終わりよければ・・・(放送終了)

11月19日~11月22日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、タレントの松岡弓子さん

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11月19日(月)「子供のころの話」
松岡弓子さんは東京生まれ、そしてお父さんの立川談志さんが真打になったのを機に、まだ弓子さんが小さいうちに、一家は新宿に引っ越してきました。子供が苦手な筈のお父さんでしたが、弓子さんが生まれるととても喜び、溺愛しました。呑みに行くときにも弓子さんを連れて行って、他のお客さんに怒られるということもあったのだそうです。お父さんは家でも談志さんだったと松岡さんは言います。家ではつまらないダジャレは言えないし、家族はちょっと恐々、談志さんに接していました。

11月20日 (火) 「談志さんが手を上げた日」
高校生になる頃、松岡弓子さんは毎日ディスコに通っていました。当然、学業はおろそかになってしまいます。父、談志さんはそんな弓子さんにおろおろしていたのだそうです。
年齢を誤魔化してホステスとして働いていた弓子さんを、知人を使って探し出した事までありました。弓子さんが御小言の席に現れてなかったことで、とうとう談志さんは切れてしまい、弓子さんは思い切り叩かれました。でも、これで二人とも吹っ切れたのではないかと弓子さんは語ります。
弓子さんが高校を中退すると、談志さんは海外の仕事に弓子さんを連れて行くようになりました。
いろいろなものを見せようとする親心だったのですが、弓子さんにはこれも通じませんでした。

11月21日(水)「一家と闘病生活」
松岡弓子さんは1年間ほどタレントとして活動をしていました。
スカウトされてタレントになったのですが、生放送をいくつもすっぽかしてしまったのです。
そこで事務所が引退という形にしたのだそうですが、この事をスポーツ紙で知った弓子さんが相談したところ、談志さんは、「おれが全部戦ってやる」と言ってくれたのだそうです。弓子さんは27歳で子宮頸がんに掛かっています。子宮摘出をためらう弓子さんに、ここでも父、談志さんの、「未だ見ぬ孫より、娘が大事だ」という、重みのある一言をもらい、摘出を決断しました。その談志さんもがんに掛かります。声を失いたくないためギリギリまで治療をためらった談志さんは、手術のあと、家族といろいろ筆談で話します。声を失ったけれど、逆に家族との心は通じ合ったと弓子さんは語ってくれました。

11月22日(木) 「今後について」
父、談志が亡くなってから1年、松岡弓子さんは、父がいたづらをしているのでは?と感じるちょっと不思議な出来事に時々出会うそうです。今、弓子さんはテレビ番組「とくだね」のコメンテータもやっています。談志さんは、「くいつきの早さとそそっかしい点は俺似だ。だから危ない」と、話していたのだそうです。弓子さんは今後について、「人生成り行き」と話してくれました。そして、談志さんがまだ、夢に出てこない事が残念だと弓子さんは言います。
でも、実は談志さんが乗り移っているのでは?とも、弓子さんは感じています。


<松岡弓子>
1963年、落語家立川談志の長女として、東京都に生まれる。「松岡まこと」の名で1年間タレント活動。1999年からは銀座でクラブ「Tee Off」を経営している。