終わりよければ・・・(放送終了)

2月7日~2月11日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、島崎俊郎さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、島崎俊郎さん!

2/7(月) ペイッ!のルーツ
高知県の左官屋さんの父親の元、4人兄弟の末っ子として生まれた島崎俊郎さん。
父親が家で仕事の愚痴をこぼす、そんな姿を見て育った島崎さんの
代表ギャグ「ペイッ」のルーツは・・・意外なところにありました。
大人気テレビ番組「オレたちひょうきん族」の収録中に生まれた、
「ペイっ」の誕生秘話を臨場感たっぷりに語っていらっしゃいます。

2/8(火) プロサッカー選手への夢と芸能界への憧れ
高校時代はサッカーに熱中し、インターハイに出場されるほどの実績を残した島崎さん。
その一方でお金持ちになりたい、芸能界に入りたいという強い思いももたれていたということです。
芸能界入りを決意したのは、高校3年生のとき、サッカーでライバル高校に負けたそのフィールドの中だったそうです。

2/9(水) クレイジーキャッツの付き人になるまで
夢の芸能界入りのためには、誰かに弟子入りするしかない!と
高校卒業後、京都から東京新宿で行われていたクレイジーキャッツの公演になんの当てもなく向かった島崎さん。
楽屋口での押し問答を経て、なんとか会ったハナ肇さんの表情や言葉について熱くお話いただきました。

2/10(木) ヒップアップ時代と名プロデューサー横澤彪さんとの出会い
ヒップアップとなった島崎さんはアイドルのような人気者に。
「笑っている場合ですよ」の素人コーナー、「君こそスターだ」というオーディションで、
審査員の反応が悪く、落ち込んでいた島崎さんたちに声をかけてきたおじさんが、横澤彪さんでした。
そのとき横澤さんからもらった言葉は、一生忘れらない言葉になったということです。

2/11(金) アダモちゃん誕生
「オレたちひょうきん族」で生まれた人気キャラクター「アダモちゃん」。
ビートたけしさんが島崎さんに、「ポリネシアンダンサーみたいな顔だな」と言ったことが誕生のキッカケで、最初は「マネー島崎」というキャラクターだったそうです。
リハーサルもなく、オチをつけなければいけない、と追い込まれた末に生まれた
「アダモ」ちゃんの誕生とこれからを、笑いを交えてお話いただきました。


<島崎俊郎>
1955年生まれ。京都府出身。1979年にお笑いトリオ・ヒップアップを結成。
漫才ブームの後半から頭角をあらわし、『オレたちひょうきん族』のアダモちゃん役が大きな反響を呼ぶ。
『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。
以後、主にリポーター業を中心に、最近は舞台、ドラマ、音楽活動とマルチな活動を続けている。