終わりよければ・・・(放送終了)

10月11日~10月15日の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」は、藤岡弘、さん

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今週の「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」のゲストは、藤岡弘、さん!

10月11日(月)「 父親から受け取ったモノ、受け取れなかったモノ 」
愛媛県のお生まれ。お父様は警察官、お母様は茶道や華道をたしなむという、まるでお武家さまのような家庭に育った藤岡弘、さん。小さい頃はお父様に「武道とその心」を教えてもらっていたそうですが、藤岡弘、さんが小学校6年生の時にそのお父様が突然の失踪。藤岡家は大黒柱を失って大変に厳しい生活を強いられることになってしまったそうです。そして、藤岡弘、さんが「仮面ライダー」の主演で注目を集め始めた頃にお父様から思いがけない電話が掛かってきて...。藤岡弘、さんのお父様とお母様について伺っています。

10月12日(火)「 仮面ライダー、へんし~ん 」
子供のころに見たさまざまな映画に触発されて俳優を目指したという藤岡弘、さんは高校卒業後に上京。始めのうちは何のコネもなかったものの、極貧生活に耐えながらアルバイトをしていた時期に松竹映画にスカウトされ、念願の俳優へ一歩近づくこととなります。そして、ついに「仮面ライダー」の主役の座を射止めることになるわけですが、撮影中に思わぬアクシデントに見舞われてしまい...。藤岡弘、さんがリュックサックひとつで上京し、四谷の土手で寝泊りしていた頃のお話。

10月13日(水)「 奇跡の復活でハリウッド進出 」
「仮面ライダー」の撮影中に大ケガをしてしまい一時は"再起不能"とまで言われた藤岡弘、さんは懸命のリハビリで奇跡の復活をとげ、その後、アメリカへ進出。ハリウッドにも認められる俳優となるのですが「ある理由」で再び日本に戻ってくることになります。果たして、その理由とは? 水曜日は、その辺りのことを語っていただきました。大ケガに関する痛~ぁい話を、嫌がる野村邦丸に、まるで楽しいことのように得意気に語る藤岡弘、さん。本当にイジワルな人です(笑)

10月14日(木)「 藤岡弘、探検シリーズ 」
俳優になるのと同じくらい探検家にもなりたかったという藤岡弘、さん。そんな藤岡弘、さんが隊長を務めるテレビ番組「藤岡弘、探検シリーズ」、皆様はご存知でしょうか?この番組の撮影中に起きた過酷な体験エピソードを中心に伺っています。何故か本当に大変な体験をしている時は、いつもカメラが回っていないんだそうです(笑)

10月15日(金)「 捨てて勝つ 」
真面目すぎるが故、ピュア過ぎるが故に人に騙されることも多いという藤岡弘、さん。しかし、お父様から譲り受けた「捨てて勝つ」という言葉を胸に、何事も常にプラスに考え、今後の人生の糧とするように努めきたそうです。藤岡弘、さんの生き方をちょっと哲学的(?)にお話していただきました。本当に元気な64歳です!

<藤岡弘、>
1965年、松竹映画にてデビュー後、青春路線で活躍。
1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。
映画は、「日本沈没」「野獣死すべし」「大空のサムライ」他、TVは、「勝海舟」「白い牙」「特捜最前線」「あすか」テレビ朝日「藤岡弘、探検シリーズ」他、主演多数。
現在は、NHK「熱中時間」の"熱中人探検"のコーナーや、日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」にて"食材バカ一代"のコーナーにレギュラー出演中。
1984年、ハリウッド映画「SFソードキル」の主役に抜擢され、国際俳優として、スクリーン・アクターズ・ギルド(米国俳優協会)のメンバーとなる。「K2」「香港・東京特捜刑事」にも出演し、ハリウッド関係者との親交も深い。
CMでは、セガサターン、オートレースで二年連続CM大賞を受賞。
斬(真剣による演武)を行う武道家としても知られ、柔道、空手、刀道、抜刀道、小太刀護身道他、あらゆる武道に精通。
民間ボランティア団体の理事も務め、メンバーと共に、国内はもとより世界数十カ国の紛争地域、難民キャンプにて救援活動を展開している。