終わりよければ・・・(放送終了)

8月13日~8月17日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、歌手の太田裕美さん

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8月13日(月)  「太田裕美さんの少女時代」
 太田裕美さんは東京で生まれ、3歳で埼玉県の春日部に引っ越しました。とても広い、庭にトロッコが走るような家で、太田さんはいつも庭で遊んでいました。
 ピアノのレッスンを受けていた太田さんでしたが、練習はほとんどしませんでした。でも音楽は好きで、SP盤を聞いたり、座布団のステージの上で歌ったりしていたのだそうです。
 中学校に通っていた頃はグループサウンズ全盛期、太田裕美さんはザ・タイガースのファンでした。特にジュリー・沢田研二さんが大好きで、これが後の歌手デビューのきっかけにもなります。

8月14日(火)  「芸能界入り、そしてデビュー」
 スクールメイツのオーディションの話を聞き、ジュリーに会えるかもしれないという動機から応募した太田裕美さんは見事合格してスクールメイツの一員になりました。
 その年の暮れのかくし芸大会には応援団として太田さんも出演しました。この番組にはジュリーも出演していたのですが、あこがれの人と同じ場所で同じ空気を吸っている!という事に太田さんは感激したのだそうです。
 その後、ヤング101で活躍した太田さんにソロデビューの話がやってきます。反対する両親にマネージャーさんが掛け合ってくれたのですが、親から示された条件は、春日部の実家から通うということでした。

8月15日(水)「大ヒット曲・木綿のハンカチーフ」
 太田裕美さんは「雨だれ」でレコードデビューしました。そして、「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしますが、この曲はもともとアルバム用の曲で、長い曲だなぁとおもいつつレコーディングをしてみたら良い曲だったのでシングルになったのだそうです。100万枚のヒットになりましたが、「およげたいやきくん」を抜くことはできず、オリコンの1位を取ることはできませんでした。
 その後、太田裕美さんはどんどん多忙になって行きますが、相変わらず実家から通っていました。通勤にはかなり苦労したそうですが、「九月の雨」の頃、体調を崩したことで、両親が念願の一人暮らしを認めてくれました。

8月16日(木)「NYでの充電生活、結婚、出産」
 28歳のとき、太田裕美さんは単身ニューヨークに渡ります。ながれに流されている自分を変えたくて、リセットのために仕事を休んでみたかったのだそうです。8ヶ月間滞在しましたが、現地では毎日がフリー、楽しい青春の日々を過ごせたと太田さんは楽しかった思い出を語ってくれました。「私はやっぱり唄が好き」と思えるようになったのも大きな収穫だそうです。
 30歳で結婚しました。プロポーズされて、嫌じゃなかったので、ま、いいかという気持ちで太田さんは結婚しましたが、その後二人の息子さんにも恵まれます。お母さんとしてCMに出るなど、芸能活動の幅も広がりました。

8月17日(金)「これからの太田裕美さん」
 息子さんが独立して夫婦だけの生活になった太田裕美さんですが、昨年6月から犬を飼い始めました。被災した犬の子を引きとったのだそうですが、また子育てがやってきたと太田さんは笑います。
 太田さんは、8年前から"なごみーず"というユニットでも活動しています。元かぐや姫の伊勢正三さん、元ガロの大野真澄さんの3人によるこのユニット、お互いに不思議なぐらいに気が合い、メンバー同士は家族の様な感じでいるのだそうです。
 昨年暮れにはご自身の作詞作曲によるシングル『金平糖』も発表しました。この曲は心の再生を唄っていますが、なんと、曲の完成は震災の前日です。
 最後にこれからの目標を伺ったところ、「これからは余生の様なものだから」と太田さんは話してくれました。ずっと唄を唄っていきたい、これが太田さんの目標だそうです。

<太田裕美>
1955年東京都生まれ。上野学園音楽学校声楽科声楽コース在学中に、スクールメイツのオーディションに合格。74年「雨だれ」でデビュー。「たんぽぽ」「木綿のハンカチーフ」「九月の雨」など立て続けにヒット曲を出す。27歳の時に充電のため米ニューヨークに滞在。帰国後も幅広い音楽活動を経て、85年音楽プロデューサーと結婚。89年に長男、91年に次男を出産し、主婦業を優先していたが、92年から音楽活動を再開し、ライブ活動を中心に活躍。2002年にはNHK朝の連続テレビ小説「さくら」でヒロインの母親役を演じる。06年には22年ぶりのオリジナル・フル・アルバム「始まりは"まごころ"だった。」をリリース。