終わりよければ・・・(放送終了)

6月18日~6月22日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、歌手の稲垣潤一さん

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6月18日(月)「稲垣さんの音楽的ルーツ」
稲垣さんの音楽のルーツはビートルズ、特にジョンレノンの歌だそうです。ラジオから流れるヒット曲を聴いていた少年だったと稲垣さんは語ります。小学校時代はやんちゃだった稲垣さんですが、クラスメイトのほとんどと分かれて別の中学校に進学したのを機に音楽に興味を持つようになりました。ローン、それも友達の親を保証人にしたローンでドラムセットを手に入れると、クラスメートとバンドを活動をするようになります。最初のコンサートは図書室、この頃から稲垣さんは歌うドラマーの道を歩み始めます。

6月19日(火)「アマチュアで音楽生活」
ヤマハ主催のコンテストに出場し、地区予選を通過できなかった稲垣さんですが、その頃すでに将来の道は音楽と決めていました。高校を出て就職した会社を1日で辞めてしまった稲垣さんは、仙台市内のライブハウスで毎晩のように演奏をするようになります。東京に出て米軍キャンプやディスコでも歌いましたが、あまりに収入に結びつかないため、1年ぐらいで仙台に帰ってしまいました。米軍キャンプも凄かったけど、新宿はもっと怖いところだったと、稲垣さんは回想します。

6月20日(水)「28歳でのレコードデビュー」
デモテープを作っていろいろな処に売り込んでいた稲垣さんに、とうとう声がかかり、東京に出て行くことになりました。28歳のデビュー曲は雨のリグレット、あこがれの湯川れい子さんの作詞でしたが、それまで洋楽ばかり唄っていた稲垣さんは日本語のポップスには違和感を感じました。でも、日本語で唄うことで、自分の新しい世界が見えてきたのだそうです。3曲目のシングル「ドラマティックレイン」は大ヒットします。まだ駆け出しの作詞家だった秋元康さんの歌詞はあまりにすばらしく、スターへの階段を上りだしました。

6月21日(木)「ロングバージョンとクリスマスキャロルの頃には」
 稲垣潤一さんの曲の中で一番カラオケで歌われているのは「ロングバージョン」、この曲のイントロを聴いた瞬間に、凄い良い曲だと稲垣さんは感じたそうです。どろどろした男と女の物語を歌うこの曲を、稲垣さんは逆にさっぱりとした感じで歌っています。一方、「クリスマスキャロルの頃には」は、じっくりと温めていた曲だそうです。それが秋元康さんのドラマのテーマ曲として仕上げられ、大ヒット曲になりました。そんな稲垣さんはデュエットアルバムも発表しています。レコーディングにはいろいろと苦労をしましたが、出来上がったものは原曲から生まれ変わったすばらしいものになっていました。

6月22日(金)「これからの稲垣潤一さん」
10年ほど前から、稲垣さんは"みやぎびっきの会"という活動で宮城県の小中学校の楽器修理のためのチャリティーイベントをやっています。震災以降は宮城、そして仙台の人たちを元気付けるためのストリートライブも積極的にやられていて、改めて歌の力を再確認したのだそうです。そんな稲垣さんが6月13日にニューアルバムを発表しました。往年の欧米のスタンダードナンバーを日本語でカバーしたアルバムで、スタンダードにJ-POPの味付けを加えたものだそうです。


<稲垣潤一>
1953年7月9日生まれ、仙台市出身。
中学時代から本格的なバンド活動を始める。高校卒業後、ライブハウス、ディスコ、米軍キャンプなど様々な場所でライブ活動をする中、ドラムを叩きながらのボーカルというスタイルで注目を浴び、1982年「雨のリグレット」でデビュー。「ドラマティック・レイン」(1982)や「夏のクラクション」(1983)「クリスマスキャロルの頃には」(1992) 他、数々のヒット曲で日本を代表するAORシンガーとしての地位を確立。コンサート回数も現在では2000本を超えている。