今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム 」のゲストは、鳩山由紀夫さん!
2月21日(月)「政治家になるまでの鳩山さん」
弟は政治家志望だったが、自分は政治家に向いていないと思っていたと鳩山さんは言います。でもコンピュータでバイオを研究しようとしたアメリカ留学中にアメリカの建国200年祭を見て気持ちが変わっていったのだそうです。レールは近くにあったけど、それを引き寄せて乗るということはなかなか考えられなかったのだそうですが、最終的には田中角栄氏に出会って政治家になることを決意しました。
2月22日(火)「総理大臣になったとき、辞めた時」
大きな期待を受けて総理になったのに、それを続けられなかったのは国民に申し訳なかったと鳩山元首相は思っているのだそうです。政治理念の問題だったら信念を貫けばいいけど、自分の問題だったので責任をとるしかなかった。そうすれば参院選も勝てるはずだったと。マニュフェストで政権交代を成し遂げたので、これを一つ一つ実現していくという方向性は間違っていなかった。総理を辞めてみて、今でもそう思っているのだそうです。そして、今の政権への一番の不安点についても語っています。
2月23日(水)「沖縄普天間問題について」
県外という自分の言葉が独り歩きしてしまったけど、本当は民主党の公約「沖縄ビジョン」にあった、党全体で統一された考え方だったそうです。それに沿って頑張り、結局実現できなかったことを鳩山元首相は今でも悔いています。トラスト・ミー この言葉で日米関係を悪くしたとも指摘されましたが、それは一時的なもので、辞めた時にはオバマ大統領から直筆の手紙をもらったそうです。そこに書かれていたのは意外な一言でした。
2月24日(木)「小沢氏との関係」
小沢さんを総裁選に担いだ事で党が混乱したのでは?とのリスナーからの指摘に対しては、国難のときには小沢氏をおいて他に適任は無いと思った。逆に、現状はどうであるか良く考えて欲しいのだそうです。もしも小沢氏が通常の政治活動ができていたら、政権交代を支えた日本の保守層がもっと安心したのではないか、鳩山元首相はこう指摘しています。
2月25日(金)「新しい公共」
一度引退することを決めたけれど、まだやり残したことがあるので、もう少し待って欲しいと鳩山元首相は考えました。社会・民間に権限を与えて自由に動けるようにする。官は指示するのではなくそのための手を貸す。これが新しい公共で、これが暖かい友愛社会を創りだす。これが鳩山元首相が今推し進めている政策です。菅さんは現実的な人だけど、政治家にはビジョンが必要だと鳩山元首相は考えています。そのビジョンに沿って行動してきたのだそうです。
<鳩山由紀夫>
昭和22年生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業、スタンフォード大学工学部博士課程修了。東京工業大学経営工学科助手、専修大学経営学部助教授。昭和61年の総選挙で、旧北海道4区(現9区)から出馬、初当選。平成8年、弟邦夫らとともに民主党を結党。菅直人とともに代表に就任。平成11年、民主党代表に就任。平成17年、民主党幹事長就任。前原・岡田・小沢と三人の代表を支える。平成21年、民主党代表に就任。第93代内閣総理大臣に就任。