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福島県双葉郡双葉町~東京電力福島第一原発が立地し、東日本大震災による
原発事で町の96%が「帰宅困難地域」に指定され、震災当時の町民およそ
7000人全員が避難した。しかし、いまだに帰還の目途はまったくたっていない。
双葉町にある福島県立双葉高校は過去夏の甲子園に3回出場した野球名門校だ。
東電福島第1原発からおよそ3キロに位置する双葉高校は震災後、県内の
サテライト校4校に分散し、授業を継続していたが、震災から1年経過した
2012年からは、いわき市にあるいわき明星大学構内の施設を臨時校舎としている。
名門:双高野球部も単独ではチームが編成できず、相馬農業などと合同チームを
編成し「相双福島」としてチームを存続させ、予選を戦ってきた。
しかし、昨夏の大会が終わり、3年生4人が引退した後、残った野球部員は1人。
その後、野球経験はないものの双高野球部存続の意気に感じてくれた2人の2年生が
新たに入部してくれた。1人は女子だ。(マネージャーではなく、「選手」として入部!)
実は昨年末、県の教育委員会は双葉高校を含む双葉郡内5高校の生徒募集は
2014年度で停止し、2016年度末で休校にする方針を示している。
その後、休校する5校を統合して広野町へ中高一貫校を設置する。
事実上の統廃合であり、学校も野球部も新たなスタートが余儀なくされる。
この春に入学する1年生は「最後の双葉高校」の生徒だ。
新入生の中から1人でも2人でも野球部への入部者がいるといいな、と思う。
今年も単独チームで夏の大会予選を戦うのは難しいにしても、
あと3年、何とか名門双高野球部のユニホームがグランドを躍動して欲しい。
2011年3月11日以来、逆境にめげず、伝統の灯を消すことなく、
純粋に野球に打ち込んできた双葉高校の野球部員に私はエールを送る。
「頑張れ!双葉高校球児たち!」
震災から3年。被災地に思いをはせ、すごくセンチメンタルになってしまう
自分を叱咤激励しながら、私は、途切れさせない「被災地報道」を続ける決意を新たにする。
文化放送報道スポーツセンター部長 関根英生
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。