10月15日(月)「髙橋真梨子さんの音楽のルーツ」
髙橋真梨子さんは、博多で子供時代を過ごしました。お父さんは病弱で、お母さんが仕事に出ていたため、一人で過ごすことが多い子供でした。
人とコミュニケーションをとるのが苦手だったという真梨子さんですが、TVに出るような歌手になりたいと思っていました。しかし、サックスプレーヤーであったお父さんは、もっと本格的な方が良いと言い、14歳の頃JAZZボーカルのレッスンを受けるようになりました。
レッスンは厳しかったのですが楽しく音楽仲間もでき、博多のプロダクションの勧めで、16歳の時、真梨子さんは上京することになります。
10月16日(火)「東京から博多、そして再び東京へ」
上京し、レッスンを受けていた髙橋真梨子さんは、東京は嫌だと博多に戻って音楽活動をしていました。でも、いろいろな人が真梨子さんをスカウトしに博多にやってきました。その中でもペドロ&カプリシャスのペドロ梅村さんとヘンリー広瀬さんはしつこく、23歳の時に、1年間だけの約束で再上京することになります。しかも、「髪は切らない」「個人的なことは束縛しない」といった約束までしていました。
真梨子さんは当時を振り返って「横柄だった」と言います。でも、音楽はペドロさんに合わせる、絶対に遅刻をしないなど、プロのシンガーとしての心も持ち合わせていたのだそうです。
10月17日(水)「バンド活動&ソロシンガーとして」
髙橋真梨子さんは、1年でペトロ&カプリシャスを辞めて博多に帰るつもりでした。しかし、ちょうど1年が過ぎようとした頃に「ジョニィへの伝言」がヒットして帰れなくなってしまいます。次の曲「五番街のマリーへ」もヒットした真梨子さんは、もう、博多へ帰ることをあきらめて、結局ペトロ&カプリシャスのボーカルを6年半務めることになりました。
その後、真梨子さんは博多へ帰るつもりで居ましたが、ある事務所から声が掛かり、ヘンリー広瀬さんの助けを借りてソロで歌い始めます。1曲目の「あなたの空を跳びたい」を唄った頃、真梨子さんは、歌で自分の世界を作りたいと思いはじめていました。
10月18日(木)「髙橋真梨子さんのヒット曲の数々」
ソロで歌うようになった真梨子さんは、不本意ながらも出場することになった東京音楽祭にあわせて、「for you...」 という新曲を発表します。この曲も始めは売れませんでしたが、長い長いロングヒットとなりました。
最初から注目されたのは「桃色吐息」、少々卑猥な感じの曲ですが、真梨子さんなら大丈夫という作詞の康 珍化(かん ちんふぁ)さんの言葉で思い切って歌ってみたら、同性に長く愛され続ける、真梨子さんの一番のヒット曲になりました。
ライブではお客さんから元気をもらっている!と真梨子さんは言います。そして、来てくれたファンのために、常に体調に気を使っているのだそうです。
10月19日(金)「プライベートについて」
髙橋真梨子さんの旦那さんはヘンリー広瀬さん。公私共に大切な、真梨子さんにとっては無くてはならない大親友だそうです。人との会話を大切にする、私とは正反対の人だと真梨子さんは笑って言います。
真梨子さんはスタンダードナンバー一杯のアルバムを発表しました。お父さんに教わった歌、若いときに博多で唄っていた歌など、思い入れたっぷりの曲が入っています。
いつも真梨子さんは、「明日シンガーをやめるかも知れない」と思いながら若い頃から歌を唄っていたのだそうです。でも真梨子さんは、ここまできたのだから、一歩一歩前に進んで行きたいと、真梨子さんは笑って話してくれました。
<髙橋真梨子>
1949年3月6日、広島県に生まれ、福岡県で育つ。ジャズ・プレイヤーの父親の影響でジャズ・ヴォーカルを志す。72年ペドロ&カプリシャスの2代目ヴォーカリストとして加入。72年「ジョニーへの伝言」がヒット。その後「五番街のマリーへ」がヒット。78年ソロ・シンガーへ転身し、代表曲は「あなたの空を翔びたい」「桃色吐息」「for you・・・」「遥かな人へ」などのバラードが主体。93年のニューヨーク・カーネギーホールをきっかけに海外公演も行なっている。