福井謙二グッモニ 3月10日(火) 第506回

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皆様こんにちは、福井謙二グッモニです。

火曜日のコメンテーターは、ジャーナリストの藤吉雅春さん。

藤吉さんには『震災から4年。被災地から見えてくる"日本の未来"』について物申して頂きました。

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明日で東日本大震災から4年となります。

現在も被災地での取材を継続している藤吉さん。
この4年間、被災地で支援活動を続けている人たちにお話を聞いていると共通する感想があるそうで、それは「日本の未来の姿を見た」というもの。
被災地は決して他人事ではなく「日本の縮図だ」といい、未来を先取りした社会が被災地にあるといいます。

2025年には団塊の世代がすべて後期高齢者になります。特に東京は爆発的に高齢者が増えますが、病院や介護施設の数が圧倒的に足りません。
その結果、行き場をなくした高齢者が急激に増えるのですが、それが今の石巻などの被災地の姿と重なるそうです。

そこで、石巻でどういった取り組みが行われているかを取材したという藤吉さん。
その中で、今後の日本にとってのヒントになると感じた「石巻モデル」をひとつの成功例として、「人が集まる場」をつくることの大切さについてお話頂きました。


今週のグッモニ特派員は、被災地の復興を支援する人たちの姿をご紹介しています。

今朝ご紹介したのは、福島原発事故の影響で、放射線量の高い地域で、なかなか外で思い切り遊べない子供たちを預かり、自然の中で自由に遊ばせる「移動保育」の取り組みについて。

現在、沼尻高原スキー場では、毎週末20名ほどの保育園、幼稚園の子供たちが参加し、外遊びに熱中しているとのことで、この移動保育事業を運営しているNPO法人「移動保育プロジェクト」代表の上國料竜太さんに詳しくお話を伺いました。


エンタメいまのうちのテーマは、「いま蘇る幻の球場、洲崎球場!!」

プロ野球のオープン戦も始まり、野球ファンは3月27日の開幕が待遠しいかと思いますが、野球にとって大切な要素の1つは、球場、スタジアムです。

かつて戦前のプロ野球草創期に存在し、わずか1年7カ月で消えたため、"幻の球場"と言われていた「州崎球場」。

その幻とまで言われていた州崎球場の歴史を『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』という一冊の本にまとめ上げたこの本の著者、森田創さんにお話を伺いました!

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普段は鉄道会社に勤め、今作がデビュー作となる森田さん。

「洲崎球場」は、現在の東京都江東区新砂一丁目付近、東京メトロ東西線の東陽町駅近くにかつて存在していたプロ野球専用球場。
1936年(昭和11年)11月に完成して以降、洲崎球場がプロ野球の舞台として活躍したのはわずか1年7カ月。
球場の歴史は戦争の混乱の中で、その解体時期すら分からぬままに失われてしまっていたため、「幻の球場」と呼ばれていました。

野球少年であり、読むのも野球の本だけという時期があったという森田さんは、そのころ読んだ本で「草創期の夢の舞台」として洲崎球場と出会ったそうです。
そして時は過ぎ、38歳になった森田さんは、大きなプロジェクトがひと段落した時に読んだ本に「謎の球場」として出てきた洲崎球場と再会。

仕事以外のことに熱中したい思いと、忘れていた冒険心が呼びさまされ、どこを探しても誰に聞いても一切情報の出てこない「州崎球場」の調査を開始。

国会図書館で5年分の新聞各紙を読み漁るなど、調べ始めたら止まらなくなったそうで、そんな森田さんの姿を見た出版業界の友人から「そこまでマニアックに調べたら、本にしたら?」と言われ、出版に至ったとのこと。

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2014年度のミズノ スポーツライター賞で最優秀賞にも輝いた『洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光』は講談社より税別1500円で発売中です!


♪今日の楽曲
「I Bet My Life」 Imagine Dragons
「明日へ」 佐藤竹善


明日もおたのしみに!!

グッモニ 2015年3月10日
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