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文化放送報道スペシャル「震災と被災地メディア」第一回
「新聞の果たした役割」(10月28日放送)を
お聴きいただきましてありがとうございました。
予想以上に多くの反響をいただき、
スタッフ一同気持ちを新たにしております。
次回は11月11日金曜日夜9時に放送になります。
間があいてしまいますので
第一回目を聞き逃したかたのために、少しだけふりかえります。
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文化放送も被災直後から
記者らが現場に入って取材し、レポートをしてきました。
しかし、被災者のかたがたに向かい合う災害取材は
これでいいのかと自問自答の連続です。
被災地の人々と育ち
被災地でこれからも生きていく「被災地のメディア」は
そのとき、
そしてあれからどう動いたのか、
何を思ったのか、今、何を感じているのか。
それを知ることで
私たちの役割が見えてくるのではないか。
そこで文化放送では、被災地の「新聞」「コミュニティメディア」「ラジオ」という
3つのメディアを取材しました。
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東北地方のブロック紙・河北新報。
東北6県で販売され、地元・宮城県内では7割近くの普及率を誇っています。
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河北新報の武田報道部長は
ビルからの退避勧告が解除されると、
すぐに
津波の被害が甚大な三陸方面、そして仙台市内へと記者を派遣した。
しかし取材クルーが現地に着くのは夜明け。
そして、沿岸部にある支局からの情報はいっこうに入らない。
明日の朝刊は、
仙台市内の混乱を伝えるだけで終わるのか・・・
午後7時。河北新報に一本の電話が入った。
「志津川からです!」
南三陸町・志津川支局の記者、
渡辺龍さんからの電話だった。
3月11日午後2時46分。
志津川支局の記者、渡辺龍さんは、
『津波が来る』と直感、
長男が通う幼稚園へと車を走らせ、高台の上の志津川高校に避難。
そして、踵を返し、グラウンドのフェンス際に立った。
「今から起こるすべてのことを、記録しよう」
堤防を乗り越えた津波が、川沿いの建物を次々と襲い、飲みこんでいく。
志津川支局の記者は自分ひとり。伝えられる人間は自分だけ。
渡辺さんは、淡々とシャッターを切った。
しかし、撮った写真を送る手段がない。
渡辺記者は、
10キロ以上はなれた本社に届けるため
幼い子供の手を引いて歩き出した。
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記者だけではない。
仙台市青葉区の販売店の冨塚さんたちは
販売店に新聞が届いたことに驚いたものの
漆黒の闇の中、ガソリンも不足する中で配達を続けた。
女川にある販売店の阿部さんは
店や家を流されたが、実家から避難所へ新聞を届けた。
必ず届ける。
新聞を途切れさせない。
~想いはひとつだった。
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『地方紙だからできること』をたずねた。
渡辺さんは、多くの命と建物の失われた街を見渡しながら
迷わず『支局の存在』をあげた。
志津川支局といっても、記者は渡辺さんひとり。
多くの人は、顔見知りだ。
『地元から記事を書き続けることで、
この街は孤立していないんだ』ということを訴えられるのです』
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『普段と同じ、翌朝の発行』にこだわった理由について
河北新報の報道部長、武田さんは、こう話した。
「災害報道は記録につきる。
報道は何が起きたかを正確に伝えるのが基本、
分析批判提言は記録の上にあるもの。
記録作業自体がおざなりになっては
現実を伝えていることにはならない」
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河北新報を手に取った読者に聞くと、
ラジオなどの情報が『実感をともなったもの』に変わったのは、
新聞を見た時だったという。
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次回、
「震災と被災地メディア」第二回では
より地域に密着したメディア
「タウン誌」「コミュニティFM」をとりあげます。
放送は11月11日金曜日、夜9時から。
ナレーションは唐橋ユミさんです。
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。