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7月2日から6日まで、北方領土ビザなし交流で国後島と択捉島を訪問しました。
2日午後4時過ぎ、訪問事業専用船「エトピリカ号」に乗って根室港を出港。
中間ラインまで海上保安庁の船が併走。中間ラインを超えると引き返し、エトピリカ号の面マストにはロシア国旗が掲げられました。本土からわずか16キロの国後島。手を伸ばせば届きそうな距離にあるにもかかわらず、未だ、係争の島であることを実感させられました。
1時間余りで中間ラインを通過、その後、国後島の背後に、夕日に染まる知床半島の山並みが目の前に広がりました。
国後島には、根室港からおよそ3時間で到着。
国後沖に停泊した船で一夜を過ごし、翌朝、上陸。
北方領土へは、ビザなし、パスポートなしでの訪問ですが、入国審査の代わりに入域手続が行われ、
訪問団は、以前、日本が贈った「友好丸」という艀に乗って国後島へと向かいました。
上陸後、まずは港から車で5分ほど走ったところにある友好の家(通称 ムネオハウス)へ。
北方領土では、ロシア政府によるクリル諸島経済発展計画により、インフラ整備が急ピッチで行われていて、
真新しいロシア正教会。教会の鐘は、スマホから遠隔操作で鳴らすことができるそうです(驚)
街中で目にした戦勝70周年のポスター。
北方領土に旧ロシア軍が上陸、占領してから今年で70年。
北方領土で戦勝70周年のイベントが行われると聞きました。
北方四島の中で、一番商店が多いのが国後島。
スーパーマーケットでは、冷凍食品、加工品、お酒、ジュース、調味料、お菓子は所狭しと棚に積んでありますが、
野菜、果物はほとんど見かけませんでした。
ウォッカはもちろんですが、ビールの種類が豊富でスーパードライもありました。
国後島の平均年齢は30.4歳。出生率が死亡率を上回る特殊な地域だと行政府を訪問した際に説明を受けたのですが、
その数字を物語るかのように、街を歩くと子どもの姿をよく目にしました。
一方、元島民の平均年齢は80歳を超え、約6割が亡くなりました。
今回のビザなし訪問にも元島民の方が参加。
生まれ故郷にもかかわらず、自由に墓参りさえできないもどかしさ、無念さをにじませていました。
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