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2010年12月 8日 12.8

太平洋戦争が始まった日。69年前の未明に日本海軍が真珠湾攻撃を仕掛けた日です。
アメリカでは8月15日の戦勝記念日(終戦記念日)より、
この12月8日の方が圧倒的に認知率が高いと聞きます。
迅英も個人的にはこの開戦のメモリアルデーを日本人の負の記念日として
絶対に忘れてはならないと思います。
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そして12月8日の今日は30年前、
ニューヨークでジョンレノンが凶弾に倒れ40歳で生涯を閉じた日です。
1980年12月8日。
迅英は19歳、当時早稲田の1年生で水泳部(飛込み)に所属し、
午後からの練習でふらふらになるまでしごかれ、
自宅まで戻る帰路、山手線の中でジョンの訃報を知りました。
確か隣の人の夕刊紙だったと思います。
ショックだったなぁ。
迅英は帰って部屋でひとり、イマジンやラヴ、スターティングオーバーを聴いて悲しみに浸り、
ウィスキーをあおった。
そうか、もう30年も経つのか。ジョンも生きていれば70歳、
きっとパワフルな高齢ミュージシャンになっていたと思います。
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「1980年12月8日 ジョンレノンのいちばん長い日」(K.エリオット・グリーンバーグ著)という
ノンフィクションルポがあります。この本には「この日」、
さまざまな職業の人たちがジョンの死をどんなシチュエーションで迎えたかが紹介されています。
その中のエピソードをひとつ。
プロレスラーのベビーフェイスとヒールたちは「この日」マジソンスクエアガーデンでの試合後事件を知った。
暗黙のルールでベビーフェイスとヒールは一緒に酒を飲んだり食事をしたりしない。
仲が良いと誤解されると興味がそがれるためだ。でも「この日」ばかりは暗黙のルールは破られた。
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ホテルの酒場にヒールもベビーフェイスも集まり酒を飲んで悲しみに浸りジョンレノンを追悼した。
いかに「この日」が特別な日だったのか、
「この日」、世界中のビートルズファンの悲しみの「量」は計り知れない。

文化放送報道制作部では「ニュースパレード」を中心に、日々のニュースをお伝えしています。

その一方で、私たちの周りには普段のニュースでは伝えきれないような話が溢れています。

それをお伝えする場所が、このリニューアルしたブログ。
部員それぞれがゆるやかに伝えていきます。
ニュースの「おまけ」として楽しんで頂ければ幸いです。
よろしくお付き合いください。

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