今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、森田芳光さん!
11月29日(月)「料亭で育った森田監督」
円山町の料亭の息子だった森田芳光監督は、三味線の音の響く中で育ちました。芸者衆と一緒にテレビの子供番組を見るような生活だったのです。その後、お客さんにジャズのレコードをもらいジャズへ、そして祖母の影響で芝居へ傾倒していきます。
子役としてテレビ・ラジオに出たこともあった森田監督ですが、とても不純な!?動機で、転校してきた女の子に初恋をしまうのでした。
11月30日(火)「8ミリから35ミリへ」
森田芳光監督は、放送局志望で日大芸術学部の放送学科へ入りますが、8ミリ映画に熱中して就職浪人をしてしまいます。その後、映画館でのアルバイトで「映画というものはヒットすれば皆が幸せになる」ということを痛感します。
8ミリ映画「ライブイン茅ヶ崎」が評判になりますが、より本格的な映画を目指して35ミリに進むことを決意し、「の・ようなもの」を制作しました。問題はその制作費の出所、親も巻き込んだ人生最大のギャンブルとなりました。
12月1日(水)「挫折とともに見えたもの」
映画「家族ゲーム」は森田芳光監督も驚くほどの大ヒットとなりましたが、監督はその要因として、その前に撮ったアイドル映画と2本のロマンポルノで映画制作システムを勉強できたことが大きかったといいます。
家族ゲームのヒット後、いきなり期待の新人としてちやほやされた監督は、映画の方向性について悩み、数年の沈黙期間を過ごしました。
競馬評論などをした後に発表した映画「ハル」は、賞はとれたもののお客さんはついて来なかったのですが、この頃はもう、自分が進むべき方向をはっきりさせたのだそうです。
12月2日(木)「映画を撮り続ける理由」
「人間をどうやって出すか」これが自分の映画のテーマであり、ミスキャストは絶対に許されないと森田芳光監督は言います。キャスティングと同時に役は決まっているのだそうです。
そして、いつまでも振り子のように振れて、一作毎に異なるタイプの映画を撮りたい、そうしないと演出が堕落してしまうという信念を持ち続けています。森田ブランドはビックリ箱でありつづけたいと考えていますが、その為にいつも心がけていることがあるそうです。さて、それは.....
12月3日(金)「武士の家計簿」
明日から森田芳光監督の最新作、「武士の家計簿」が公開になります。この映画は、藩の会計を担当する御算用者と呼ばれる武士が、倹約で自家の借金を無くすまでの描いたものですが、そこで描かれているのは「家族・家庭」でした。
そんな映画を見ていて、インタビューアの野村邦丸が困ってしまったことがひとつありました。意外なことですが、実は、それも森田監督が描く家族の形だったのです。
<森田芳光>
1950年、東京都生まれ。日本大学芸術学部放送学科を卒業。78年、28歳の時に撮った「ライブイン茅ヶ崎」が話題となり、81年「の・ようなもの」で劇場映画デビュー。83年「家族ゲーム」で芸術選奨文部大臣賞新人賞を受賞。85年「それから」で第9回日本アカデミー賞優秀作品賞、モントリオール世界映画祭にてエキュメニカル・ジュリィ賞特別表彰を受賞。そのほか主な監督作品に「キッチン」、「(ハル)」、「失楽園」、「模倣犯」、「阿修羅のごとく」、「海猫」、「間宮兄弟」、「サウスバウンド」、「椿三十郎」など。