深くなるばかりでした。

12月6日(木) 「父と母の絆の結びなおし」
43歳で一人暮らしをはじめた園さん。
女優もしていたが、お茶を入れる、切符を買う、など全部バーチャル。あまりのふがいなさにだんだん女優、歌手活動から遠ざかっていきます。そのとき、友人が近所の小学校の林間学校でカレーを作るお手伝いを誘ってきました。いざやってみると、楽しくてしょうがない。幸せで涙が出たそうです。園まりの呪縛から解き放たれた瞬間でした。
その後、遠ざかっていた父と再会。その父の癌が発覚。できる限りのことを父のためにしようと心に誓います。母を説得し、病室で再会。父が謝罪したときに娘、園まりが感動したこととは?

12月7日金曜日「歌うことの本当の意味を沖縄で知る。」
だんだん自信を取り戻した園さん。
沖縄でのコンサートで、涙を流して聞いてくださるお客さんを見て、「心がひとつになる」ということを実感。病床の父に報告すると、その父も本当に喜んでくれました。
その後、自分自身にも癌が発覚。治療しながら歌手活動を続け、見事克服。
少女の頃は、さめて歌っていたのに、今は歌うのが楽しく、やりがいをものすごく感じています。
3人娘も復活して現在は充実した毎日を送っています。

<園まり>
1962年、渡辺プロダクションから「鍛冶屋のルンバ」でデビュー。中尾ミエ、伊東ゆかりと「3人娘」を結成し国民的アイドルに。囁くように語りかける独特の歌唱で「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何も云わないで」などミリオンセールスを記録。映画化もされ、日活黄金時代のスクリーンでも活躍する。NHK紅白歌合戦には6年連続出場。マルベル堂・ブロマイド・女性歌手売り上げでは、2年連続1位に。94年から休業。 2003年に本格的な音楽活動を再開し、東京・青山で「園まりリサイタル」を開催。2011年、待望のニューシングル「もう一度逢いたくて」発売。
現在は全国各地で「3人娘コンサート」ツアーを開催中。