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・長島茂雄幻のホームラン
・神様からの贈り物
・ワンちゃんは怪物だ
・当たらないハズだったのに…
・ウーヤンは凄い!!
・攻撃は最大の防御なり
・神主打法・岩本義行
・月に向かって打った男
・いなくならないで〜!!
・75歳の豪快アーチ
・プロ野球1号HR
・最初の名勝負
・塗りすぎにご用心
・まだタイムですよ
・絵になる男
・最初のサイクル


最初のサイクル(5/30更新)
昭和23年10月2日。阪神の主砲、藤村富美男は8回にツーランホームランを打った。
この瞬間達成された偉大な記録を当の藤村もファンもマスコミも誰も気がつかないまま、17年の歳月が流れた。
昭和40年、阪急スペンサーは報道陣にぐちった。
「なぜ、誰も今日の私のサイクルヒットの事を聞いてくれないんだ?」 
この記録、初めて達成したのはミスタータイガース、藤村だった。


絵になる男(5/30更新)
東京ドームが誕生したのは昭和63年(1988年)。
この年、真新しい天井や外野スタンドに向かって最も多くホームランを打ちあげたのは当時巨人の4番だった原辰徳現監督で、その数10本。その次はというとホームチームの巨人でも日本ハムでもなく、なんと当時西武の4番だった清原で7本を放っている!
東京ドームのホームランが最も絵になるのは清原だが、それは15年前から始まっていた。
怪我よ、早く直れ〜!
まだタイムですよ(5/23更新)
先日、阪神のアリアス・浜中・金本の3連発ホームランが飛び出しましたが、
ベイスターズがまだ大洋と名乗っていた昭和41年。
近藤和彦は泣くに泣けなかった。対阪神戦。
9回裏、伊藤がホームラン。そして重松がホームラン。土壇場でまさかの同点。
そしてバッター近藤和彦の打球はサヨナラホームランとなってスタンドに消えた!!!
ところが何とタイムが解除されていなかった。3連続アーチもサヨナラも記録には残っていない
塗りすぎにご用心(5/23更新)
1983年、ロイヤルズの人気者、ジョージ・ブレッドはライトへ逆転アーチを放ち、意気揚揚とベンチに戻った。
ところが審判とヤンキースの選手が念入りにバットを調べている。いやな予感…….。
そして何と審判から衝撃的な一言が!
「バットに松脂を塗りすぎたためホームランは無効とする」ベンチをロケット砲のように飛び出しての猛抗議は受け入れられずブレッドはこう吐き捨てた。「そんなけちなルール、俺が知ってるわけないだろ!」

最初の名勝負(5/16更新)
昭和11年、プロ野球元年の優勝決定戦を戦ったのは後に宿命のライバルとなる東京巨人軍と大阪タイガースであった。第1戦。東京州崎(すざき)球場。巨人4点リードの4回表、2塁3塁のチャンスでバッターは景浦将。ベーブルースをきりきり舞いさせた沢村栄治の3段ドロップを景浦はレフトスタンドに打ち返しスリーランホームラン。プロ野球最初の名勝負が生まれたと言われている。
プロ野球1号HR(5/16更新)
藤井勇はプロ野球の第1号ホームランを打った男である。そのホームランは甲子園球場で生まれている。昭和11年5月4日、タイガース対セネタース戦。1点を追う五回の裏のタイガース、二番の藤井が野口から放った打球はセンター大貫の横を抜け転々と転がった。それをみて藤井は一気にベースを一周!ランニングホームラン!プロ野球第1号ホーマーは何とアーチではなくゴロだった。
75歳の豪快アーチ(5/4更新)
17球ファウルで粘ったこともあるホワイトソックスのルーク・アップリングはしつこいバッティングが身上で、1936年には首位打者も獲得したが現役時代の最多アーチは8本と決してホームランバッターではなかった。しかし、そんなアップリングが、現役引退後34年もたって信じられない復活を果たした。オールドタイマーズゲームでトップバッターとして出場し、ひとまわり若いウォーレン・スパーンの速球を突如スタンドへ.かっ飛ばしたのだ。75歳の豪快ホームランに球場は驚きと感激で盛り上がった。

いなくならないで〜!!(5/4更新)
広島の歴代アーチストと言えば、やはりミスター赤ヘルこと山本浩二・現監督。
通算536本は歴代4位で、セリーグでは王に次ぐ数字であり長嶋より100本近く多い。
ホームラン王も実に4回獲得している 。次に多いのは504本の鉄人・衣笠祥雄。
3位はぐっと離れるものの248本の江藤智だったのだが今は巨人の一員に。
第4位はわずか4本差の244本で金本だったが今では阪神.....。

月に向かって打った男 (4/25更新)
大映飯島滋弥は風邪で一週間休んだ後の復帰戦だった。妙に体が軽く感じられる。
昭和26年10月5日阪急とのゲーム、1回表にノーアウト満塁で、平凡なファウルフライを相手野手が落球した後にグランドスラム。
7回にまたまた130メートル飛ぶ満塁アーチ。おまけにその回打者一巡で今度はスリーランのお化け記録であった。
飯島は16年後コーチとなり、教え子の大杉勝男にこう言った。「月に向かって打て」

神主打法・岩本義行(4/25更新)
横浜が松竹ロビンスなどと呼ばれていた頃のホームランバッターに岩本義行がいる。
セリーグ第1号ホームラン。セリーグナイトゲーム第1号ホームラン。1試合4ホーマーなどの伝説の記録を打ち立てた岩本は1953年に惜しまれながら引退するのだが、何と3年後に東映の監督兼選手としてグラウンドに戻ってきた。
そして45歳と5ヶ月の史上最年長記録となるホームランをかっとばす。
バットを立てて構えるため神主打法と呼ばれた岩本にお払いをしてもらいたいぐらい元気いっぱいのホームランバッターだった。

攻撃は最大の防御なり(4/18更新)
昭和24年4月26日の巨人、川崎徳冶投手ほどホームランストーリーに相応しい選手はない。
相手大映スターズの1番から6番の選手全員に合計八本のホームランを打たれたものの、
自ら3回に逆転ホームラン、7回に逆転ツーラン、8回に勝ち越しホームランを放ち、15対13で完投勝利を挙げてしまった。

ウーヤンは凄い!! (4/18更新)
中日のユニフォームを着て最もホームランをかっ飛ばした選手は誰か?
フライを取りそこねた脳天直撃の映像で毎年、珍プレーに登場する宇野勝である。
宇野は中日時代334アーチを放った大型スラッガー。珍プレーどころかまさに好プレーの代表選手であった。
続いて大島康範の321本。木俣達彦の285本。谷沢健一の273本となっている。
通算510ホーマーの落合だが中日では210本である。

当たらないハズだったのに…
1990年6月6日。東京ドーム。
近鉄ブライアントの打球は天井のスピーカーに直撃した。ホームベースから97b。地上44b。
設計会社が絶対に当たらないように計算していたその常識を打ち破った打球は特別ルールによりホームランとなった。もしスピーカーがなければ推定飛距離180bの奇跡の大ホームラン。
打ったブライアントは…、唖然としていた。
ワンちゃんは怪物だ
昭和39年5月3日。巨人阪神戦。23歳の王貞治は1試合4連続ホームランの偉業を成し遂げた。
長嶋に並ぶ大打者が誕生した瞬間だった。
長嶋は「ワンちゃんは怪物だ」と言った。川上監督は「もう言葉では言い表せない」と言った。母親の登美さんは「私がテレビを見ると、ホームランを打たないジンクスがあるものですから」とテレビもつけず部屋の隅でもじもじしていた。

神様からの贈り物
昭和25年5月21日、広島対大洋。広島のピッチャー松川ひろじの打球はライト線を転々…としなかった。
ボールは何と草むらの中で止まった。試合が行われたのは、何と尾道西高校の校庭!
草むらの中に埋もれた白球を野手が懸命に探すが見つからず、松川は一気に駆け抜けゴールイン。ランニングホームラン!
16アーチを浴びてユニフォームを脱いだ松川にとってプロ野球人生でたった1度の野球の神様からの贈り物だった。

長嶋茂雄幻のホームラン
昭和33年9月19日。後楽園球場の巨人対広島戦であの事件は起きた。
広島・鵜狩のウエストボールを巨人のルーキー長嶋は大根切りで見事、左中間スタンドに逆転アーチ!
ところがファーストの藤井が何故かボールをよこせと叫んでいる。送球すると藤井はベースタッチしてアピール。
その瞬間ベース踏み忘れでアウトが宣告。長嶋幻のホームラン!後にピッチャー鵜狩はあの時のことを振りかえりこう言った。
「気の毒なことをしたなあ」
 
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