終わりよければ・・・(放送終了)

5月9日~5月13日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、内海桂子さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム 」のゲストは、内海桂子さん!

5/9(月) 働き暮らした少女時代
芸歴75年の内海佳子師匠は、1922年、お母様が駆け落ちした先、銚子でお生まれになったそうです。
お父様と別れたお母様と東京浅草の実家に戻った後のつらい状況に、自ら命を絶つことも考えられたそうです。
しかし、お母様を支えるために神田のお蕎麦屋さんに奉公へ行き、さらに三味線や踊りを稽古してチンドン屋さんの一行と旅へ出られる、など必死に働き暮らした少女時代のお話を明るく、お話いただきました。

5/10(火) 漫才師デビュー
昭和13年、16歳となった佳子師匠は、師匠曰く、「お金のため」に漫才の舞台に上がります。
最初は夫婦漫才の代役でしたが、練習もしていないのにうまくツッコめるなど、トントン拍子に人気者に。
時代は第二次大戦へと移りますが、満州における軍の慰問漫才でも大人気だったそうです。
終戦後、団子を売ったり、キャバレーの女給さんとして働くなどパワフルに働かれ、その後、芸人の道一本に絞るまで激動の時期をお話いただきました。

5/11(水) 名コンビ誕生 
14歳も年下となる内海好江さんとコンビを組んだのは昭和25年。
「一人前にしてやってほしい」と好江さんの親から頼まれ、時には厳しく芸を教え込んだということです。
絶対に口答えはしなかったという好江さんにキツイ言葉をかけて、好江さんを追い込んでしまったこともあったそうです。
たくさんの賞を得た名コンビについて、そして97年にお亡くなりになられた好江さんについて、思いを語られています。

5/12(木) マネージャー、今の夫との出会い 
小学生から佳子師匠のファンで、300通のラブレターを送ってきたという今の旦那様は24歳も年下。
結婚を申し込まれた佳子師匠の「私の死に水とってくれる?」という質問に対し、旦那様は「うん、一緒に飲むよ!」といい返事をされたそうです。
今はマネージャーとなった旦那様もお話の輪に入って、銀婚式を迎えた仲むつまじいご夫婦のお話を伺っています。

5/13(金) 生涯現役!現在の佳子師匠
今年で90歳となる佳子師匠は、今も元気いっぱい。現役の漫才師として活躍されています。
ツイッターも駆使し、街中で若者に声を掛けられる佳子師匠は「老人は老人の感性で活躍するべき」と語られています。
現在、佳子師匠は、 あした順子さんとコンビを組んで漫才をされています。
意識しているのはなんとあの・・・「AKB48」なんだそうです。
24時間でも話したりない!という佳子師匠のお話で、元気をいただきましょう。

<内海桂子>
1923年、東京都出身。
1938年、高砂屋とし松とコンビで浅草橋館に漫才初出演。
1950年、内海好江とコンビ≪内海桂子・好江≫結成。
1958年「NHK漫才コンクール」優勝、1998年に漫才協団会長に就任。
漫才活動の他、映画・ドラマ・トーク番組・バラエティ番組などに出演し、最近ではレポーター、講演会の講師、今村昌平監督の日本映画学校・演劇科講師を務めるなど常に新境地を開拓。
1982年度に授賞した芸術選奨文部大臣賞は漫才としては初の栄誉。