3月5日(月)「冨田勲さんの少年時代、作曲家として原点」
冨田勲さんは、少年時代を中国で過ごします。
その中国で出会った「回音壁(かいおんへき)」に、冨田少年は音の聞こえ方や面白さなど、
音に関する興味や好奇心を持つキッカケを与えてくれたそうです。
これが後々の作曲家人生に大きな影響を受ける事になります。
また、理系が得意だったという冨田さんの意外な趣味についても語っていただきました。
3月6日(火)「冨田勲さんの作曲家デビュー!」
冨田さんのお父様としては「ゆくゆくは医者に...」と考えていたそうでしたが、
全日本合唱連盟コンクールの課題曲で入賞し、NHKとレコード会社からの
仕事を請けた事から作曲家としての活動がスタートします。
冨田勲さん曰く、「火事場の馬鹿力」という、NHKの「今日の料理」のテーマが
誕生したエピソードを中心に作曲家として仕事を始められた頃のお話しをお伺いしました。
3月7日(水)「手塚治虫さんとのエピソード!」
作曲家としてデビューした後、大河ドラマや人気時代劇など、
数々のテーマ曲を発表していきます。そんな中、漫画家の「手塚治虫」さん本人から
突然の電話オファーがあり、一緒に仕事にすることに...。
しかし、今、思い起こしてみると「巻き添えをくらった...。」という冨田さん。
手塚治虫さんとの仕事の思い出とは一体...。
3月8日(木)「シンセサイザーの先駆者として」
シンセサイザーの先駆者として有名な冨田勲さん。
1970年(昭和45年)当時で1000万円という値段で手に入れますが、
現在のシンセサイザーとは違い、すべてがゼロからの出発で大変苦労をされたそうです。
あまりにも大変だったそうで、今でも悪夢を見る程まで追い詰められたんだとか...。
冨田さんとシンセサイザーにまつわるエピソードをお聞きしました。
3月9日(金)「世界の冨田勲 と 映画『おかえり、はやぶさ』」
アメリカ国内で作品が認められ、冨田勲さんの名前が浸透していく中、
海外から冨田さんの下へ、有名なミュージシャンが訪れる様になります。
今回は特に皆さんも知っている有名なアーティスト2人のお話をしていただきました。
そして、冨田さんが音楽を手がけた映画「おかえり、はやぶさ」が3月10日から公開。
こちらの映画音楽についてもお聞きしています。
<冨田勲>
日本が誇る電子音楽界の巨匠、冨田勲。
日本人で初めてモーグ・シンセサイザーを購入したことでも有名。
慶応大学在学中に作曲活動を開始し、膨大な数の作品を世に送り出す。
70年代からは、シンセサイザーを主体とした作曲に逸早く着手。
ドビュッシーのピアノ曲を電子音でシミュレートした『月の光』(72年)が、全米ビルボード・クラシカル・チャートで第1位となって以来、冨田の名は全世界で知られるようになった。