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高校野球~夏の甲子園の地区予選が始まり、日本各地で熱戦が
繰り広げられています。
今年は東日本大震災の被災地、中でも岩手大会・宮城大会・福島大会に
注目が集まっています。その中でも、福島第1原子力発電所の事故で
避難を余儀なくされたエリアの高校には地元メディアだけではなく日本全国
のメディアがその戦いを報じています。
福島大会初日~7月14日に登場した双相連合(~双葉翔陽、富岡、相馬農業3校の
合同チーム)対喜多方高校の試合には30社を超えるメディアが取材に来たとのこと、
やや加熱しすぎかなという印象。
かくいう迅英も原発から4キロの位置にある双葉高校の初戦を取材してきました。
双葉高校は過去3回、夏の甲子園に出場している古豪ですが、やはり原発事故の
影響で転校生が多数出て、部員がほぼ半数の16人になってしまいました。
それでも、キャプテンの岩田君が部員全員に送った
「もう一度集まって双葉で野球をやろう!」というメールに答えて震災から49日後
の4月29日に残った部員たちが集まり、甲子園を目指して練習が始まりました。
試合直前の練習~みんなとてもリラックスしていた。
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そして7月15日、開成山野球場。初戦の相手は好間高校。
原発事故に青春を翻弄された双葉球児たちの夏が始まった!
大会旗も両校校旗も半旗。
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電光掲示のメッセージは双葉球児の想いが綴られている。
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双葉の精神は「挑戦・感謝・犠牲心」という。エースの田仲君の帽子のつばには
この3つの言葉が書かれています。1日でも多くこの仲間たちと野球をやりたい、
と話してくれた田仲君は初戦の初回レフトスタンド上段にスリーランホームランをかっ飛ばした。
14対0、5回コールドで勝利。
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双葉の田中監督は福島高校野球部員として最後の夏の3回戦、双葉高校に破れました。
今となっては不謹慎なネーミングですが、その当時、
双葉高校の強力打線は「アトム打線」と呼ばれていたという。
3回も夏の甲子園に出場した名門・双葉も3年生が卒業してしまうと
部員は5人になってしまいます。双葉町の母校に戻れるメドは立っていません。
存亡の危機であることは間違いない。
それだけに、この夏の大会の1試合1試合、1イニング1イニング、そして
1瞬1瞬が双葉球児にとってかけがえのない時間、
この特別な時間ができるだけゆっくり流れてほしい...と、迅英は願う。
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
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