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2017年2月21日 『東日本大震災から6年 記憶を未来へ』

3月11日で、東日本大震災から6年となります。
東日本大震災のあと、岩手、宮城、福島県では
合わせて26局の臨時災害放送局が立ち上がりました。
安否確認情報や、生活情報を被災者自身らが足で広い
極限の中で放送を続けてきました。
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しかし臨時災害放送局は6年の月日が経つうち
その役目をおえたり、経済的、マンパワー的な問題で閉局したり
一般のコミュニティーFM,いわゆる商業放送に切り替えるなどして消えていき
現在は6局ほどになっています。
そのうちの1局が「りんごラジオ」です。
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宮城県亘理郡山元町。ここでは636人が津波の犠牲になりました。
何もかもが流された沿岸部は6年がたとうとする今、大規模な農地としての開発が進み、
内陸部に移設された常磐線の駅の周辺には見違えるような復興団地が開発されています。
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しかし被災当時、山元町は完全に外部の情報を遮断され
町内の情報も共有できない事態に陥りました。
キー局もこの町をほとんど取材しなかったため
町の人々は自分たちのおかれた状況がつかめません。
被災者にとって一番大事なのは水や食料、医療関係の情報だったのにです。
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そんなとき立ち上がったのがこの山元町で定年後を過ごそうとしていた
東北放送の元アナウンサー高橋厚さん(74 歳)でした。
「山元町から発信する山元町のための放送局」が必要だと確信し、奔走した高橋さんは、
2011年3月21日午前11時に「臨時災害放送局」として「りんごラジオ」を開局したのです。
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番組は全て自分たちで制作、多忙な日々が続きました。
2014年に高橋さんは脳内出血で倒れ、復帰も危ぶまれました。
病を乗り越えて現在もマイクの前にいます。
存続問題などを抱えながらも、6年たつ今、町に必要な情報を模索しながら
放送を続けています。
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文化放送でも震災後にその奮闘ぶりを取材しましたが
去年から今年はじめにかけて再び、りんごラジオを訪ね
取材しました。
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実はこの「りんごラジオ」
過去に一度、小説に登場したことがあります。
この小説は「希望の地図」。
作者は「流星ワゴン」などの作品で知られる直木賞作家の重松清さん。
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震災の翌年にりんごラジオなどを取材した重松清さんは
その後「希望の地図 3・11から始まる物語」という小説の形を借りたルポルタージュを執筆したのです。
そこで今回は、
重松清さんと共に山元町を訪れて取材しました。
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6年が過ぎた被災地に立った重松さんがどんな言葉で変わりゆく町を語り、
りんごラジオをはじめとする町の人々の想いを受け止めるのか。
ぜひ、放送をお聞きいただきたいと思います。

20170215shigematusan - コピー.jpg

取材の際、「りんごラジオ」に出演した重松清さんと
報道スポーツセンター関根英生部長
20170215atushi.jpg
番組を進行する高橋厚さんと真理子さんご夫妻
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このほか、今年の3月11日は生放送で
石森が震災発生依頼取材してきた被災者のかたがたに
リアルタイムでお話を伺います。詳しくは以下をご覧ください。
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『文化放送報道スペシャル 東日本大震災から6年 記憶を未来へ』 
3月11日(土) 午後1時00分~2時55分
パーソナリティ 石森則和(文化放送報道記者)、小川真由美(フリーアナウンサー)
ゲスト     普天間かおり(歌手)
番組内(1時20分頃)
『シリーズ被災地の真実 希望の声をつなげて
~作家重松清さんが訪ねる被災地山元町とりんごラジオの6年』
出演  重松清(直木賞作家)高橋厚、真理子夫妻(山元町臨時災害局「りんごラジオ」)

文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。

その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。

それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。

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