6月13日(月) 銀座育ちの演劇少年
東京銀座の喫茶店の息子として生まれた宮本亜門さん。
新橋演舞場の目の前の喫茶店だったこともあり、いつも俳優さんたちがお客としてやってきては、お母様に人生相談をしていたそうです。
元松竹歌劇団のレビューガールだったお母様の影響を強く受けた宮本さんは大の演劇好きに育ち、次第に宮本少年は周りの友達と違和感を感じ始めます。
そして、不登校、部屋に引きこもり生活も。そのとき聞いていた音楽はクラシックのほか、宮本さんいわく、引きこもりにぴったりの井上揚水「氷の世界」だったそうです。
6月14日 演劇の世界へ そして 母との別れ
不登校を心配したお母様から精神科病院をすすめられ、そこのお医者様に話を聞いてもらい、自信を回復できたという宮本さん。
復学した後は、積極的に演劇の世界のめり込みます。大学も演劇科に進み、演出家を目指していた宮本さんですが先生の意外な言葉に反発し、中退してしまいます。中退と同時にミュージカルのオーディションを受け、合格。とんとん拍子に演劇の世界に進んでいたその矢先、2作目の作品公演前日に突然お母様がお亡くなりになります。
大好きだったお母様がなくなったときのお話を淡々と、でも心をこめてお話いただきました。
6月15日(水) 父との和解 そして演出家デビュー
お母様の亡骸にキスをする父親の姿を見て、今まで抱えていた確執が一気に消え去り、父親をいとおしくなった、という宮本さん。お母様の「ニューヨークは一流が集まる場所」という言葉を思い出し、ニューヨークに留学されます。誰もが同じ感動を分かち合っている劇場の雰囲気に「演劇は一生やっていい仕事だ」と決心をされたそうです。日本に帰国後、舞台「アイガットマーマン」で大成功。演出以外もテレビやCMなどで引っ張りだこになるまでのお話です。
6月16日(木) 沖縄での生活
「あいつはテレビの人間だ」と演劇の世界の人から距離をもたれていることに危機感を覚えた宮本さん。40歳になる前に、演出家の活動は休止し、新規一転、沖縄へ転居されます。自分は自然をわかったつもりで舞台を作っていた、と衝撃を受けた宮本さんは、沖縄からたくさんのことを教わったそうです。地元の方に言われた「花ばっかり見ていてはだめ、根っこを見なきゃ」という言葉など、沖縄のすばらしい環境についてお話いただきました。
6月17日(金)ミュージカル「太平洋序曲」
今日(6月17日)から神奈川芸術劇場で公演が始まる宮本さん演出「太平洋序曲」。
江戸末期ペリー来航時代から、現代に至るまでの日本について描かれたこの舞台は、「今の日本をどう思うか」と観客に考えさせる作品となっているそうです。
3.11を経験し、台本も少し書き換えられたという宮本さん、今だからこそ見てほしい舞台だと語られています。
<宮本亜門>
1958年東京都生まれ。
出演者、振付師を経て、2年間ロンドン・ニューヨークに留学。
帰国後の1987年に、オリジナルミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で演出家としてデビュー。
翌88年には、同作品で「昭和63年度文化庁芸術祭賞」を受賞。
ミュージカルのみならず、ストレートプレイ、オペラ等、国内外へ活動の場を広げている。
2004年秋には、ニューヨークのオンブロードウェイにて「太平洋序曲」を東洋人初の演出家として手がけ、2005年同作品はトニー賞の4部門でノミネートされる。
2011年1月にオープンしたKAAT<神奈川芸術劇場>の芸術監督に就任。
6月には、2004年にブロードウェイで好評を博したミュージカル「太平洋序曲」がKAATで再演される。