« 水を飲もうとして | メイン | 必要な時に見つからない »
震災発生から1ヶ月が経ちました。
昨日の統一地方選のことを書こうと思ったのですが、
いわき市のことを書きます。
本当はニュースパレードで特集する予定だったのですが
東北で震度6クラスの地震が相次いでしまい放送できずにいます。
先週の水曜日に知人とともに福島県のいわき市に向かいました。
いわゆる風評被害によるモノ不足に苦しんでいる34万都市です。
港区を通じて物資を届けられると言うことで
さすがに生活必需品は買い占めできないので
モロゾフでお菓子を大量に買って託しました。
ところが先月末で港区からの運搬が終了しました。
しかも全国から送られた物資を家庭(特に北部地域)に
届ける人手も足りないままだそうで、
いわき競輪場に集積されて留まっているとのことでした。
文化放送とニッポン放送が協力してリスナーの皆さんから
ラジオをご提供して頂き、それに加えて新品も台湾から調達。
これらの提供も申し出たのですが、
「レトルトと缶詰しか受け付けていません」とのこと。
新品のラジオ200個を積んで一路いわきに向かうことになりました。
混んでいる東北道とは対照的にガラガラの常磐道。
これも風評被害の一種でしょうか?
乗用車は水戸で降りて迂回路を取る人が多いそうです。
小名浜火力発電所の煙突を見てもちょっと緊張します。
小名浜のアクアマリンいわきに到着。
魚たちは水の濾過装置の故障でみな死んでしまったそうです。
ちなみに下の写真をご覧下さい。
周りのコンクリートは液状化でみるも無惨なのに
板張りの遊歩道だけが何の損傷も受けていません。
やはり木は柔軟なのですね。
こちらは市内北部の久ノ浜です。
地震、津波の後も大規模火災も起きて灰燼と帰した後に
追い打ちをかけるように放射能恐怖とはいたたまれません。
まさに言葉を失う悲惨な光景です。
なぎ倒された電柱、倒れた本棚、海水でひからびた成人雑誌まで
生活していた後が残っているのが悲しい。
それにしても岩手や宮城と違い
復興はおろか人の気配がほとんどありません。
放射能の影響で忘れられている場所であることを実感。
第1原発から31キロ地点なのですが、
マスクもつけずに歩き回ってしまいました。
さすがに後悔しています。
しかし翌日、放射線量の公式発表を確認すると、
南に位置するいわきではない方向に
多くの放射性物質が飛散していて
この辺りは関東と変わらないレベルでした。
風の飛ぶ向きは一層重要な情報になりますね。
ただ塵に放射性物質が付着しているので
次回からはマスクを励行することを誓いました。
それにしても悲惨な状況です。
30キロ地点に検問は有りませんでしたが
Jヴィレッジの先21キロ地点にはさすが警察官がいて
ここから先は入れませんでした。
さすがに車中でもマスクをしてこの地点から戻り始めました。
首輪を着けたワンちゃんが。
やせた感じはしませんでしたので、どこかで食料は得ているのでしょう。
少しは安心しましたが、カメラを向けると悲しそうに見つめていました。
嫌な表現ですが確かにゴーストタウンのように感じました。
しかしずっとカーラジオで鈴木純子さんや吉田照美さんや
野村邦丸さんの声を聴きなが移動したので安心感も。
このいわき市内は山間部に入っても
文化放送が地元局のようにクリアに入るのです。
ひょっとしたら、文化放送を聴きながら
高台に逃げてくれた人もいたのではと思うと、
手前味噌ながら、震災発生時に生放送で冷静にかつ的確に
情報を伝えてくれた先輩の太田英明さんに感謝したい思いでした。
逆に言えば、もしあの時、手をこまねいた放送を
していたらと思うとぞっとします。
ちなみに我が社の技術に確認したところ、
震災による大規模な停電の影響で
ラジオの電波を遮る障害が無いために、
遠くでも聴こえている可能性があるとの事でした。
やっと人の息吹を感じたのは、
市内の教会グローバルミッションチャペルを訪れた時。
笑顔になっていて不謹慎で申し訳ありません。
しかし、汗を流して物資をトラックに積む教会のみなさんの
活き活きとした姿に心底うれしくなったのです。
有名人の方たちが被災地に慰問に訪れて逆に元気をもらったと
答えている意味が良くわかりました。
牧師の森さんが(右端の方)胸にガイガーカウンターを付けて
実に精力的に市内各地に支援物資を運ぶ指示を出していました。
ラジオ100台とQRパーソナリティーたちのサイン色紙を託しました。
行政の手の回らないところをまさにクイックレスポンスでカバーしています。
日本は民が官を懸命に支えている国だと実感しました。
続いて、地元で安否情報や生活情報を流し続けているFMいわきに。
局長の関さん、営業の遠藤さんと。やはりラジオ100台を託しました。
震災発生直後から、家族の安否も確認できないまま、1週間、
床に転がり仮眠を取りながら放送を続けたそう。
まさにライフラインです。同業者として本当に尊敬のひとこと。
ちなみに電話出演の依頼は殺到していますが、
直接取材に来た日本人記者は私が2人目だそう。
ほとんどのメディアは支局を閉じて避難しているようです。
このほか韓国とロシアのテレビも取材に来たそうです。
政府が隣国にどれだけ気を配っているのか怪しい状況の中、
外国メディアが自分の目で確認に来たのですね。
市内もぼちぼち店が開き始めていました。
店内は賑わっていて子供の笑い声が
聴こえてきて安心しました。
いわきには番組放送で10年前に温泉に来て以来。
魚も空気もおいしくて最高でした。
一日も早く再びのんびり湯に浸りに
訪れる日が来る事を祈ってやみません。
今日の一枚どころか何枚になったのかな?
長文にて失礼しました。
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。