今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、草笛光子さん!
6月20日(月)「内気な疎開の女の子」
横浜生まれでとにかく引っ込み思案の女の子だった草笛さんは、学童疎開に馴染めません。
縁故疎開先でも苦労しましたが、一人で居る時間が増えたのは自分のために良かったのだそうです。
疎開先で、旅回りの役者さんが白塗りしている姿を遠めに見ます。それがとても印象に残っていた草笛さんは、後に獄門島でその役をやるときに、そのときのイメージを出すために金歯を2本入れることを思いつきました。
6月21日(火)「松竹歌劇団のホープ」
草笛さんは女学校の舞踊サークルで習った踊りがどれほどのものか知りたくて、松竹少女歌劇学校を受け、見事合格します。そして、松竹歌劇団では10年に一人の逸材と言われ、舞台をこなしながらラジオ、映画で活躍しますが、これはとても異例なことでした。
しかし、草笛さんは歌劇団をやめてしまいます。それはとても草笛さんらしい理由からでした。 (まだ、ミュージカルが一般的でないとき、歌って踊るというのが辛かった)
6月22日(水)「ミュージカルとの出会い」
草笛さんはニューヨークで本場のミュージカルに出会います。そこで、やはりミュージカルを踊りたくなった草笛さんは松竹の映画で踊りますが、映画内での扱いはとても軽く、草笛さんは東宝への移籍を決意しました。
この頃、草笛さんは結婚をします。今で言うところの不倫からの略奪婚でした。しかしこの結婚は短時間で壊れてしまいます。それは、芸術家だった旦那さんの、ちょっと理不尽な要求からでした。
6月23日(木)「ラ・マンチャの男」
女優をやめたくなるような出来事にあった草笛さんは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を見て、これを演じるために女優を続ける決心をします。しかし、その中の役にはまり込んだ草笛さんはその役の少女のようにやさぐれてしまいます。
死にたくなった気持ちの草笛さんを救ってくれたのは母でした。電話では笑い飛ばしながら、実際は飛んできてくれた母。草笛さんを一番心配してくれました。
そんな草笛さんが常々思っている事があります。それはだれかがいつも世の中全体を見ているのではないかと思っていることです。
6月24日(金)「死んでたまるか!」
必殺シリーズに出演した草笛さんは、「殺し」の指示を出すたびに、本当にこの人を殺して良いのだろうかと考えていて、これがあの絶妙の表情を作り出していたのでした。その後、犬神家の一族の撮影中には、逆に市川崑監督の死を思わせる言葉を聴いてしまいます。
そして、今週末公開の映画「デンデラ」では、逆に「死んでたまるか!」という事がテーマになっていました。ここで草笛さんは、捨てられた冬山で必死に生きる100歳の老婆を演じています。
<草笛光子>
1933年生まれ。
1950年松竹歌劇団に入団。
1953年映画「純潔革命」で女優デビュー。
映画「無責任」シリーズ「社長」シリーズ TV「必殺必中仕事屋稼業」「元禄太平記」「赤い衝撃」「熱中時代」ほか多数出演。