「モアイ」の「モ」は、イースター島のラパヌイ語で「未来」
「アイ」は「生きる」という意味です。
「未来に生きる」
それが彼らの呼び名です。
建造された理由は諸説ありますが
イースター島では、いずれも海を背にして立っており
住民の皆さんを見守ってきたのかもしれません。
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1960年に宮城県南三陸町を襲ったチリ地震津波をきっかけに友好を深めたチリから
2013年、東日本大震災に被災した南三陸の皆さんを勇気づけようと贈られたのがこのモアイです。
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震災発生時から東北で取材をさせていただきましたが
翌年、小谷ディレクターと取材したのが南三陸町でした。
今回は、その時出会ったみなさんに再びお会いしました。
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2012年に仮設住宅で取材に応じてくださったみなさんは
今もそのまま仮設住宅にお住まいでした。
住宅政策の遅れは、経済格差などを生み出し
人口流出などにもつながっています。
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その一方で、希望の種を探すのも今回の目的でした。
番組では「希望」という言葉を使っていますが
取材した感覚では「約束」という言葉に近い気がしました。
この町で暮らし続けることを選んだ皆さんの
「ともに幸せな未来を生きる」約束です。
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仮設住宅で一緒におじいちゃんおばあちゃんの話を熱心に聴いている小谷ディレクター
(最近お国言葉のヒアリングに長けてきた)の表情を見ていて思いました。
「リスナーさんにも、このコタツに一緒に入って話をゆっくり聴いていただきたい」と。
そんな気持ちでお聴きください。
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文化放送ウェンズデープレミアム
『シリーズ被災地の真実 震災から5年、南三陸は今』
放送日:2016年3月9日(水) 午後7時00分~8時00分
東京・中野区で去年8月、劇団員の加賀谷理沙さん(当時25歳)が殺害された事件。
未解決のまま間もなく半年となりますが、警視庁は今日、画像を公開しました。
まず、加賀谷さんが事件に巻き込まれる直前の去年8月25日午前0時半頃、
自宅近くのコンビニ店内で買い物をする姿。
加賀谷さんは、白と黒のボーダー柄のワンピースにピンクの半袖カーディガンを着ています。
いずれも事件後、なくなっています。
次に、この画像で加賀谷さんが背負っているとみられるリュックサック。
リュックは縦およそ34cm、横およそ33cm、黒の合皮製で、
このリュックも事件後、なくなっています。
また、以前にも公開されたトートバッグ。
縦およそ40cm、横およそ38cm。 このトートバッグも事件後、なくなっています。
そして、こちらも加賀谷さん宅からなくなっている、イチゴ柄の布団カバー。
チャック付きで、おそらく掛け布団カバーと思われますが、加賀谷さんは敷布団カバーとして
使っていたとみられるということです。
加賀谷さん宅からは、上記の衣服やリュック、トートバッグ、布団カバーなど
10数点がなくなっていて、犯人が持ち去ったとみられています。
情報提供は、警視庁中野署特別捜査本部、03-5342-0110 まで。
毎日新聞連載の「万能川柳」に
「バズーカも真上に打てば落ちてくる」という一句があった。
日銀の奇襲攻撃、マイナス金利の導入は瞬間的な
株高と円安に効き目を示したものの、効果は3日坊主。その後、
雪崩的株安&円高のリバウンドを起こし、株価は1万5千円を割込み、
為替は1$=110円台まで円高が進行した。
マイナス金利も黒田バズーカの一発と見るなら、まさに
垂直に落ちてきたこのバズーカ弾は日本経済を直撃してしまった。
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さて安倍政権の命綱、「アベノミクス」。3年間一貫して金科玉条とばかり
株高と円安の成果を国民にアピールしてきた。
残念ながら数字はごまかしがきかない。
この度の株価下落も円高為替も「アベノミクス」の限界を示したと見て構わないだろう。
その意味で「アベノミクス」の実態が見えてきたような気がする。
そもそも、黒田日銀はデフレ脱却の指針として物価上昇率は2年で2%上昇と
自信たっぷりに公言している。約束と言ってもいい。
物価上昇率2%UPは、まったくもって絵に描いた餅になっており、
いわば実体を伴わない数値目標だ。
もっと言えば、安倍政権がこの3年間で打出した政策キャッチも実態不明なものが多い。
「3年間抱っこし放題」
「1億総活躍社会」
「衆院定数削減 答申尊重」
「同一労働同一賃金」
これらの政策は確かに打出しのインパクトはあるが、その後の実態は
国民にとって実感できるメリットがはたしてあるのだろうか?
広告には印象強いキャッチは必須だが、肝心の商品にその実態が伴わなければ
否応なく消費者からきついパッシングを受けてしまう。
政権3年3か月、はたして、国民に対して掲げた政策(キャッチ)の実態を
われわれ報道メディアはもっと厳しく評価を下すすべきだろう。
その実態と評価を示さなければ政治そのものがまったく信用できない
パフォーマンスになってしまう。
報道スポーツセンター部長 関根英生
ブルブルしながら
JR気仙沼線の歌津駅に居ました。
あ、こんにちは
のりかずのウラの方です。
気仙沼線の歌津駅、ホームは高台の上にあるのですが
駅舎は高台の下にあったので津波の被害にあいました。
で、今
JR気仙沼線はBRTで運行しているので
BRT用の駅舎があるんです。
昼間は一時間に1本
他に、利用者がいれば
「どちらまで行かれるんですかぁ~?」
とか
「いつも使ってるんですかぁ~?」
とか
「電車からバス(BRT)に変わって何か違いますかぁ~?」
とかインタビューしたかったのですが
自転車はあるのに
だ・れ・も・い・な・い
しかーも、次のBRTが来るまで40分以上ある!!
(その頃旨そうな丼を食べてる人がいる!!)
駅舎と言っても無人駅!
もちろん売店も無い!
雪は降ってなかったけど寒い!!
『そっちどぉ?』とか電話かけてくる人がいる!!!(イラっ
独り淋しい思いをしていましたら
『まもなく、のぼり、前谷地行きがまいります。乗車口へお進みください』
優しい女性の声が!!
だ、誰かいるの!?
と思ったていたら・・・
親切なシステムが☆
そして間もなく
BRT(バス)来ました~♪
私の利用した区間は一般道を走っていたので
普通の路線バスと変わらない感じでした。
(区間によって、線路があった場所を走っています)
取材は続きます。
この「キラキラいくら丼」がたべられるのは
宮城県南三陸町『さんさん商店街』の「松原食堂」さん。
『さんさん商店街』は
震災から1年もしないうちにオープンした仮設商店街です。
復興をになう地元の事業者32店が軒を連ね、
連日多くの観光客でにぎわっています。
ツアーバスが停められる大きな駐車場もあります。
飲食店の共通メニューである「キラキラ丼」は目玉商品となり
さんさん商店街を有名にするきっかけにもなりました。
「南三陸をもっと知ってもらおう」として、
町外や県外に向けた商品を展開しています。
ただし近隣の仮設住宅の人はあれは「観光客向けだ」といいます。
キラキラ丼というのは比較的高価な海鮮丼で
日常生活の買い物には必ずしも向いていないからです。
商店街側もそれはわかっています。
でも、わずかながら南三陸にきて定住してくれるひとが増えたり
町民とつながりを持つ人が増えたのも事実です。
「松原食堂」は
元々は志津川にあった歴史ある食堂でしたが
津波に流されてしまいました。
でも店主ら家族は歯を食いしばり、
プレハブの商店街で再び歩き始めたのです。
この店を4年ぶりに訪ねました。
南三陸には元々商店が集まった商店街がなかったため
復興商店街でやっていけるのか?当初は不安だったといいます。
しかし、互いに切磋琢磨することができたほか
違う業種のお店からも学ぶことが多かったといいます。
でも、店主はそっと話してくださいました。
キラキラ丼という目玉があったから
皆さん来てくださって商店街はもりあがった。
でも、かつて、毎日、日常の食事をしに
地元の皆さんが来てくださったことも忘れてはいないのです。
松原食堂には昔ながらのメニューも並んでいます。
松原食堂は、近く本設される商店街には参加せず、
商店街の近くに頑張って店を再建する予定です。
さんさん商店街も良かったけれど
今よりも広い店舗で
昔みたいに地元のみんなが来てくれる、
たくさんの人が集まれる店を作るんだと意気込んでいました。
南三陸町志津川中学校の校庭に設置された仮設団地。
そこにいくための階段の途中で、息が切れました。
階段の上のプレハブに住んでいるのは、
ここが避難所だった時代から取材をしている80代のご夫婦です。
階段の下には海鮮丼で全国的に有名になった仮設商店街がありますが
老夫婦がこの階段を下りることはありません。
日常の食事にはならないからです。
頼みは別の車道から登ってくる移動販売車です。
おじいさんは言いました。
やっと来年の夏、災害公営住宅に引っ越せるんだ。
僕は聞き返しました。「え?来年?」
被災地では復興事業の遅れから、
住民の高台や新たな住居への引っ越しに1年以上の「格差」が生まれているのです。
それはそのまま「経済格差」にもつながります。
南三陸を訪れた人は、この風景を見て、復興への工事が進んでいると思うことでしょう。
かさ上げ工事です。
もしかしたら、この巨大なピラミッドの上に町が造られるとお思いかもしれません。
でも、これは、山を切り崩した土を一時的に置いているだけ。整地はもっと先の話です。
東京オリンピックをはじめ様々な理由で工事にかかわる人材や資材は不足し、
それらにかかるお金も高騰しています。
移転を待ちきれない人々は、故郷をあとにし、町の外に家を構える人々もいます。
人口の流出は深刻です。
父親と仕事を失いながらも残ることを決めた被災者の男性は、このピラミッドを見てこう言いました。
「私の思っていた復興とは違いました。海も山も変わってしまった。
やむなく町を離れた皆さんは、この風景を見て、いつか故郷に帰りたいと思うでしょうか」
手分けをして取材をしたノリカズDが指摘しなければ、
僕はあれほど保存の可否をめぐって話題になった「防災庁舎」を見失うところでした。
ピラミッドの隙間で、まるで忘れられたかのように放置されています。
それでも希望はありました。
店を継いだ若者、放課後に集って未来を語り合う高校生
そして彼らを頼もしく思う大人たち。
未来への階段を、一歩一歩上り続けています。
夫をあの防災庁舎で亡くし、この春、子供が神奈川の大学に入学が決まった母親は
「子どもは、いつかこの町に帰りたいと言うけれど、
大学でいろんな人と出会い、自分の道を決めればいい」と語りました。
そして目を細めながら、
「この5年間は大人にとってはそれほどの変化がなかったかもしれないけれど
子供らにとっては驚くほど成長した5年間でした」とも。
お母さんは、このあとどうするのですか?と聞くと
笑ってこう答えてくれました。
私はずっとここにいます。
子供たちを待っています。
ご無沙汰をしてしまってますね。
のりかずのウラの方です。
東日本大震災からまもなく5年
先日、南三陸へ行ってきました。
2012年に、南三陸の取材をしているのですが
南三陸町の歌津地区の仮設住宅近くにある
「あづまーれ」と呼ばれているテント
今回、取材に行く前に
「4年前に伺った"あずまーれ"って...」
と問い合わせたところ
『あー、まだありますし、みなさんもいますよー!是非来てくださーい!』
と明るい返事があり、伺ってきました。
このテント、学校の校長先生とかが運動会の時に
観覧席として使っているテントと同じモノです。
震災後に設置された"あづまーれ"と呼ばれるこのテント
何をする場所かと言うと...
はい、カフェなんです。
2012年に伺った時と変わった事は
・雨風避けのシートで覆われた
・利用者が多少減った
と言う感じで、5年近くこのテントは変わりなく
カフェあづまーれとして稼動していました。
このカフェ、仮設住宅に住んでいる皆さんが集う場所で、
みなさんマイカップを持ってやってきて、和やかにお話を
されていました。
2012年の時点ではこのテントいっぱいに人が来ていて
外部からの支援もあり、マイカップが無くてもお茶は飲めていたのですが
支援も少なくなり、マイカップを持ってこなければならないそうでしたが
代わる代わる仮設住宅からおばあちゃんおじいちゃんが集まっていました。
取材についての事は、また後日放送やこちらでお話しますが
あづまーれに来ていた、おばあちゃんやおじいちゃんが
『お兄ちゃん何処から来たの~?東京??この前の雪大変だったね~大丈夫だった?』
とか
『お兄ちゃん前にも来てくれたよね~』
とか
『お!文化放送!!えーと、なんだっけ...夜中に聞いてるぞ!!』
とか
超フレンドリー&超親切に接してくれて
東北人の寛大さと言うか強さを改めて実感。
あづまーれ以外でも今回の南三陸取材で東北人の強さを感じたのですが
今日はこの辺で。
「2018年問題」をご存知ですか?
受験生の数が再び減少に転じ、各大学が志願者集めに四苦八苦することになる節目の年のことです。でも、受験戦線が「広き門」になるわけではないんだよね。
今、大学入試制度改革が進んでいますね。2020年入試からセンター試験が廃止され、代わって記述式の問題が増える「学力評価テスト」(仮)が導入されるよね。(何でコロコロ変えるかねえ)
そうなると、今の中1生から新制度になる。ということは、中2生は浪人しづらくなるってこと。きょうから東京都で中学受験がスタートしたけど、すでに記述式問題を増やすところが出てきているからビックリ。つまり、すでにその影響が出ているというわけ。
また、今の小3生から新学習指導要領に変わるから、端境期にあたる小2生や小4生にも次なる変化が生じるってこと。(保護者はツライぜ)
しかも、文科省は、国公立大学に、「AO枠を3割にしなさい」と言っているので、そういう入学方法も今以上にメジャーになってくるだろうしね。(記述式入試やAOがメインになると、平等性や公平性はどう担保すんのかねえ)
こうなると、学校教育はもとより家庭教育がとっても大切になります。大学が変われば高校や中学も変わるので、各家庭でも思考力や表現力を身につけさせることが大事になるんだよね。
今、話題の『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)を読むと、SAPIX⇒鉄緑会へと進む中1生の姿が描かれているけど、まあ、そこまでやらないまでも、日頃の食卓での会話、家族でニュースについて考える習慣などがポイントになりそう。(こういうネタもオンエアしていかなくちゃね)
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。