消滅前の公録の放送も終わり...2015年3月31日 12:29
こんぱんつ。
放送いかがでしたか?楽しんでいただけたでしょうか?
あそこで何が起きたか、理解して頂けたかな?
自信がありません。
おそらく無理だったと思われるので写真でお伝えしようと思いましたが
う~~~~ん・・・・・。
今のところ「面白かった」の感想の次に多いのが
「あのルフィが...(/_;)」「あの金田一少年が...(-_-;)」という驚きの声。
他にご感想はないものだろうか?
う~~~~~~~む。
では気を取り直してもう2枚。
電げす一同の感想は
「はなえろ。ざーりか。本当によく頑張った!」です。
こんな珍獣2匹の相手を任せてすまなかった。 でもやり遂げた。えらい。
当日は電撃大作戦時代から現在までの電ゲスがほぼ集合しました。
現役の我々は気が付かなかったのですが
電ゲリに混じって歴代の電ゲス達が
一番後ろで
ずっと、ずっと見ていたそうです。
歴代電ゲスの1人からは当日来られなかったため
番組あてにメールが届きました。
ツイッターで紹介済みですが
歴代から現在まで。我々電ゲスの気持ちが凝縮されている手紙なので
改めてここに書きうつします。
ツイッターでは長くなるのでカットした部分も
書きます。
インフルBに罹患。最後の公録に行けず死ぬほど悔しい思いをしています。
96年から2002年にディレクターを担当。
当時の上司からは
「朝のワイドをやってるんだからこんな番組は他の人にやらせちゃって」と
再三の勧告がありました。
労働基準法に違反しようが意地でも番組担当を手放さなかったのは単純な理由です。
他の誰よりも電撃が好きだったからです。
録音で聴いて、編集で聴いて、ダビングで聴いて、放送で聴く。
一回の放送をこんなに楽しんで聴いた番組は電撃だけです。
BGMやテーマ曲もオンエア時間を考え抜いて選曲。
楽しいけど、エロいけど、少し寂しい雰囲気を作ってきたつもりです。
出演者にも恵まれました。
石川君。永島さん。ありがとう。そしてごめんね。
最下層のレッテルの中、ただただバカなことを推進。
「大丈夫。ピー音入れるよ」の一言を信じて放送禁止用語を連呼した石川君。
ごめんね。
あんまり多かったから切るのが面倒になって
そのまま放送しちゃった。
「電撃を終わらせるつもりか!バカディレクター!」という電ゲリの怒りが
嬉しかったな。
自分も不器用だったし、石川君も永島さんも上手くなかった。
だけどものすごく伸びた時代でした。
石川永島の最終回にオンエアした公開録音部分。
2人への声援をフェイドアウトさせずにダビングしていたら
スタジオで泣けてきました。
こんなにも応援してくれているリスナーがいるんだって。
この人達と同じ時間にいて、同じ気持ちで番組を作ろうって
泣けました。
9か月おいて(笑)松野君。
ごめんね。
出演が決まっていたのに、オーディションって言って面接して。
ハガキを読むための場所が確保できなくて
いつのスタッフルームの隅とかでハガキを読ませてごめんね。
松野君は上手かった。上手かったし気持ちが入っていた。
最長パーソナリティになるのもわかるな。
ありとあらゆることに全力を出してくれる松野君にのせられて
自分にとって持てるもの全てをつぎ込んだ時代でした。
そして直接担当は出来ませんでしたが
レジェンド田中真弓さんと森田成一さん。
事務所が嫌がっても、真弓さんの芸歴にいつまでも番組名を残しておいて下さい。
森田君。森田くんは松野君と違って
本当にオーディションしたからね。松野君より上だからね。
別の仕事で森田君が文化放送に来た時に
出待ちしていたファンを気遣う森田君を
電ゲス一同が見ていました。
仕事が出来て優しいイイヤツって思っています。
花江君。谷澤さん。最期の電ゲパにしてごめんね。
みんな僕らが悪いのです。
電ゲリの皆さん。
こんな番組を聴いてくれてありがとう。
本当にありがとう。
あの頃のみんなは今、何をしているのだろうね。
もし、つらいことがあったらこの番組を思い出して。
不真面目で、グッズさえちゃんと送れなかったけど
最下層からあがこうとしていた番組を思い出して。
出演者もディレクターも作家もクライアントも代理店も
同じように悩んで苦しんだ番組があった事を
思い出してください。
本当は最終回のディレクションをしたかった――。
まだまだ続けたかった――――。
でも終わるんならしかたない。
会社辞めるときに、死ぬときに、胸張って言うぞ!
「俺は電撃作ってた!」って。
電撃。大好きだ。
電撃大賞は次の放送で消滅します。
最期を この2人に託します。