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石破地方創生担当大臣にインタビューしてきたよ。地方創生と女性活躍は安倍改造内閣の目玉政策であり、予算編成や臨時国会でも焦点になるからね。
就任半月の心境、70人の官僚だけでどうやっていくのか、何をどう始めようとしているのか、ブログに「未踏の荒野を行くが如し」と書かれたのはどうしてか、など、私たちの問いに、石破さんらしい受け答えが続く・・・。
明日23日(火)から25日(木)まで放送予定。明日はアタシが聞き手、あさってとしあさっては山本カオリン担当です。お聴き逃しなく!
東京・葛飾区柴又で上智大学4年生の小林順子さん(当時21歳)が
殺害され、自宅が放火された事件から、今日で18年が経ちました。
今年も、現場の自宅跡地では献花式が行われ、
ご遺族や警視庁の捜査員が花を手向けて冥福を祈りました。
(※献花式の様子をスマホで撮影する勇気はありませんでした・・・)
今年は、命日を前に新たな発表が2つありました。
1つめは、3Dプリンターを使って再現した現場の建物の模型です。
すでに現場の自宅は取り壊されていますが、立体的に再現することで
当時の状況を正確に把握し、再び記憶を呼び戻すきっかけになるのではと
期待が寄せられています。
2つめは、順子さんの遺体に掛けられていた布団から
犯人のものと思われるA型の男の血液が検出されたことです。
これは、すでに発見されているマッチ箱 (玄関の靴箱の上に残されていた) に
付着した血液とも、DNA型がほぼ一致しています。
父親で、「宙の会」(殺人事件の被害者遺族でつくる会)会長の小林賢二さんは、
「諦めることなく事件解決を願っている」と話しましたが、冒頭の一言が重く響きました。
「今もし彼女が生きていれば40歳になります」
18年という歳月は、やはり長いです・・・。
◆原告と弁護団~判決後「控訴」を表明~9月5日(金)撮影
小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会が訴えていた「情報公開請求訴訟」の判決で、
東京地裁は「市は住民投票が成立しない場合には開票は行わない旨を伝えていた。
投票用紙を非公開とした市の決定は適法だ」として住民グループの訴えを退けました。
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2013年5月に、当「パレードの後で」に東京・小平市で行われた幹線道路の整備計画を見直すか
どうかを問う住民投票とその結果について書きました。
この道路計画は50年前に東京都が策案したもので、実行されると、市民の憩いの場でもある
雑木林のほぼ半分が共用され姿を消し、およそ220戸の住民が立ち退く事になるため、
市民の民意を問うべく住民投票が実施されたものです。
結果、投票率は35,17%。住民投票を行う直前に小平市議会は「投票率が50%を下回った場合、
建設容認と認める」という50%条例を成立させたため、投票された51,010票の市民の声は
開票されずに破棄されることになりました。
そこで「小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会」は51,010票の内容の公開を求める
情報公開請求を求め司法に判断を委ねました。
結果は住民グループの敗訴となったわけですが、判決では原告側が主張した憲法21条の「知る権利」
や92条の「地方自治の本旨」、そして小平市の自治基本条例にある「市民が市政に参加する権利」、
「市民が市政に関する情報を知る権利」、そして「市民が議会や市長らと情報を共有する権利」に
ついての言及は殆どなく、50%条例とその解釈に基づく判断を判決の論拠としました。
迅英は小平市民。この住民投票にも参加しています。1票を投じた市民の1人としては、
51,010票を破棄されることに著しい違和感を覚えます。
そもそも投票率50%というハードルを設け、そのハードルを越えない場合、投票された市民の声を
処分するという市長と市議会が示しているレールにはある種の「怖さ」を感じます。
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道路建設~土地買収、立退きといった生活に密着した地方行政の問題について自治体はもっと
市民に側していて欲しいと思う。投じられた51,010票の中身(賛否内容)が知りたいという気持ちは
勿論ある。ただ、それ以上に態度表示した市民の意見を開示することなく
葬らないでほしいという思いだ。身近な民主主義を封じ込められるような気分にすらなる。
***原告側の「控訴」は当然だ。
先月20日の土砂災害で大きな被害を受けた広島市安佐南区と安佐北区。避難所となっていた学校のうち、唯一、新学期がスタートできないでいた梅林小がきょう(8日)、授業を再開した。
それは良かったのだけど、現地では、写真のように土砂が堆積し、大雨が降れば二次災害のリスクは残る。
それだけでなく、「点検です」といって家の中に入り込む窃盗事件や、雨よけシートを高額で売りつける詐欺被害も続いている。
深刻なのは住宅問題。全壊半壊の家だけでなく、被災地一帯は一時転居を余儀なくされているが、職場や学校とは離れた場所、高齢者なのにエレベータがない3Fや4Fの物件に移るケースも多く、理想的な引っ越し先が見つかった人とそうでない人の間で濃淡がはっきり。
もう1つの問題は広島市の姿勢か・・・。
大雨の予報を軽視した問題、防災用サイレンが設置されてなかった不備、そして首長が緊急速報メール等で避難勧告を出していなかった点など、松井市長の行政手腕に「?」がつけられている。
ゲリラ豪雨等による被害は、今や全国どこでも起こりうる話。広島市のケースは対岸の火事ではない。モデルケースとしても早急な検証が求められる。
私は小4のとき、愛媛を襲った豪雨で裏山が崩れて自宅が半壊。1か月、公民館で避難生活を送った経験があるだけに、行政の対応には特に辛口なのかもしれないけど・・・。
今は廃校となった埼玉県加須市にある、旧・騎西高校。
ところが、この学校のOBでも、父兄でもないのに
この校舎を二日に一度は訪れてしまう、という男性がいます。
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隣の羽生市に住む柚原秀康さん(65歳)。
福島県双葉町出身の柚原さんは、東日本大震災に伴う原発事故のため
2年9カ月もの間、ここで避難生活を送りました。
ただし、当時、日中は殆ど出かけるようにしていたそうです。
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柚原さんは福島第一原発に30年近く務めた経験があります。
避難所で「原発さえなければ」という声を聴きながら複雑な思いを抱えていました。
故郷への強い想いを抱きながら、それを語らなかった人々もいたのです。
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避難所で知り合った書道家の勧めで、想いを文章にするようになり
やっと、少し救われる気がしました。
誰に読ませるわけでもない「手紙」を、真夜中の教室でも書き続けました。
やがて、この思いを本にして残すことにより、
後世のための記録になるのではないかと考えたのです。
販売はしませんでしたが、お世話になった加須市長に贈ったところ
4つの市立図書館に置かれることになりました。
今、住んでいる羽生市の図書館にもです。
「追憶~ふるさとを離れて」という本には、
故郷や大切な人々への想いがつづられています。
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ではなぜつらい思い出ばかりのこの校舎を訪れてしまうのか。
柚原さんはこう語ります。
「双葉町の誰かに、ふと会えないかと思って」
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帰宅困難地域の双葉町。
今月になって福島県が中間貯蔵施設の受け入れ容認を政府に伝え
ますます帰る望みが遠ざかりました。
つらいことばかりだった、あの校舎ですが
それでも数少ない「故郷と自分をつなぐ場所」だったのです。
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災害においても、また、ほかの事件事故でもそうですが、
声なき声こそ、語られない想いこそ
一番救いを求めてるのではないかと思えてなりません。
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。