今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、兵藤ゆきさん!
4月11日「枠にとらわれず育った少女時代」
名古屋で生まれた兵藤さんは、とてもほめ上手の両親の元で育ちました。
特にお父さんは兵藤さんが「究極の平和主義者」と表現するぐらい穏やかな人で、お父さんが語る昔話はすべて最後がハッピーエンドに作り変えられているというぐらい、
それは徹底していました。
そんな兵藤さんが偶然入った高校はまるで軍隊のような高校でした。しかし、高校3年になってから、理解のある先生に出会います。
4月12日「深夜ラジオのカリスマ」
お母さんの洋裁の腕を見ていた兵藤さんは、手に職を付ければ怖いものは無いと思い、将来の進路はファッションデザイナーと決めていました。
しかし、ひょんな事からDJを勤めることになります。それも当時あまり仲の良くなかった東海ラジオと中部日本放送の両方で。その後、気が付けば東京・名古屋・大阪のラジオで生の深夜番組を持つ、カリスマラジオパーソナリティとなりました。
兵藤さんのDJはそれまでの深夜放送のDJとはちょっと違っていました。それがリスナーには新鮮だったようです。
4月13日「TVの世界の人気者に」
兵藤さんのTVデビューのきっかけは、マネージャーさんとフジテレビの横澤プロデューサーとの偶然の居酒屋での出会いでした。
こうして笑っていいともに出演した兵藤さんは、深夜放送の様なバラエティを創りたいと考えていたテリー伊藤さんに出会い、元気が出るテレビで活躍することになります。
この番組は大変だったけれどとても面白かったので、勉強になったのだそうです。この頃は、芸能人、出演者というよりもただひたすら体当たりをしてきたのだと兵藤さんは話してくれました。
4月14日「はじめての子育てとニューヨーク生活」
実は兵藤さんには長い間付き合っていた人が居ました。お互いに忙しい、東名阪を挟んだすれ違いの生活の中で、ずっと気持ちを通わせていた人です。
お子さんができたので入籍したのですが、一人での子育ては大変で、兵藤さんは旦那さんの留学先であるニューヨークに旅立ちます。そしてニューヨーク生活を始めた兵藤さんは、英語に苦しめられながらも優しい人たちに助けられて生活を続けました。
4月15日「ほめて教えるということを知って」
考えただけで気持ちが悪くなるぐらい英語が苦手だった兵藤さんが、今は英語を教える立場になりました。そんな兵藤さんは、教えるときには褒める事が大切だと言います。ほめるのは甘やかすことではなく、認めてあげるという事だから、どんどん上達を認めてあげて欲しいというわけです。考えてみると、このほめ上手、兵藤さんはお父さんから受け継いだものでもありました。
そんな兵藤さんが、英語の学び方を書いた本を出しました。漫画エッセイ本ですが、この本の漫画は、くにまるさんからのアドバイスで、どんどん変わっていったのだそうです。
<兵藤ゆき>
1996年長男誕生後、夫の留学先であるニューヨーク(NY)に子育てを中心に11年ほど移住。
民主主義の本場NYでの子育て経験をつづったエッセイ集も多数発表。2007年、家族で完全帰国。(NYの住居はそのままにしてあるので、家族で時々NYに行く)
帰国を機に、子どもと大人のよりよい関係、ペットと人とのよりよい関係、心地よい衣服の在り方、楽しくできる英語習得法など、人が幸せにポジティブに生きていくための知識を、NYでの経験を踏まえた上で再度アカデミックに勉強し直し、小学校英語準認定指導者、チャイルド・コーチング・アドバイザー、ペット介護士の資格を取得。
帰国後に、NYで見聞きした参考になるニューヨーカーの子育てエッセンスをまとめたエッセイ集、「子どもがのびのび育つ理由(わけ)」、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオンの飯田覚士氏と子どもの脳の発達を促す体遊びとビジョン能力を鍛える遊びをまとめた、「脳を育てるからだ遊び」、英語習得奮闘紀「ゆき姐の漫画エッセイ 英語と格闘 in New York」も出版。
現在は、テレビ、ラジオ、執筆などで活躍するかたわら、NYでの子育てや異文化体験から得た様々な話題の講演依頼も多数寄せられ、全国に精力的に出向いて行っている。
また洋裁正教員資格を生かし、2009年5月、ストレス・フリーをテーマにした、下着、ホームウエアーなどのブランドyukine inc.(ユキネエインク)を立ち上げ、服飾デザイナーデビューも果たす。
2010年5月 一般社団法人「子どもの発達科学研究所」特別研究員就任。