菅野しろうアナウンサー思い出の箱根駅伝 11月16日放送
今夜は、新企画。
箱根駅伝に携わった様々な人に「思い出の箱根駅伝」を語っていただきます。
第1回目は、1994年、第70回大会からスタートした
文化放送の箱根駅伝実況中継にずっと関わってきました。
しろバラパーソナリティの菅野しろうアナウンサーです!
(菅野さん、これまで箱根駅伝中継をやってきて、印象的なシーンは?)
1996年 第72回大会 第4区山梨学院大学 中村祐二選手の途中棄権です。
中村祐二選手は、熊本県の高校を卒業して、実業団に進んだ後、
山梨学院大学の上田誠仁監督に声をかけられ、1993年に山梨学院大学へ入学。
箱根駅伝では、第70回大会の3区、71回大会の1区で、
それぞれ区間賞を獲得し、山梨学院大学2連覇に貢献。
この72回大会も、もちろん優勝候補でした。
しかし、4区、3位でタスキを受けた中村祐二選手は、3キロ手前から急激にスピードダウン。
右足を引きずりながら、飛び跳ねるような走り方になってしまいます。
さらに、2位でタスキを受けた神奈川大学の高嶋康司選手も5キロ付近で歩き始め、
およそ1キロ足を引きずりながら進んだところで、
神奈川大学の大後コーチ(当時)に抱えられて、途中棄権。
一方、中村選手は制止しようとする上田監督を何度も振り切り、
延々と10キロ近くも引きずる足で前に進んでいきました。
しかし、12・4キロ地点で上田監督が中村選手の肩に手をかけて、棄権。
同じく区間で、しかも優勝候補の2校が棄権するという衝撃的な大会でした。
母校のタスキをつなぐことが出来なかった中村、高嶋両選手でしたが、
翌73回大会にも出場し、高嶋選手は、9区で区間3位の走りを見せて、
神奈川大学の総合優勝に貢献。
中村選手も、2区で8人抜きの力走を見せて、区間賞を獲得。
山梨学院大学を総合2位へ導き、ふたりとも見事なリベンジを見せてくれました。
そして、中村選手は、大学卒業後、日清食品に就職し、シドニーオリンピックを目指しましたが、
箱根で痛めた右足の影響で、思うような走りが出来ず、競技者として走るのをやめることを決断。
地元熊本に戻りました。
地元に戻った中村選手は、ある時、一般ランナーとして地域の駅伝大会に出場。
すると、多くの声援が中村選手に飛んできました。
まわりの温かい気持ちに触れた中村選手は、走る楽しさを思い出し、
再び競技者として走る意欲を取り戻します。
そして、熊本県代表として2002年の九州一周駅伝で、
3年ぶりに本格的レースへの復帰を果たしました。
箱根駅伝への道は、ポッドキャストでも好評配信中!
こちらもどうぞお楽しみに!