今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、佐良直美さん!
12月27日(月) お嬢様時代
とても裕福な家庭のお嬢様だった佐良さん。
バイオリンやピアノのレッスンなどが嫌で逃げ回っていたそうです。
「危ないから自転車は乗ってはいけない」と言ったおじい様が代わりに許したのが「馬」。
東京オリンピックを目指すほどの実力をお持ちだったとお話しされていました。
12月28日(火) 大ヒット直前のお話
テレビ音楽番組のディレクターになりたかった佐良さんですが、女性の採用枠が無く断念。
代わりに、レッスンを受けていた歌を生かし、
シンガーとして米軍キャンプやシャンソン喫茶などで歌われていたそうです。
ある日、米軍キャンプでなぜか、喝采とブーイングをうけた佐良さん。
そのあと、ある女性たちから聞いた言葉で佐良さんは大変励まされたそうです。
12月29日(水) 大ヒットと紅白
大ヒット曲「世界は二人のために」を初めて聞いたとき、童謡かと思ったという佐良さん。
「いいじゃないの幸せならば」は、歌詞の意味をあまり考えずに歌ったことがよかったとも語られました。
ヒット曲に恵まれた佐良さんは、NHK紅白歌合戦に13回連続出場、司会も5回務められました。
紅白ならではの緊張感や、楽屋での裏話などたっぷりお話いただきました。
楽屋での和田アキ子さんをある動物にたとえていらっしゃいます。
また一方で、まったく緊張していなかったというのが・・・・あの大物女性歌手です。
12月30日(木) 歌手・佐良直美から実業家・佐良直美へ
喉ポリープの手術を受けられた佐良さん、その後も歌うときに違和感があったといいます。
またそのころ、ご家族の会社を手伝われて、歌手生活との両立が困難に。実業家に専念されます。
小さなころから動物に囲まれて育ったことなどから、
現在の、那須にある家庭犬のしつけ教室を開かれます。
12月31日(金) 再び、歌手へ
28年間、実業家として過ごされていた佐良さん。
テレビ出演も断り、あの手この手でCDを出すことを断ろうとしていた佐良さんが
とうとう、11月発売の「いのちの木陰」で27年ぶりに歌手としてカムバックされたいきさつについてお話を伺いました。
<佐良直美>
1945年、東京都出身。1967年に歌手デビューし、NHK『音楽の花ひらく』のレギュラーに起用。その年デビュー曲として発売された「世界は二人のために」が120万枚の大ヒットとなり、レコード大賞新人賞を受賞。69年には「いいじゃないの幸せならば」で日本レコード大賞を受賞。ドラマ出演や司会業など幅広い分野で活躍。