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28日にいわきのホテルに入り、翌日1日、朝起きてびっくり。朝食会場が、東芝、日立のプラント会社の作業員、鹿島や竹中工務店の下請け社員で満員。
しかも、朝6時すぎにホテルを出て、福島県広野町のJヴィレッジまで向かう道路も、作業員を乗せたクルマやトラックで大渋滞。
「ここは放射能との戦場なんだ」と実感しつつ、Jヴィレッジから東電が用意したバスで福島第1原発に入った。
東電は信用できなくても線量計は正直だ。Jヴィレッジではゼロを示していたデジタル数字が、免震重要棟に来ると22.60マイクロシーベルトまで上がる。(ドキッ)
左の写真は、私たちが4号機を取材している場面。
ここの線量は高くなかったけど、1号機の排気口前や、水素爆発で外壁が吹き飛んで以降、むき出しの3号機のタービン建屋前では、一気に1040.00マイクロシーベルトを記録した。(うわっ)
私たちは、取材機材をすべてラップで防護。
体も、サージカルマスクやタイベックス(=防護服)で全体を覆った。
手は綿の手袋の上からビニールの手袋を2枚重ね。靴下は2重、靴もビニールで裏までカバー。
それでも、現地で5時間取材した私は、89.00マイクロシーベルト被ばくした。ただこれは、胸部X線検査での被ばくと同程度で、ホールボディカウンターでも「異常なし」。(ふうっ)
ただ、毎日働いている作業員は大変。
日々400トンもの汚染水が増え、メルトダウンした1~3号機の使用済み燃料は取り出せるメドすら立たない中、見えない放射能と戦い続けている。
東電は、ゆくゆく70万トン分の貯蔵タンクを作るメドをつけているそうだけど、そもそも汚染水が満タンに入ったタンクがずっと置かれていること自体、リスク。
多核種除去施設もまだ工事段階で、これができたとしてもトリチウムだけは除去できないため、海にも流せない。燃料の取り出しについては、これから「研究する」とか。(ハァ・・・)
作業員の拠点となっているJヴィレッジにも免震重要棟には、全国から届いた千羽鶴や激励の手紙が飾られていた。
日立のプラント会社作業員らに話を聞いたが、「高い技術はあっても、放射能との戦いは経験したことがない」作業。しかしこの難しい作業が廃炉まで30年近く続くのだ。
原発事故からまもなく2年。安倍内閣は、高い支持率を背景に「原発回帰」を鮮明に打ち出し始めている。
「成長戦略にはエネルギーが不可欠」と再稼働を望む経済界、そしてこれまで原発マネーで生きてきた自治体のボルテージも上がり始めている。
実際、クルマで福島県楢葉町や広野町を走れば、小さな自治体には分不相応な公園、文化施設が目につく。人っ子ひとりいない自治体に、それらは原発マネーに依存してきた行政の末路を、見る人に訴えかけているようにも見える。
代替の自然エネルギーの確保がままならない中、政財界の思惑や他の原発城下町などの気持ちはわからないではないが、福島の現実を見てもそう言えるか、是非とも問いたくなった。
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