自民党本部9階で4月26日、午前8時から「全議員懇談会」が開催されました。
開始から30分ほどたったとき、突然、アラームとともに火災発生との
アナウンスが流れ、全員避難することに。
しばらくたってから火災警報は誤作動だったことが判明。
しかし、すでに議員会館に引き上げた議員も多数いたこともあって
懇談会は一時、休会となりました。
1階ロビー付近でうろうろしていた先生方もいましたが、その場にいた記者から
「突然のトラブルで部屋が使えないなら、無事、避難した跡は青空懇談会という形で
やればいいのでは?それが本当の非常事態の対応でしょ」との声。
何事もなくてよかったものの、甚大な被害をもたらす災害だったなら
どうするのでしょう。
懇談会で、菅総理大臣の震災対応について批判の声を上げていたその矢先のこと。
対応を間違えると非難につながりかねません。
東京では桜もすっかり散り、葉桜ですね。
今年は、花見に行くことも出来ず、その代わりというわけではありませんが
行きつけの飲み屋で桜を愛でることもせず、ただ酒を呑みました。
東北の酒を。
福島の酒「飛露喜」。
美味いっすよ。
文化放送には、
各階ごとに違うメーカーの自販機が置いてあります。
ごらんのように、
最近、水は売り切れ状態が続いています。
「軒並み自販機が並んでいるバカな国は
世界中にない!」石原都知事がほえました。
東京電力管内の清涼飲料水の自販機は、約84万台。
1日の消費電力量は、
一般家庭の41万世帯分の電気を使っているという試算も・・
日本自動販売機工業会は
すでに、全国の缶・PET清涼飲料自販機は
全てピークカット機能付エコベンダーになっており
夏場は午後1時から4時の3時間は
冷却機の運転は停止していますと説明。
あるメーカーは、いち早く
従来のピークカット時間のほかに、
10時から21時の時間帯に、
冷却運転を輪番停止すると発表しました。
夏場のピーク電力削減のために
企業も、家庭も知恵を絞って
実行しなくては・・・・・
今月初め、入園再開と同時にパンダが公開された上野動物園。
避難所暮らしのかたがたのために
無料のバスツアーが企画され、初日5日は60人ほどが訪れました。
当日はパンダが公開されたばかりとあって、入場制限が行われるほどの賑わい。
どのかたが、被災者の方なのかはよくわかりません。
パンダ舎から少しはなれた順路を歩いていると元気な声が響きました。
「お母さん!サルがいるよ」・・・男の子と女の子がはしゃいでいます。
とても仲良しで「パンダ焼き」の袋の絵のよう。
2人の胸にパンダが描かれたバッチがついていることに気が付きました。
これはツアー参加者に配られたものです。
2人は少し離れたところにいるお母さんを度々振り返り、
お母さんも笑顔なのを確認すると
安心していっそう嬉しそうにはしゃぐのです。
まるで、お母さんを元気付けるかのように。
男の子にマイクを向け「お母さんと一緒で楽しいね」と語りかけると
「うん、楽しい!でも、パパも来れたらもっと楽しいのに」との答え。
「パパ・・・は?」
すると、お母さんが教えてくれました。
「パパは一緒に避難所にいたんですけど、お仕事で福島に帰ったんです」
一旦は避難したものの、被災地の企業から呼び戻され
「逆単身赴任(?)をする」というケースは結構あるようです。
本音では戻りたくなくても上司からの命令だし、
自分も責任ある立場だからと、後ろ髪を引かれる気持ちで。
お母さんを振り返りながら、駆け出していった子どもたち。
いつかお父さんと一緒に、
パンダよりも気に入ったお猿さんを一緒に見られたらいいね。
警備犬のレスター号が、きょう引退しました。
正式な名前は、レスター オブ S ウィスタリア。
ミドルネーム的な「S」が、なんだかカッコイイです。
レスター号と言えば、新潟県中越地震。
埋もれた車の中から92時間ぶりに救出された2歳の男の子を
最初に発見したジャーマンシェパードです。
その4年後には中国・四川大地震に、
そして今年2月にはニュージーランド大地震に派遣されました。
後任犬であるアッシュ号が、今日、初級検定に合格したため
レスター号の引退が正式に決まりました。。
ちなみに、レスター号は2002年4月1日生まれの9歳、
アッシュ号は、1歳です。
レスター号の出動回数は、403回。
本当にお疲れ様でした。
「今日の1枚」を入手したため
2日連続になりましたが書かせていただきました。
全国銀行協会の奥正之会長が記者会見で、
節電についてコメントしました。
銀行界は、メーカーなどと違って電気のコントロールが難しい。
例えば電算センターは動かさないといけないし、
事務もオペレーションを行う上で動かし続けなければならない。
実際にどこで節電をしていくか、頭を悩ませているところだと。
各業界、色んな工夫で節電していますが、
警視庁も、もちろん節電中です。
毎日、「今日の警視庁ニュース」が配布されるんですが、
そこに、去年同時期比の消費電力が記載されています。
ちなみに、4月13日(水)の本部庁舎の消費電力は
去年同時期比、マイナス21.53%。
おおむね、18%~22%台の削減ペースで毎日、推移しています。
目標は50%削減ということです。
ちなみに写真は記者クラブからの景色です。
仙台空港の旅客便運航が再開しました。
羽田からの第1便は朝早かったにも関わらず、
サラリーマンや家族に会いに行く人たちが次々と乗り込んでいきました。
「がんばろう日本」と書かれた機体を、整備士やグランドスタッフの人たちが見送りました。
空港・港湾・鉄道・道路。それぞれが少しずつ復旧しています。
ヒト・モノ・カネの動きがより活発になるといいですね。
福島第1原子力発電所の事故による影響で、いわき市の農産物が
風評被害を受け、出荷停止状態になっています。
食品衛生法上の放射性物質の暫定基準値を超えていないのに、
ただ、原発から近いというイメージだけでどこのスーパーも市場も
出荷させてもらえない・・・いわきの農家はそんな厳しい状況に置かれています。
農産物だけじゃありません。いわきナンバーの車で運んだものは、工業部品でさえ
放射性物質がついていると敬遠され、また、あるガソリンスタンドでは
「給油お断り」というひどい対応をされているそうです。
でも、いわきの皆さんは黙って耐えているだけじゃ何も変わらない。
「がんばっぺ!いわき」を合言葉に自ら打って出ることにしました。
そのキャンペーンの一環が4月11日と12日の2日間にわたって
新橋駅前のSL広場で行われた農産物の即売会イベント。
大勢のいわきサポーターが訪れ、両手に抱えられないほどの
野菜や果物を買っていました。
枝野官房長官が来場し、トマトをいくつもほおばりながら安全性をアピールしましたが、集まった人たちから「いまさら遅いよ」とか、「安全基準があいまい」
「しっかりしてよ」など批判の声も上がっていました。
原発震災とも呼ばれる今回の震災を通して、食の安全にも関心が集まっています。
思い込みやイメージじゃなく、何を恐れなければならないの?その基準と正しい情報の発信が今、最も求められているような期がします。
写真のトマト、みずみずしくて 甘くて とてもおいしかったです。
震災発生から1ヶ月が経ちました。
昨日の統一地方選のことを書こうと思ったのですが、
いわき市のことを書きます。
本当はニュースパレードで特集する予定だったのですが
東北で震度6クラスの地震が相次いでしまい放送できずにいます。
先週の水曜日に知人とともに福島県のいわき市に向かいました。
いわゆる風評被害によるモノ不足に苦しんでいる34万都市です。
港区を通じて物資を届けられると言うことで
さすがに生活必需品は買い占めできないので
モロゾフでお菓子を大量に買って託しました。
ところが先月末で港区からの運搬が終了しました。
しかも全国から送られた物資を家庭(特に北部地域)に
届ける人手も足りないままだそうで、
いわき競輪場に集積されて留まっているとのことでした。
文化放送とニッポン放送が協力してリスナーの皆さんから
ラジオをご提供して頂き、それに加えて新品も台湾から調達。
これらの提供も申し出たのですが、
「レトルトと缶詰しか受け付けていません」とのこと。
新品のラジオ200個を積んで一路いわきに向かうことになりました。
混んでいる東北道とは対照的にガラガラの常磐道。
これも風評被害の一種でしょうか?
乗用車は水戸で降りて迂回路を取る人が多いそうです。
小名浜火力発電所の煙突を見てもちょっと緊張します。
小名浜のアクアマリンいわきに到着。
魚たちは水の濾過装置の故障でみな死んでしまったそうです。
ちなみに下の写真をご覧下さい。
周りのコンクリートは液状化でみるも無惨なのに
板張りの遊歩道だけが何の損傷も受けていません。
やはり木は柔軟なのですね。
こちらは市内北部の久ノ浜です。
地震、津波の後も大規模火災も起きて灰燼と帰した後に
追い打ちをかけるように放射能恐怖とはいたたまれません。
まさに言葉を失う悲惨な光景です。
なぎ倒された電柱、倒れた本棚、海水でひからびた成人雑誌まで
生活していた後が残っているのが悲しい。
それにしても岩手や宮城と違い
復興はおろか人の気配がほとんどありません。
放射能の影響で忘れられている場所であることを実感。
第1原発から31キロ地点なのですが、
マスクもつけずに歩き回ってしまいました。
さすがに後悔しています。
しかし翌日、放射線量の公式発表を確認すると、
南に位置するいわきではない方向に
多くの放射性物質が飛散していて
この辺りは関東と変わらないレベルでした。
風の飛ぶ向きは一層重要な情報になりますね。
ただ塵に放射性物質が付着しているので
次回からはマスクを励行することを誓いました。
それにしても悲惨な状況です。
30キロ地点に検問は有りませんでしたが
Jヴィレッジの先21キロ地点にはさすが警察官がいて
ここから先は入れませんでした。
さすがに車中でもマスクをしてこの地点から戻り始めました。
首輪を着けたワンちゃんが。
やせた感じはしませんでしたので、どこかで食料は得ているのでしょう。
少しは安心しましたが、カメラを向けると悲しそうに見つめていました。
嫌な表現ですが確かにゴーストタウンのように感じました。
しかしずっとカーラジオで鈴木純子さんや吉田照美さんや
野村邦丸さんの声を聴きなが移動したので安心感も。
このいわき市内は山間部に入っても
文化放送が地元局のようにクリアに入るのです。
ひょっとしたら、文化放送を聴きながら
高台に逃げてくれた人もいたのではと思うと、
手前味噌ながら、震災発生時に生放送で冷静にかつ的確に
情報を伝えてくれた先輩の太田英明さんに感謝したい思いでした。
逆に言えば、もしあの時、手をこまねいた放送を
していたらと思うとぞっとします。
ちなみに我が社の技術に確認したところ、
震災による大規模な停電の影響で
ラジオの電波を遮る障害が無いために、
遠くでも聴こえている可能性があるとの事でした。
やっと人の息吹を感じたのは、
市内の教会グローバルミッションチャペルを訪れた時。
笑顔になっていて不謹慎で申し訳ありません。
しかし、汗を流して物資をトラックに積む教会のみなさんの
活き活きとした姿に心底うれしくなったのです。
有名人の方たちが被災地に慰問に訪れて逆に元気をもらったと
答えている意味が良くわかりました。
牧師の森さんが(右端の方)胸にガイガーカウンターを付けて
実に精力的に市内各地に支援物資を運ぶ指示を出していました。
ラジオ100台とQRパーソナリティーたちのサイン色紙を託しました。
行政の手の回らないところをまさにクイックレスポンスでカバーしています。
日本は民が官を懸命に支えている国だと実感しました。
続いて、地元で安否情報や生活情報を流し続けているFMいわきに。
局長の関さん、営業の遠藤さんと。やはりラジオ100台を託しました。
震災発生直後から、家族の安否も確認できないまま、1週間、
床に転がり仮眠を取りながら放送を続けたそう。
まさにライフラインです。同業者として本当に尊敬のひとこと。
ちなみに電話出演の依頼は殺到していますが、
直接取材に来た日本人記者は私が2人目だそう。
ほとんどのメディアは支局を閉じて避難しているようです。
このほか韓国とロシアのテレビも取材に来たそうです。
政府が隣国にどれだけ気を配っているのか怪しい状況の中、
外国メディアが自分の目で確認に来たのですね。
市内もぼちぼち店が開き始めていました。
店内は賑わっていて子供の笑い声が
聴こえてきて安心しました。
いわきには番組放送で10年前に温泉に来て以来。
魚も空気もおいしくて最高でした。
一日も早く再びのんびり湯に浸りに
訪れる日が来る事を祈ってやみません。
今日の一枚どころか何枚になったのかな?
長文にて失礼しました。
暗くてわかりづらいと思いますが、これは
国会議事堂の中です。照明がところどころ
消えていて、とにかく暗いです。
私たちラジオの記者が常駐している記者
クラブも暖房が止められていて、日当たりが
悪いので、外よりも寒いです!皆部屋の中で
コートを着ていますが、それでも寒いです。
とても不便ですし、首都圏でも大変な思いを
していらっしゃる方が多いと思いますが、
今は何よりも被災地の復旧を最優先に考え
ましょう。
私たち一人ひとりが、「今、自分にできる
こと」を積み重ねることが、この困難を
解決する大きな力になると思います。
4月に入りまして、文化放送もきのうから改変。
われら、報道スポーツセンターでも新番組を制作します。
タイトルは「文化放送ライオンズナイタースペシャル セットアップ!!」
パーソナリティはこの2人。
まさいち「肩肘張らず、等身大の放送をお送りします」
まきしま「明るく楽しくさわやかにをモットーにがんばります」
放送は不定期ですが、きょうから今週金曜日までは、火・水がまさいち
木・金はまきしまが担当します。
しろバラの人気コーナー「ニュース最前線」もあります。
「セットアップ!!」は18時からの放送です。
「がんばれ 東日本」
この幟を持っているのは?
毎年この時期は、桜を手に
新入学おめでとうのスタイルなのですが・・・
今年は防災ずきん。
そうです。
浜松町のホームにたたずむ○○小僧くん
東日本大震災発生から、25日
いまだ17都府県2200箇所で
16万人の方々が避難生活を余儀なくされています。
「がんばろう 日本」
一人ひとりができること!
私ができること!
考え続けながら今日も「ニュースパレード」を
お届けしています。
今回の震災では、茨城県北部から福島県いわき市を中心に取材しました。
12日の夜には、福島第1原発がある双葉町から避難してきた人たちにも会うことができました。
どうすればいいのか、何がどうなっているのか、何もわからない状態でした。
そのから3週間。
その双葉町は、役場機能含め、およそ1300人が埼玉県加須市の廃校に「引越」。
職員室だったところが「双葉町役場」になり、新しい生活が始まっています。
「どれだけかかるわからないが、双葉町に戻りたい」
「戻りたいって皆思ってると思いますよ」
とても印象的な言葉でした。
岩手の被災地で書いています。
東北で取材していると
『元気を出して頑張ろう』というよりも
『必ず復興できる』という
静かな信念のようなものを感じます。
言葉少なに淡々と、
みなさん、地域で支えあいながら
暮らしをたて直そうとしています。
避難所暮らしが続き、
住居も仕事も決まらないかたも
大勢いらっしゃいますが
避難所でも
新たな「結びつき」は生まれています。
役場や病院では、
それぞれに悲しみや不安を抱えながらも
誰かのためにと働いているひともいます。
何もかも流されてしまい
まったく動くものが見当たらない
瓦礫の荒野を見ていると
まるで
時が止まったような錯覚に陥りますが
少しでも時を前に進めようと
人々は
自分にできることを探しています。
画像は陸前高田を歩いた時に撮りました。
あたり一面このような状況です。
ただ、
盛岡の避難所で出会ったおじいさんは
それでも高田に帰りたいと語りました。
「だって俺の故郷だもん」
文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。
その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。
それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。