終わりよければ・・・(放送終了)

1月16日~1月20日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、小椋佳さん

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1月16日 月曜日 【 怪童(?)ピッチャー 小椋 佳! 】
ゲストは小椋佳さん。何をやっても全然駄目だったという少年時代。
そんな小椋さん、小学4年生の頃に地元の少年野球のチームに入ります。
ピッチャーとして出場した試合で7イニング奪三振19という
大記録を打ち立て、地元発行紙の1面に「怪童現る!」と
掲載された事があったそうなのですが、意外なオチがありました。
小椋佳さんの少年時代についてお伺いしました。

1月17日 火曜日 【 優等生と呼ばれて 】
ずっと体育会系で、学業は中の下だったという小椋佳さん。
近所のススメで、家庭教師が付くことになりました。家庭教師の先生の方針で、
小学生の勉強を諦め、小学校5・6年生の時に中学3年間の勉強をスタート。
中学生に進学すると優等生に早代わりしたんだそうです。
高校に入ると哲学書などを読むように薦められる様になり、
ノイローゼ気味になってしまったそうです。
小椋佳さんの中学生~高校生時代のお話をお伺いしました。

1月18日 水曜日 【 東京大学ボート部! 】
高校を卒業し、東京大学へと進学。
ボート部の新人歓迎会に参加したところ、
気が付いたらボート部に入部...部活動に取り組んでいたのですが、
本分である学業が疎かにしている事を悩み、1年でボート部を退部します。
そんな時、出会った親戚の友人であるツアーコンダクターの方と出会い、
2人で旅行会社を立ち上げます。
東大ボート部で汗を流していた頃の話を中心にお聞きしました。

1月19日 木曜日 【 「小椋佳」誕生...手前まで 】
ボート部を退部し、これから勉強に集中!と思った矢先だったのですが、
ゼミの一環だった「芝居」にのめりこんでしまいます。
そんなある日、舞台を見た後、このままだと「創る側」ではなく、
「見る側」に落ち着いてしまう事に恐怖を覚えた小椋さんは、
その舞台の台本、演出を担当していた寺山修司さんに電話するのですが...。
ようやく「小椋佳」誕生の手前までやってきました!

1月20日 金曜日 【 「小椋佳」誕生物語 】
寺島修司さんが企画したアルバムに収録された小椋さんの声を聞いた
レコード会社のディレクターは「きっと若い美少年に違いない」を
デビューさせたいと思い、小椋さんを探します。
その後、レコーディングしてみたものの、お蔵入りとなり、
小椋佳さんも当時勤めていた銀行の方針で海外へと研修へ出かけるのですが...。
「きちんとデビューした思いがない」という
小椋佳さんのデビュー秘話と、最近の活動についてお聞きしました。

<小椋佳>
1944年、東京・上野に生まれる。
67年東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。
同行に約四半世紀勤務、浜松支店長・本店財務サービス部長等を経て93年退職。
94年東京大学法学部に再入学。
文学部思想文化学科に進み、哲学専攻にて2000年大学院修士号取得。
この間、71年初アルバム「青春・砂漠の少年」を発表。
3作目のアルバム「彷徨」は100万枚のセールスを突破。
以来、ソングライターとして、布施明、中村雅俊、堀内孝雄、美空ひばり等、多数のアーティストへ作品を提供。
「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「夢芝居」「愛しき日々」「愛燦燦」など数多くのヒット作品がある。
現在もなお精力的に創作活動、若手の育成に励む。