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2012年4月22日 本当に受け入れてほしかったモノは。

gareki.bmp
災害廃棄物の広域処理問題で賛否が分かれている。
野田総理は「国民性が問われている」と述べたが
そもそも、ここまで瓦礫の処理が進まなかった原因は
国が復旧、復興の具体的な対策をいつまでも決めなかったために
自治体も民間も動けなかったことが大きな要因となっている。
総理の言葉に対しては「あなたがそんな言い方をすいるな」と怒りを禁じえない。
少なくともこの問題はひとりひとりが考えることであり、賛否いずれも非難を受けるものではない。
ただ、受け売りの情報ではなく、被災地の現状や処理能力をきちんと知った上で考えるべきことだ。
さて、宮城県女川町も津波の大きな被害を受けた地域である。
その女川に住む女子高校生「某ちゃん」のブログ記事に目がとまった。
本人の了解を得た上で、以下にご紹介する。
~~~~
父のお下がりで貰った大切な青いドラムはドラムと呼べる形ではなかった。
漁師の祖父が建てた立派な我が家は今じゃ更地。
祖母の嫁入りの際に持って来た着物は海で若布のように漂う。
来るはずもない山の上に妹の通信簿。
若かりし頃の母の写真から海の匂い。

全部ガレキって言うんだって。
全部ガレキって言われるんだって。

町は被災地と呼ばれた。
ただの高校生が被災者と呼ばれた。
あの子は思い出になった。
上を向いて歩こうと、見上げる空は虚無の青。
頬を伝う涙なんて、とっくの昔に枯れちゃった。
頑張るしかない。渇いた笑いが吹き抜ける。

ガレキの受け入れ反対‼と TVで見たんだ妹と。
昨日までの宝物。今日は汚染物と罵られる。
子供を守れ‼受け入れ反対‼国も県も何してる‼
ガレキと暮らす私達。
好きで流されたんじゃないのに...。目から流れた涙は懐かしい海の味。

こんな悲しいモノを見るくらいなら、受け入れなんて最初から言わないで。
そんな簡単な問題じゃないだろと、ガレキの山が私を見下ろす」

私がもし非災県に住んでいて、私にもし子供がいたら同じ事を言っていたのかな。

ガレキの「受け入れ」
「受け入れる」のはガレキだけじゃないんだとふと思う。
私が本当に受け入れて欲しかったモノはガレキじゃなかったのかもしれないとふと思う。
少なくとも受け入れて欲しかったそのモノには放射能なんて付いていない、
心の奥にある清らかな優しいモノのはずだった。

そんな事を考えながら、絆の文字が浮かんでは泡のようにハジけた。

~~~~
彼女は地元の災害FMでDJを担当し、
今は勉強に取り組んでいる。
このブログを書いて以来、さまざまな反響がよせられたが
彼女なりに丁寧に答えてきた。
将来は報道に関わりたいというが、彼女の夢を応援したいと思う。

文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。

その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。

それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。

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