終わりよければ・・・(放送終了)

5月30日~6月3日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、平田満さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、平田満さん!

5月30日 月曜日 「平田満さんの部活ライフ」
愛知県豊橋市の大家族の末っ子として生まれた平田満さん。
小さい頃は、ガキ大将のお兄さんについて歩いていたという、引っ込み思案な平田さん。
中学生時代には野球と相撲、高校に入るとラクビー部と部活に励んでいたそうです。
いずれも愛知県の県大会でかなり良い所まで進んだのですが...。
平田満さんの学生時代のお話をお伺いしています。

5月31日 火曜日 「早稲田大学に入学・劇団『暫(しばらく)』へ」
高校を卒業後、早稲田大学へと進んだ平田満さん。
大学1年生に見えなかった平田さんは、サークルからの勧誘されなかったそうです。
そんな時に劇団「暫(しばらく)」と出会い、
「楽しそうだし、女の子もいるし...」そんな感じで何となく入部。
その後、初舞台を経験して、向いていないと思った平田さんは、
「やめたい」と伝えに行くと、そこには「つかこうへい」さんがいて...。

6月1日 水曜日 「つかこうへいさんとの出会い」
平田満さんが演劇を辞めようと思った矢先に出会った「つかこうへい」さん。
「つかこうへい」さんの雰囲気に圧され、演劇を続ける事になったのですが...。
「つかさんがいなければ、今まで芝居や俳優としての生き方は無かった。」という
平田満さんから「つかこうへい」さんとのエピソードをお伺いしました。

6月2日 木曜日 「思い出の蒲田行進曲」
平田満さんにとって、ターニングポイントになった作品「蒲田行進曲」。
風間杜夫さんや松坂慶子さんなど出演陣のエピソードや、
平田満さんが演じた「ヤス」の名シーンについて、
「蒲田行進曲」大好きの私、邦丸が思う処をお聞きしています。

6月3日 金曜日 「40歳で悩み、50歳を過ぎて・・・。」
平田満さんが40歳になる頃には、それまでの俳優人生について悩み始め、
今後どうすればいいのかと迷ってしまったそうです。
一念発起し、当時所属していた事務所を辞め、平田満さんは再スタートします。
当時は相当苦労なさったそうですが、
新しい自分を見つける良いキッカケになったそうです。
平田満さんのチャレンジと、ご出演されている舞台、映画についてお聞きしました。

<平田満>
1953年生まれ。愛知県出身。
早稲田大学在学中、学生劇団「暫」時代につかこうへいと出会い、大きく運命が開けていく。1974年、劇団「つかこうへい事務所」旗揚げに参加。「初級革命講座飛龍伝」('73年)、「熱海殺人事件」('73年)、「いつも心に太陽を」('79年)、「蒲田行進曲」('80年)などのほとんどの作品に出演する。1982年劇団は解散。その後、「泣き虫なまいき石川啄木」('86年 作井上ひさし こまつ座)や「こんな話」('87年)、「島」('88年 作エイソル・フガード、ジョン・カニ、ウィンストン・ヌッショナ 地人会)で木村光一演出と、TPT(シアタープロジェクト東京)では外国人演出家、デヴィッド・ルヴォー、ロバート・アラン・アッカーマンらと出会い新たな刺激を受けるなどし、'01年に「ART」(演出パトリス・ケルブラ 松竹)、「こんにちは、母さん」(作・演出永井愛 二兎社)で読売演劇大賞最優秀男優賞を受賞。様々な出会いが結びついた賞となった。
また、映画「蒲田行進曲」('82年深作欣二監督)では舞台と同じ「ヤス」役を演じ、1982年度日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、報知映画賞最優秀主演男優賞を始め多数受賞。
ドラマでは「独眼竜正宗」('87年NHK)、「君の名は」('91年NHK)や「ラブジェネレーション」('98年CX)、「神様もう少しだけ」('98年CX)など、高視聴率番組にも多く出演。その他にも、「シャツの店」('86年NHK)、「こんにちは、母さん」('07年NHK)、「ラスト・フレンズ」('08年CX)、「パンドラ」('08年WOWOW)、「誰かが嘘をついている」('09年CX)などがある。
2006年、企画プロデュース共同体「アル☆カンパニー」を立ち上げ、平田俊子、青木豪、蓬莱竜太、前田司郎など幅広い作家・演出家と様々な試みに取り組んでいる。