2013年07月17日

石井徹也の落語きいたまま2013年6月号

続けての更新です!

おなじみ石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年6月号をお送りします。今回のレポートは落語芸術協会員でさまざまなレパートリーを披露している柳家 蝠丸さんに注目。「人形町らくだ亭」「浜松町かもめ亭」のレポートもあります。どうぞお楽しみください。

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◆6月1日 池袋演芸場昼席

おさむ(代演)/鉄平『権助魚』/正朝『家見舞』/小菊/志ん橋(志ん輔代演)『熊の皮』//~仲入り~//文左衛門『夏泥』/小さん『親子酒』/笑組「走れメロス」/一朝『三方一両損』

★志ん橋師匠『熊の皮』

声は本調子ではないけれど、噺は絶好調。甚兵衛さんの無邪気な会話に一点の曇りもない。オチの「女房が宜しく申しました」で物凄く人物の出る天真爛漫な良さは無類。

★一朝師匠『三方一両損』

 十八番で「悪い訳がない」という高座。

※聞き出した鉄平師から一朝師まで終始、レベルの高い高座の連続だった。

◆春風亭昇太独演会『昇太ムードデラックス』(本多劇場)

昇太『御挨拶(マツダ・キャロルの話)』/遊雀『初天神・団子』/昇太『松山千春コ
ンサート~お菊の皿』/昇太『短命』//~仲入り~//昇太『明烏』

★昇太師匠『お菊の皿』

やたらとお菊の怪談の説明に入り込んでくる隠居が面白い。お菊は色気や凄みが足りないけれど、若い連中のワイワイガヤガヤは愉しい。

★昇太師匠『短命』

八五郎が「半纏忘れた」と家に戻るなど、池袋演芸場で聞いた時より、細部に関して明らかに整理され、進化している。

★昇太師匠『明烏』

「二宮金次郎もあの薪を売って吉原に来てたんですよ」は誰が最初なんだろう?時次郎が無闇矢鱈と可愛く、困って駄々をこねる辺りの可笑しさは昇太師ならではのマンガ。花魁に「二宮金次郎先生を勉強してくる」と言われたり、「蒲団の中に薪が積んであったり」して、源兵衛・太助が振られる所へ繋げたのは名案。敵娼(浦里とは謂わなかった)が矢鱈と可愛くて色気があるのも昇太師らしい。


◆6月2日 第六回小満ん在庫棚卸し(荒木町・橘家)

小満ん『乳房榎~おきせの口説き(上)』//~仲入り~//小満ん『乳房榎・おきせの口説き(下)~重信殺し』/小満ん『金魚の芸者』

★小満ん師匠『乳房榎』

小満ん師では初聞きの演目。前半を「おきせの口説き」の途中で切ったのは切れ場として巧い。(上~おきせの口説き途中まで)(中~おきせの口説き~正介加担)(下~重信殺し)で演れば、十分に寄席のトリネタになるサイズ。全体に、引き締めない柳派人情噺の語り口である。浪江は怖くないのが特色。若さに任せて恋に乱れる男で悪人の雰囲気は殆どない。三三師みたいに目が怖くないのが或る意味でリアル。重信は地で語った「真面目で面白味のない人」にしては蛍見物など洒脱な感じを受ける。これは小満ん師のニンか。おきせは武家の奥方にしては柔らかい感じ。「口説き」の場面に艶色は余り感じなかった。正介の卜訥さと野暮さ、特に卜訥過ぎて浪江につけ込まれる気の弱さが印象的。花家での浪江と正介の遣り取りは、『栗橋宿』の馬子とお峰の遣り取り風でもある(圓朝師のパターンなのかな)。「四条の橋」を重信が唄うがやはり噺から気分が離れる。サゲの歌い上げみたいになる件は苦手なのかな。

★小満ん師匠『金魚の芸者』

この噺をこんなに長く聞いたのは初めてではないか。特に夢の件はこんなに長かったっけな?。東家の主人に「名前は金魚にしよう」と言われた沙羅沙の丸っこのリアクション、「ドキッ!」の胸を押さえた仕科、表情、首の傾げ方の可愛さは『王子の狐』の困惑する狐に匹敵するくらい、実に洒脱で面白い。丸っこが「並木駒形」をかなり長く唄うのも初めて聞いたかも。


◆6月2日 新宿末廣亭昼席

雲助『堀の内』/勝丸/金馬『ちりとてちん』

★金馬師匠『ちりとてちん』

隠居が竹さんに寅さんを煽るように頼む演出は初めて聞いたものだと思う。寅さんが割と意地っ張りのキャラクターで「知らないんだ」と隠居に煽られて食ってかかるのだけれど、それがちっとも怖くなく、子供っぽいのは金馬師の童心の良さだなぁ。腐った豆腐を食べてからの尺が実に短く、クドさの全くないのもは本格。「分かりやすく、巧く」の典型。


◆6月2日 第6回東北福寄席チャリティ落語会「雲助・白酒親子会」(渋谷区総合文化センター大和田・伝承ホール)

扇『笊屋』/白酒『短命』/雲助『死神』//~仲入り~//雲助『よかちょろ』/白酒
『山崎屋』

★雲助師匠『死神』

 死神はえらく芝居になってるんだね。

★雲助師匠『よかちょろ』

 噺全体が重め。ここで山崎屋のおかみさんが出て来るのが、『山崎屋』とリレーにした場合、どうも違和感がある。

★白酒師匠『短命』

 「悔み」の件カット。夫婦の馬鹿な遣り取りは面白くなってきた。

★白酒師匠『山崎屋』

 リレーで前振りは全部雲助師匠がしてくれたから、本題のみで27分。頭に御礼を持って行く件は、この噺でそんなに必要なのかな?と感じた。親旦那のケチぶりを強調するってことなんだろうけれど。

 ※「チャリティ落語会」なのに、『短命』『死神』とは噺家さんらしい屈折・洒落
というべきか。


◆6月3日 第48回人形町らくだ亭(日本橋劇場)

緑太『道灌』/左龍『そば清』/雀々『夢八』//~仲間入り~//雲助『徳ちゃん』/一朝『宿屋の富』

★一朝師匠『宿屋の富』

志ん輔師譲りとの事。その分、矢来町型でも細部が違っている。総尺は寄席主任サイズだが、馬喰町のマクラが無いから本題は少し長めか。宿屋の旦那は入りから腰が低くて丁寧で、如何にも受け身の人物が出る。客のホラ話からリズミカルで愉しくて、一瀉千里の物凄く良い出来。なのに、客が富に当たったのを知って驚く場面、客席で携帯が鳴ったのは残念無念。とはいえ、それでリズムを崩すような一朝師ではないから、立て直して最後まで結構な出来だったのは嬉しい。宿の客に「嘘をついてる」という陰、卑しさが全くなく、「物のの弾みの出鱈目」って暢気な感じなのが如何にも落語。

★雲助師匠『徳ちゃん』

「モーターボートに勢いがついたみたい」など、聞き慣れないギャグが幾つもあり、また怪物的な花魁の可笑しさ、離れから落ちた太った客(圓十郎師が目に浮かんだ)など、今まで雲助師で聞いた『徳ちゃん』でも一番面白かった。

★雀々師匠『夢八』

ニンにある噺だけれど、13分程マクラを振っていて、本題に入ってから32分は
『夢八』としては長過ぎる。怖がりながら握り飯を頬張る件など爆笑だけれど、寄席知らずの独演会芸だなァ。首吊り死体の可笑しさは東西通じて蝠丸師に敵わず。

※東京で『夢八』を演る場合、八兵衛を与太郎に変えても良いのではあるまいか?と感じた。

★左龍師匠『そば清』

清兵衛さんのキャラクターは独特で面白いんだけれど、演出はさん喬師そのまんまだから、後半の独自性に些か乏しい。


◆6月4日 池袋演芸場昼席

正朝『そば清』/笑組「銀河鉄道の夜」/志ん輔『巌流島』//~仲入り~//一之輔『麻暖簾』/小はん(小さん代演)『親子酒』/小菊(とっちりとん)/一朝『黄金餅』

★一之輔師匠『麻のれん』

一之輔師の演目中、聞いていて一番落ち着く噺かもしれない。「按摩さんっての
も、ほら、客商売だから」という小里ん師の言葉に近い愛想が杢市にある。

★一朝師匠『黄金餅』

軽快軽快。「この噺に理屈は不要」という演じ方の典型。就中、焼き場で骨の中から見つけた金を拾い取る際に、金兵衛の見せる無邪気に嬉しそうな表情と動きの軽やかさが他の追随及ばざるところ。


◆第七回夢一夜(日本橋社会教育会館ホール)

吉好『平林』/一之輔『麻暖簾』/夢吉『身投げ屋』/~仲入り~//夢吉『てれすこ』/
一之輔『竈幽霊』

★一之輔師匠『麻暖簾』

 池袋で浚ってたのね。

★一之輔師匠『竈幽霊』

元は正朝師かな?三木助型としては異様に短い24分と大分刈り込んだ。「金出してェ」と大声で叫んで銀ちゃんの前に現れる幽霊が面白い。ギャグよりも、他の演者で聞いた記憶のない、熊「なんで出てくんの?」幽霊「聞いてくれるんですか?」の遣り取りがスッと出来てるのが一番良かった。この展開だと銀ちゃんは要らないなァ。矢来町・目白型で良いよ。

★夢吉さん『身投げ屋』

サゲが違い「教わって演ってみたけど儲かるね、身投げ屋って」。つまり、同じ人に教わって始めた同士が出会ったという展開。小燕枝師、雲助師、正蔵師とは丸で違い、夢吉さんの過剰さが良い方に出て爆笑噺になった。

★夢吉さん『てれすこ』

感じとしては地噺だけれど、終盤、かみさんと赤ん坊が出てくると少しウェットになり過ぎまいか。「烏賊の干したのを鯣と呼ばせるな」は誰に向かって言っても良いセリフでは?夢吉さんは良い意味で物凄くエネルギッシュな噺家さんだけに、ウェットも過剰になるのは同じエネルギッシュタイプの歌之介師や文治師と似ているかも。

◆6月5日 池袋演芸場昼席

鉄平『代書屋』/正朝『蜘蛛駕籠(上)』/笑組「銀河鉄道の夜」/志ん輔『七段目』//~仲入り~//一之輔『短命』/小里ん(小さん代演)『夏泥』/小菊(「来るとそのまま」)/一朝『宿屋の富』

★一朝師匠『宿屋の富』

良い出来なんだけど、仲入りから入ってきたグダグダの酔っ払い二人組が最後列の補助椅子で高座に反応して変な声を出すわ、挙げ句に一人が嘔吐するわで、客席後ろは大迷惑。

※こういうケースは、女性従業員だけでは対処が出来ないなァ。

★小里ん師匠『夏泥』

客席で騒ぐ酔っ払いを煽らぬよう、小声で進める噺を選んで(酔っ払いが突っ込み難い噺でもある)、主任の邪魔にもならず、見事に客席にも受けて面白い。尺のあるヒザ前の典型。

★鉄平師匠『代書屋』

雲助師型だけれど、「阪東妻三郎」から後のフワフワした面白さは雲助師より上かもしんない。


◆6月5日 DOURAKUTEI道楽亭出張寄席「喜多八vs三三兄弟対決“冗談
言っちゃいけねェ!”」(なかのZERO小ホール)

わん丈『桃太郎』/三三『高砂や』/喜多八『寝床』/~仲入り~//喜多八『仏の遊び』/三三『締込み』

★喜多八師匠『寝床』

冒頭、旦那がすっかり浮かれてハイテンションなのに対して、繁蔵が暗いのは馬鹿に面白い。マクラから35分前後にまとまったコンパクトな中に旦那の喜怒哀楽、繁蔵の困惑(「お前は?」と訊かれた時の動転ぶりが凄く可笑しい)、店子の迷惑、頭のしどろもどろの挨拶と愉しさ一杯。「蔵の窓に旦那の顔が一杯に」も笑ったが、この流れだと蔵の件は稍蛇足に感じる。

★喜多八師匠『仏の遊び』(本田久作氏作)

生臭坊主が阿弥陀様と吉原に行くが、遊び慣れた阿弥陀様に背負い投げをくらう、という無茶苦茶な展開以上に、生臭坊主、阿弥陀の自棄っぱちみたいな自堕落さが見事に面白い。

★三三師匠『高砂や』

謡の音色が良くなった。反面、前半の大家と八五郎の遣り取りで八五郎がイマイチ、隠居に対する親近感を感じない。セリフの調子の選択が違うのでは?

★三三師匠『締込み』

物凄く変なキャラクターのかみさんと、職人気質丸出しで怒りまくる亭主の間だけに、「人として」と仲裁に入る泥棒の人の良さが際立つ、という人間関係の独自な面白さが出てきた。また、「はばかりさま」で妙に噺がウェットになる黒門町的泣かせのマイナスも減る。ま、あのかみさんと一緒なんだから亭主も変わってるんだろう。


◆6月6日 池袋演芸場昼席

扇好『欠伸指南』/のだゆき/錦平(鉄平代演)『壺算』/正朝『六尺棒』/笑組/志ん輔『風呂敷』//~仲入り~//一之輔『普段の袴』/小さん『親子酒』/ぺぺ桜井(小菊代演)/一朝『三枚起請』

★一朝師匠『三枚起請』

棟梁が小言を猪に言う感じから始まるのは割と珍しい。棟梁と清公、喜瀬川はかなりマジで、惚れた弱味と花魁の辛さと手管が入り交じって、一朝師の『三枚』では今までで一番シリアスドラマ風。

 ※連日、前半で正朝師匠の安定感と充実が際立つ。


◆6月6日 池袋演芸場夜席

わん丈『やかん』/志ん吉『熊の皮』/文左衛門『夏泥』/隆司/藤兵衛『渋酒』/小のぶ『寄合酒』/和楽社中/さん喬『そば清』//~仲入り~//菊志ん(代演)『芝居の喧嘩』

★さん喬師匠『そば清』

この演目では珍しく細部の演出がいつもと一寸違った。オチの前ふりの感覚も違った。


◆6月7日 池袋演芸場昼席

鉄平『寄合酒』/正朝『ぽんこん』/笑組「走れメロス」/志ん輔『紙入れ』//~仲入
り~//一之輔『加賀の千代』/小さん『のめる』/小菊(「一本刀土俵入り」)/一朝
『天災』

★一朝師匠『天災』

『天災』をこんなに愉しい噺にした一朝師の功績は長く称えられてしかるべきだろう。絶妙!


◆6月7日 池袋演芸場夜席

わん丈『転失気』/志ん吉『元犬』/文左衛門『道灌』/隆司/藤兵衛『茗荷宿』/小のぶ『長短』/和楽社中/さん喬『禁酒番屋』//~仲入り~//菊太楼『肥瓶』/小満ん『あちたりこちたり』/のいるこいる/菊之丞『付き馬』

★藤兵衛師匠『茗荷宿』

過去に先代馬生師匠、扇橋師匠、小満ん師匠と伺っているが、寄席の高座で聞いたのは多分初めての演目。「宿屋の夫婦も飛脚に出した茗荷尽くしの食事を食べてしまい、夫婦してポーッとして一時的健忘症状態」という風に工夫してあり、分かりやすくしながらも、淡々と馬鹿馬鹿しいという、愉しい噺になっている。

★さん喬師匠『禁酒番屋』

池袋の仲入りで、この演目をさん喬師から聞くとは思わなかった。独特の真面目な調子で入ったが、悪受けするお客がいるとみるや、クスグリを抜いて、侍の酔い方の変化で聞かせたのは流石。

★菊之丞師匠『付き馬』

菊之丞師の長短両面である「緩急抑揚の余り無い、太い声の早口」で、矢来町系の噺を力演されると重く感じて、力演の分かりやすさが先立ち、聞き草臥れがする。少し演出を変えていたが、もう少し刈り込めないかな。客が雷門で口にする「暇潰し」の洒落っ気をもう少し強めたらどうだろう。

※併し、この夜席は不思議な顔付けだなあ。序盤は全体にローテンション。さん喬師から小満ん師への流れと、ヒザからトリがまた変わる。急上昇、急降下の連続みたいな番組で気持ちが落ち着き難い。


◆6月9日 池袋演芸場昼席

勢朝(正朝代演)『財前五郎』/笑組「杜子春」/志ん橋(志ん輔代演)『看板のピン』//~仲入り~//一之輔『蛇含草』/小さん『のめる』/小菊(「夕立」)/一朝『抜け雀』

★一朝師匠『抜け雀』

人物をわざとらしく克明に描かない一朝師のセンスだと、全ての人物が好人物で噺全体がホコホコするのは凄いなァ。

★一之輔師匠『蛇含草』

曲食いだけが悪目立ちせず、意地の張り合いもくどくなく、オチの仕科の気取り方もそれはそれで、かなり面白かった。


◆6月9日 新宿末廣亭夜席

菊春(菊輔代演)『お花半七』しん平『夏泥』/歌之介『勘定板』//~仲入り~//喬之進(交代出演)『幇間腹』/ロケット団/はん治『子だけ褒め』/清麿『東急の日』(正式題名不詳)/和楽社中/さん喬『棒鱈』

★さん喬師匠『棒鱈』

極く普通の寄席で、久し振りにトリで伺う安定感抜群の十八番『棒鱈』。何かホッとする愉しい高座。

★しん平師匠『夏泥』

ほぼオリジナルの演出ではあるまいか。飯代から質草の受け出し料まで、次第にせびる金額が高上がりになる。最後は煙草入れを忘れた泥棒を追ってきた所を、二人揃って番小屋の番人に出会って尋問され、主人公が「今、そこでこの人に身ぐるみ剥がれました」とオチをつける。天才ぶりを遺憾なく発揮した面白さ。

★清麿師匠『東急の日』(正式題名不詳)

2年ぶりに聞いた噺だけれど、もっと凄っごい昔、実験落語の頃に聞いたような覚えがある。駒次さんの『鉄道戦国絵巻』よりも遥か以前にあったような同系統の噺。80年代、伊藤正宏君の書いたコントに「私鉄同士の合コンで世田谷線が馬鹿にされる」ってのがCXで深夜に放送されたが、割と思い付き易いネタなのかも。但し、『鉄道戦国絵巻』同様、頭で考えた可笑しさの弱味で着眼点の割には、喬太郎師の『高島町物語』のような「本当に俺は悔しい」という実感、それと同時にそう感じている自分を笑う諧虐を伴わないのが落語としては致命的な欠陥。ヒネッたストーリーだけだもん。

★歌之介師匠『国訛~勘定板』

単なる訛りの話から、「日本で一番多いのは便所の呼び名」という情報風のマクラ噺に繋いだのが活かされて(「勘定板」がある島の方言という設定も珍しい)、本題に入っても田舎の島者二人に『馬の田楽』的な長閑さが漂うのが良く、「たまはじく」までで止めたとはいえ、全く汚い感じ、尾籠な感じを受けなかった。人徳というべきもしれないけれどね。較べて悪いけれど、一昨日、汚くて閉口した菊太楼師の『肥瓶』とは落語として段違いに優れている。センスの問題かなぁ。

★はん治師匠『子だけ褒め』

終盤、どんどん受けて行ったのは流石の巧さだけれど、それ以上に、隠居さんの口調、物腰が見事に隠居さんで、ホノボノと愉しい雰囲気が続いていたからこそ、最後の鸚鵡返しで大きな笑いが来たんだと感じた。


◆6月10日 市馬落語集30周年特別公演“道頓堀の灯”(銀座ブロッサム)

市弥『牛褒め』/鶴瓶『死神』//~仲入り~//ぼん・敏江『即席漫才と唄とハモニ
カ』/市馬『唐茄子屋政談』

★市馬師匠『唐茄子屋政談』

重くないから楽に聞ける。「以前なら一緒にって誘うんだけど」は前から言ってたかな。若旦那は誓願寺店で貧しさから子供が三日食べていない事にピンと来ない辺りが或る意味で“若旦那らしい”。伯父さんは怖さより若旦那を見送る際の泣きが先に立つ感じで、伯母さんの出番が少なく、夫婦の対比がないから、江戸の男気にはちと遠い。唐茄子を売ってくれる男にも同様の事が言える。誓願寺店のおかみさんはみじめ過ぎないのが結構。大家は因業には見えないなァ。売り声の稽古は最初から上手すぎる(笑)。暑さより、静けさを感じさせる涼味の売り声。噺全体の綺麗さが目白の師匠や四代目の綺麗さでなく、黒門町的な綺麗さなので(『船徳』的な綺麗さ)、四代目・目白的な「粋も野暮も取り混ぜた江戸の町の情」には感じられない。

※「昭和の名人はデブの圓生師匠、四代目、根岸の文治師匠、三語楼師匠の四人」と言い続けた目白の師匠が、一度も「黒門町は名人だ」と言わなかった事の意味を改めて考える必要があるのではないだろうか?

★鶴瓶師匠『死神』

20時20分の羽田発で帰阪されるとかで大急ぎ(笑)。その分、以前より湿度が低く、噺全体が明るくなっていたのは怪我の功名。

----------------------以上、上席------------------

◆6月11日 お江戸広小路亭

伸治『お菊の皿』/ぴろき/笑遊『蒟蒻問答』//~仲入り~//紅『海賊退治(上)』/コントD51/米福『骨皮』/歌春『たが屋』/花/蝠丸『素人義太夫』

★笑遊師匠『蒟蒻問答』

やっとオチまで聞けた(笑)。八五郎の自棄っぱちと、和尚に化けた六兵衛の深沢七郎氏みたいに空っとぼけた表情が面白い。

★蝠丸師匠『素人義太夫』

末廣亭の時より進化して(笑)、蔵の中で義太夫があちこち跳弾して番頭さんの体に何度も当たり、着物がボロボロになる。旦那が義太夫となるとキラッと眼が光って残忍性を増すのが蝠丸師だと似合い過ぎて矢鱈と可笑しい。『サイコ』のアンソニー・パーキンスみたいである。


◆6月11日 第63回鳥越落語会(浅草橋区民会館4Fホール)

風車『位牌屋』/喜多八『三年目』//~仲入り~//白酒『首ったけ』/喜多八『寝床』

★喜多八師匠『三年目』

前半は世話好きの親戚のキャラクターが実に面白い。「おまえのかみさんは良い女だったから、化けて出たら俺が引き受ける」には笑った。松鶴師の演ってた『故郷へ錦』を喜多八師で聞きたくなる。後半は幽霊の出てくる怪談の怖さが素晴らしい。男に色気があるのに幽霊に色気が余り無いのは照れてんのかな。

★喜多八師匠『寝床』

この所、昼夜とかでネタが被るなァ(笑)。後半、長屋連中の苦しみを義太夫張りに語るのは、『ジャズ息子』的な面白い工夫だけれど、詞章・修辞が義太夫としてはまとまりが無さすぎ、川柳師の『ジャズ息子』ほどリズムに乗れないのは惜しい。思い付きらしいから、修辞の改訂に期待する。旦那が最初から浮かれ調子なのはステキに面白い。言葉のキツい倅が終盤、活躍しないのは勿体無い。

★白酒師匠『首ったけ』

工夫を増やして、紅梅と混ぜっ返しの好きな妓夫が「出来てる二人」みたいに辰っつぁんを無視して盛り上がり、辰っつぁんを怒らせる展開は可笑しさを増しているけれど、客を弄ってるだけだから、この演出の遣り取りだと「首ったけだよ」のサゲに繋がるのかなぁ?という違和感あり。違うサゲに変えたらどうだろう?


◆6月12日 お江戸広小路亭

遊喜『締込み』/伸治『ちりとてちん』/コントD51/栄馬(笑遊代演)『紺屋高尾』
//~仲入り~//紅『海賊退治』/ぴろき/米福『権助魚』/金遊(歌代演)『旅行日記』/花/蝠丸『甚五郎の首』

★金遊師匠『旅行日記』

こんなに長い『旅行日記』は初めて金遊師から聞いた。馬子や宿屋の女中との遣り取りから飄々と愉しく、スーッと運んで鶏肉と豚肉の種明かしで笑いが一気に広がる。

★蝠丸師匠『甚五郎の首』

ネタ卸しとのこと。自作かな?(後記・浪曲ネタらしい)。江戸に出た甚五郎がスリに財布を掏摸られた所を黒船町の棟梁・政五郎に拾われ、家で十日ほどブラブラした後、小塚っ原の仕置場で見た晒し首を参考に、浅草奥山の「藪探し」の腕比べに出す生首を彫って江戸を去る。『三井の大黒』と『生首の酒』を足したような展開。蝠丸師が本気で生首を描写したら凄く怖い噺だろうが、落語の範囲に止めているから飄々とした甚五郎の面白さ、政五郎の江戸気質で楽しく聞ける。底の知れない師匠だなァ。


◆6月12日 らくご街道雲助五拾三次三番宿~薩摩さ~(日本橋劇場)

雲助『真田小僧』/雲助『やんま久次』//~仲入り~//雲助『棒鱈』

★雲助師匠『やんま久次』

稲荷町の師匠のを二度くらい聞いているだけの演目だけれど(雲助師匠のは二度目だったかな)、噺そのものの弱味というか、久次の人物設定が役者ぶり本位みたいなので、「江戸末期のピカレスク」の凄みというよりは「曳かれ者の小唄」風の印象になってしまう。芝居にし過ぎる感もあるけれど、立って歩くと御本人も仰っていたように下半身が不安定ですっきりしないため、雲助師だと寧ろ蝙蝠安みたいな感じになるのである。「小團次張り」という印象ではないのね。従って、『鋳掛松』のような幕末のデカダンス、小團次的な面白味は余り感じられない。

 ※『九州吹きもどし』『やんま久次』など、初代・二代目志ん生師系統の演目は
残っている世評が割と部分的な感想で、噺の肝心のポイントからズレている感じがする。

★雲助師匠『真田小僧』

志ん生師をベースに、圓生師の六連銭の謂われを取り入れて雲助師が新たに組み立てたとの事ではあるけれど、「今夜でまだ二回目の口演だ」とは思えない面白さ。六連銭の謂われを聞いた金坊が「間はどうなってるの?」といった、誰にも聞いた事のないセリフは、六つの孔開き銭を自然に親父に出させる、実に巧みなセリフだと感心した。細部の演出に理があって説明にならず、親父と倅のキャラクター対比も面白く流石は雲助師という落語。『真田小僧』のお手本のように面白く、優れた高座だった。

★雲助師匠『棒鱈』

こちらも「柳噺研究会」でのネタ卸しからまだ三~四回目の口演とは思えない出来。目白型をベースにしながら、薩摩っぽの田舎侍のキャラクターが独自の味わいで、酔っ払いは十八番、兄貴分のスッキリとした味わいと雲助師の世界になっている。何となく品川近くの「間の宿」っぽい料理屋の雰囲気が漂う。酔っ払いが首ねっこを兄貴分に取られて上半身が半ば宙吊りになる形の良さと面白さには唸った。また、「十二ヶ月」にちゃんと節があるのも絶妙。


◆6月13日 お江戸広小路亭

今輔(遊喜代演)『五人男』/伸治『饅頭怖い』/コントD51/栄馬『妾馬』//~仲入
り~//紅『髪結新三~永代橋』/一矢/米福『蛇含草』/歌春『お化け長屋(上)』/うめ吉(花代演)・潮来出島/蝠丸『鴻池の犬』

★蝠丸師匠『鴻池の犬』

中盤、地噺的な部分が今日は長め。その分、湿度は少なく気楽に愉しい。オチはこないだ同様「(夫婦喧嘩は)犬も食わねェ」。

★歌春師匠『お化け長屋(上)』

杢兵衛の気弱な感じが似合うなァ。

★米福師匠『蛇含草』

曲食いが悪目立ちせず、サラッと愉しい。甚兵衛でなく普通の着物姿。

※寄席の紅先生は最近、講釈と演目の解説漫談になっちゃってる感じてある。

◆6月13日 第一回志ん輔の「マイ・ド・セレクション」(国立演芸場)

半輔『のめる』/一朝『芝居の喧嘩』/志ん輔『佃祭』//~仲入り~//志ん輔『風呂敷』/ぺぺ桜井/一朝『蒟蒻問答』

★一朝師匠『芝居の喧嘩』

冒頭から丁寧に運んだ。いつもよりテンポもユックリ目。

★一朝師匠『蒟蒻問答』

こんなに丁寧な『蒟蒻問答』は誰からも聞いた記憶がない。「安中の杉並木の終った所に」「呑むと般若のように朱い顔になるから般若湯」「前橋まで酒ェ買いに行ってこい」「御寺万才というだよ(そのあとちゃんと唄う)」「前橋で火事があった時に火掛かりをして」等々、殆ど聞いた事のないセリフの連続。六兵衛、八五郎、権助と先代柳朝師譲りの自棄っ八な半端者揃いで、鉄火な連中ばかりが繰り広げる珍騒動。択善だけが一応まともだけど如何にも学僧の若さがある。久し振りの口演なのか(過去に聞いた記憶がない)丁寧に、丁寧にと運んだ分、三田落語会の『居残り』同様、一朝師にしては稍重い運びになってはいたけれど、キャラクターが抜群なので面白さが先立つ。これで寄席主任用にこなれたら無敵になりそう。

★志ん輔師匠『佃祭』

かみさんとの遣り取りから祭見物、船頭のうちでの淡々とした会話まで、次郎兵衛さんの人柄の良さが現れて実に良い。こういう次郎兵衛さんは先代馬生師以来かも。漁師のかみさんは稍泣きが強いが、これを淡々と受ける次郎兵衛さんが良いからクドさは感じない。二人の会話を聞いていて、志ん輔師で『旅の里扶持』を聞きたくなったほど。その次郎兵衛さんだから、かみさんの焼き餅にドギマギするのがまた可笑しい。後半は悔やみの失敗を二人出して、与太郎が権太楼師的な涙の挨拶をする。流れは良いけれど、前の二人の悔みはそれぞれもう少し短くても良いのでは?早桶は寺に運んで次郎兵衛宅には和尚だけが来る。かみさんの焼き餅もクドくない。この和尚が恬淡としてまた良いので、その言葉を聞いた与太郎が身投げ探しに出るのに無理がない。こういう淡い『佃祭』も良いなァ。佳作!

★志ん輔師匠『風呂敷』

割と良い出来なのだが、池袋で物凄く良かった時ほどではない。左腕にヒビが入った状態だから仕方ないけど。


◆6月14日 お江戸広小路亭

コントD51/栄馬『井戸の茶碗』//~仲入り~//紅『マダム貞奴』/ぴろき/米福
『松山鏡』/歌春『短命』/花/蝠丸『百川』

★蝠丸師匠『百川』

二度目かな。百兵衛が情けない感じに気の弱い田舎の人で(津軽弁風)、その割に暢気なとこがあり、河岸の連中が振り回される印象。だから、田舎の人を馬鹿にしてる感じは全くしない。百兵衛さんの印象が強いので、長閑な感じに展開するという『百川』は珍しい。

★栄馬師匠『井戸の茶碗』

小音の師匠だから、この客席サイズが適うのかな。新宿の夜主任の時より遥かに良い出来だった。清兵衛の売り声に風景があるのがまず良い。喬木(醜男の設定は珍しい)、千代田、清兵衛と「良い人」になり過ぎず、キャラクターが出ており、清正公の場面も騒がしくない。ベテランらしい味わいのある『井戸の茶碗』。


◆6月14日 月例三三独演(イイノホール)

市楽『芝居の喧嘩』/三三『お花半七』/三三『佐々木政談』//~仲入り~//三三『寝床』

★三三師匠『お花半七』

『芝居の喧嘩』と切れ場がつくので急遽オチを変えたが噛んじゃって失敗。

★三三師匠『佐々木政談』

益々可愛くない、こまっしゃくれた四郎吉に閉口。奉行側にも「大人の余裕」がないので聞き所が定まらず。

★三三師匠『寝床』

「私に言わずに勝手にそんな事(長屋を宥める)をして」「奉公人の不始末は主人の私が(義太夫を語って)」という辺りのセリフは旦那の裏腹な気持ちを隠して義太夫を語る方向に導く真に巧いセリフだけれど、前提となる「義太夫が語りたくて仕方ないマニアックで歪んだパッション」がそこまでに出てないから、「巧いセリフを考えたな、頭だけで」に留まってしまうのは惜しい。冒頭、三人の小僧に金盥を持って来させるギャグも、それ以前に義太夫が語れるとウキウキしてる旦那が出てこないから無駄。小三治師の「唄いたがり」を長年端で見てきただろうに、参考にしなきゃ。後半も『船徳』の客同様、長屋の連中が酷い目に遇う噺なのに(これは『船徳』に関する小三治師の言葉の引用)、そんなに悲惨なドタバタに聞こえない。

◆6月15日 お江戸広小路亭

遊之介(伸治代演)『南瓜屋』/コントD51/栄馬『たが屋』//~仲入り~//米福『やかん』/紫(紅代演)『木津島の由来』/ぴろき/歌春『青菜』/花/蝠丸『甚五郎の首』

★蝠丸師匠『甚五郎の首』

甚五郎物は大抵長いが、この噺は本題が20分あるかないかと手軽に愉しいのが良い。勿論、初日のネタ卸しより整理されている。キャラクターに問題はないから、後は地をもう少し減らす必要があるかな。「浅草奥山の藪抜け」って興行は初めて聞いた言葉だが面白い。

★米福師匠『やかん』

先生が可笑しな威張り方で八五郎が訝しげに話を訊いて行くのが面白い。「魚問答」でタコ、イカ、サバなどまず聞かない種類の魚が入っていたのは時間繋ぎかな。

※栄馬師が30分の持ち時間なのに17分で降りてしまったから(一寸露骨)、20人そこそこの入りなのに15分も仲入りを取っていたのは無駄の骨頂。「早く仲入りを終わらせて、繋ぎに上がってやろう」なんて気概のある前座さんが今はいないのかね。


◆6月15日 第3回喬四郎短期集中高座(らくごカフェ)

喬太郎『猫久』/喬四郎『お花半七』/喬太郎『宮戸川』//~仲入り~//喬四郎『フルーチェ』(正式題名不詳)

★喬太郎師匠『猫久』

妙に力が入っていて、今夜は面白味に乏しい。かみさんが亭主の発言に対して、もっと面白がってないと。

★喬太郎師匠『宮戸川』

後半。芝居掛かりを七五調でせず、現代劇的なのが新たな変化で、より一層、喬太郎師らしくなった。正覚坊の亀の独白のリアルさと、「懺悔でござんす」のセリフ(初めて聞いた)に生まれるロマンティシズムの混合は喬太郎師独特。お花に起こされて「一目置いた」とサゲるのも従来より最後が明るくなる。

★喬四郎さん『お花半七』

噺家さん数ある中でも珍しい「女芸(おばさん芸かもしれない)」なのと、男性に関してはヘタレが似合うので、もう少しちゃんと覚えれば出来る噺。伯父さんと伯母さんの役所を換えたらどうかな?

★喬四郎さん『フルーチェ』(正式題名不詳)

芸風には遇ってる。好きな女の子と友達が出来てしまっても何も言えない主人公と変にませた女の子は似合う。旅行を中断して母親が帰宅してからが長すぎる。母親が帰ってくる前にサゲを付けられないかな?別に下宿してる大学生が主人公でも構わない噺だし。

◆6月16日 第138回大和田落語会“髪結新三を聞く会”(京成大和田・丸花亭)

市助『ひと目上り』/小里ん『髪結新三・上』//~仲入り~//小里ん『髪結新三・
下』

★小里ん師匠『髪結新三』

新三は六代目張りの低調子(六代目の音源が参考とのこと)で生世話の本格。見た目の感じは大谷吉次から六代目の感じで、時代世話にならず飽くまでも生世話。善八は雲助師とリレーで演じた時から正に適役で、『磯の鮑』の与太郎を少し普通にした感じなのが目白っぽい。如何にも腹に作りがなくて、弥太五郎宅での遣り取りは非常に面白い。忠八は稍テレがまだあるかな。新三内の遣り取りは素で行くので、ニコニコしながら性質の悪い大家との対比が面白い。新三の声音を作り過ぎないのが良く、噺が作り出したキャラクターならではの大家のとぼけぶらないとぼけ方(先代中車丈がお手本とのこと)が噺の世界らしさを生んでいる。弥太五郎源七のみ、もう少し音に高さが欲しいが、寄席の主任で一度は聞きたい出来。


◆6月16日 新宿末廣亭夜席

富丸『落語家の夢』/遊三『船徳』//~仲入り~//羽光『読書感想文』(正式題名不詳)/陽昇/圓馬『浮世床・芸~碁~将棋・講釈本』/小文治(柳橋代演)『牛褒め(上)』/正二郎/遊吉『小間物屋政談』

★圓馬師匠『浮世床・芸~碁~将棋~講釈本』

これだけ馬鹿馬鹿しく可笑しい講釈本は初めて。読み出しで詰まった時の「イスラム寺院か?」と、後半で唸った時の「獣か?」には笑った笑った。

★陽昇先生

絶好調!「加藤コミッショナー」のタイムリーさには腹を抱えた。

★遊三師匠『船徳』

メリハリがあって仕科が活き活きとして客席爆笑。失礼乍ら遊三師の『船徳』でこんなに可笑しいのは初めて。舟が出て直ぐの矢鱈と揺れる客の仕科と不安そうな表情の面白かった事と言ったら無い!スタンダードな演出の『船徳』でこの可笑しさは鍛えられた地力の凄さだなァ。

★遊吉師匠『小間物屋政談』

実は寄席の主任でこの噺を聞いたのは初めて。先代圓楽師の演出がベースか。それを25分でスイスイ筋を聞かせて行く。その間、無理に笑わせず、奉行の「死ね!」で笑いが一気に弾けた(先代圓楽師のおやかし力の凄さだね)。芸術協会ならではの演出と話術。

★羽光さん『読書感想文』

初めて聞いたが今の文枝師の作品かな。『読書の時間』と『生徒の作文』を混ぜたようで、気軽に可笑しい。

◆5月17日 上野鈴本演芸場夜席

/小菊「春雨」/圓太郎『短命』/正楽/雲助『大山詣』

★雲助師匠『大山詣』

比較的サラッとした演じ方だが、熊が坊主頭を撫でる時の驚きや、かみさん連中を騙す際、指の間から覗き見る表情など、雲助師ならではの誇張した愉しさがある。


◆6月18日 神田松鯉講談実演記録14『徳川天一坊の十三』連続収録会(東京文化財研究所無形文化遺産記室)

松之丞『寛永宮本武蔵・下関の船宿』/松鯉『徳川天一坊・網代問答』//~仲入り~//松鯉『幡随院長兵衛・上方行き』

★松鯉先生『徳川天一坊(十三)・網代問答』

大岡越前の篤実に対して、山内伊賀亮は謀略家というよりは、垣見左内的な人物に見える。一品親王の網代駕籠の謂われも解説的な地の後に山内伊賀亮が逆手を取る感じで、対決のニュアンスではない。八ッ山御殿に戻ってからも、藤井左内らが小悪党なのに対して、伊賀亮は沈着冷静な感じ。松鯉先生の持ち味か。

※40年程前かなNHKのドラマで寺田農の演じた山内伊賀亮の弁舌達者で、狷价にして執念深そうな雰囲気が今も忘れられない。

※三三師と山内伊賀亮は似合いそうだな。

★松鯉先生『幡随院長兵衛(十三)・上方行き』

長兵衛が上方行きの途中、天王寺屋の手代と出会い、鍾馗半兵衛の変名で水掛け祝の名代を勤めるまて、滑稽多数の一場だが、長兵衛の貫禄が崩れたりしないのは流石。水掛け祝の場で大阪の顔役・朝比奈藤兵衛との間に諍いを起こす後席の前振りかな。


◆6月18日 新宿末廣亭夜席

富丸『制服フェチ』(正式題名不詳)/遊三『干物箱』//~仲入り~//羽光『阿弥陀池』/陽昇/遊史郎(圓馬代演)『猿後家』/柳橋『元帳』/正二郎/遊吉『城木屋』

★遊三師匠『干物箱』

巻頭・巻軸の句の違う先代圓馬師型。「天気を訊かれるから気をつけろ」ってのは以前もあったかな?二階で洋酒と間違えてベンジンを呑むのは笑った。若旦那が二階を見上げる視線、声の加減、フッと間を取って部屋の中を感じさせる点など、簡略乍ら勘所は確か。また親父が如何にも頑固親爺の声なのは面白いなァ。

★遊吉師匠『城木屋』

これも随分久し振りに聞く噺。地噺風に、非常に澱みなくトントン進む軽快さがある。半面、丈八の醜男ぶりをもう少し強調しても良いのでは?

※『猿後家』と男女の違いはあれど醜女・醜男で些か噺が付くか。

◆6月19日 上野鈴本演芸場昼席

小猫/正蔵『松山鏡』/一朝『野晒し(上)』/ぺぺ桜井(小円歌代演)/歌武蔵『ボヤキ酒屋』

★歌武蔵師匠『ボヤキ酒屋』

「支度部屋外伝」から「十二支」ネタでハネちゃうかな?と思ったら本題へ入った。前半の「親方、堅い」の辺りは、はん治師の小味なとこに比べて引きが弱いけれど、奴にソースや、猫の風邪の辺りになると歌武蔵師の作り出す笑いの振幅の大きさが映える。圓歌一門ならではのエネルギッシュさだな。

※「ミニモニジャンケンピョン」や「スビード」になると情報が劣化している。仲宗
根美樹や『月の法善寺横丁』は劣化しないのに、近年の流行物の弱さだね。

★一朝師匠『野晒し(上)』

珍しく全体は少し重目。でも、尾形清十郎が八五郎にいう「な」の隠居さんみたいな軽さ、砕けた面白さは絶妙。


◆6月19日 噺小屋featuring扇遊&鯉昇&喜多八落語睦会XⅢ“蛇苺の
ぜんとるまん”(国立演芸場)

/小辰『金明竹』(「骨皮」抜き)/扇遊『寝床』//~仲入り~//喜多八『居残り佐平
次』/鯉昇『死ぬなら今』

★扇遊師匠『寝床』

繁蔵が良く言えば可愛らしく、ある意味で子供っぽいのは扇橋師の文七に通じるものか。旦那が次第に怒り出し、「家内の姿が」でスッと調子の下がる所はすこぶる可笑しい。

★鯉昇師匠『死ぬなら今』

噺のバロディを珍しく色々入れた独自の演出。その中で吝兵衛が地獄に初めて来て辺りを「何処だ、これゃ」という表情で見回す件の面白さは図抜けている。巧くて面白くて堪らないね。家元が来て暇な時間に寄席を始めてから、閻魔が落語に凝って小噺で部下を困らせるとか、血の池地獄の生臭さを消す除臭剤や針の山の痛みを和らげる草鞋を亡者に売り付けるバッタ屋なんてギャグにも笑った。

★喜多八師匠『居残り佐平次』

非常に最近にしては小音で、些か発音不明瞭なとこもあったけれど、半面の軽さが実に良かった。喜多八師の廓噺は割にマジな部分が強くて重めなのだけれど、今夜の佐平次の、洒落た遊び心に近い悪党ぶり(居残り商売という感じがしない)は脱「昔の小三治師感覚」の現れというか、喜多八師ならではの馬鹿馬鹿しさで愉しい。


◆6月20日 上野鈴本演芸場昼席

仙三郎社中/権太楼『強情灸』//~仲入り~//小猫/正蔵『読書の時間』/一朝『たが屋』/小円歌/歌武蔵『支度部屋外伝』

★歌武蔵師匠『支度部屋外伝』

「干支」のネタまで。これだけ長いのは初めてで初耳のエピソードもあった。攻めもあれば守りも.ある漫談だから強いね。

★権太楼師匠『強情灸』

峯の灸型。近年の権太楼師では珍しい演目。聞いたのは初めてかもしれない。最初の男から烈々たる強情同士(笑)。二人目が熱さが回ってから、些か動きが大きいかな。


◆6月20日 桂米福の会(お江戸広小路亭)

たか治『芋俵』/米福『ぽんこん』//~仲入り~//羽光『ちりとてちん』/米福『もう
半分』

★米福師匠『ぽんこん』

割とアッサリしてるが三太夫の「取り次いで参ろう」の軽い面白さ、吉兵衛が嫌らしくないとこ(殿様が鳴いても「本物か!」と悔しがらない)、オチのセリフ前後の簡潔な運びとちゃんと面白い。

※この噺、今まで感じなかったけれど、殿様に「調べてみよ」と言われた時、「偽物とバレたら命に関わる」と『火焔太鼓』みたいに吉兵衛がもっと怯える可笑しさがあっても良いのでは?

★米福師匠『もう半分』

先代今輔師系かな。但し、演じ方がクドくないから感じは随分違う。風呂敷包みを「毎日来るお客なんだから、取っといて明日渡してあげな」とかみさんの言うのが夫婦に魔が差す切っ掛けになるのは落語らしい。爺さんが「娘に“あたしの年季が明けるまで酒は止めておくれ”と言われて約束したのに」と愚痴るのも身投げする自責に繋がるのが無理ない感じ。乱杭歯の爺さんにグロテスクな感じがしないのも聞き易い。亭主、かみさん、爺さんと人物を演じ過ぎないのが真に中庸を心得た演出に感じる。赤ん坊の顔を見てかみさんが急死するのも地で処理するから重くない。乳母が夜中の出来事を予め説明しないのは怪談として正解。油の呑み方も五郎八茶碗風でイメージが伝わりやすい。「赤ん坊がクルッと振り向いて」を地で言ってから仕科でも見せたのは蛇足っぽい。「細~い腕を前に突きだして」も必要かな?「もう半分」で笑うのが重くなく怖いのは結構。虚仮脅かしの無い、かといって淡々とし過ぎない「市井の一スケッチ」として優れた出来である。「嫌な噺だ」と思わなかったくらい
だ。

★羽光さん『ちりとてちん』

東京向きにクドくない上方落語の味わいだ(南光師の演出らしい)。大橋さんが出てこないから上方の林家直系の演出ではない。旦那の誕生日に喜ィさんが偶々来て、偶々豆腐が腐る。「豆腐の腐ったのは初めてで!」「あんた食べる気かいな!」の遣り取りがフックになって旦那が竹さんに食べさせるのを思い付く。竹さんが「長崎に行ってた」と自慢するのが「ちりとてちん」の思い付きになる。竹さんは箸の先でひと舐めするだけ。等々、偶然が続き過ぎるのではあるけれど、今夜の演出の方がちゃんと「単なるある日のスケッチ」になっている。

----------------------以上、中席------------------

◆6月21日 池袋演芸場昼席

白酒『笊屋』/ロケット団/正蔵『狸の札』/さん喬『締込み』//~仲入り~//ひな太郎『幇間腹』/文左衛門(扇好・蔵之助代理演)『手紙無筆』/夢葉/歌武蔵『胴斬り』

★歌武蔵師匠『胴斬り』

圓生師や先代小圓朝師のは聞いた事が無い。松鶴師のは妙に迫力のある噺だったけど、噺自体は地味だった。だけど、歌武蔵師が「暴れる噺」に見事に変えたなァ。南なん師や枝雀師のより可笑しいし、適度に疑問を挟んで行くのが却って面白い。また、歌武蔵師独特の切れのある動きや足が蒟蒻を踏む仕科の迫力が抜群に可笑しい。誰にでも出来る噺じゃないね。


◆6月21日 落語協会特選会第55回柳家小里んの会

けい木『道具屋』/志ん吉『夢の酒』/小里ん『二十四孝』//~仲入り~//小里ん『占い八百屋』

★小里ん師匠『二十四孝』

八五郎の柄と後半の鸚鵡返しは見事に面白い。婆さんの可笑しさも出色。只管受け手に回る大家のキャラクターが意外と淡白。

★小里ん師匠『占い八百屋』

三代目三木助師型だと初めが善六の物忘れに無理がある代わり、後の嘘は止むに止まれずになる。目白型の展開だと初めが八百屋の悪戯だから、始まりに無理はない代わり、後の困り方が難しいのかと感じた。八百屋が最後に逃げちゃうキャラクターと描くには弱り方、困り方をもう少し印象強くつけて欲しく感じた。普通の人なんだけど。

★志ん吉さん『夢の酒』

嫁さんや特に夢の中のかみさんの色気が些か出し過ぎだとは思う。けれど、女自体は似合うし、志ん橋師の持ちネタより、こういう柔らかい噺の方がニンに適うのかな。親旦那の困り方は志ん橋師に似て面白い。


◆6月22日 第26回三田落語会昼席(仏教伝導会館ホール)

半輔『間抜け泥』/正蔵『四段目』/白酒『宿屋の富』//~仲入り~//白酒『首ったけ』/正蔵『景清』

★正蔵師匠『景清』

少しずつ明るさを取り入れて黒門町の泣きから、職人の思いの噺に変えている過程であろうか。

★正蔵師匠『四段目』

定吉が「判官さん」と言うのは上方じみるかな。

★白酒師匠『宿屋の富』

一文無しの驚き等に変化を付けて、二番富の男のうどん話が軸にならないように工夫されている。

★白酒師匠『首ったけ』

妓夫の「余計な解説・口出し」が緩衝剤になって、痴話喧嘩とまでは行かないが、野暮な喧嘩ではなくなって来ている。


◆6月22日 第26回三田落語会夜席(仏教伝導会館ホール)

さん坊『子だけ褒め』/新治『狼講釈』/さん喬『庖丁』//~仲入り~//さん喬『ちりとてちん』/新治『大丸屋騒動』

★さん喬師匠『庖丁』

寅に目白系の与太郎風の味わいがあり、艶笑噺ではなく、間抜けな男女三人の噺に移行する途中形かな。圓生師の『庖丁』とは人物関係の捉え方が全く違う。お安喜さんに「女の利口の間抜けさ」がもう少し可愛く出ると更に良いんじゃなかろうか。

★さん喬師匠『ちりとてちん』

以前演じていたのとかなり感じが違う。六さんの知ったかぶりを隠居が面白がって追い込んで行く辺り、さん喬師らしい、シニカルというよりは冷徹さが垣間見える。

※さん喬師が小南師から『菜刀息子』を教わっているのを知って驚く。新たな期待が生まれた。

★新治師匠『大丸屋騒動』

五郎兵衛師型を目の前で見るのは初めて。村正がもたらす宗三郎の狂気の目と体の異常な硬直は「こういう風に演るのか」と感心した。上方のノラな若旦那とその若旦那に惚れた芸者の意気地の対比も面白い。宗三郎は60代までの山城屋の雰囲気だな。松嶋屋系ではない。

★新治師匠『狼講釈』

上方講釈の東京とは違う暢気な修羅場の可笑しさと、「金が物言う世の中や。狼かて物言うわい」の馬鹿馬鹿しさの対照が面白い。


◆6月23日 扇辰日和vol.48(なかの芸能小劇場)

辰まき『道具屋』/あおい『大名花屋』/扇辰『三枚起請』//~仲入り~//織音『黒田節の由来』/扇辰『竹の水仙』

★扇辰師匠『三枚起請』

まだ長いのが何より惜しい。マクラから一時間前後もあるってのはねェ。最後、喜瀬川の嘘臭~いしらばっくれに始まり、手を合わせてブリッ子謝りする件から次第に声音が変わり、完全に居直るまでのリアルな変化は矢来町とは全く違う面白さ。マクラの「女の子と付き合うより朝寝がしたかった前座時代」から見事に繋がる喜瀬川の「朝寝がしたいんだよ」のリアルさも他にない人面白さである。棟梁、猪之、清公のキャラクターの描き分けもかなり立ってきた(猪之が稍曖昧かな)。半面、矢来町の芝居掛かりはまだ引いてしまう。芝居掛かり自体を外せば良いんじゃなかろうか?と思う。

★扇辰師匠『竹の水仙』

最後に亭主が竹の水仙大量製作を強請らないなど、品が良くて、ちゃんと面白い半面、宿の主人てェよりは江戸の職人みたいで、『徂徠豆腐』や『三井の大黒』と代わり映えがしない弱味もある。第一、これも長い。寄席の昼席主任で出来るサイズに作れないと、寄席の品物にならないなァ。

★織音先生『黒田節の由来』

綺麗な声音の講釈で魅力のある先生は意外と珍しい。多少、「サ」行に引っ掛かりは感じるけれど、軽快さだけではない面白さ、人物表現がある。母里太兵衛友信の颯爽とした感じが出ている。福島正則の豪胆だけで些か品格に欠ける感じはイマイチ。

 ※この噺辺りが『粗忽の使者』の源流なのかなァ?

◆6月24日 第回浜松町かもめ亭「東の柳家喜多八、西の露の新治二人会」(文化放送メディアプラスホール)

なな子『九日十日・廻り猫・味噌豆』/喜多八『仏の遊び』/新治『兵庫舟』//~仲間入り~//喜多八『青菜』/新治『鹿政談』

★喜多八師匠『仏の遊び』

 この自棄糞みたいな可笑しさで『蒟蒻問答』も演られないかな?

★喜多八師匠『青菜』

かみさんも酒呑みという設定で、全体の雰囲気が頓珍漢な酒呑み噺に変わっている印象。その中で、如何にもインテリっぽい旦那の雰囲気がなかなか他にない魅力。金持ちの学者さんか医者に変えても面白いのでは?

★新治師匠『兵庫舟』

蒲鉾屋オチ。スイスイと旅ネタらしく運ぶ中、蒲鉾屋の親父が登場して、芝居掛かりになる迫力はガラリと変わって面白い。米朝師と小南師の中間の味わい。

★新治師匠『鹿政談』

五郎兵衛師の十八番を受け継いで、更にアクを抜き乍ら面白さは落とさぬ印象。松野河内守の凜とした物腰、口調は独特。塚原出雲の「親代々の鹿の守役」というセリフは初めて聞いたかな。豆腐屋六兵衛の老爺ぶりは五郎兵衛師移し。

◆6月25日 激闘!落語番外地vol.14“水無月の変”(ことぶ季亭)

はな平『壺算』/正蔵『悋気の火の玉』/喜多八『もぐら泥』//~仲間入り~//正蔵『ねずみ』/喜多八『親子酒』

★喜多八師匠『もぐら泥』

前半の室内の普通の夫婦と外の間抜けな泥棒の遣り取りから、後半の泥棒といい加減な酔っ払いの遣り取りの対照が相変わらず面白い。

★喜多八師匠『親子酒』

初演に近い口演らしい。後半、どちらもデロデロに酔った親旦那と若旦那のお互いに判別のつかない可笑しさは独特。『初天神』の親子が年をとったような似た者親子になっているし、如何にも酒に意地汚い感じの親旦那のセリフ、仕科が可笑しい。

★正蔵師匠『悋気の火の玉』

立花屋の旦那もかみさんも妾も可愛らしい、という悋気の火の玉だけに、住職の出てくる必要があるのかな(その方が理は通るけど)。出掛けに「提灯を取っておくれ」と言っちゃったのはうっかりミス。

★正蔵師匠『ねずみ』

詰めて演じた雰囲気で、25分弱と短いヴァージョン。「鼠が生まれたよ」も芝居臭くなくて良い。半面、縮めた分、甚五郎のキャラクターがちと曖昧になったか。一人旅の水戸黄門みたいである。

★はな平さん『壺算』

「十一頭の馬と三人の兄弟」の噺をマクラに振って入ったけれど、はな平さんのフンワリした持ち味と、あの小噺から入ると知略の計算が先立つ噺の構成が余りフィットしていない印象。瀬戸物屋の主人主体の構成の方が向くんじゃないかな。


◆6月26日 落語協会特選会「圓太郎商店 独演その十七」(池袋演芸場)

けい木『十徳』/圓太郎『黄金餅』//~仲間入り~//圓太郎『酢豆腐』

★圓太郎師匠『酢豆腐』

職人仲間の若い連中が能天気にワイワイガヤガヤじゃれている、パワフルだけれど間抜けな奴の可愛らしさかあるから重くない。半ちゃん調伏も同様だが、半ちゃんと若旦那にはもう少し二枚目ぶりの色気が欲しい。若旦那が嫌われる理由を加味して、「苛め」の雰囲気を薄めていたけれども、ならば江戸っ子の一番嫌う「しみったれ」を加味してはどうだろうか?

★圓太郎師匠『黄金餅』

マクラから45~50分くらいか。いつもの尺だね(笑)。エネルギッシュで必死の金兵衛なんだけれど、重苦しさや人物解説はないので、パワフルな落語になっている。道中付けの件などは力が入り過ぎで、何処か息を抜くとこが欲しい。長屋の連中、大家さんの造型(「二朱の金があるなら家賃払え!」には笑った)などは底辺のエネルギーと日常性があって面白い。


◆6月27日 目白夜会~靭草~(目白庭園赤鳥庵)

なな子『桃太郎』/小満ん『夢の酒』/さん喬『百川』//~仲入り~//小満ん『笠碁』

※自分の主催する会だから感想は無し。小満ん師匠が帰り際、にこやかに「次は『唐茄子屋』ね」と仰られた声音が全てを物語っているかな。


◆6月28日 桃の家の三人会(練馬文化センター大ホール)

花どん『間抜け泥』/喬太郎『花筏』//~仲入り~//三三『金明竹』/花緑『紺屋高尾』

★花緑師匠『紺屋高尾』

家元型だけど金高など『幾代餅』からの持ち込みもある。それでトーンが変わるせいもあって、全体が古今亭本来の『幾代餅』に比べて野暮ったく感じる。高尾の「久さん、元気?」の言い方は独特で悪くない。

★喬太郎師匠『花筏』

ちゃんと面白いんだけれど、噺の軸が見えてこない。「死ぬぞ」の勘違いをもっと強めても良いのでは?提燈屋が負ける稽古をする件で『反対俥』みたいにピョンと飛ぶのは前から演ってたっけな?

★三三師匠『金明竹』

「さかりが付いた」を最初は聞かせず、伯父さんが訊いて初めて松公に答えさせるなど細部に手を入れている。伯母さんが口上に混乱して「海老」を何度も口走るのは三度目くらいからクドさを感じる。寧ろ、松公が終始明るいのが一番良かった。「何で奥に行くんだろう?」は三三師らしい発想。一寸、この松公は三三師の『三枚起請』の亥之に似ているが、亥之ほど「第三者」の視点は感じなかった。

※松公って、名前が現す通り柳家の与太郎とはキャラクターの根本が違うんだな。


◆6月29日 気軽に志ん輔21(お江戸日本橋亭)

半輔『寄合酒』/小痴楽『磯の鮑』/志ん輔『抜け雀』//~仲入り~//志ん輔『文違い』

★志ん輔師匠『抜け雀』

宿主人の甚兵衛さんっぽさが印象的。それと絵を画く件を克明に演じず、それを見た宿の主人のリアクションのインパクトが何よりも強くなっている。それが持ち味に適って如何にも落語らしい。絵師親子では父絵師の風格というか、構えない感じが良さを増している。

★志ん輔師匠『文違い』

角蔵大尽の悠長で、意外と狡くて、でもお杉に甘い、という造形が面白い。芳次郎の気取った色悪ぶりと対照的。お杉の泣きは芳次郎に対しても飽くまでも職業的媚態の感じがする。半ちゃんとお杉が四人の中ではまともに近く見えるという構成かな。

★小痴楽さん『磯の鮑』

兼好師譲りとのこと。与太郎というより、覚えたまんまにしか喋れない粗忽者の可笑しさがある。粗忽者の雰囲気は似合うなァ。

◆6月29日 白酒・甚語楼ふたり会(お江戸日本橋亭)

けい木『狸の札』/甚語楼『本膳』/白酒『大山詣』//~仲入り~//白酒『肥瓶』/甚語楼『佃祭』

★白酒師匠『大山詣』

雲助師型で余り動かしていない。その代わり、リアクションの非常に正確な演出。寝返りで驚く長屋の連中、坊主出現に驚く宿の女中。ただ者ではないなァ。長屋連中が帰って来てから少しテンションが下がったのは不思議?

★白酒師匠『肥瓶』

先代馬生師の演出を雲助師から聞かれたそうで、汚さを廃した演出、兄貴分が豆腐や飯を食べようとすると弟分に袖を引かれる仕科の見事さ、古道具屋の「貴方ならそうでした」の繰返しの可笑しさと唸る件多数。

★甚語楼師匠『佃祭』

権太楼師の演出ほぼそのまんま。次郎兵衛さんはニンだし、長屋連中のあたふたも似合う。半面、船頭の金太郎は権太楼師の大きさにまだ丸で敵わず。船頭のかみさんが泣きすぎないのも良いけど、あれはつまり『旅の里扶持』の「おじさん到頭会えました」で良いのかも。与太郎の泣き笑いはやはり権太楼師の演出の素晴らしさを実感。サゲ前の「糊屋の婆さん、お前そろそろ時期だから」で大きな笑いを取り損ねたのは残念。

★甚語楼師匠『本膳』

村連中の頭株が直ぐに帰りたがる無駄喋りで先生が困る、という聞いた事のない型。前半の遣り取りから面白い。『松山鏡』を聞いてみたくなる素直さがある。

◆6月30日 上野鈴本演芸場特選会『第68回三三・左龍の会』

三三・左龍「御挨拶」/しあわせ『子だけ褒め』/馬治『代書屋』/三三『山崎屋』//
~仲入り~//ホンキートンク/左龍『お化け長屋(上)』

★三三師匠『山崎屋』

最後の小津安二郎的世界へ繋ぐには若旦那が帰ってきた時の親旦那の嬉しさ、子煩悩が陰気。笠智衆じゃいけないんだと思う。

★左龍師匠『お化け長屋(上)』

杢兵衛の怪談噺で声の調子を変える所は真に可笑しく、二番目の能天気な店借り人のキャラクターも抜群。二番目の店借り人が「おかみさんの懐に手を入れて」を受けて「キョワー!」と突拍子もない声で叫んだ件は無闇と可笑しい。仲間相手に丁寧に怪談を繰り返すのも面白い演出。反面、ニンにある噺だけに、「遠方、中沢圓法か?」「目の細い奴は助平だ(さん喬師を思い浮かべざるをえない。三三師かなァ。ならば「三三みたいに」と前振りが必要)」などのギャグが内輪過ぎて、今夜のお客では前方の落語マニアにしか受けずとか、杢兵衛の怪談を聞いた仲間のリアクションに同じセリフが多すぎてテンションが下がるなど、細かい「荒らさ」が却って耳につく。あと、明らかに三三師より面白くて、三三師より落語なのに、三三師と比べると噺が客席に伝わる力が弱い。場数の問題かなァ。

★馬治さん『代書屋』

雲助師型に権太楼師の「学習院」「天皇賞」をプラス。客を田舎訛のある若宮町育ちに変えてある。田舎訛の効果がまだ一辺倒だが、「不思議な人だね」なんて代書屋のセリフが先代馬生師に似てて、代書屋の気持ちの分るのが摩訶不思議。

---------------------以上、下席-----------------


石井徹也 (落語道落者)

02:48

2013年07月15日

石井徹也の落語きいたまま2013年5月号

暑いですね。みなさま如何お過ごしでしょうか。
今回はおなじみ石井徹也さんによる、ごく私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年5号をUPいたします。今回はいつもの寄席評に加え、神田松鯉初演の「柳田」論が必読。また、オマケとしてきりやんの『マイ・フェアレディ』評もあります。長文ですので、どうぞお茶お菓子などとりながら鷹揚にご覧頂ければ幸いです。

このコーナーに関する皆様のご感想、ご意見をお待ちしています。twitterの落語の蔵(@rakugonokura)か、FaceBookの「落語の蔵」ページ
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◆5月1日 池袋演芸場昼席

遊雀『悋気の独楽』/ぴろき/笑三『てれすこ』/圓『鍬盗人』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『息子の万引』(正式題名不詳)/楽輔『元帳』/味千代/圓馬『試し酒』

★圓馬師匠『試し酒』

目白型よりも持ち味で権助が終始明るいのが長所。芸骨格の大きさと相俟って、面白さを出している。高座に落ち着きも出てきたし、酔って行く過程の表現など、話術の基本はちゃんとしているから、この所の進歩は目覚ましい。名前負けなんかしていない存在になれる可能性愈々高し。


◆5月1日 池袋演芸場夜席

たが治『子褒め』/宮治『強情灸』(交互出演)/マグナム小林/米福『大安売』/昇太『悠々雄三』(漫談・交互出演)/マジックジェミー/鯉昇『粗忽の釘(ロザリオ編・
下)』/桃太郎『私の幸せ』(漫談)//~仲入り~//ひでややす子/遊馬(蝠丸代演)『蛙茶番(中)』/笑遊『蒟蒻問答(中)』/まねき猫(南玉昼夜代り)/文治『幽霊の辻』

★鯉昇師匠『粗忽の釘(ロザリオ編・下)』

主人公が遂にお向かいの家ではなく、一軒空けた隣へ行ってしまい、隣の主人はそれをすっかり聞いてた、という展開に発展。先代馬生師以来の「変人奇人爆笑落第」になってきた。只管主人公の「静かで奇天烈なキャラクター」が凄く、「頭を叩け」と言われて主人公が扇子で頭を叩く件の可笑しさなんてものは筆舌に尽くし難い。

★宮治さん『強情灸』

また少し手を入れて面白さが増している。「本当は川越生まれなんだ」の呟きは相変わらず愉しい。熱くなってから、まだ上体の動きがやや激しく、見ている側の視線が動いてしまうのは惜しい。顔とセリフが面白いから動き過ぎは損しないかな。

★遊馬師匠『蛙茶番』

往来で兄貴分に下半身を見せて去る件まで。深く良い声と高っ調子な跳ねっ返り声の使い分けが可笑しく(遊雀師の影響かな)、こんなに面白い遊馬師の高座は初めて。遊馬師の『蛙茶番』自体、四年ぶりくらいだけれども、遥かに面白くなった。また、追いかけなきゃならない人が増えたかな。

★笑遊師匠『蒟蒻問答』

道具屋を呼びにやろうとする件まで。試演段階なのか、さほど手を入れていないとはいえ、権助の引いた可笑しさは出色。先代柳朝師や小三治師の「自棄っ八みたいな権助」は何度も聞いて知っているし、大好きだけれど、『問答』でこういう風に演出されて面白い権助は初めて。これも好きだなァ。

★文治師匠『幽霊の辻』

旅人はいつになく妙にこわもてなのだが、遊び沢山で茶店の婆さんは「内海桂子師匠に似ている」って具合だし、父追橋に掛かると、女好きで人柱が嫌で三鷹へ逃げた柳昇の倅で人柱にされた「桃太郎(の幽霊)が“ととよ、ととよ、せこい茶碗だね”と声を掛けてくる」には笑った笑った。権太楼師の枠から工夫して逃れつつある。


◆5月2日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『頭ン中ァカラッポ』/圓『神奈川宿』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『オカマ幽霊』(正式題名不詳)/楽輔『天狗裁き』/味千代/圓馬『お見立』

★圓馬師匠『お見立』

言葉を繰り返す癖があり、やたらと真面目な杢兵衛大尽と「墓参りとは思わなかった」と慌てる喜助の自然な遣り取りが実に可笑しい。作り物の落第でない本格の愉しさ。

★楽輔師匠『天狗裁き』

ネヴァーエンディングサゲ。この演出で楽輔師から聞いたのは初めて。

★圓師匠『神奈川宿』

今日は人物それぞれに活気があり、「朝這い」のトボケた味わいからサゲまでちゃんと噺が繋がっている。考えてみれば、朝餉の膳を用意させたお梅って女も洒落たキャラクターである。洒落た旅噺なんだな。


◆5月2日 池袋演芸場夜席

たが治『道具屋』/小蝠『人形買い(上)』(交互出演)/マグナム小林/米福『幇間
腹』/昇太『短命』/マジックジェミー/鯉昇『ちりとてちん』/桃太郎『唄入り金満家
族』//~仲入り~//美由紀(ひでややす子代演)/夢花(蝠丸代演)『欠伸指南』/笑遊『蒟蒻問答(中)』/南玉/文治『疑宝珠』

★鯉昇師匠『ちりとてちん』

寅さんの可笑しさに磨きが掛かって、凄くナンセンスになってるのが愉しい。鯛をパクバク食べる無言の表情の可笑しいこと。

★米福師匠『幇間腹』

軽く、弄らず、素直に馬鹿馬鹿しく愉しい。基本的な噺の捉え方が確りしてるなァ。

★昇太師匠『短命』

昇太師の『短命』は二度目か。八五郎がかみさんの「御飯をお食べよ」というセリフを「誘われてる」と勘違いするのが可愛くて可笑しい。

★文治師匠『疑宝珠』

寄席で聞くのは初めてかも。若旦那が宝珠を舐めて青かった体に下から赤みが射してく(枝雀師のSRの逆みたい)ってのと骨ばかりの体に肉が付いてくるってのは文治師の工夫だろうか。視覚的で、ちょいグロ、ちょいSFで面白い。最初に文治師から聞いた時に比べると、喬太郎師がキッチリ噺の骨格を作ってある上に、文治師が受け継いで落語らしい馬鹿馬鹿しさを加えて来た印象。噺の面白さが活き活きしてきている。

※『藥罐舐め』といい、舐める噺は生々しさが馬鹿馬鹿しさに変わると愉しい。『なめる』も文治師で聞きたくなる。

★笑遊師匠『蒟蒻問答(中)』

「大僧正、御名前は?」「蒟蒻・・・高野山弘法大師」まで。試してるなら強引にサ
ゲまで演っちゃえば良いのに。「寺は古いが」の言い立てが入ってないのかな?

◆5月3日 池袋演芸場昼席

翔丸『初天神・団子』(二ツ目昇進披露)/遊雀『悋気の独楽』/ぴろき/笑三『ぞろぞろ』/圓『猫と金魚』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『おかず道』(正式題名不詳)/楽輔『天狗裁き』/味千代/圓馬『妾馬』

★圓馬師匠『妾馬』

特に工夫と言える箇所がある訳ではないのに、夢楽師系の演出らしい臭みが消えており、非常に明快な落語になってきた。「ここを聞け!」的な演出・話術の嫌らしい押しもなく、素直な八五郎の能天気ぶりを軸に、三大夫さんはオロオロ、殿様は泰然としている違いが面白い。去年聞いた時とは別の噺みたい。

★圓師匠『猫と金魚』

圓師では初めて聞いた演目か。先代文治師のような初代権太楼師口調でなく、普通の喋り方なんだけれど、却って会話の内容の馬鹿馬鹿しさが際立つ。今の一蔵さんの『猫と金魚』を渋くしたような面白さがある。


◆5月3日 池袋演芸場夜席

蝠よし『元犬』/小蝠『人形買い』/マグナム小林/米福『看板のピン』/昇太『悠々雄三』(漫談)/マジックジェミー(交互出演)/鯉昇『千早振る・モンゴル編改』/桃
太郎『金満家族』//~仲入り~//美由紀(ひでややす子代演)/笑遊『ん廻し』蝠丸/『お花半七』/南玉/文治『不動坊火焔』

★文治師匠『不動坊火焔』

笑遊師の爆笑を蝙丸師が鎮めて(蝙丸師が二日間休演だったのでヒザ前に回った笑遊師は抑えてた訳ね)すっきりと『不動坊』へ。吉公の銭湯での独り気違いの可笑しさと、後半、幽太(今日は「体格の良い柳家小蝠・笑」)を含めた四人の大馬鹿者ぶりとのバランスが取れて爆笑。特に屋根の上で徳さんと萬さんが声を抑えて喧嘩をする件が滅茶苦茶に可笑しい。時間の関係でか「塵紙に目鼻」の顔の件が無いので存在感の薄かった金物屋の鐡さんがここで徳さんから「其処で笑うな!」と叱られる事で存在感を示すのは良い工夫。萬さんは鯉朝師の感じだな。

★笑遊師匠『ん廻し』

「お題は“踏切り”」からの与太郎には場内馬鹿ウケ。笑遊師のホンワカした与太郎も独特の愉しさである。

★鯉昇師匠『千早振る・モンゴル編改』

また改訂され、「(龍田川に突き飛ばされた)女乞食がチョモランマの峰を越えて、モンゴルの草原に静寂が戻った」といって手の上で龍田川が豆腐を切る件は笑った笑った。「とわ」は「豆腐のモンゴル名」で際限なく転がり続ける噺になってきた。

★米福師匠『看板のピン』

臭みがなくて、サラサラと愉しい高座。年齢の割に声質で親分に違和感がない。


◆5月4日 池袋演芸場昼席

翔丸『甘味屋女房』(二ツ目昇進披露・正式題名不詳)/遊雀『宗論』/ぴろき/笑三『ぞろぞろ』/圓『近日息子』//~仲入り~//Wモアモア/遊史郎(柳太郎代演)『厩火事』/楽輔『風呂敷』/味千代/圓馬『蒟蒻問答』

★圓馬師匠『蒟蒻問答』

圓馬師の定番主任ネタ。毎年、聞く度に内容が落ち着き、レベルアップしてくる。今年は六兵衛、八五郎、権助の真面目に暢気なノリがチロリン村の連中みたいで面白い。落語国の田舎と設定出来れば安中である必要もないんだね。


◆5月4日 池袋演芸場夜席

明光『平の陰』/宮治『つる』(交互出演)/マグナム小林/米福『蜘蛛駕籠』/昇太(交替出演)『悠々雄三』(漫談)/扇鶴(マジック・ジェミー&花代演)/鯉昇『馬のす』/桃太郎『お見立』//~仲入り~//ひでややす子/笑遊『不精床』/蝠丸『首の仕替え』/南玉/文治『御血脈』

★文治師匠『御血脈』

「義光寺の由来」で終わるかと思ったら「御血脈」まで行った。40分強。「御血
脈」に入ってからは殆ど新しいギャグ無しで、前半は地噺、後半は芝居掛かりの多い落語、という雰囲気の違いが味わえた。

※落語協会の中堅より若い真打で『御血脈』や『義光寺の由来』で夜席を(浅草は一寸外して)ハネられる噺家さんが今、どのくらいいるかな?出来るならしん平師くらいだろうか。笑いの量の問題でなく、「演目に対する区別意識の有無」の違いが両協会にはある。小三治師なら、現在の立場で『千早』や『粗忽長屋』『厄払い』でもハネられるが、先代小さん師の『芋俵』、彦六師や先代馬生師の『しわい屋』みたいなハネ方は今の落語協会の主任高座ではまず出来ないだろう。

★鯉昇師匠『馬のす』

鯉昇師からは初めて聞いた演目か?明日休みで釣へ行く、という前振りから。「電車混むね」などなく、「寄席へ来て笑わない人はなんなんだろうね」等の世間話で可笑しく。サゲも「馬の尻尾を抜くとね」を繰返したりしないって具合に真に粋なものである。

★宮治さん『つる』

かなり手を入れて可笑しい。隠居が胡散臭く、八五郎が大馬鹿者で友達から丸で相手にされておらず、聞いて貰うために土下座するまでに至るのが面白い。

★笑遊師匠『不精床』

笑遊師匠では珍しい演目(志ん五師が亡くなってから、寄席では意外と聞かないのも事実)。遊三師同様、先代文治師型。植木鋏でバサバサ切る様子が似合って可笑しい。小僧も頼りなく可愛い。


◆5月5日 第五回柳家小満ん在庫棚卸し

小満ん『寝惚先生一代記』/小満ん『紙屑屋』//~仲入り~//小満ん『長崎の赤飯』

★小満ん師匠『寝惚先生一代記』

『蜀山人』だけれど紹介される狂歌数が家元演出より桁違いに多く、小満ん師の人柄と蜀山人の洒脱の重なりが愉しい。

★小満ん師匠『紙屑屋』

ショートヴァージョンか?手紙・都々逸・新内。『梅雨衣酔月情話』の途中で詞が曖昧になっちゃったのは残念。

★小満ん師匠『長崎の赤飯』

終盤の侍・渡辺喜平次の機知・情が無ければ(この機知も唐突といえば唐突)、金田屋親旦那の身勝手とその言いなりに舌先三寸を使う番頭の他律性が先立ってしまう嫌な噺だなァ。親旦那の身勝手は親馬鹿といえば親馬鹿なんだけれど。若旦那本人が嫁さんを二人持つ方がまだ分かる気がする(『白ざつま』的なデカダンになるか、成都・上海・東京と職場の変わる度に三人の妻を持った陳建民氏~陳建一氏が書いている~みたいにエネルギッシュになるか)。小満ん師としても試演出段階の噺だろうが、お染と金之助をもう少し描かないと「世話講釈の筋を聞いてるだけ」みたいな噺になりかねない。おもちゃ屋の馬生師から圓生師が受け継いだ長く込み入った筋物に共通の欠点かもしれない。上方落語に時々ある「とってつけたような終盤」の一例なのかな。『匙加減』や『髪結新三』が大家の噺であると理解出来るような意味で、この噺は主人公不在のまま、噺が展開してしまっている。「いったい誰が主人公の噺なのか」という点、圓生師も台本上の整理をつけないまんまで演じていたのではないだろうか。
これなら、『上方芝居』の方がまとまってはいると私は思う。


◆5月5日 第七次第回圓朝座(お江戸日本橋亭)

馬桜『牡丹燈籠~お札剥がし』//~仲入り~//喬太郎『宗悦殺し』

※玉々丈さんと馬桜師の前半は聞けず。

★喬太郎師匠『宗悦殺し』

四谷三丁目から慌ただしい掛け持ちで三越前へ。「宗悦殺し」(こけだけでは余りに短い)から「奥方殺し」で「宗悦長屋」はカット。宗悦は新左衛門に明らかに喧嘩を仕掛けて、怒鳴りあった揚げ句、斬られる展開。従って宗悦は名人圓喬風に脂濃くはない。チラッとしか出ないが、志賀・園の可憐さは伺える。奥方が病づいて最初に来る按摩は落語の雰囲気で『幇間腹』の若旦那が落魄したみたいなキャラクター。コメディ・リリーフって感じか。新左衛門が奥方を斬ってから「いずれお熊と一緒になる心算。お前は邪魔者」と伝えて二撃目を加える。の、お熊と出来てから、奥方を殺害するまでの新左衛門の身勝手さに一番特色があった(伊右衛門より身勝手)。但し、二撃目もただ斬り下ろすよりは、侍らしく止めを刺すべきではあるまいか。新左衛門の狂死を語らずにサゲたのでターミネーターみたいな新左衛門がこれからもまだまだ出て来そうな後口が面白い。


◆5月5日 池袋演芸場夜席

昇太(交替出演)『権助魚』/マジック・ジェミー・花(交互出演)/鯉昇『持参金』/桃
太郎『受験家族』//~仲入り~//ひでややすこ代演/笑遊『ん廻し』/蝠丸『のっぺらぼう』/南玉/文治『らくだ(上)』

★鯉昇師匠『持参金』

仲人の甚兵衛さんがお鍋の容姿について、詳細に真実を告げれば告げるほど(ある意味、仲人として妙に細かいとこが誠実なのである)、噺の灰汁が抜けて大笑いになる。この噺の中で一番困ってるのはお鍋を嫁にやる羽目になった仲人ってのが分かるからだろうか。欠陥商品のセールスマンみたいなとこに共感出来て可笑しいのである。

★文治師匠『らくだ(上)』

40分。かなり演出が変わった。寄席用への改訂か。兄貴分が頚の骨を鳴らす演出はなくなり、舌をチロチロだして屑屋を脅かす。印象的なのは大家の因業さなど今まで比較的陰になっていたキャラクターの表現が精密さを増したこと。文治師は実は気を配った芸で、細部が常に丁寧な噺家さんだが、今まで『らくだ』に関しては兄貴分の脅かし方が軸だった。それを屑屋、兄貴分、大家夫婦(かみさんが八百屋に野菜を買いに来たってのが可笑しい)、月番、八百屋などの人間関係にシフトした感じ。かといって、大家が屑屋を蔑むという人間関係ではなく、前半に関しての、らくだの死を巡る人間関係の変化だから重くならない。屑屋の酔っ払い方も二杯目で味が分かり、三杯目をせびる辺りでキャラクターが変わり始め、三杯目、四杯目はかなりのスピードで呑み出して、肴を吐き出したりしない。愚痴も言わない(月番へ行く前に皿を高値で買わされた話だけする)。飽くまでも酔ってキャラクターが変わるだけだから、落語として無駄に重くなり過ぎないのも良い。考えてみれば、六代目松鶴師、先代馬生師、先代小染師と図抜けた『らくだ』は、いずれも凄いけれど重くはなかった。そりゃ重かったら、六代目松鶴師みたいに85分もある高座は聞いていられない。逆に言えば、家元の演出は「火屋まで行けない悲劇的重さ」に支配されている『らくだ』って事なのかも。


◆5月6日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『頭ン中ァ空っぽ』/圓『権助魚』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『伝説のカレー屋』/楽輔『ちりとてちん』/味千代/圓馬『井戸の茶碗』

★圓馬師匠『井戸の茶碗』

圓菊師の型が大分残っているけれど、清兵衛や千代田卜斎などは人柄の良さが出て安定した出来。屑屋仲間もふざけずに面白い。高木のみ、些か老けた印象が口調にあり、落ち着き過ぎなのが気になる。

★圓師匠『権助魚』

「網打ちだから水に流して下さい」オチ。権助が如何にも権助らしいので、無理にギャグっぽく会話をしなくても十分に面白いのは老巧。


◆5月6日 池袋演芸場夜席

蝠よし『やかん』/小蝠『初天神・団子』(交互出演)/マグナム小林/米福『猿後家』/学光(交替出演)『試し酒』/花(交互出演)/鯉昇『餃子問答』/桃太郎『学歴詐称家族~生きてて良かった』(漫談)//~仲入り~//ひでややすこ/笑遊『強飯の女郎買い』/蝠丸『お七の十』/南玉/文治『青菜』

★文治師匠『青菜』

植木屋も旦那も調子をズーッと張っているので可笑しさの陰陽に乏しい。友達の大工が登場して漸くメリハリが付く。とはいえ、植木屋はちゃんと職人だし、植木屋がかみさんに言う「井戸端へ行くな、呼ぶとき手間が掛かるから」や、大工が言う「おめえのかみさんは鰯を焼かせると名人だ(また食べて)随分焼いてるな」など、様子の目に浮かぶセリフがある良さは得難い。「分かるかなァ~、分かんねえだろうな」をギャグとして繰り返すのは野暮ったくなる。あと、植木屋に釣られて旦那が体を動かし過ぎる。目白から教わった遊三師の旦那はあんなに動かないのが旦那らしさに繋がっている。

★米福師匠『猿後家』

サラッとしていて、おかみさんの喜怒哀楽に無理がなく、この噺にありがちな嫌らしさを全く感じさせない巧さがあって面白い。お世辞の男や番頭も的確だし、冒頭、小僧を猿若町へ遣いにやろうとする番頭と小僧の遣り取りも愉しい。

★学光師匠『試し酒』

マクラを長く振ったので本題はかなり短い。『馬のす』のように、世間話をしなが
ら、あっという間に五升飲んでしまう。併し、世間話が面白く、短く演るにはこうい
う演り方もあるなと感じた。井上が戻って来た時にチラッと酔いを感じさせるのも巧い。

★鯉昇師匠『餃子問答』

故郷の浜松は餃子の町で、というマクラから「餃子屋の親分がいて」と本題に入った時は「趣向・改訂」の可笑しさに声を出して笑った。元噺家が浜松で御難に遇い、餃子屋の親分に助けられて和尚になる。展開の基本は『蒟蒻問答』そのままで時間の関係から、「お経はいろは」(設定が噺家だから「お経は「寿限無」か「垂乳根の」になるかな)「大僧正の御法名は?」「旗天蓋は」などは全てカット。最後の仕科をどうするのか?と思ったが「お前ェんとこの餃子の中身はこれっぱかりだ」でクリア。鯉昇師の改作力・想像力の凄さは段々と、鼻の圓遊師みたいになってきたな。

※圓馬師の『蒟蒻問答』を聞いて「安中の必要があるのかな?」と感じた疑問の答えとこんなに早く出会って驚いた。

★笑遊師匠『強飯の女郎買い』

笑遊師らしい手はまだ全く入っておらず、多分、教わったままの試演段階だろうけれども(かなり古風なセリフの多い演出で、誰のだろう?雲助師の好きそうな「隠れ下セリフ」も幾つかある)、非常に丁寧で、就中、人物が的確で巧くて面白い。熊さんの鬱積、紙屑屋の軽さ、妓夫の軽さと文句なしの優れた『強飯』。ちゃんと受けてたのも巧さゆえ。

★蝠丸師匠『お七の十』

笑遊師がちょいと長目に演った後を受けて、「オチが二つある噺なんですが、どちらでもお好みの方をどうぞ」とマクラで話してから、サラリと面白く。「吉三さん、
わしゃ本郷へ」と芝居掛かりのセリフになると、ちゃんとメリハリがつき、変な所がないのは文治師にも共通する事だけれど、先代文治師の教えなのかな?


◆5月7日 池袋演芸場昼席

笑三『悋気の火の玉』/圓『禁酒番屋』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『神のアプリ』(正式題名不詳)/楽輔『錦の袈裟』/味千代/圓馬『青菜』

★圓馬師匠『青菜』

昨夜の文治師と出所は同じだと思うが大分雰囲気が違う。前半は旦那と植木屋のスケッチになっていて、後半は植木屋夫婦のスケッチになっているのが落語らしい。大工の友達が現れて植木屋のテンションが上がってから些か調子が粘っこくなるがちゃんと面白い。かみさんが鯉の洗いを知っていて「洗っただなんて御屋敷で言わなかったろうね」と突っ込まれた植木屋が「言ってない」としらばっくれる辺りの面白さは秀逸。旦那に上方訛りがあるのは一寸珍しい。江戸の「のっこむ」と上方の「弁慶」が同じ意味というマクラも初めて聞いた。

★Wモアモア先生

JRの隠語で「お客様が線路に入った」が「痴漢が捕まった」という意味だとは初めて知った(例え、本当でなくても面白い)。「中村紀洋苦労の果ての千本安打は長島国民栄誉賞の裏、谷繁最年長二千本安打は新聞休刊日は、どちらも気の毒だけどそういう運命なのかな」という話も含めて、最新の情報とその捉え方、そして定番ネタの組み合わせの美味さでは東京の漫才の中でも図抜けている。

★圓師匠『禁酒番屋』

上方の『禁酒関署』型に近く、漏斗を使って女子衆も仲間に入り、最後に番屋の侍が少し口に含む。尺は短いが番屋の侍が徳利の栓の匂いを嗅いでニヤリと笑う。だから最後に栓を放ってしまうのが生きる。酔い方の変化もくどくなく、如何にも酒呑みらしい。酒屋の連中の「カステラの顔をして」「油の顔をして」も愉しいくすぐり。

★柳太郎師匠『神のアプリ』

今日の演目は初めて聞いた噺だけれど、続けて何日も違うネタを聞いていると「新作として発想は面白いのに消化不良」という感じがしてならない。「聞こえやすくと言う意図」なのか、終始キンキン声で登場人物の誰彼が分かり難いのと、いつも急いで話してるみたいで慌ただしいので笑いが起き難い。体格同様、声も大きく、調子が高いのは別に構わないけれど、常に力を入れてキンキン声にするというのは聞いてて草臥れる(笑三師と清麿師を足したみたいである)。毎回同じ内容であるマクラを少しばかり削って、本題にもっと時間を割いた方が面白くなるのではあるまいか。


◆5月7日 池袋演芸場夜席

たが治『芋俵』/小蝠『薬罐舐め』(交互出演)/マグナム小林/米福『羽織の遊(上)』/鯉昇『粗忽の釘(下)』/花(交互出演)/学光(交替出演)『手水廻し』/桃太郎『桃太郎流茶の湯(上)』//~仲入り~//ひでややすこ/笑遊『蒟蒻問答(中)』(問答に入る直前まで)/蝠丸『死ぬなら今』/南玉/文治『蛙茶番』

★文治師匠『蛙茶番』

鳴り物入り。定吉の可愛さに比べ、半ちゃんに迫力があり過ぎて一寸怖い。定吉もやや引いた感じになる。小柄な先代文治師と違い、大柄な文治師では憤然としてる半ちゃんの感じが強くなり過ぎるのかな。芝居の合間に半ちゃんが半畳の上で騒いでる件が一番可笑しい。『天竺徳兵衛』をタップリ見せるのは今の小文治師と同様。満祐の幽霊に雰囲気がある。

★米福師匠『羽織の遊(上)』

伊勢六の若旦那の奇怪さより、町内の若い衆がワイワイやってる様子が主体で、それが軽くて愉しいのは結構なもの。

※学光師に限らず、東下りの師匠方はどうしても囃子の入らない噺にならざるをえない。折角、今夜のように見台・膝隠しを使っても結果的に東京の噺家さんが演っている上方ネタと被ってしまうのが如何にも勿体無い。

※先代文治師の『蛙茶番』は誰から伝わった演目なのだろう?三代目三木助師と同じく先々代燕路師かな。遊三師と演出が違うし。たが治さんの『芋俵』は当然文治師のだろうが、目白型より古風かつ丁寧で(手間はかかるけれど理にかなった演出が多い)、細部の設定も違う。これも元はどの師匠からだろうか?


◆5月8日 『マイ・フェアレディ』(日生劇場)

霧矢大夢(Wキャスト)・寺脇康文・松尾貴史・田山涼成 演出・G2

★演出は25点。演出のミスというか、大劇場演出の分からない演出によって小劇場ミュージカルに転落した大劇場ミュージカルの典型。謝珠栄が大地真央の作品をちゃちに演出して失敗したのを思い出した。舞台と演技がスカスカ、チマチマして薄暗いなんてのは話にならない(脇役の動きの方が大劇場っぽい)。翻訳・修辞の改訂で笑いの部分は分かりやすくはなったが(『スペインの雨』が『日向のひなげし』という題名になっている。但し、小劇場的な笑いで英国が舞台のシニカルな笑いではない)、大劇場作品演出の素養に乏しく、この作品に必要と私が想う華麗さは殆ど失せた。コックニー訛りなのに「ヘンリー・シギンス」ってのも江戸っ子だよそれじゃ。「H」の発音が出来ないのがロンドンの下町訛りで「エンリー・イギンズ」になるから怒気が強く発せられるので、「ヘンリー・シギンス」じゃ気が抜ける。稽古場で気が付かないのかね。演出家は耳も悪いらしい。霧矢は演技面ではイライザが怒りをぶつける場面の切なさが良く出た。近年のイライザは大地真央オナリーだったから(尤も、大地の初演で舞踏会に行くためイライザが二階に現れた瞬間が私の見た最後の「ジワが来る」)、演技の品が悪くないのと体のキレは霧矢の方が遥かに良い。歌はキーが違って殆どファルセットのため音を目一杯に出せないのが辛い。『ミー&マイガール』のサリーが見たいな。ヒギンズの寺脇康文は体の切れはあるけれど、役が違うのと品が悪いので感心せず。英国紳士でシニカルでマザコンで変人という役だから、これはどう考えても今なら阿部寛向きだ。昔、『ピグマリオン』でヒギンズを演じた橋爪功が絶品だったのも思いだされる。田山のピカリングは英国紳士にしては砕
け過ぎ。松尾のドゥリットルは『運が良けりゃ』が駄目で『時間どおりに協会へ』はマズマズ(私の考えるドゥリットルのベストはスタンリー・ハロウェイそっくりで歌えて演技の出来る笹野高史)。発音が重要な話なのにヒギンズとフレディの平方が揃って鼻濁音の出来ないってのは失笑物。寿のピアス夫人は出演者の中で芸が一番大舞台で歌も立派。このレベルで考えないと『マイ・フェアレディ』にはならない。

 ※今回観ていて感じたのだけれど、『マイ・フェアレティ』のオリジナルスタッフ
は『ミー&マイガール』を知ってたんじゃないだろうか。余りにも似た点が多すぎ
る。それとも演出が『ミー&マイガール』のパクリっぽいのか?


◆5月8日 喜多八膝栗毛~壱之噂~(博品館劇場)

鯉八『おじさん』(正式題名不詳)/喜多八『唖の釣』/喜多八『跛馬』//~仲入り~//松本優子&太田その『』/喜多八『猫の災難』

★喜多八師匠『猫の災難』

 歯の間の酒を吸出したり、酒を口の中で回したりと滅茶苦茶にセコイ酒呑みなのだが、あんまりにも酒好きなので面白くなる。最後に「猫に詫びをしてくる」だけ、いきなり良心的になったみたいで変。兄貴分が「イヨッ!」と入ってくる笑顔が既に酒呑みそうで嬉しそうで堪らなく良い。

★喜多八師匠『唖の釣』

一朝師の与太郎を喜多八唖が演じてるみたいで、可愛さに違和感がある。七兵衛が唖の振りをする件は可笑しい。

★喜多八師匠『跛馬』

馬好師譲りとか。『旅行日記』の宿主人みたいな馬子でチャチャクリチャチャクリと可笑しいが長閑さとは余り縁がない。

★鯉八さん『おじさん』

 前半かなり受けたが、後半のおじさんと部下の場面は観客ややボカン。

◆5月9日 池袋演芸場昼席

笑三『大師の杵(上)』/圓『強情灸』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『テレクラ爺さん』(正式題名不詳)/楽輔『火焔太鼓』/美由紀(味千代代演)/圓馬『鹿政談』

★圓馬師匠『鹿政談』

奈良田中町の豆腐屋で起きる設定であり、先代圓馬師⇒圓師経由の原型『鹿政談』。まだ、豆腐屋の描き方が粘っこいのは気になるけれど(年寄りにし過ぎる。圓馬師ならそんなに老け込ませる必要はない)、京都所司代から演ってきた設定の「臨時奉行」が如何にも侍らしい闊達さで(圓馬師は本当に侍が似合う)、塚原出雲をテキパキと遣り込める辺りの情ある正義漢ぶりが気持ち良い。いわゆる「御奉行ぶった大仰さ」がないのである(鹿の袋角を奉行が繰り返さないのも賛成)。芝居にし過ぎない面白さと落語らしい恬淡とした味わいになる。

★楽輔師匠『火焔太鼓』

スイスイ運んで気負いが全くなく、如何にも『火焔太鼓』の調子であり、夫婦像である。変に神経質な作りでないのが『火焔太鼓』を成り立たせている。楽輔師の持っている落語味故の良さであり、愉しさである。こういう風に演るべき噺なんだよなァ。


◆5月9日 池袋演芸場夜席

たが治『やかん』/宮治『弥次郎(上)』(交互出演)/ひでややすこ/米福『身投げ屋』/かい枝『老婆の休日』(交替出演)/花(交互出演)/鯉昇『ちりとてちん』//桃太郎『唄入り善哉公社』//~仲入り~//マグナム小林/笑遊『鰻の幇間』/蝠丸『洒落番頭』/南玉/文治『線香の立切れ』

★文治師匠『線香の立切れ』

声の活け殺し、という大きな課題はあるけれど、久乃家の女将が回想で小久に話し掛ける言葉に親の情があり、お仲が見事に女中である。番頭の大きさなど、目白庭園で聞いた時より「文治師の立切れ」を作る上での切り口を感じた。感傷的な性格の反映で後半、泣きに抑制が掛からないのも課題だけれど、お仲の存在をもっと大きくすれば糸口が見つかるのではあるまいか。女将の言う「お仲、調子合わせて」などは稍理に走りすぎ。調子をあわせていない三味線でも小久は『黒髪』を弾けるのが落語。

★米福師匠『身投げ屋』

十二分に巧いんだけれど、演出が比較的古風なまんまなので噺の展開に違和感がある。金語楼師のとも違う演出だし、誰のが元だろう?


◆5月10日 池袋演芸場昼席

ぴろき/笑三『安全地帯』/圓『長短』//~仲入り~//Wモアモア/柳太郎『伝説のカレー屋』(正式題名不詳)/楽輔『火焔太鼓』/味千代/圓馬『居残り佐平次』

★圓馬師匠『居残り佐平次』

前半、トントンと軽く運べる口調を持っているのは結構なれど、佐平次が妙に立派過ぎて表情、言葉も堅く、セリフで言ってる面白さが前に出ない。特に佐平次はもっとぬらりくらりとしてるとか、愛嬌があるとかの面白さでありたい。勝の部屋に佐平次が湯飲みを持参するのは面白い。悪党ぶると野暮になる。逆に妓夫連中は少し強面ぶりが欲しい。終盤、「神田の白壁町で」以降の忠信利平のセリフを忘れてシドロモドロになったのは御愛嬌。「貰いを掛けろ」が無かったように佐平次の廓での働きぶりは少しカットしたかな。店の旦那は品格があって立派で結構なもの。袴無しでも立派に見える。

※霞花魁の客が勝次郎ってのはモデルが四代目圓生師かしらん。となると、忠信利平のセリフは入っていても、原型は盲の小せん師以前の二代目圓馬師系統の『居残り』なのかも。

※帰りがけ、新聞社のN井氏と会って話して意見一致したが、楽輔師連日の『火焔太鼓』には志ん生師本来の「駄目夫婦ぶり」を楽々と描いた面白さがある。かみさんには矢来町の怖さが少し残っているが甚兵衛さんがドンピシャリのだらしなさ。省みて、矢来町一門をはじめとする落語協会の『火焔太鼓』は構えすぎではあるまいか(違う夫婦像の白酒師は除く)。尤も近年、フワフワと演じてる筈の雲助師と一朝師の『火焔太鼓』を聞いてないのは残念。矢来町の幻影が残っている上に、何の内容も無い愉しさだから(家元の好きだった映画『のるかそるか』と似てる)、現在の落語会のお客さんには分かって貰いにくい演目の一つだけれども、三田落語会で一朝師に演じて戴けないかな?

※落語協会だと先代柳朝師系『火焔太鼓』は一朝師、権太楼師、正蔵師に、独自演出の『火焔太鼓』はさん喬師と白鳥師になるかな。

※『芝浜』って、本来は『火焔太鼓』に似た夫婦像の噺でなきゃいけないんじゃないかな。


◆5月10日 落語教育委員会(なかのZERO小ホール)

喜多八・歌武蔵・喬太郎『コント~屋根の上』/こはる『四銭小僧』/歌武蔵『五貫裁き』//~仲入り~//喜多八『居残り佐平次』/喬太郎『梅津忠兵衛』

★喜多八師匠『居残り佐平次』

先日の紀伊国屋ホールとは別人のような出来。尺は掛かっているけれど、佐平次が最初から図々しくて剽軽な奴で憎めず、妓夫や勝が巻き込まれてしまう展開で、無駄な重さがないのが良かった。言えば、佐平次活躍が、小満ん師ほど具体的に語られないので洒落っ気が妓夫の会話に留まるのが物足りないけれども、スイスイと聞かせて嫌みなく、喜多八師らしい誇張と馬鹿馬鹿しさが色々あって愉しい。

★歌武蔵師匠『五貫裁き』

歌武蔵師の持ち味で徳力屋も番頭も嫌な奴にならないため、些か噺の面白さが曖昧になっている。また、最後に大家がジックリ説諭する、という演出もありかな?

★喬太郎師匠『梅津忠兵衛』

喬太郎師版の彦六師風文芸物で、落語と人情噺の中間風の面白さがある。但し、忠兵衛がサムソン並に周囲の木をベリベリと薙ぎ倒す可笑しな件があるだけにストンと落とすオチが欲しいのは以前と変わらない。「胸に思案があるからは腹に腕が」くらいの洒落っ気で良いのだが。

★こはるさん『四銭小僧』(『真田小僧』の前半)

三か月ぶりにきいて「巧くなったな」と思う所と、「妙に達者になったな」と思う所が相半ばした印象。

------------------以上、上席-----------------

◆5月11日 第二回鶴川落語会「らくご@鶴川“権太楼たっぷり”」(和光大学プ
リモホール鶴川)

おじさん『子褒め』/権太楼『素人義太夫』//~仲間入り~//ほたる『初天神』(飴と団子)/権太楼『居残り佐平次』

★権太楼師匠『居残り佐平次』

権太楼師の『居残り』を生で聞くのは物凄っく久しぶりなんじゃないかな。45分。
非常に面白かった。妓夫を最初から「楽しめたのも君のおかげ!!」とおだてて、更に「お引けの時、四人で話してる側にいたろ?」「気を利かして外してたんです」「それで“お題を”なんて言ってたんだ!」と妓夫を明るくたぶらかす誘導の仕方が独特かつ巧妙で、矢来町ほど詐欺師っぼさを出さなくて面白い。勝っつぁんを持ち上げる惚気話も明るく楽しいが、二階を稼ぎだした佐平次が真っ赤な襦袢にステテコ、真っ赤な鉢巻きをして「唐辛子踊り」を客にも踊らせる辺りは絶妙絶品。「遊び」の分かってる強みだ。終盤、旦那相手には泣き落としを使うなど、騙りに変化があるのも良き工夫。忠信利平のセリフだけでなく、「高飛びといやあ北海道から樺太」「遠く北海道の地で旦那のことを思う時には、上と下の瞼を確り閉じりゃあ」と『瞼の母』まで入るのも独特の工夫である。小満ん師の佐平次にも言えるが、此処に独自の工夫がなきゃ長丁場の噺は飽きてしまう。「裏のせどや」を歌って気楽に品川を去るのも楽しく、妓夫に問われて種明かしをして、最後の一瞬だけ「悪」をチラリ見せるのは一朝師同様の良さ。目白や鈴々舎から学んだ「遊びの世界」が見事に活かされている。目白のお弟子さんの育成方法の幅と奥行きを改めて感じた。

★権太楼師匠『素人義太夫』

義太夫が語りたくて語りたくて滾っちゃって、何だか分んなくなってる旦那(こういう人物像が出せるのは枝雀師と権太楼師、そして遊雀師くらいだろう)の可愛さ、可笑しさは変わらないけれど、繁蔵の困り方の表情が変化に富んで面白い。全体に、以前より少しだけゆっくり加減なのかも知れないが、その分、表情や語調子の変化が一艘楽しめて面白い。


◆5月12日 小三治一門会(北とぴあ)

小はぜ『道灌』/燕路『笠碁』//~仲間入り~//小雪/小三治『大切なのは了見~厩火事』

★小三治師匠『厩火事』

マクラから70~75分くらいあったかな。長生きはしたいもんである。『厩火事』
の前半は旦那って「男」と、お崎さんって「女」の判断力の違いの面白さが一杯。旦那がお崎さんに同情しながらも「こいつは何で分かんないんだ!」と焦れてくる(『結婚出来ない男』の阿部寛みたい)。それを聞いてて「分かんないよ、お崎さんは男じゃなくて女だもん」と感じさせてくれる見事なスケッチに驚く(バーナード・ショー並の炯眼である)!八五郎とお崎さんの遣取りも基本の食い違いは同じだけれど、八五郎には旦那と違い社会的責任感や勤労意欲はからっきしない。でも「俺は間違ってない」と思ってる「ヒモの了見」と、お崎さんのズレのスケッチで、いやあ愉しかった。チューリップの歌詞だっけ?「我が儘は男の罪、それを許さないのは女の罪」は名言だなァ。

※昔、小三治師が演劇落語を熱演してた頃のこと。あるファンの女性に「先日はとても良い人情噺を聞かせて戴いて」「人情噺?いつです?」「いついつです」という応えだったそうな。「その人はあたしの『厩火事』を聞いたんですが」ってな事をマクラで怪訝な顔付きで話をしてたのが忘れられない。確かに、当時の『厩火事』はやたらとドラマにされていて、心理描写ばっかりで息苦しくて、無闇と会話の間合いの長い『厩火事』だった。それが今日みたいな『厩火事』になるのだから「長生きも芸のうち」「年取ないと分からない事はある」のは事実である。

※『了見』のマクラで『火事息子』の喩え話から某一門の話は無茶苦茶面白かった。言ってから「長生きはするもんですなァ」と破顔一笑した笑顔がまた良かった。怖いものなしの人でないと見せられない表情である。

★燕路師匠『笠碁』

2月に寄席で聞いた時と少し印象が替った。オチに関しては小里ん師の演出を教わったのかな。但し、全体の雰囲気は小里ん師とはかなり違う。寄席(池袋)の時は時間がなくてテンポが良かったけれど、今日は時間があるがために却ってテンポが落ちてリズミカルな落語とは言い難い。最初の遣り取りが二人とも商人でなく、学校の先生と真面目な勤め人みたいに感じられた。二人とも「変に真面目な同士」で、それはそれで一つのキャラクター付けなんだけれど、途中からコロコロ変わって、不明瞭なキャラクターになってしまった。店にいる側の旦那が番頭をはじめ、店の者相手に口をきき過ぎるので、老人の寂しさの感じがしないのもどうかね?。目白の小さん師の『笠碁』は友情と独りごとの面白さ、そのベースにある二人の老いた男同士の普遍的な孤独だと思うけれど(先代馬生師のは孤独感が友情より先立つ)。


◆5月12日 上野鈴本演芸場夜席

市楽(市江・市弥交互出演代演)『手紙無筆(上)』/仙三郎社中/一之輔『加賀の千代』/圓太郎『強情灸』/紫文/琴調『徂徠豆腐』/小袁治『百川』//~仲入り~//遊平かほり/正朝『祇園祭』/ダーク広和/柳朝『蛙茶番』

★小袁治師匠『百川』

全体に静かな展開。祭を背景にした江戸っ子の噺にしてはカラッとした所に欠ける。中でも百兵衛が陰気で、あれでは客席も大きくは受け難い。

※品川の圓蔵師の十八番⇒圓生師経由の幾つかの噺に関して疑問がある。『派手彦』『百川』『一つ穴』『弥次郎』『大山詣』『花見の仇討』など。圓生師だと40~50分掛かる噺だが品川の師匠だと30分掛からないんじゃないかな。品川の圓蔵師は「全身が舌」と言われたくらいの能弁家だから、噺も本来そのスピードが必要なんじゃないだろうか。『三人旅』のお婆さんの件なども品川の師匠の能弁が残った一例だろう。圓生師は唄い調子ではあったけれども、能弁家とは違う芸風だったから、その分噺が長くなったのではあるまいか。従って、上記の演目を能弁家でない人が演じる場合は30分前後にまとめるために刈り込む必要が出てくるんじゃないかなと私は思う。品川の速記の場合、活字を追うだけではではスピードが分からない事もあるだろう。速記分の言葉を何分で演じていたのか?というのを誰か、圓生師にもっと聞いておいて欲しかったと思う。圓生師の速記や百席のレコードがある種の権威になってしまっているため、スピードに関する課題が戦後の落語研究家諸氏や戦後育ちの師匠方からから現代の噺家さん方にちゃんと伝わっていないと思う。実際、ベテランでも能弁家としては小柳枝師がいらっしゃるくらいで、中堅から下の世代で能弁と言えるのも菊志ん師くらいだけど、目白の小さん師匠だって速い時は速かったからね。あれは四代目の能弁の名残かもしれない。

★柳朝師匠『蛙茶番』

奇声連発で却って聞きダレしちゃった。番頭のキャラクターが登場毎に変わり、定吉は愉しそうでも面白がってもいないから、お店の芝居のハレ感覚も計略の楽しさも出ていない。半公がデブってのは初耳だが、跳ねっ反りなりにミィ坊の件でマジになってなきゃいけないのに奇声で分断される。序盤で番頭が定吉に「井出の玉川」の場を解説するのも寄席サイズで必要かなァ。定吉が歩いてる最中、地に戻った件も定吉のセリフで言わせれば済むと思う。「受けたい」意識で噺が逆に受けなくなってるのは惜しい。奇声抜きで普通に演じた方が受けると思うんだけど。

※知り合いに「柳朝さんの噺は気味が悪い」と言われた事がある。それも奇声が逸れた印象ではあるまいか(もう一つの要因は、なまじ表現力があるから『荒茶』などがリアル過ぎて「髭の脂が浮かんだ茶」の絵が浮かび、気持ち悪くなる所にもある)。芸質的に柳朝師は、一朝師以上に「巧さから可笑しさが出る噺家さん」だと私は思う。細身で可愛らしい顔をしていて声も高く細い、また陽気ではないが端正である。本来は『線香の立切れ』(演った事があるのかどうか私は寡聞にして知らない)などに向いた芸質なんじゃなかろうか。落語らしい軽い味がちゃんとあるのにも関わらず、『お菊の皿』の「皿屋敷へ向かう件」で闇の怖さが出せる表現力の持ち主だから、『立切れ』を演じると「怖くて美しい噺になるのではないか?」とも感じる。『庖丁』みたいな、圓生師の噺など演じて「巧さ自慢」になっちゃ困るけれど、扇遊師や扇辰師にお稽古を付けて貰って、本来は綺麗な噺を愉しく演じる噺家さんじゃないのかなァ。「春風亭柳朝なんだから先代と同じ芸でなきゃいけない」なんて、落語を古典芸能扱いする「真面目バカ」の視点には鳴って欲しくない。


◆5月13日 上野鈴本演芸場昼席

半蔵『そば清』/扇遊『手紙無筆(上)』/ストレート松浦/喜多八『短命』//~仲入り~//ホームラン/白酒『六銭小僧』/才賀『松山鏡』/二楽/燕路『抜け雀』

★燕路師匠『抜け雀』

宿屋の主人がボーッと系の甚兵衛さんでリアクションのボンヤリした表情、セリフも含めて気の利かない感じが面白い。かみさんも釣り合いの取れた小柄な夫婦でチャチャクリしてる夫婦の日常が面白い。若い絵師は威張り方が軽いのが結構。父絵師のみ、セリフに妙な抑揚の付くのが惜しまれる。

★才賀師匠『松山鏡』

 聞いた事のない演出。或る意味、芝居として田舎者たちがリアル。半面、何だかドリフのコントっぽさも感じる。


◆5月13日 第260回小満んの会(お江戸日本橋亭)

おじさん『狸の札』/小満ん『道灌』/小満ん『五百羅漢』//~仲入り~//小満ん『付き馬』

★小満ん師匠『道灌』

四天王~児島高徳~小町(深草少将抜き)~道灌。一々、噺を溜めない遣り取りの中に趣味人・隠居の教養とそれを混ぜっ返す八五郎の洒落っ気が浮かび上がる。

★小満ん師匠『五百羅漢』

開祖・祥雲の苦心を軸にした『五百羅漢寺由来』に、参詣人のスケッチを三組ほど加えたエッセイ噺。第二の羅漢像が安置された寺として、私の実家の大家、芝白金・瑞聖寺の名が出てきたのは驚いた。終盤は田舎者・元女郎・敵討の小噺的スケッチ。敵討ちの田舎侍が品川の圓蔵師版『庚申待ち』の一部分かな。

★小満ん師匠『付き馬』

30分。前半は割と普通だけれど、店を出てからが快速快弁!「いい菜漬け」から「おじさんったって前座じゃない」まで洒落・穿ち沢山の能弁で面白い事この上ない。洒落に門も無ければ勝手口も無い勢いで投げ捨てるように可笑しな饒舌は四代目小さん師か品川の圓蔵師を思わせる。「肉豆腐?脂っ濃いもの食うね」は先代柳朝師で聞いて以来の大好きなセリフ。『居残り』同様、悪をチラとも見せない洒脱さ。早桶屋の主まで洒落てるという、江戸廓噺の醍醐味あり。


◆5月14日 池袋演芸場昼席

小菊/志ん橋(雲助代演)『看板のピン』//~仲入り~//小せん『欠伸指南』/小勝『漫談』/正楽/一朝(川柳代演)『宿屋の富』

◆5月14日 池袋演芸場夜席

まめ平『転失気』/ぼたん(交互出演)/馬石『粗忽の釘(下)』

★志ん橋師匠『看板のピン』

親分に騙された若い衆の「五だ!」の了見だけの面白さに代表されるように、全編、登場人物の了見だけで展開して抜群に面白いという、芸を聞かせよう見ようなんて色気は全く無い素晴らしさ!こんな『看板のピン』、聞いた事が無い。

★一朝師匠『宿屋の富』

スイスイとテンポ良く進むから、二番富の男の妄想の繰返しでキャラクターが出るだけで、笑いを無理押ししないからダレないのは流石(この件は意外とダレ易い)。周囲の呆れ方も愉しい。ホラ話がテンポ良く進んだ挙げ句、客が一分の金を取られて一文無しになる困り具合がサラッと面白いのも特徴。宿の主人は最初の客との遣り取りのボーッとした感じと、湯島天神から戻った時(「懐が無い!」と慌てる件の仕科の可笑しさも印象的)、頭がハッキリして驚いてる感じに変わるのは、一朝師の『宿屋の富』でも珍しい。

★馬石師匠『粗忽の釘(下)』

最初のうち、かみさんの言葉が妙に説明的に感じられて、「?」と感じたが、主人公の粗忽ぶりが愈々可笑しく盛り上がった。周囲が多少まともなのとの主人公のギャップが更に際立って面白い。

★ぼたんさん『悋気の独楽』

明るくて面白いのだけれど、妾がすまして冷たく見えるのには噺の展開上、違和感を覚える。「良い女ぶってる」ニュアンスかな。御内儀は対照的にかなり年寄り臭い。


◆5月14日 らくご街道雲助五拾三次之内二番宿~吉例~(日本橋劇場)

雲助『髪結新三・発端~葺屋町弥太五郎源七内』~仲入り~雲助『髪結新三・富吉町新三内~深川閻魔堂』

★雲助師匠『髪結新三』

つけ打ちに吉住誠一郎氏を招いた(私は凝り過ぎだと思う)。『白子屋政談~仇娘昔八丈』でなく『梅雨小袖昔八丈』の方の『髪結新三』。新三は全体に大物っぽくないのが良く、特に新三内で源七を向かえる様子から長兵衛にへこまされるまでのウブに近い「若さ」が一番良かった。二枚目過ぎないで若旦那っぽい新三である。但し、前半は大物悪党じみるし、啖呵を切ると芝居になってしまうのは全ての役に通じる。長兵衛は白子屋からの礼金を見て、わざと大袈裟に驚く仕科の面白さは絶品だが、調子を張ると低くウネウネした所が源七と似てしまう。弥太五郎源七は終始ウネウネした蛇的なキャラクターだが、怖さや下がり松の親分の雰囲気はない。善八とかみさん、善八と長兵衛、善八と源七の件など、克明で芝居にしない場面の会話は落語として面白いが、芝居にある場面になると単に芝居になってしまう。閻魔堂の殺陣は結果的にツケは及び腰、膝立ちの形は動きのある場面は兎も角、止まった動きでちゃんと静止出来ずに流れる。両足に体重を掛けられる芝居の動きと違い、また膝立ちのみでなはく、最後は走り去る『権九郎殺し』のようには形が決まらない。ツケ打ちを入れたな
ら、もっと動いても良かったのではないだろうか。また、焔魔堂は新三が五代目~六代目音羽屋の低調子が基本なら、源七は高く受けないと芝居になり憎いが、雲助師は基本の調子が低いので張ると新三と源七の区別が付かなくなる。

 ※善八に連れて行かれるお熊を見ながら、六代目の新三がお熊の腰の辺りを性的な視線で見ていた、という「強淫した女への欲情」を描くような近代劇的・心理劇的な『新三』を今後誰かが演るとしたら喬太郎師かな。物凄くリアルに言えば、お熊の裾は乱れて新三の体液がこびり付いていたのかもしれない。深層的な恋愛心理劇としての『髪結新三』で、ドラマとしてのロマンティシズムを伴い乍ら、そういう「絵」を(別に「被虐の美」なんて気取るつもりはない。リアリティとしての絵である)描けるのは喬太郎師の世代にならないと無理かもしれない。


◆5月15日 新宿末廣亭昼席

木久扇/『明るい選挙』正楽/南喬『湯屋番(上)』//~仲入り~//扇辰『御血脈』/笑組/文生『漫談』/小燕枝『千早振る』/和楽社中/扇遊『ねずみ』

◆5月15日 新宿末廣亭夜席

小はぜ『道灌』/ちよりん(交互出演)『動物園』/菊生『新聞記事』/菊志ん『権助提燈』

★菊志ん『権助提燈』

受けるようになったなァ。権助の大声調子と、本妻・妾のシナシナした調子の違いだけで見事に面白い。本妻が次第に居丈高になってくるのも可笑しい。

★菊生師匠『新聞記事』

キンキンしていた調子が納まったのは良いが、代わりに稍間延びしている。

★南喬師匠『湯屋番(上)』

煙突小僧煤之助まで。この若旦那みたいな「馬っ鹿奴な」は抜群。妄想の妾が昔のように立ち泳ぎをする演出を見たかったなァ。

◆5月15日 第33回白酒ひとり(国立演芸場)

さん坊『転失気』/白酒『牛褒め』/白酒「桃月アンサー」/白酒『首ったけ』//~仲
入り~//白酒『不動坊火焔』

★白酒師匠『牛褒め』

この五年では初めて聞いた演目か。文朝師の演出がベースみたい。山下清みたいな与太郎が好き勝手してる可笑しさが主体なのは先代馬生師の大馬鹿者与太郎系かな。半面、おじさんは余り与太郎に対して身内っぽくない。

★白酒師匠『首ったけ』

辰っつぁんが野暮な男で、好き同士の迂闊な言葉から紅梅と喧嘩になる雰囲気でなく、野暮な客と野暮な女郎の喧嘩になってる。些かシリアスでこの噺にしては重め。

★白酒師匠『不動坊火焔』

久し振り。かなり手を入れ、また刈り込んである。銭湯で気の毒な町内の男がお滝さん役をさせられて終いには吉公と湯船の中で抱き合う可笑しさは絶妙。後半は闇のように黒くて夜は存在の分からない鐵さんと幽霊役の林家正蔵(親も噺家という設定)の可笑しさで引っ張るが、屋根の上に出てからの三馬鹿トリオプラスワンの掛け合いの可笑しさはイマイチ。幽霊役がぶら下がってからは圓彌師やたい平師のように体を自在に上下させる動きの面白さが無いので(目白の師匠だって、ちゃんと動いてた。太り過ぎかな?)、林家正蔵が口籠る可笑しさだけになり(萬さん、鐵さんが消えてしまう)、「高砂や~」もちゃんと調子が張れてないので尻すぼみになる。吉公が切り口上になるのもありきたりで詰まらない。

※お滝さんが不動坊恋しさに出てきて、幽霊とよりが戻り掛かり、吉公も慌てる、という展開はどうだろう?


◆5月16日 第17回柳噺研究会(渋谷区総合文化センター大和田伝承ホール)

ございます『やかん』/雲助『出来心』/小燕枝『南瓜屋』/小さん『竹の水仙』//~
仲入り~//小里ん『猫の災難』

※自分の関わった会なので感想は無し。雲助師の『出来心』は『間抜け泥』まで。最後の件は志ん生師の演出で生で聞いたのは初めて(長火鉢の向こうで毛布にくるまって寝ていた)。

 ※この会とは直接関係ないけれど、小里ん師の『首ったけ』は盲の小せん師の速記ではなく、品川の圓蔵師の速記が元になっていることを御本人から伺った。感謝!


◆5月17日 上野鈴本演芸場夜席

歌りん『子だけ褒め』市江(交互出演)『反対俥』/仙三郎社中/一之輔『六銭小僧』/正朝『悋気の火の玉』/紫文/琴調『笹川の花会』/小袁治『堪忍袋』//~仲入り~//遊平かほり/圓太郎『祇園祭』/ダーク広和/柳朝『唖の釣』

★圓太郎師匠『祇園祭』

圓太郎師独特の京の街中を行く祇園祭を丁寧に聞かせる演出。それと同時に京男はあくまでも京自慢をしているだけで喧嘩腰にならず、江戸っ子が一人で怒る、というよりは、祭自慢比べになるキャラクター造形のバランスが素晴らしい。

★小袁治師匠『堪忍袋』

冒頭の夫婦喧嘩がちとリアルだけれど、堪忍袋の謂れがダレず、出来上がった堪忍袋の中に夫婦が怒鳴り込み合う権は怒鳴り方が派手で面白い。

★柳朝師匠『唖の釣』

『牛褒め』などに比べて与太郎が前に出過ぎるというか、一朝師の絶品、正朝師の佳品と比べて与太郎の絡む場面が脂っ濃い。素晴らしいのは与太郎を許す山同心で侍の品格と情が備わっている。こういう山同心はなかなか見当たらない。


◆5月18日 らくごDE全国ツアー“一之輔のドッサリ回る2013”(よみうり
ホール)

一之輔「御挨拶」/夢吉『あたま山』/一之輔『青菜』/喬太郎『派出所ヴィーナス』
//~仲入り~//ロケット団/一之輔『唐茄子屋政談』

★一之輔師匠『青菜』

後半は割とユックリ目。酢味噌の好きな植木屋と人の良い建具屋の遣り取りはやはり愉しい。

★一之輔師匠『唐茄子屋政談』

泣きすぎる気はするが、若旦那(ニンには無い)の怒りは分かる。伯父さん・伯母さんはもう少し情が前に出ても良い。知りたがりの八っつぁんと気の毒な半ちゃんの造形は可笑しい。誓願寺裏のおかみさんに品と哀れと淡い色気があって良かった。因業な大家は一番似合う。序盤、汗と雨の匂いにまみれた若旦那はやはり着替えさせて寝かした方が良くないかな。食器の片付けより蒲団の匂い落としの方が大変だろう。田圃の回想の花魁は色気が無いなァ。誓願寺裏の話がリアルタイム、若旦那の話、長屋のおばさんの話と三度出てくるのは些かクドい。若旦那の話は伯父さんの聞いてる表情だけで良いんじゃないかな。最後、若旦那が勘当を許されても、まだ唐茄子を売ってて半ちゃんが偉い目に遭うってのは白鳥師演出に近いけれど、白鳥師以上に笑い無しでサゲるのが照れ臭いのだろうか?

※知りたがりの八っつぁんの件を聞きながら『アラビア版唐茄子屋政談・魔法の絨毯屋政談』なんて考えていた。ハッサンて町の男が若旦那を助けてくれる噺にしちゃう。

★喬太郎師匠『派出所ヴィーナス』

この五年で聞いたの初めてかなァ。昨日の被害届け(実体験)の今日の盗難届けだから、交番の調書作りが妙にリアルに感じる。


◆5月18日 第38回この人を聞きたい“左龍ひとりじめ(その4)”(東京女子学
園)

左龍『そば清』/さん若『宿屋の仇討』//~仲入り~//さん若『転宅』/左龍『死神』

★左龍師匠『そば清』

そばを食べて、そば湯を呑む形が目白の師匠みたい。何だか変な(褒めてんですよ)清さんや能天気な町の連中のキャラクターは既に安定した可笑しさ。オチを小さく言ってフッと間を取り、頭をサゲるのはなかなか気味が悪くて面白い。

★左龍師匠『死神』

「枕元にいる死神には手を出さない」を念押しして、契約に近い感じを出している。最後の療治も「一年で千両」「半年で千両」「三月で千両」と期間と価格が反比例しないので分かりやすい。主人公のお気楽さはあっているんだけれど、序盤の死神のセリフで間を取りすぎるのはダレる。木の上にいた死神が消えて、何時の間にか隣にいるってのも、フワリと飛び下りるさん喬師の奇怪さがない。瞬間移動を見せないのより、目に見えた方が怖いものもある。喬太郎師の『そば清』のオチみたいに。

★さん若さん『宿屋の仇討』

ドスが利いて侍が似合う(手の叩き方は砕けすぎ)と同時に「隣部屋の三人のうち、源ちゃんとか申すもの」はさん喬師の可笑しさの感じだな。侍が堅い一方でなく、冗談を言いそうな柔らか味があるのは結構なもの。奥方を背後から刺し殺すのは納得感があるが、着物をきちんと着たままでは刺し通し難い。ここは寝乱れ姿でないと刺し殺すのが活きない。

★さん若さん『転宅』

左龍師に似た演出だが、お菊に色気があり、泥棒が能天気で愉しい。これくらいメリハリのある演出が似合うみたい。


◆5月19日 第62回扇辰・喬太郎の会(国立演芸場)

ゆう京『垂乳根』/喬太郎『宗漢』/扇辰『三枚起請』//~仲入り~//扇辰『野晒し(上)』/喬太郎『らくだ』

★扇辰師匠『三枚起請』

棟梁は良いのだけれど、若旦那と清公のキャラクターが曖昧。喜瀬川も嘘の中に本気がチラと混じる志ん生師的なキャラクターでも、徹底的に嘘で生きる果てに「朝寝がしたいんだよ」と愚痴る「プロの女郎」のどちらとも言えない段階。いけしゃあしゃあとした茶屋の女将も、棟梁に甘えてみせる喜瀬川も色気はあるんだけど、男が三馬鹿トリオになりきらない。矢来町の呪縛が強いという事か。

※清公が字が読めなくて、棟梁か若旦那に起請を読んで貰って最後に驚くとか、何かキャラクターの変化があっても良いのでは?

★扇辰師匠『野晒し(上)』

肩の荷が降りて弾けまくった可笑しさで爆笑。

★喬太郎師匠『宗漢』

宗漢夫婦のホンワカした遣り取りが如何にも喬太郎師で面白く、留まって行けといわれて宗漢は慌てるのにかみさんは平気なのも可笑しい。つまり、オチはバレ+姦通?

★喬太郎師匠『らくだ』

序盤は妙にモダンな感じだが、カンカンノウど兄貴分がらくだの体を動かすのがロボットみたいで面白い。大家が最初、頭を下げてる屑屋を叱ってから、屑屋のカンカンノウが始まるのは場面が目に浮かんで凄く可笑しい。兄貴分は無茶苦茶に怖くなく、屑屋がひたすら低姿勢で言葉遣いが丁寧なのが後半、兄貴分の言葉遣いが丁寧になるのに活きていて面白い。長屋の連中の方が遥かにガラが悪いのも後半の屑屋の怒りに活きる。屑屋の酔いが回って「屑屋の何処が悪い。みんな馬鹿にしやがって」と蔑まれた側の怒りが発散。立場が逆転するが、家元的な劣等感は強くないので落語の範囲に止まる。バキバキやってから樽に入れて、ひけから毛を毟るが「(剃刀が)錆びてるだろ!」は必要かな。屑屋が担ぎながらカンカンノウを唄うのは愉しい。火屋の安を上方者にしてるけど六代目松鶴師風なんで馬鹿ウケ。「上方から来た」を前に言う必要はあるかな。マンガに出来る喬太郎師の強味が家元呪縛を逃れた『らくだ』にしている。尺的にも寄席の主任で出来るサイズ。


◆5月20日 第33回ぎやまん寄席湯島編 菊之丞・三三の会(湯島天神参集殿一階ホール)

おじさん『ん廻し』/菊之丞『湯屋番』/三三『高砂や』//~仲入り~//三三『絞込
み』/菊之丞『井戸の茶碗』

★菊之丞師匠『湯屋番』

序盤カットして軽石まで。キャアキャアバァバァしてる若旦那の面白さに対して、稍クドい色気が邪魔に感じる。

★菊之丞師匠『井戸の茶碗』

圓菊師の演出より一朝師に近付いた印象。侍同士の意地の張り合い、意地競べで屑屋が困っている、という関係は出ていて面白い。高木が怒り口調になるのはマイナスするが、千代田が余り感傷的にならず、侍としては当たり前の事を言ってるのは面白い。千代田が娘を高木に、という口調に父親の思いが程好く感じられ、微笑ましいのには感心。高木が嫁取りを嬉しそうにしているのも気持ちが良い。屑屋全員が細川屋敷の石垣上から降って来る声に戸惑う視線、清兵衛が清正公境内と、茶碗の代金の相談の件でいつの間にか其処に現れている按配。高木が茶碗を持参して細川公に見せたのは偶々で、細川公は気付かず目利きが気付くなど、細部にわざとらしさを省いた独特の工夫があり、刈込み方も巧み。

※雑念。千代田のセリフを気持ち良く聞きながら、「妻を早くに亡くし、男手一つで一人前のアナウンサーに育てた」なんて馬鹿なセリフをつい考えてしまった。

★三三師匠『高砂や』

終盤、熊さんが困りだしてからが面白い。大家と熊さんの会話は普通に面白くなってきた。「豆腐ィ~」の売り声は安定したけれど、都々逸は売り声みたいである。

★三三師匠『絞込み』

「入りやすいうちを二、三軒教えてなる」まで。泥棒が仲裁に入ってのセリフ、「人として」が矢鱈と面白い半面、夫婦喧嘩でかみさんが亭主をからかうような言い種になるのは蛇足じゃないかな。夫婦像が曖昧になる。

★おじさんさん『ん廻し』

 圓丈師⇒正朝師と伝わった『ん廻し』の面白さが素直に出ている、というのはおじさんさんの高座に落語らしい馬鹿馬鹿しさがちゃんとあるって事だろうね。

-------------------以上、中席------------------


◆5月21日 上野鈴本演芸場昼席

緑君(交替出演)『金明竹』/ストレート松浦/菊之丞『元犬』/さん喬『初天神』(告げ口・飴・団子)/ペペ桜井/正蔵『新聞記事』/権太楼『町内の若い衆』/夢葉/三三『高砂や(上)』//~仲入り~//ロケット団/一朝『湯屋番』/白酒『浮世床・講釈本』/小菊/花緑『試し酒』

★花緑師匠『試し酒』

久蔵が表から戻ってきて、一寸陽気になった感じが一番良かった。酒を呑む時に音をさせるのは呑んでいる姿に客の気持ちを集中させるには邪魔になる。間の取れない演者向きの演出。最後の一杯を久蔵が必死で呑むのは嫌だ。愉しくない。旦那が意地悪とまでは言わぬが、何か腹にあるのも邪魔。目白の旦那はもっと「五升の酒を呑む」への興味だけだった。言葉に関しては目白の師匠の酒噺の難しさで「独り言ちる」が中々そうならない。一人、好きな酒をただ呑み続ける男を見てる醍醐味がない、

★一朝師匠『湯屋番』

序盤カットして軽石まで。「雷がカリカリカリカリ」の「カリカリカリカリ」の音ま
でが堪らなく能天気で、番台の夢想は絶妙!あんなに可笑しい雷は珍しい。「音」の使い方が全然、普通の『湯屋番』と違う。入りまくりの若旦那も愉しいが、湯船の中で呆れたり、若旦那に釣られて上っちゃったりする客連中の簡潔絶妙のリアクションがまた素晴らしい。

★白酒師匠『浮世床・講釈本』

変に演出やギャグに凝らず、源ちゃんの本の読み方がひたすら奇妙で、当人も困りながら読んでるのが素晴らしい。『首ったけ』も作らなきゃ良いのに。

◆5月21日 第116回関内小満んの会(関内小ホール)

圭花『狸の札』/小満ん『熊の皮』/小満ん『四つ目小町』//~仲間入り~//小満ん『大工調べ 』

★小満ん師匠『熊の皮』

甚兵衛さんの雰囲気は目白の師匠的で、かみさんがいけしゃあしゃあとしてるのは志ん生師的。甚兵衛さんは気の毒に、こき使われた挙げ句、赤飯を食べる前に遣いにやられる。その夫婦像が面白い。オチは脚の毛を毟るタイプ。

★小満ん師匠『四つ目小町』

空樽買い久六を主人公にした抜き読み、という雰囲気。藤屋、多助、二人との遣り取りで見せる、久六の如何にも人が良くてそそっかしい様は『新三』の善八に似ている。藤屋は無闇と良い「人物」で(茶金さんが聞きたくなった)、多助も律儀で倫理的で手堅い男だけれど、どちらも演出的に余り前へ出すぎない、非ドラマ的人物なので教訓臭さがないのも嬉しい。

★小満ん師匠『大工調べ』

 お白州まで。最後まで小満ん師から伺ったのは初めて。師匠大家・源六のひと癖もふた癖もある面白さが最も印象的。棟梁相手に次第に本性を出す辺りが真に面白い。かといって、嫌み沢山にならないのが小満ん師らしい。最初の白州戻りは源六、二度目は棟梁が先頭に立つ、という辺りは意気揚々と胸を張っている両者の姿が目に浮かんで可笑しいのが落語らしい。棟梁は江戸っ子だけれど、前半で切る場合より些か老け加減。与太郎はグズグズしてるけど平気で暢気な口をきく雰囲気に四代目⇒目白系らしさがある。奉行はもう一寸張りが欲しい。オチを言い間違えたのは惜しい。

◆5月22日 上野鈴本演芸場昼席

ストレート松浦/菊之丞『元帳』/さん喬『そば清』/ペペ桜井/正蔵『悋気の独楽』/権太楼『代書屋』/夢葉/三三『高砂や』//~仲入り~//ロケット団/一朝『強情灸』/馬石(白酒代演)『堀の内』/小菊/花緑『二階素見』

★花緑師匠『二階素見』

今日みたいにキャアキャア演ってる方が家元離れがして花緑師らしくなる。親旦那に内緒で二階に仲之町を作る演出は前からだったかな。

※私なら『二階池袋演芸場(昔の)』だな。松本のおばちゃんの声、家元の主任。考えてたら涙が出た。

★三三師師匠『高砂や』

どうしても、八五郎のその場での心理状況を説明したくなるみたい。あと、「上手くはないよ」「分かってます」みたいな八五郎の受けの言葉が冷たい。

★一朝師匠『強情灸』

「歯が20本折れた」は初耳。マクラの朝湯から愉しいったらない。「死ね!」の軽さ、見事さ!30年間以上不変の名高座。


◆5月22日 セゾン ド 白酒 春の巻(成城ホール)

一力『小粒』/白酒『不動坊』//~仲間入り~//白酒『居残り佐平次 』

★白酒師匠『不動坊火焔』

 『白酒ひとり』で浚った感じで今夜の方が細かく可笑しい。銭湯の吉公と気の毒な客の遣り取りは実に馬鹿馬鹿しくて古今亭らしく可笑しい。後半は『白酒ひとり』より面白いが、目白の師匠、枝雀師の爆笑からすると、些か尻すぼみ。間抜けな前座を(今夜の名前は林家五十六)もっと活躍させるか、お瀧さんを活かすか出来ないかな。吉公のキャラクターが最後で豹変するのは誰でもだけど(惚れてる女の前で意気がるのは分かるが)、幽霊を見た驚き方がみんな弱いのは元来が明治の作品のためだろうか?

★白酒師匠『居残り佐平次』

本題40分。大分変えたか刈り込んだか。佐平次が正体をバラすまでふた夜かかる演出。得意なあやふや語で妓夫を煙に巻く。霞の客の勝を取り巻いてから、佐平次が店のあれこれ(苦情処理みたいな件がある)を仕切るようになり、最後に店を出てから『すみれの花咲くころ』を歌ったのは今夜だけのお遊びか。志ん朝師の気遣いから来る天才的詐欺師ぶりやヨイショの巧みさに対して、稍シニカルに出る白酒師の場合、曖昧語で誤魔化す方が向いているのかな。勝に一度、ブラフを掛ける辺りにも、曖昧さの使い方の巧さが活きる(妓夫の中から佐平次に祝儀か何か貰ってる奴が出てくるかと思った)。半面、勝と佐平次が霞相手に同じ事を応えたり、こういう居直り方、一膳飯屋を開こうってオチなら序盤が要るかね?など、細かく聞いていると、まだかなり無駄がある。この噺を誰か30分に出来ないかな。ネタ出しでないと寄席の主任では出しにくい噺として固定化しちゃ勿体ない。


◆5月23日 『マイ・フェアレディ』(日生劇場18時公演)


◆5月24日 新宿末廣亭夜席

北見伸&スティファニー/陽子『鼓ヶ瀧』/圓輔『船徳(下)』//~仲入り~//春馬『ん廻し』/金遊(寿輔代演)『小言念仏』/ザ・ニュースペーバー/夢太朗『お見立』/正二郎/蝠丸『田能久』

★蝠丸師匠『田能久』

何度目かだけれど、この大蛇、蝠丸師だと物凄く怪談になりそうなのに、抑えて落語にしてるんだなァ。

★夢太朗師匠『お見立』

病気抜きで直ぐ死んだ話。久し振りに杢兵衛大尽の「ちゃんとした墓へ入れたのけ!?」が入り、墓前での回想も泣かせでなくホロリとさせて、最後に笑いで締める結構な高座。

★圓輔師匠『船徳(下)』

二人の客の出から。時間の関係は勿論だが、「これは二人の客が地獄を見る噺」という小三治師の意見に従えば、この方が聞くのには楽だ。

※TBSの小三治師落語研究会DVDで『舟徳』の題名があるのはどうも理解しがたい。『船徳』なら『船頭の徳さん』の楽屋略語だろうが、『舟徳』は「猪牙舟を操る徳さん」の略語のつもりなのかな?


◆5月25日 第310回圓橘の会(深川東京モダン館)

橘也『だくだく』/圓橘『寝床』//~仲間入り~//圓橘『半七捕物帳~半七先生
(上)』

★圓橘師匠『寝床』

圓生師型だから蔵の件はない。序盤、繁吉に対して、何となく上から視線なのが如っ何にも圓生師匠らしいなァ。怒りだしての最後にちゃんと煙管のテレコがある。頭のしどろもどろの言い訳は圓生師型にもあったんだな。けれど、演題並べの件で「あたしはそんな事はしない」と言う件に高飛車さがないので圓生師と違い、義太夫以外は旦那が好人物なのはよく分かる。オチ前で、泣いている定吉の前で『飯炊き』『佐倉宗五郎』の物凄く下手な義太夫を実際に演ってみせるのが物凄く可笑しい。圓生師型でも圓橘師の腕と人柄があれば暢気に愉しい、というのが確認出来て嬉しい。

★圓橘師匠『半七捕物帳~半七先生(上)』

 『半七捕物帳』の大半がそうであるように、前半だけ聞くと「事件調書」みたい
で、謎解きがないと伏線が何だか、圓橘師の表現が何故そうだったかが分かり難い。半七老人ははもう手に入っていて結構なものである。


◆5月25日 第42回神田松鯉独演会(お江戸日本橋亭)

真紅『猿飛佐助・生い立ち』松之丞『谷風情相撲』/松鯉『隆光の祈り』/紅『』//~仲間入り~//味千代/松鯉『柳田角之進』

★松鯉先生『柳田角之進』

ネタ卸し。革新的な『柳田』。帰参の適った柳田が迎えに行くと娘・絹が「柳田格之進様 御帰参おめでとうございます」という遺書を残して自害しているという、立川生志師の演出を除いて、これまでの『柳田』演出はことごとく薙ぎ倒されるかもしれないと感じた。五十両の紛失を巡る萬屋源兵衛と番唐・徳兵衛の会話から始まり、柳田の現状は地で語られる。驚いたのは月見の宴の設定はないこと。徳兵衛の柳田宅訪問は「主人・源兵衛は実は自分を疑っているのではないか?」という疑心暗鬼にひと晩煩悶した結果で、男同士の嫉妬はあくまでも陰に隠されている。五十両紛失の潔白を立てようと切腹を考える柳田に、絹は自ら身売りを言い出し、柳田が強く止めても「家名のためでございます」と泣いて自ら身を売る。師走十三日の煤掃きで五十両が見つかった後(ここの「金の置き場所を忘れた源兵衛の責任」は曖昧)、正月十日、年始に出掛けた徳兵衛(一人です)は湯島切通しの坂で、まだ浪人中の柳田と再開する!「煤竹羅紗の長合羽」を捨てて、深編笠の浪人・柳田を描いたのは話芸史上初めてだろう。柳田と徳兵衛は不忍池辺りのありふれた茶屋に入り、そこで五十両発見を聞いた柳田は「武士の約束に二言はない」と翌日の訪問を約束する。翌日は鏡開きの
十一日(この祝典性が憎い!)。柳田は碁盤を切って二人を許すと、「鏡開きの祝いの膳」に二人と共につくが、この宴で源兵衛が「あの五十両の出どころは?」と訊くまで、柳田は娘の身売りを語らない!この堪忍の凄さ、自己抑制の凄さに驚くばかり!絹の身売りを聞いた萬屋が慌てて見受けをする。「柳田家との縁は切れてしまったから」と自分の養女にする。ここからはズッと地で、絹はやがて萬屋の女主人となり、徳兵衛は「一人の御方の人生を台無しにしました故」と、生涯暖簾分けを受けず、萬屋の番唐として源兵衛・お絹に忠誠を尽くす(女主人・お絹の徳兵衛への視線は敢えて描かれない印象)。柳田は後に帰参を許されて彦根藩留守居役となる、というのがシメ。「武士の道」だけでなく、「堪忍=待つ」という「誰にも出来るけれど、誰にでも出来はしない自己抑制」、「小さな誤解・疑心から発した事件」に関わった全ての人間の思いを見事に描き、徳兵衛の贖罪が全てを締めくくる斬新な演出(松鯉先生御本人から、自らの工夫と伺いました)には感嘆するしかなかった。柳田は松鯉先生自らかと思われる実直な元彦根藩士そのものであり、源兵衛の大店主人らしさと篤実な人間性、徳兵衛の疑惑煩悶の持つ「平凡な人間の弱さ」と慙愧忠誠の持つ「平凡な人間に出来る償い」を感じさせる人物像。絹の武士の娘としての思い、人
としてのしとかさも結構なもの。日時設定の見事さも含めて、初代松鯉十八番の『柳田』は当代の手によって、新たな一頁を話芸の世界に刻んだように感じた。祝う!松鯉先生!

 ※ここからは自慢させて戴きたい所でお恥ずかしい、昨年12月、向島での松鯉独演会の打ち上げで「『柳田』は御演りにならないんですか?初代松鯉先生の十八番ですが?」と伺い、「持ってないんですよ」と答えられた松鯉先生に「どうも現在までの噺家さんが演じる『柳田』にもう一つ、納得が行きません、先生の柳田を聞かせて戴けませんか?」と頼んだのは讀賣新聞の長井好弘氏と私の二人。その際、「それじゃ来年五月の独演会でネタ卸ししてみようかな」と仰られた言葉を守られ、今夜の打ち上げで伺うと「年頭からズーッと考えていて、今年三月くらいから台本作りに入ったけれど、従前の演出・展開にどうしても納得が行かず、何度も台本を作り直して今夜の形になりました」とのお話。「柳田が帰参が適ったのに娘を迎えに行かない展開」「徳兵衛と絹が結ばれるラスト」という、これまでの講釈の演出では松鯉先生が「僕には納得出来ない」という所を、考えに考え抜かれて見事に克服されただけでなく、単なる「お局好みのヒューマニズム」ではない、「登場人物それぞれの思い」「平凡な人なるが故に出来る事」を導き出した「芸」の力には本当に感歎。松鯉先生の演出は講釈芸の歴史に残る「快挙」ではないか?と私は思っております。

 ※調子に乗って、今夜の打ち上げでも「松鯉先生の弥太五郎源七が伺ってみたいです」と、長井さんと二人でまた注文を出してしまいました。流石に松鯉先生、「全部作らなきゃならないから、当分の間、新ネタは無理」と仰られていました。

★松鯉先生『隆光の祈り』

近代的・文学的な描きようによっては、柳澤の奸計や隆光の「魔祈祷」ぶりをいくらでもグロテスクに出来るような話であり展開であるのにも関わらず、井伊掃部守の沈着冷静と豪胆さがくっきりと浮き彫りにされて、柳澤の悪を「不正に対する怒り」が見事に打ち消すひと幕になっている。九代目團十郎の弁慶にあったという「不正へ凛々たる怒り」に通じるものであり、歌舞伎十八番的な「江戸荒事の清明さ」を私は感じた。それでいて、隆光か平然と西の丸を去る件に「この後、どういう奸計がなされるのだろう?」という不安感が静かに漂う辺りは、彦六師の優れた文芸ネタに通じる世界も感じる。


◆5月26日 新宿末廣亭昼席

美由紀(うめ吉代演)/米丸『今輔師匠のこと』(漫談)//~仲入り~//桃之助『熊の皮』/コントD51/栄馬『たが屋』/笑三『縮辞』/ボンボンブラザース/圓『反対夫婦』

★桃之助さん『熊の皮』

かみさんし兎も角、甚兵衛さんと先生の会をはちゃんと落語の無邪気さになっていて面白い。

★栄馬師匠『たが屋』

和術は巧いのだけれど、声が小さくて四割くらいは聞こえない。栄馬師匠の時だけマイクのヴォリュームを挙げるしかないのかな。落語芸術協会の師匠は押し並べて声が大きいので余計に耳立つ。


◆5月26日 第7回柳家甚語楼の会(お江戸日本橋亭)

ふう丈『やかん』/甚語楼『道具屋』/右太楼『お半花七』/甚語楼『死神』//~仲入り~//甚語楼『茶の湯』

★甚語楼師匠『道具屋』

与太郎も伯父さんも隣にいる道具屋も客も普通に喋っているだけなのに、与太郎の「思った事は口に出す」で周囲に小さな騒動が拡がるという、非常にレベルの高い面白さの『道具屋』。この世代でこういう与太郎物が出来る人がいるとは、現代の奇蹟みたいなもの。伯父さんも隣の道具屋ものこぎりや股引きの客も怒らず、みんなが与太郎に対して「仕方ねェなァ」のリアクションで展開するのが目白直系の真っ平らな落語世界の面白さに繋がっている。最後の客だけが「お前は黙っとった方が良いな」とだけ言うのがまた素晴らしい。

★甚語楼師匠『死神』

死神は「助けてやろう」と言って現れる。かみさんと子供は「医者になる」という主人公に呆れて序盤に出て行ってしまう。主人公は大金が入ると女連れでなく近くの温泉場などで豪遊して金を使い果たす・・など、装飾を巧く刈り込んだ果てに見えてくるのは「死神のくれた虚像(名医という評判)に追いつこうとして失敗する(墓穴を掘る)実像」の話。いわば「身の程知らず」を描いた落語なのかもしれない。これなら医者になる男が主人公なのも分かる。原典の欧米的な「契約」の感覚が無くても通用する。その一方で、「死神交換」など駄洒落好きのキャラクターとして造型されている死神と、ひたすら能天気な主人公の遣り取りが、全体を通して如何にもマンガで面白い。サゲはホッとした息で点いた蝋燭をうっかり吹き消して倒れる。「怖さ」でなく「人間の間抜けさ」に終始した『死神』の快作。「青山霊園先生、落合斎場先生」にも笑った笑った。細かいギャグも非常に可笑しい。権太楼師の「面白い落語を目指す情熱と方向性」は「芝居になりすぎない人物造型」として甚語楼師にも見事に継承されている。

※これつまり、「医者」を「噺家」に変えれば家元の噺である。

※再三の疑問だが、「医者」でなく「祈祷師」ではどうしていけないんだろう?最初の患者のとこの番唐だか手代だかが、「占いの先生に伺って来ました」が成り立たないからか、

★甚語楼師匠『茶の湯』

胡散臭いのに暢気な隠居、頭が回るけど主従の辛さで酷い目に遇う定吉、知らないと言えない店子三人が実に活き活きと描かれて終始愉しい。定吉の「お客でも用事は言い付けられるんですね」は珠玉の名セリフ。また、店子三人が飲む件を省いたのも適切。甚語楼師を聴いていて感じたのだけれど、「落語の計算式」という訳ではないが、(「主従の別なき」が基本理念の茶の湯に上下関係を持ち込む旦那の野暮)+(知らないのに見栄を張る旦那と店子、近隣の野暮)+(閑静な根岸にそぐわない開の野暮)と、三つの野暮を洒落っ気で扱う噺なんだな。そりゃ難しいや。

※今回の甚語楼師の見せた進境は素晴らしい。「平凡な人同士が起こす他愛ないけど凄く面白い人間模様」の描ける「落語そのものの体現者」として世代で頭抜け掛かっている。市馬師、喬太郎師を指呼の間に捉えたるのも間もなくか。


◆5月27日 『ザ・オダサク』(新橋演舞場)

 なんだいこりゃあ。作も演出も出鱈目にしか見えなかった。


◆5月27日 新宿末廣亭夜席

小泉ポロン/陽子『カルメン』/圓輔『欠伸指南』//~仲入り~//遊史郎(春馬代演)『湯屋番』/ザ・ニュースペーバー/寿輔『老人天国』/夢太朗『置泥』/正二郎/蝠丸『寝床』

★蝠丸師匠『寝床』

オチが「誰だ酷い義太夫を語ってるのは?稽古に来い。教えてやる」「飼ってる九官鳥です」だから『素人義太夫』かな。圓生師型がベースだと思う。蝠丸師では珍しい演目。前半、旦那の怒り方や繁蔵の困り方がやや何時もよりクサめかな。「番頭さんは今、北朝鮮にいるって」「何してるの?」「旦那の義太夫に対抗する武器を作ってるって」には笑った。旦那の機嫌直りカットで、長屋連中が陰気に店に来るって様子は如何にもそれらしくて面白い。豆腐屋のお弁茶羅で段数が増えて、豆腐屋が困るのや「刺身が青ざめる」も可笑しい。

★遊史郎師匠『湯屋番』

なるほどドスを効かせたり、芝居掛かりで張ると調子が普通になるんだ。

◆5月28日

 心臓の調子がおかしくて久しぶりに一日何も見物に行かず。

◆5月29日 新宿末廣亭夜席

楽輔『転宅』/北見伸&スティファニー瞳ネネ/遊雀『悋気の独楽(転宅混じり)』/圓輔『親子酒』//~仲入り~//春馬『眼鏡泥』/ザ・ニュースペーバー/寿輔『漫談』/夢太朗『寝床(上)』/正二郎/蝠丸『死神』

★蝠丸師匠『死神』

怪談噺の名手らしく、冒頭と最後、死神の怖さが図抜けている。噺の展開から装飾を取り払ってあるし、あくまで落語なので聞きやすい。「あいつに医者は無理だった。やっぱり火消しだ」のオチは少し短くなったかな。

※蝠丸師が圓彌師の持ちネタだった『龍の手』を演られるかどうか、伺ってみたい。

※心臓の調子が悪い時に聞くと余り楽しめない噺だね、やっぱり。

★楽輔師匠『転宅』

結構昔の演出。盥が出てくるし、妾が「みみずのお梅」、泥棒が「朝飯食太郎夕飯」は夢楽師の型だっけ?

 ※名古屋・大須の雲助師の会に行く予定が、新幹線の冷房は心臓に良くないので(過去に貧血を起こした事がある)大須行きを断念して末廣亭へ。空調が送風だったので非常に体調が良かったのは有難い。


◆5月30日 新宿末廣亭昼席

 笑三『まちがい』/新山ひでややすこ(ボンボンブラザース代演)/圓『蛙茶番』

◆5月30日 新宿末廣亭夜席

 遊かり『道灌』/陽子『木津勘助~木津橋の由来』/小天華(マグナム代演)/遊雀『桃太郎』/遊吉『肥瓶』/Wモアモア/伸治『棒鱈』/楽輔『転宅』/伸&ココア/春馬『漫談』/圓輔『厩火事』//~仲入り~//小蝠『ラブレター』/青年団(ザ・ニュースペーパー代演)/寿輔『龍宮』/夢太朗『湯屋番』/正二郎/蝠丸『濱野矩隨』

★蝠丸師匠『濱野矩随』

母親が矩随に観音を彫るよう勧める場面の厳しさと矩随の甘えた若旦那らしさの対照が陰影を増した。若狭屋は商売上手の面以外、何処となく先代文治師の面影を感じる。

★楽輔師匠『転宅』

序盤カットして泥棒と妾の出会いから。トントン運んで、泥棒の間抜けぶりに違和感がなく愉しい。「貴方もお梅さんに思いを寄せた一人でしょう」という煙草屋親父の言い草がまた可笑しい。

★夢太朗師匠『湯屋番』

先代圓遊師型。もう一寸、色気があると圓遊師の感じに近くなるが、柄にないようでいて可笑しい。


◆5月31日 東京マンスリー古今亭菊志ん毎月連続公演vol.64「志ん生十八
番5」(らくごカフェ)

菊志ん『安兵衛狐』/菊志ん『疝気の虫』//~仲入り~//三木男『十徳』/菊志ん
『もう半分』

★菊志ん師匠『安兵衛狐』

長屋連中の、何処か暢気な雰囲気が面白い。源兵衛、安兵衛はやや面白いキャラクターにしようとしすぎかな。狐のかみさんの語尾につく「コンッ」はもっと可愛くても良いのでは。源兵衛が猟師の後ろから覗きこむ姿が家元に似ていたのは不思議。

★菊志ん師匠『疝気の虫』

虫のキャラクターはホントに似合って可笑しい。何か五郎兵衛師匠っぽい上目遣いが
面白い。旦那が治ってノビノビする仕科には爆笑。

★菊志ん師匠『もう半分』

ネタ卸し。かなりの改訂版。「間がさした夫婦」をより強く押した感じで、先代馬
生師の『もう半分』のおかみさんに近いかな。特にかみさんのキャラクター。馬生師匠の方が「女の人の“自分は正しい”と信じられる怖さ」がより強いかな。展開としては、おかみさんが「来月にも飛び出す」と言っている割に、爺さんが身投げした後、店を出して奉公人を雇ってから子供が生まれるのだと、時制にやや違和感を感じた。おかみさんが子供の顔を見ても驚かないのは「母性の溺愛」として納得感がある。ルルーの『オペラ座の怪人』の母親が醜く生まれた我が子を溺愛する感じに近い。ある意味、バタ臭い母子関係の感じである。老人を乱杭歯の化け物じみた人相にしなかったのは賛成。老人の愚痴がくどくないのも同様の感想。子供が「もう半分」と振り据えると、亭主が六尺棒で打ちすえて、亭主も失神してしまう。するとそこへかみさんが現れ、亭主の吹いた泡を舐めて「この落語を聞いている皆さんの方を見て、もう半分」というサゲ。今夜の演出だと、おかみさんが現れた時、六尺棒で殴られた子供が生きてるのか死んでるのかが一寸分からない。そこへかみさんが現れても、場面の状況が浮かぶ前に「赤ん坊はどうなってるの?」という疑問が先立つ。また、語り手や主人公が実は犯人といえば、推理小説の古典に『アクロイド殺人事件』や『ドルーリ・レーン最後の事件』があるけれど、そういうトリッキーな感じは余りしないなァ。赤ん坊とかみさんの間に共犯関係みたいなものが必要ではないかな。『ペット・セメタリー』みたいな感じのね。だから、亭主が殴りかかると、後ろからおかみさんが突
き飛ばす⇒亭主が行灯に顔を突っ込んで大火傷を負ってもがき苦しむ⇒おかみさんと子供が亭主の様子を見て、「酷い火傷だね」「まだ半分」とサゲるとかはどうだろうか?その前からだと、かみさんが子供を抱いて寝ていても、亭主は怖くて同じ部屋では寝られない⇒油を夜中に舐めるのを亭主は従って知らない⇒近所の噂で耳にする⇒母子の寝床を夜中に覗いてみる⇒六尺棒で殴りかかる、といった流れも考えられるかもしれない、この噺を今後、トリで演じる場合以外、菊志ん師がどういう出番の噺として使うか?で噺の展開・演出の選択は多様化するだろう。雲助師匠はJ亭の白酒師匠独演会にゲストで招かれた際、『もう半分』で観客を完全に圧倒した。また、末廣亭に馬鹿笑いする客がいて、客席や番組が変になった時、圓師匠が仲入りの二本くらい前で『もう半分』を演じて馬鹿笑いを抑え込み、番組の流れを取り戻したのも見ている。詰まらなくては客席がダレてうから、巧くて聞かせられた圓師匠は流石だった。人情噺や怪談噺は「前後と同じ土俵で相撲を取らない」のに適した噺なんだろうな。

基本的にはトリネタであるのだけれど、後口の問題があるから、得な噺ではないのも事実。

-------------------以上、下席--------------


石井徹也 (落語”道落者”)

13:11

2013年06月25日

石井徹也の落語きいたまま2013年4月号

続けての更新です!

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年4月号をお送りします。今回は「レポート(時評)」を離れた落語創造論をも含んだ内容です。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、疾風怒濤の寄席レビューをお楽しみください。

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◆4月1日 新宿末廣亭昼席

川柳(交互出演)『ガーコン』//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『動物園』/にゃん子金魚/白鳥『シンデレラ』/小満ん『長屋の花見(上)』/仙三郎社中/雲助『幾代餅』

★小満ん師匠『長屋の花見』

小満ん師では比較的珍しい演目。全く押さずに、如何にも大家らしい大家に率いられた長屋連中の悲惨な花見が洒脱に展開する。長屋連中が嫌々、お茶気を口にする辺りの苦衷の表情が妙に愉しい。

★雲助師匠『幾代餅』

清蔵が「三月、三月」と呟く辺り、虚ろな表情の可笑しさは確かに白酒師の原型で、真に的確かつ、落語としてスタンダードに面白い『幾代餅』。幾代が松の位でも、女郎なのが雲助師ならでは。

◆4月1日 池袋演芸場夜席

三寿『浮世床・夢』/ロケット団/市馬『りん廻し』//~仲入り~//菊之丞『幇間腹』/花緑『権助提燈』/正楽/小里ん『試し酒』

★小里ん師匠『試し酒』

当代一流の『試し酒』である事は不変。今夜は盃を重ねながら、権助が折々見せる表情、声音に「酒好き」の心情が楽しく溢れていた。

※相手の旦那が最後、権助に質問する際、目白の師匠は如何にも酒好きから来る好奇心満々の表情をしていたのを思い出した。

★花緑師匠『権助提燈』

妾や本妻の感じが家元っぽいというか、妾など稍作り過ぎで「女の苦手な演者の演じ方」になっている。家元と違い、色気は出てるんだから(二人とも奥に男のいそうな女)、あんなに作らなくても良いのでは。旦那は若いけど、コキュっぽいのは持ち味。権助はまあ、あのくらい作らないと柄が違うから仕方ないか。

★市馬師匠『りん廻し』

 八っつぁんのリアクションで時々、語尾の下がるのは気になったが、全体的には結構な出来でおおらかに愉しい。

★菊之丞師匠『幇間腹』

 時間があったのか、若旦那が鍼に凝り始める件は短かったけれど、いつもより一八が女将とやりとりする辺りが丁寧で、面白さは安定している。

 ※この噺、幇間と若旦那だけでなく、旦那と奉公人、上司と部下でも出来る噺だね。鼻の圓遊師が演ったという『華族の医者』なんかも復活出来るんじゃないだろうか。

◆4月2日 デリバリー談春(浅草公会堂)

談春『花見の仇討』//~仲入り~//談春『お若伊之助』

★談春師匠『花見の仇討』

テンションが巧く上がらず、無駄なリアクションが多いのでリズムも無い平板な出来。特に落語だとカットバックのリアクションが良くない。神田の伯父さんと敵討に遭遇してからの侍だけはテンションが高いが、全員が、あのくらいのテンションでないと。酔っ払っている侍・近藤の使い方にひと工夫あっても良いのではあるまいか。

★談春師匠『お若伊之助』

久し振りに談春師の「面白い落語」を聞いた。伊之助の前で二度目に初五郎が言い立てるセリフは正しく落語の立て弁で、巧がらず、速く愉しく、しかも初五郎の悔しさと伊之助への思いが籠っている。こうでなきゃ!目白五十代、家元四十代の快弁に近いセリフを久し振りに聞けて嬉しい。噺の構成も成城ホール初演から二転三転して、「どうもあの桜がおかしい」という初五郎のセリフをフックに、伊之助の恋心でなく、初五郎の思いが貫く、面白く後味の良い怪異譚になった。聞き終えた今も気分がウキウキしている。言えば、最後、初五郎と一角の会話で終わらせたい気持ちは分かるけれど、伊之助が「狸と狸の双子の亡骸を桜に」といった所を初五郎が納得して受けて「因果塚の由来」で終えても良くはあるまいか。

◆4月3日 新宿末廣亭昼席

木久扇『漫談』(交互出演)//~仲間入り~//きく麿(交互出演)『九州弁金名竹改』/にゃん子金魚/正雀『鴻池の犬』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『お見立て』

★小満ん師匠『間抜け泥』

 アッサリしているようで徐々に笑いが大きくなり、サゲの言い方も洒落たものである。

★雲助師匠『お見立て』

『幾代餅』同様、寄席の主任らしい、スタンダードで暢気な可笑しさを堪能出来た。杢兵衛大尽の泣き声はいつものフクロウみたいでなく、ハトみたいだけれど変わらず可笑しい。

★きく麿師匠『九州弁金明竹』

 『金明竹』ではなく、「香典のお返し」の言伝てなんだけれど、変らず可笑しい。どうして、この自分流にちゃんと工夫されたネタと明るい高座ぶりと全体の面白さで、NHK新人落語コンクールの最優秀賞が獲れなかったのか、いまだに不思議でならない。コンクールに有りがちな「古典落語権威主義&新作改作蔑視」の弊害かな。

◆4月3日 池袋演芸場夜席

源平『居酒屋』/三寿『お見立て』/ロケット団/市馬『高砂や』//~仲入り~//菊之丞『元犬』/一之輔(花緑代演)『加賀の千代』/正楽/小里ん『おせつ徳三郎』

★三寿師匠『お見立て』

妙にシンナリした調子だけど、初めて聞く可笑しい所が幾つかあった。

★市馬師匠『高砂や』

熊さんが困り始めてから、伊勢屋の者が責める調子になるのは変じゃないかな。他は普通に愉しいんだけど。

★菊之丞師匠『元犬』

菊之丞師では珍しい演目。非常に丁寧に、各役をキッチリ演じ分けて面白かった。後の一之輔師を意識したのかなァ?

★小里ん師匠『おせつ徳三郎』

40分強。小里ん師から通しで聞いたのは初めて(ネタ出しじゃない主任で『おせつ』の遠しを聞いたの自体が初めて)。久し振りなのか、少し言い澱む件もあったけれど(この五年程、『花見小僧』も聞いた記憶がない)、目白型をコンパクトに。『花見小僧』からサラッと巧く繋げて『刀屋』に入ったのも印象的。『花見小僧』は軽めなのが良く、定吉の無理の無い可愛さが印象に残る。『刀屋』の亭主の良い意味で世慣れた雰囲気は如何にも小里ん師らしい良さで当然といえば当然だが、徳三郎に若さと二枚目らしさがあって良いのには感心した。この徳三郎は馬鹿じゃない。好青年が逆上してるだけ。おせつもちゃんと可憐で(二ツ目時代に若い女を物凄く苦手にしてたのが嘘みたい)、大店のお嬢様になっている。サゲは、おせつの「徳や、お飲み」があって、駆け付けた親旦那が橋の上から筏の上にいる二人を見て、「これも御祖師様のお陰。お材木で助かった」とサゲる。親旦那が許したので自然とハッピーエンドになる。

◆4月4日 新宿末廣亭昼席

川柳『歌で綴る太平洋戦史』(交互出演)//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『医者小噺』/にゃん子金魚/馬楽(昼夜替り)『元帳』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『品川心中(上)』

★雲助師匠『品川心中(上)』

序盤の顔を袖で隠したお染の騙りの可笑しさは『仕返し』を意識したものかな。声は大きいが、圓生師みたいにメリハリを強く付けている訳ではないのに、何となく白木屋の座敷や親分の家の間取りが浮かぶ所が雲助師らしい。キャラクターでは金蔵の間抜けと妓夫のドライさ(良いチョイ役)が好対照。親分の家の騒動はやはりマンガで愉しい。

★川柳師匠『歌で綴る太平洋戦史』

震災以降かな、噺が横道にそれたり、戦争後期の敗色濃厚の噺、短調曲の噺になるとどうもテンションが下がり、戻すのに苦労するようになってきてる。


◆4月4日 池袋演芸場夜席

さん福『普段の袴』/紋之助/市馬『南瓜屋』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/ロケット団/花緑『初天神・団子』//~仲入り~//源平『代書屋』/馬石(菊之丞代演)『時そば』/正楽/小里ん『お茶汲み』

★馬石師匠『時そば』

こんなに、極~く普通に喋ってる最初の男と、最初のそば屋の遣り取りが面白く、二番目の悲惨なそば屋と二番目の男の遣り取りが更に増して面白い『時そば』は珍しい。全てに「腹」「了見」が実に見事な現れ方をしてるからなんだな。

★小里ん師匠『お茶汲み』

 若い連中の廓での馬鹿噺から民さんの美味しい体験にスーッと運んで、「二度と行くかい、捻りっ放しだ」と聞いた二人目が同じ安大黒の小紫(手古鶴ではない)に上ってサゲまで、トントントントンと運んで行く間、特に大きく受けさせない代わり、廓遊びの馬鹿馬鹿しい愉しさ・雰囲気が噺の背景に終始あるって演じ方は珍しい。最初の別の若い奴の振られ噺と裏表になっている感じで、噺の流れに全然、回りっくどさを感じない。「雨の夜の品定め」の落語版かな。

※小三治師が五年程前の十月中席上野夜主任で聞かせてくれた無類に面白かった『お茶汲み』は、面白い印象だけで、細部がどうなっていたのか、どうも思い出せない。

★三寿師匠『浮世床・講釈本~夢』

シンプルに定番通り演じているのが、落語って良く出来てるもんだと改めて感心。故・志ん好師みたいな雰囲気があって面白かった。

◆4月5日 新宿末廣亭昼席

木久扇『漫談』(交互出演)//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『医者小噺』/にゃん子金魚/藤兵衛(正雀代演)『半分垢』/小満ん『馬のす』/仙三郎社中/雲助『子は鎹』

★雲助師匠『子は鎹』

唸った。過去に聞いた全ての『子は鎹』の中で一番優れているかもしれない。熊さんが隣のおばさんに声を掛ける件から物凄く普通の会話で、番頭さん相手に恥ずかしそうに話す様子が良い。亀との会話は照れと嬉しさの相まった名品で親子共に良いったらない。亀がませた口をきいても丸で嫌らしさがないため、微笑みながら親子の会話を立ち聞く雰囲気になる。『落語』だなァ。独楽の傷の最後に亀が泣くとキューンとするが、そこから「迎えに行くから」と話した熊さんが、スッと視線を下手にずらして「そうだ、おめえは鰻が」と話した巧さ。鰻屋が見えて思い付いた事が分かる。亀が戻ると、母親は声をあらげたりしないで終始静かに亀を取り押さえる。「お前をぶつよ」という程度で「頭を叩く」なんて威かさない。この後の亀と母親の会話がまた笑いを失わずに良い。母親が前に出る面白さ。鰻屋では熊さんが亀に鰻を嬉しそうに食べさせる件があって母親がやってくる。芝居臭さやわざとらしさ皆無で、無駄なセリフや嫌なくすぐりがない。柔らかく話し終えるとサッと立ち上がって楽屋へ消えるまで無類。

※別に馬石師や龍玉師の活動に文句をつけるつもりはないのだけれど、1982年頃に雲助師が『雲助稽古会』で『真景累ケ淵』の連続口演を始めた頃、圓生師・彦六師は既に亡く、高座を聞いていたり、音源があったりしたにはちがいなかろうが、稽古を受ける訳にも行かず、圓朝全集だけを頼りに手探りで作られたのではなかったろうか。私が初めて聞いた『雲助稽古会』が82年7月で『深見新五郎』と『子は鎹』の二本立てだった(錦糸町の金星会館ではなかったかと思う)。当時の同世代の噺家さんで、圓朝物を勉強会で連続口演しようという噺家さんは他にいなかった(先輩世代では春風亭扇枝師が『塩原多助』を続けて演じられていたが、同世代以下では85年4月の池袋演芸場の主任で林家正雀師が『古累』を二日、以降、『累ケ淵』を連続口演しているくらいか)。雲助師はその以前、二ツ目時代には「既に古今亭の主要な演目は演じていた」と後に伺った(この蓄積があってこその雲助師で、それ抜きで人情噺ばかり演っていると落語の出来ない噺家さんになりかねない)。その『累ケ淵』は84年2月から圓朝座へ引き継がれて、84年2月の『お累の婚礼』から『聖天山』まで。続いて『名人長二』を五回で演じた後(83年8月の東横落語会圓朝祭で圓窓師匠から発端の『傷つきの仏壇』(当時はこういう題名だった)だけは聞いている)、『緑林門松竹』『敵討札所霊験』へと5年間20回の圓朝座での口演続いた。圓朝全集を一言一句変えずに演じるスタイルで(従って一席一席が物凄く長かった)、かなり演出しなおしていた圓生師や彦六師の高座とは印象が違った。また、85年4月から『お富與三郎』の連続口演が「民族芸能の会」で始まっている。こちらは隔月口演だったような記憶がある。『双蝶々』は85年4月の「文芸坐金洋落語会」で吐いたのが私は初めてである。その頃から今に至るまで、練り直され、培われた圓朝物・人情噺が馬石師や龍玉師に伝わっている訳だけれども、「手探りで作った雲助師」と「雲助テキストのある状態」では難易度が違うし、またオリジナリティには格段の相違が出る。馬石師や龍玉師が雲助師の世界を真に継承されるならば、岩波書店版圓朝全集の刊行が始まった現在、圓朝全集や百花圓の速記にある長編人情噺の中から、近年全く演者の無い作品を高座へと起こす過程もそろそろ必要なのではないだろうか。因みに『敵討札所霊験』は鈴々舎馬桜師が過去の圓朝座で全段演じている。途中からはただひたすら、人を殺してゆく旅の続く無常な噺である。『白子屋政談』も春錦亭柳桜師が『百花園』に残した速記から馬桜師が全段演じた筈である。穴としては、初代談洲楼燕枝師の残した長編人情噺が『島鴴沖白浪』以外、殆ど近年では口演されていない事だろう。宇野信夫氏の『巷談宵宮雨』の原作となった『怪談嬉野森』なども、少なくとも発端部分は面白い。

★小満ん師匠『馬のす』

これも過去に聞いた『馬のす』の最高峰。マクラのビカソの絵の小噺も小満ん師だとこんなに洒落た話になるのかと驚く。本題に入ってからの尺は、持ち時間の関係もあって短いけれど、いつもより少し張った調子でテグス調べから馬の尾抜き、友達の登場と隙が全くない。「枝豆が弁当になるか」が夫婦像の分かセリフで愉しい。友達が呑み出してから(酒は冷や)、想定外の肴として枝豆が出てくるのも自然。友達の話もごく普通の世間話で、「電車混むね」的な黒門町フレーズは無い。枝豆を食べる仕科や呑む仕科も、巧さを目立たせる訳ではなく、実にテキパキと運んで行く。今日の小満ん師の高座を聞いていると、近年のこの噺は誰が演じても、枝豆の食べ方、酒の呑み方、「電車混むね」など黒門町の仕事、フレーズをまんま演じるための噺になり(黒門町の仕事やフレーズの再現が噺の内容・演出に先んじてしまっていた訳だ)、本質の把握に乏しい演目となっていたように思えてならない。寧ろ、小満ん師の高座からは友達が呑んでいる間、セリフは殆ど挟まないのに、焦れてる亭主の姿がジワジワと感じられて面白い。これが本道だろう。目白の師匠の『一人酒盛』に近い面白さだ。サゲまで寸分の無駄なくサゲでドッと受けた神品。黒門町より三代目圓馬師の『馬のす』に近いかも。

★藤兵衛師匠『半分垢』

小満ん師の神品と仙三郎社中の無駄のないヒザが雲助師の名演を生んだのは寄席ならではの良さだが、その源は藤兵衛師の『半分垢』にある。高座に喋り掛けるお客が最前列にいる所に(受け答えする演者も演者)デカイ声で高座に声を掛けるは携帯鳴らすはのオジサングループが入ってきて「オヤオヤ」って状態に上り、相撲のマクラで笑わせて『半分垢』を凡そ無駄なく、かみさん・関取り・町内の二人とキッチリ演じわけ、ちゃんと受けながら客席を引き付けた。大感心。

◆4月5日 池袋演芸場夜席

さん福『五目講釈』/紋之助/源平『歴代会長伝~九官鳥~猫と金魚』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/ロケット団/市馬『道灌』//~仲入り~//菊之丞『鍋草履』/一之助(花緑代演)『眼鏡泥』/正楽/小里ん『居残り佐平次』

★小里ん師匠『居残り佐平次』

35分弱と稍刈込み乍ら演じた印象。特に居残りが居直る(調子はあくまでも軽い)までが短い。佐平次のキャラクターや部分部分の面白さは変わらないけれど、刈込み乍らのためか、この噺では珍しく言い澱みや言葉違えが多く、全体のリズムが一寸物足りなかったのは残念。あと5分強欲しいかな。

★市馬師匠『道灌』

近年の市馬師ではかなり珍しい演目。目白とは違う工夫もあり、それが面白い件もあれば、八五郎の了見としては些か表現の平坦なとこもある。

★菊之丞師匠『鍋草履』

菊之丞師で聞くのは二度目かな。歌丸師⇒歌春師とほぼ同じ流れで寄席ネタとして固めて来ている。掛け声のマクラを長く振ってたから最初は『たが屋』かと思った。芝居の芸中には触れない噺だから、この噺だけのマクラって難しいのかも。先代馬の助師はどんなマクラを振ってたのだろう?

◆4月6日 第四回柳家小満ん在庫棚卸し(橘家)

小満ん『藪医者』/小満ん『今戸焼』//~仲入り~//小満ん『宿屋の仇討』

★小満ん師匠『藪医者』

『無筆の医者』でなく、按摩上がりの医者の前身を知る友達がからかいに来る件から入る。このからかい方は『かつぎ屋』の友達的でもっと馬鹿馬鹿しいのが魅力。

★小満ん師匠『今戸焼』

終盤登場する、芝居帰りの町内のかみさんたちが井戸端会議的に発する好き勝手な口の利き方に、近年でいえば、「おばさんの団体」の凄さを感じさせるのが何とも可笑しい。これに対するに、帰宅してからズーッと続く亭主のボヤキの方は妙に共感出来ちゃって可笑しい。この男女の好対照が実に面白い。こんなに面白い噺だったっけ?

★小満ん師匠『宿屋の仇討』

シンプルな演出で捨衣などは出てこない。侍の設定が近州藩士萬事世話九郎で、嘘をついた名前が川越藩士小柳彦九郎だから、稲荷町型に雰囲気としては近いかな。宴会や相撲の場面に関しては軽めの騒ぎで、余り江戸っ子ぶりを強調せず、寧ろ、侍を怖がる小心ぶりに江戸っ子本来の素がある。展開としては色事話になってからが中心。「俺が襟をかきあわせている所へ」と、源兵衛の話に奥方の寝乱れ姿が仕科入りで加味される辺りの色気は小満ん師独特。大五郎を斬る辺りはかなりシリアスに運ぶ(この件は一寸人情噺っぽい)。最後、三人組が廊下の柱に縛り付けられているってのは、小三治師の「一人は宙吊りになってる」に近い。また、侍が直ぐに「あれは嘘だ」と白状するのも、つまりは「おぬしか、鶏を捉えて尻から生き血を吸う」と伊八に語る冒頭から、女敵討が実は洒落人・萬事世話九郎の調伏だって事へ繋がるのである。

◆4月6日 新宿末廣亭昼席

朝馬(正雀代演)『蜘蛛駕籠』/南喬(小満ん代演)『初天神・告げ口~団子』/仙三郎/雲助『妾馬』

★雲助師匠『妾馬』

冒頭からやや調子が高く始まり、それでいて終始、細部にも目配りの行き届いた高座。主任十日あれば一度は雲助師が演じる程で、いわば手慣れた演目といえるけれど、今日はその雲助師の『妾馬』としても、レベルの高い高座だったと言えただろう。大家との遣り取りから八五郎のトッポイくらいのキャラクターがふんだんに表現され、八五郎を取り巻く三大夫さんも殿様も終始、明るく品が良くて、噺を泣きに堕さない、志ん生師・先代馬生師の作った面白い『妾馬』を見事に継承した「愉しく落語らしい」佳品である。勿論、品が良いからといって「中棒」や「珍古」を外すようなトンチキはなし。それもちゃんと入ってる辺りが雲助師の良さであり、古今亭・金原亭の面目である。

◆4月6日 池袋演芸場夜席

仙三郎(紋之助代演)/源平『権助魚』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/笑組「走れメロス」(ロケット団代演)/喜多八(市馬代演)『だくだく』//~仲入り~//さん福『短命』/菊之丞『天狗裁き』/正楽/小里ん『子別れ』

★小里ん師匠『子別れ』

「この噺を演る時は通しで演りたい」という言葉通りの「通し口演」。昔の池袋演芸場で聞いて以来の主任通しである。『強飯の女郎買い』は短めであるが、十八番の廓噺で軽く愉しい。妓夫がまた如何にも妓夫らしいのが利いている。『子別れ』は目白の師匠に則った演出。「隠亡がさ」の呟きは目白の絶妙にはまだ届かず。かみさんのお徳が硬めなのは女郎・お勝との対比で感じるのかな。亀はこの場では出さない。『子は鎹』が一番手が入っている。亀が熊さんとの会話では額の傷の件でも全く泣かず、ニコニコしてるのが印象的。熊さんが亀を迎えて笑う顔が良い。お徳が怒り出す様子に、最初は一寸ふてくされかけてからやがて不安になり、玄能を出されて泣きだすという亀の変化に、短い尺の中での無理がない。鰻屋には番頭さんが付いてきて、仲人的に話をすすめる。お徳は硬さが取れて、熊さんは番頭さん任せで矢鱈と頭を下げたりしないのは職人気質の無口を感じる。サゲは「ここは鰻屋、また割かれるといけない」という小里ん師考案のもの。45分弱の早さで、以前より少し短い(家元の通し音源とほぼ同じ尺かな)。全体に柳家らしい軽さがある。もう10分くらいあって『強飯』と『子別れ』をタップリ目に聞きたいというわ聞き手側の欲を感じる。

★喜多八師匠『だくだく』

 泥棒の登場から後が馬鹿に可笑しい。泥棒の唖然とした表情や手付きが自然で面白いのだ。

★菊之丞師匠『天狗裁き』

 こんなにさん喬師色が濃かったかな?但し、さん喬師より口調がキツいので、長屋の喧嘩にしては雰囲気が妙にシリアス。大家が偉く年より臭い。芝居掛かりでセリフを言ったりする大家も初めて聞いた。

★笑組先生『走れメロス』

 文芸ネタシリーズの一つ。このシリーズの方がそれまでの演目より、ボケと突っ込みの立場が明確になり、また「体を使う」という漫才らしい特色も発揮出来ていると私は思う。内容的にも、取り敢えず、戦後の義務教育ほを受けていれば知っていて当たり前の作品で、しかもそんなに詳細までは知らない作品を題材にしているのは強みだろう。米朝師の噺みたいなもので「笑いに一寸、知的情報の要素を加えながらボケる」のは面白い。

◆4月7日 新宿末廣亭昼席

きく姫(交互出演)『漫談』/にゃん子金魚/白鳥『牛丼晴舞台』/小はん(小満ん代演)『煮賣屋』/仙三郎社中/雲助『抜け雀』

★雲助師匠『抜け雀』

昨年の古金亭での口演は袖から覗いただけなので、初めて雲助師の『抜け雀』を前から聞けた。基本的な人物像は先代馬生師風だが、亭主が馬生師ほど変な奴ではなく、妙に愛嬌のあるのは寧ろ志ん生師っぽくて面白い。かみさんは馬生師ほどダルに可笑しいのではなく、口喧しく可笑しい。絵師親子が横柄なのは志ん生師⇒先代馬生師⇒と伝わった面白さで、そこに独自のマンが的なギャグが入る。段の抜けた階段の駈け上がり、「台所に火を点けられるといけない」「お顔がじゃなくて言うことが」「骨を抜いて干乾しにして烏の餌にしろ」「今いる客なんか放り出せ!」など、講釈種の硬さをおやかして落語にする古今亭・金原亭の本道。雀の上から籠を描くのは小満ん師同様だが、先代馬生師はどうだったかな?老絵師が他に誰もいない部屋で籠を描くのは納得。マクラで「駕籠掻き、雲助と嫌がられたもので」を言わないのは仕方ない(笑)。一朝師のスタンダードに配するに小満ん師の洒脱、雲助師の本道と三幅対なり。

◆4月7日 池袋演芸場夜席

仙三郎社中(紋之助代演)/源平『松山鏡』/三寿『千早振る』/ロケット団/市馬『蟇の油』//~仲入り~//文雀(菊之丞昼夜替り)『萬病圓』/花緑『蜘蛛駕籠』/正楽/小里ん『木乃伊取り』

★小里ん師匠『木乃伊取り』

番頭と頭の件を簡潔に済ませたのは良いけれど、雰囲気が出来上がらないうちに清蔵が角海老の座敷で番頭や頭相手に喧嘩腰になり過ぎた。清蔵が若旦那相手に話す口調がベースだから喧嘩腰になると廓噺の洒脱さから逸れてしまう。25人と小人数の客席が引いてしまったらしく、客席の硬さが元に戻らなかった。角海老の表で妓夫が出てくる具合など、ピタリと鮮やかに描かれているだけに、圓生師の嫌らしさはない半面、妙にマジになり過ぎた前半の清蔵が惜しまれる。廓噺の中でも昔から演じている演目の割に出来がイマイチ定まらない印象がある。

※清蔵ってのはつまり、源平師匠みたいな感じなんじゃないかなァ。

★源平師匠『松山鏡』

およそ受けようなんて欲っ気のない高座で、庄助もかみさんも尼さんも至って真面目な所が如何にも田舎の噺で面白い。『猫と金魚』とは全く噺のタイプは違うけれど、どちらもニンにある噺の強さだなァ。

※源平師の『猫と金魚』は圓蔵師型だけど雰囲気は初代権太楼師に近い。

★三寿師匠『千早振る』

『浮世床』同様、習った通りにキッチリ演じ続けてきた強みというか、無駄が無くて、八五郎と先生がその了見で会話してるから、噺の面白さがストレートに出る。目白の師匠の教え通り、「これ、さっきの噺ですか?」や「良~く調べたら千早の本名だった」でちゃんと客席が受けてたのが証拠。「落語って良く出来てるなァ」「落語は年期だ」と感じさせられた高座。おそらくは扇橋師か扇橋師から教わった人経由の噺で、ちゃんと扇橋師の『千早振る』の味わいが残ってるのも嬉しい。

★花緑師匠『蜘蛛駕籠』

 酔っ払い抜き。駕籠屋二人が労働者の声が出ないのは痛い。客二人の乗り込んだ駕籠を担ぐのに、後棒が棒を全く突かずに、轅(担ぎ棒)にぶら下がって、そのまんま歩いたり走ったりする、という仕科は初めてみたが、これには驚いた。あれじゃ先棒はバランスが取れなくて大変だろう。一体、誰に教わったんだろう?

◆4月8日 新宿末廣亭昼席

きく麿(交互出演)『九州弁のお使い』(正式題名不詳)/遊平かほり(にゃん子金魚代演)/正雀『御印文~開帳の雪隠』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『禁酒番屋』

★雲助師匠『禁酒番屋』

目白型。酒のマクラを振りまくったから本題はコンパクト。昼席らしく明朗で分かりやすい高座だけれど、侍の酒好きらしい表情、各種徳利の扱い、酒屋の使いにくいたちのキャラクターの違いなど細部は丁寧で、だからこそ、一層分かりやすい。

◆4月8日 第47回人形町らくだ亭(日本橋劇場)

半輔『間抜け泥』/談修『身投げ屋』/小柳枝師匠『蒟蒻問答』//~仲入り~//小満ん『鶴満寺』/志ん輔『お若伊之助』

★志ん輔師匠『お若伊之助』

重くならず、トントン進めて面白かった。志ん輔師自身は「嫌いな噺」なのだそうだけれど、頭が右往左往する可笑しさが繰返しのかったるさにならず、伊之助に対する頭の情にもズレはない。伊之助がまた見事に嫌な所の無い男である。長尾一角が一寸町人っぽいかな。狸の伊之助の出現を逢魔が時でなく、夜中にしたのは一角の目に触れさせないためか。

★小満ん師匠『鶴満寺』

絶妙無類。マクラで与謝野晶子の歌が出てこなくなり、そこで一寸開き直った感じになったのが本題の噺を一層軽妙酒脱なものにした感がある。一八たち一行はあくまでも脇でシテは権助。その権助が金に弱く酒に弱い人間的な面白さは他に類を見ないだろう。桜の根元に酔い潰れて眠る様子は西行でもあり、『関の扉』の大伴黒主をも思わせる(四代目小さん師が『小町桜』と題していた酒脱さが初めて分かった)。ならばこそ、最後にお住持が苦笑しながら権助に話しかけるのだ。その、お住持が「それは百人一首だ」と話し掛けた良さはまた、目白の師匠の『猫の災難』をも彷彿とさせてくれた。

★小柳枝師匠『蒟蒻問答』

 20分あるか無いかくらいの尺なのに、分かりにくい点を省いた面白さで、六兵衛は六兵衛であり、択善は択善であり、八五郎、寺男も過不足なく描かれて十分に愉しい。「寺男を権助扱いして」がまた活きている。小柳枝師の巧さ、面白さと共に同時にこの短い尺の『蒟蒻問答』を作った先々代柳橋師匠の偉さに改めて感心した。「この尺でなきゃ寄席本意の時代には売れない」のである。

 ※安藤鶴夫氏が書いているように、第二次落語研究会で黒門町が『富休』を繰り返した末に演じた『富久』が「25分くらいの短い尺だった」というのは、つまり「寄席の『富久』」だったんじゃないだろうか。黒門町の「お客様が我慢出来るのは24~5分までですよ」や目白の師匠の「落語といえるのは30分までだな」と同意ではあるまいか?その要素は芸術協会には連綿と活きているけれど、黒門町や目白の師匠から、私の知る落語協会の師匠方だと僅かに扇橋師に継承されていたのかもしれない。扇橋師が『富久』や『心眼』を極く短く寄席の主任で演じていたのはそういう事の継承だったのかも。逆の例で挙げては何だが、若い頃の圓生師が売れなかった理由の一つは「短くて面白い筋物」が作れなかった事も一因なのかもしれない。無闇矢鱈と時間の掛かる噺ばかり若いうちから持っていた圓生師が50代まで売れなかったのも仕方ないのだ。第四次・第五次の落語研究会や東横落語会をはじめとするホール落語全盛期に間に合ったのは圓生師の運だろう。圓生師はどんな演目でも平均点を取る人だったけれど、「噺を細部まで全て丁寧に演じた」からといって、「必ず面白くなるものとは限らない」のが落語である。聞き手として、どうしても私が「落語研究家」になれないのは、「細部まで丁寧に演じた噺」よりも「その演者らしさが出ている噺」の方が面白いと感じるせいかもしれない。

◆4月9日 新宿末廣亭昼席

木久扇『明るい選挙』(交互出演)//~仲間入り//~きく麿(交互出演)『師弟教室』(正式題名不詳)/紫文/正雀『大師の杵』/小満ん『あちたりこちたり』/仙三郎社中/雲助『宿屋の富』

★雲助師匠『宿屋の富』

二番富の男の件はやや派手目乍ら、宿亭主と客の序盤の遣り取りは目白系のような感じで、ジンワリと面白い。宿屋亭主の「何でも受け入れる性質」が展開の源。その代わり、客が富に当たったと周章てる辺り、懐を探す仕科は派手に大きく可笑しい。

★きく麿師匠『師弟教室』

 『浪曲社長』の学校版みたいな展開。歌や芝居でないと言葉を発せない小学生の設定は可笑しく歌も悪くない。歌舞伎調の親父と宝塚男役調の母親がちゃんと歌舞伎や男役らしく聞こえないのは残念。発想は馬鹿馬鹿しくとも、演じる元がデタラメでは通じない。

◆4月9日 池袋演芸場夜席

さん福『提燈屋』/ロケット団/源平『愛宕山(下)』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/紋之助/市馬『のめる』//~仲入り~//菊之丞『紙入れ』/花緑『野晒し(上)』/正楽/小里ん『山崎屋』

★小里ん師匠『山崎屋』

30分強の短い尺乍ら、嫌なとこがなくて軽快に面白い。頭が一番の出来だけれど(今夜は切手と目録の両方を取る演出)、子供に甘い親旦那が終始良いのも魅力。この親旦那はさほど強欲なケチには見えない。番頭の手堅さ、若旦那の暢気さと揃う。花魁に色気が出てきたのは嬉しい。

※言葉が順番通りに入っているためか、とちったり、言い澱みがあると取り返しに手間の掛かるのは目白直系らしい課題かな。

★源平師匠『愛宕山(下)』

 試みの坂までカット。旦那が的に投げ入れるというよりは、小判を谷にばらまきに来た演出(簡略して詰めたとも言えるが)、という『煙草の火』的な設定は一興。この方がより金持ちらしい豪快な遊びになる。「貴方は狼を信じますか?なんて言ってるとガブッと来る」には笑った。最初、七枚拾って、以後ちゃんと二十枚拾って「三枚足りない」など細部も意外といっては失礼だが、実に丁寧。

★市馬師匠『のめる』

一本歯の下駄から丁寧に演じて隠居相手、友達同士の会話にも何の間断もなく、終始人物が出て面白かった。佳作佳作。

★花緑師匠『野晒し(上)』

 馬の皮の説明などなく(後半演じる時間はない出番だから当然だけれど)、ひたすら八五郎のパァパァした能天気さと釣人たちの被る迷惑が面白く、花緑師の『野晒し』でこんなに面白かったのは初めて。『二階素見』もそうだが、「入り込む人」が似合う。土手の上から釣人に叫ぶ声が小さいのは惜しい。

◆4月10日 新宿末廣亭昼席

川柳『ガーコン』(交互出演)//~仲間入り//~きく麿(交互出演)『ダイエット部』(正式題名不詳)/紫文/正雀『豊竹屋』/小満ん『悋気の火の玉』/仙三郎社中/雲助『お見立て』

★雲助師匠『お見立て』

楽日に相応しく、派手というよりは、声を深く、細部まで丁寧に演じられた『お見立て』。その中で喜瀬川の「行っといで」の軽くて薄情な所がたまんなく良い。杢兵衛大尽の馬鹿惚れしてる可愛さ、喜助の困り方とキャラクターはキッチリ演じられ、寺に入ってからも線香や花の扱いの可笑しいこと。客席の爆笑がサゲに向かって大きくなったのも当然だろう。

★小満ん師匠『悋気の火の玉』

内儀さんの「フン」が可愛い感じでなく、サゲまで怒ってるリアルさを感じさせるのだが、他の演者にありがちな、受けようとする「フンッ」のような面はなく、あくまでも悋気の表情と声音だった。そこまでの運びも見事で、和尚に頼む辺りや二人で碁を始める件はダレ場になりがちなのに全く弛まず、端然としながら酒脱に面白かった。

◆4月10日 池袋演芸場夜席

麟太郎『転失気』さん福『短命』/笑組(ロケット団代演)「走れメロス」/源平『蟇の油』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/紋之助/市馬『芋俵』//~仲入り~//菊之丞『鍋草履』

/花緑『粗忽長屋』/正楽/小里ん『笠碁』

★小里ん師匠『笠碁』

喧嘩の件で「待った」をした側の旦那がいつもより調子が強いので「珍しいな」と思ったが、それだけに美濃屋との性格の違いは明確になる。同時に、美濃屋が来ない寂しさに「人恋しくてダルになってる」面の落ち込み具合もより明確になるのは面白い(花緑師の『粗忽長屋』からの連想かな)。その他、無言で表情を活かす場面が増えた。

★花緑師匠『粗忽長屋』

マメでそそっかしい奴の方が非常に面白い。家元の『主観長屋』を目白的に発展させた感じがした新鮮さがある。暢気でそそっかしい方がそれに比べると一寸釣り合いが悪い。

★市馬師匠『芋俵』

こういう風に丁寧に演じると与太郎以上に泥棒二人が大馬鹿者だと分かって面白い。与太郎が俵の中でくしゃみをする件がこれだけ可笑しいのも他に類を見ない。

---------------------以上、上席-------------


◆4月11日 池袋演芸場昼席

歌春『鍋草履』//~仲間入り~//陽昇(交互出演)/圓馬『垂乳根』/寿輔『自殺狂』/喜楽喜乃/圓『殿様団子』


◆4月11日 ザ・きょんスズ~第一日(下北沢ザ・スズナリ)

喬太郎・小辰「一番太鼓腹~出囃子腹」/小辰『鈴ヶ森』喬太郎『按摩の炬燵』/正蔵『松山鏡』//~仲入り~//喬太郎『すみれ荘二〇一号』

★喬太郎師匠『按摩の炬燵』

米市が呑んで酔って行く過程は過去に聞いた中で最高の長さかも。噺の世界と現実の世界を時々行き来しながら,米市と番頭の友情、米市の喜怒哀楽が描かれる。さん喬師とは全く違う「現代人の情」の魅力が前面に出ていた高座。奥への遠慮が序盤の米市にはちゃんと示されるが、それも次第に消えて陽気で気を許した番頭さん相手の酒に、世間話になる所、米市の嬉しさが伝わる。番頭の「寒いな」良さは古今独歩だろうなァ。

★喬太郎師匠『すみれ荘二〇一号』

『東京ホテトル音頭』『大江戸ホテトル小唄』『東京イメクラ音頭』を唄いながら、好き勝手に語られるセリフに落語への愛情が溢れる。「三平、正蔵だからって嫌うのもう止めようよ」「気ィ使ってるの?」、「(嫁さんが」国分佐智子ってのは羨ましい」、「(嫁さんが)藤井彩子ってのは羨ましい」も可笑しいけど、「落語が好きな」「寄席育ち」の噺。「戯画、自虐化された可笑しさの中に共感しちゃう所がある」というのは柳家本道の平面感覚でもある。そして、『マイノリ』まで全くぶれない喬太郎落語の世界がある。

★正蔵師匠『松山鏡』

ギャグを一つ入れた分、少し抜けた所はあったが、面白くしようとしないで面白いのは小三治師が絶讚した時と変わらない。『孝行糖』や『味噌豆』にも言えるが根が落語である。『すみれ荘二〇一号』の中のセリフ、「形から入る!三遊亭?」(立川流もだけど)の真逆にある「天性で演じている落語」。

◆4月12日 池袋演芸場昼席

伸之介(紅代演)『真田小僧』/歌春『加賀の千代』//~仲間入り~//ナイツ(交互出演)/圓馬『干物箱』/寿輔『龍宮』/喜楽喜乃/圓『神奈川宿』

★圓馬師匠『干物箱』

風呂屋行きと巻頭巻軸の歌カット。善公が二階へ上ってからの「独り気違い」ぶりがテンポ良く面白かった。こういう速い喋りも出来るんだね。

★歌春師匠『加賀の千代』

 甚兵衛さんが扇橋師的なボンヤリした人ではなく、『鮑熨斗』に近い、チャカチャカしたとこもあるのが面白い。

★圓師匠『神奈川宿』

二度目。若い衆のお見立てから朝這いへ、噺の繋がりが二段になっているのが演じ手の減った原因かな。

◆4月12日 雲助落語街道五十三次~発端~(日本橋劇場)

市助『垂乳根(上)』/雲助『三人旅・発端』/雲助『百川』//~仲入り~//雲助『明烏』

★雲助師匠『百川』

先に河岸の若い衆が四神劒を請け出す思案を「百川」の座敷でしている演出。生涯三度目の口演とのこと。そのせいか、各キャラクターはハッキリしているが、全体に人情噺的な語り口で稍重く、洒落っ気に乏しい。あと、百兵衛が馬鹿に年寄りに聞こえた。

★雲助師匠『三人旅・発端』

珍しい演目。無尽に当たった話から大門を締め切るとか油揚を五重塔の天辺からばら蒔くなどあって、所帯を二日で畳んだ熊も交えて旅に出る。これは江戸っ子三人の気軽さ・暢気さで実に愉しく、無尽に当たったと聞いて怒り出す親父の話がまた可笑しい。四代目小さん師の速記にかなり似ている。

★雲助師匠『明烏』

こちらは快調。親旦那の洒落っ気、源兵衛・太助の間抜けな小悪党ぶり、若旦那の硬マジな可笑しさと揃って愉しい。座敷で呑んでいる二人を時次郎が恨めしそうに見る表情・形と源兵衛が時次郎を起こす姿が先代馬生師匠にソックリだったのは非常に印象的かつ効果的。あと、後朝の場面で浦里があんなに可愛かったのは雲助師では初めて。いつもは「浦里もちゃんと女郎だなあ」と感心するのだけれど、今夜の浦里の可愛さには別の一興あり。

◆4月13日 ザ・きょんスズ第三日昼(ザ・スズナリ)

喬太郎・天どん「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/天どん『老後が心配』/喬太郎『そば清(鳴物入り)』/圓丈『前座サイボーグ』//~仲入り~//喬太郎『宮戸川』

★喬太郎師匠『そば清』

そばを手繰る件に鳴物を入れたので、「仕科を見せる場面」というよりは、落語らしいスラップスティックな可笑しさが先立つようになったのは面白い工夫。ラストでは「ウルトラQ」のテーマをえり師匠に入れて貰う。この終盤は演出はグロテスクに面白いけれど、怪奇ドラマなのか怪奇落語なのかが曖昧。

★喬太郎師匠『宮戸川』

亀たちがお花を背負って雷門から消える最初の情景をカット。正覚坊の亀が現れてからがズーッと近代演劇になるのが雲助師の世話物と比べて重苦しい。こんなに芝居にしなきゃいけない噺なのかな。亀が重ねてお花を慰む辺りから「あんな女は終り初物」の、流れ船頭らしいリアルな肉欲(それの伴う鬱な感じ)は共感出来るのだが。

◆4月13日 ザ・きょんスズ第三日夜(ザ・スズナリ)

喬太郎・風車「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/風車『もぐら泥』/喬太郎『唄入り井戸の茶碗』/昇太『唄入り力士の春』//~仲入り~//喬太郎『ハワイの雪』

★喬太郎師匠『唄入り井戸の茶碗』

落語研究会の五百回祈念落語会以来の演目。馬っ鹿馬鹿しさとマジが入り乱れる可笑しさ。「面白かった」という後に余韻を残さない演出はコメディ映画と似ている。

★喬太郎師匠『ハワイの雪』

一寸カットがあったかな。聞く度にもう少し、「涙」の部分を「情」に変えられないかなァと感じる。

★昇太師匠『唄入り力士の春』

鷹の爪君と両親のキャラクターの馬鹿馬鹿しさが今日はメル・ブルックス作品っぽい感じがした。

◆4月14日 ザ・きょんスズ第四日・楽日(ザ・スズナリ)

喬太郎「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/喬太郎『鸚鵡の徳利~噺家物真似入り~』/千葉雅子『垂乳根』/はだか//~仲入り~//喬太郎『マイノリ』

★喬太郎師匠『鸚鵡の徳利~噺家物真似入り~』

雲助師匠・さん喬師匠・圓丈師匠・馬風師匠の物真似入り。御本人の高座以上に馬風師匠の御辞儀が目白の師匠に似てるのが分かる。

★喬太郎師匠『マイノリ』(千葉雅子作)

 二年ぶりに聞く演目。初演から時間経過して、部分的に変わった件もあるみたい。確か、30年間に渡る話じゃなかったかな。今回は25年間の話になっているし、初演の頃は「西武秩父」じゃなかったと記憶しているのだが、違ったかな。喬太郎師匠の演目では兎に角、私の一番好きな噺なので、ひたすら噺の世界に浸ってしまう。主人公二人に全く違和感がなく、等身大の世代感覚の魅力がある。演劇的なんだけれど語りの芸になっている。セリフを全く言わない「マスター」の存在が大きいのを感じる。観客という第三者に騙りかける、という意味で落語なのである。『ラブ・レターズ』的な悲劇でない終わり方にした千葉さんの台本にも再度感服。

 ※千葉雅子さんの『垂乳根』を聞いてると、御稽古をつけた喬太郎師は勿論だけれど、喬太郎師に御稽古をつけたという小里ん師の雰囲気までヒョイと顔を覗かせるのに驚く。「伝承」って凄いね。八百屋を相手にしてる件などが特に小里ん師の感じである。八五郎の妄想の中で語られる嫁さんが年増っぽいのも一興。

◆4月14日 伊藤園Presents東横落語会第一回(ヒカリエ)

志ん吉『熊の皮』/談春『粗忽の使者』/三三『不孝者』//~仲入り~//市馬『花見の仇討』

★市馬師匠『花見の仇討』

 市馬師では随分久しぶりに聞いた演目だと思うけれど、違ったかな。「一服したいから金さん、煙草の火を貸しとくれ」には笑った。熊さんが煙草の喫い過ぎで紫色の顔をしてるのも大笑い(先代圓楽師みたいである)。「いつもは飛鳥山だけど、趣向と分かっちまうから上野へ」や野次馬の一人が木に登るなど、余り聞かない工夫もあって面白さが増している。職人の調子に市馬師には珍しく目白の師匠の調子があったのは嬉しい。敵討になってから職人三人の狼狽が乏しいのは惜しい。

★談春師匠『粗忽の使者』

 かなり手を入れた演出に変わった。治部右衛門のキャラクターは面白くなった。舎人別当の件で、何となく赤井御門守の家中が暢気そうに見えるのが一番良い。「誰にも馴染まない殿様の愛犬が治部右衛門にだけなついて、転がって腹を出してる」ってェのは実に面白いし、治部右衛門のキャラクターが分かる酔いセリフ。侍言葉や職人言葉がらしくないのは兎も角。

★三三師匠『不孝者』

細部を変えた十八番を出してきた印象。丁寧に番頭との遣り取りから。金彌の話に旦那がすねて少し怒りかけるのは蛇足に思う。旦那との遣り取りの金彌は色気を抑え過ぎてかパサパサするし、その為、膝を抓る件がより却って恣意的に見える。また、若旦那が懐中時計を見たけれど、明治以降の噺だったかな。

※談春師がマクラで語っていたように「競い合うくらいに気概」に溢れた顔が組めるか?が会全体の最大の課題。寄席や三田落語会でさん喬師・雲助師・一朝師・権太楼師がかつての東横落語会のように腕を競うのを今は見られる訳だから。

◆4月15日 池袋演芸場夜席

伸治(文治代演)『お見立』//~仲入り~//ひでややすこ/蝠丸『嫌い嫌いど坊主』/小柳枝『星野屋』/ボンボンブラザース/小文治『七度狐』

※仲入りで付けた携帯を切り忘れ、『七度狐』の後半で電話を鳴らしてしまった。大失態。大恐縮。お恥ずかしい。本当に申し訳ございませんでしたm(__)m

★伸治師匠『お見立』

「笠子地蔵でねえか?!」というクスグリは初めて聞いた。

★小柳枝師匠『星野屋』

七十歳を越してから始めた演目らしい。先々代柳橋先生を一寸軽くした感じで、お花に適度な色気と哀れがあり、重吉や旦那も結構なもの。怪談もちゃんとお花のリアクションで怖く聞こえる。最近、これだけの『星野屋』はそう無いと思う。

★蝠丸師匠『嫌い嫌いど坊主』

圓師匠からかなァ。本題は小噺だけど「キシキシ」という釣瓶の音が「スキスキ」と聞こえる件とか、中に挟む「ふくよかな女性が好みで」なんて辺りが妙に可笑しい。

★小文治師匠『七度狐』

川渡りと庵寺と大根抜き。形が綺麗で巧いけど、スラップスティックな可笑しさがもっと前に出た方が良いのでは?巧さを見せようとすると旅噺の長閑さが消えてしまう。

※『新聞記事』でなく『阿弥陀池』などが小文治師には似合うのではあるまいか。しかし、小文治師、南なん師、蝠丸師、笑遊師など「噺家になるために生まれて来たようなキャラクターの師匠」が芸術協会には多いなァ。

◆4月16日 池袋演芸場昼席

柳之助『二十四孝』/紫『井伊直人出世物語』踊り:かっぽれ/歌春『看板のピン』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『風呂敷』/遊三『青菜』/今丸/茶楽『寝床』

★遊三師匠『青菜』

遊三師の『青菜』はこの夏、お初かな。途中かみさん相手のセリフが一寸混乱したが、後は安定した面白さ。その手堅さの中で遊三師の旦那が現在では一番仰揚で立派に聞こえるのが分かる。

★茶楽師匠『寝床』

こちらの旦那は如何にも商人らしい柔らかな人。先の番頭は旦那の義太夫のお初を聞いて蔵騒動の惨劇に遭った、というセリフは初めてかな。「あたしの声が伊達大夫に似ているって?」やサゲ前の演出の面白さは不変。

★歌春師匠『看板のピン』

いつもよりユックリ目で親分の感じと若い奴らの雰囲気のギャップがより明確になり面白かった。

◆4月16日 小三治一門会(大井町きゅりあん)

ろべえ『鈴ヶ森』/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』//~仲入り~//小雪/小三治『出演者の半生~お化け長屋(上)』

★小三治師匠出演者の半生~『お化け長屋(上)』

小雪師・ろべえさん・はん治師の結婚話などを長~く振って本題へ。小雪師とはん治師の結婚話には大笑い。自分の話をしないのは狡い(笑)。志ん好師と会をした事があるとは知らなかった。圓菊師との末廣亭での余一会は聞いてる。山田洋次氏作の『雉子』は初演の後、もう一度『にっかん飛切り』で聞いたのかな?。本題は最初の杢兵衛との遣り取りで店子仲間の語る長屋風景が面白い。杢兵衛は昔より寧ろ若い感じ(つまり、御本人が元気そう)。杢兵衛と店借りに来た二人の遣り取りはキッチリ作られた可笑しさだけれど、昔よりは適当にいい加減で、あやふやなのが却って愉しい。特に最初の男との件がそう。杢兵衛と店子仲間の件は普通の世間話として長閑に面白い。この口調で今こそ『三人旅』か『長者番付』を聞きたいなァ。

★はん治師匠『背中で老いてる唐獅子牡丹』

フルヴァージョンかな。虎の置物、かみさんが手帳を見る件、「緋牡丹お志麻」、殴り込みに雪が降ってくるなど、初めて聞いた件が色々あり。かみさんが手帳を見る件で姿が浮かぶのに感心。「巧い人だなァ」というのを改めて感じた。

◆4月17日 池袋演芸場昼席

マジックジェミー/昇之進『大安売』/柳之助『ひと目上り』/紫『寛永宮本武蔵・熱湯風呂』踊り:奴さん・姐さん/歌春『ちりとてちん』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『元帳』/遊三『蛙茶番』/今丸/茶楽『品川心中(上)』

★遊三師匠『蛙茶番』

前半は刈込み気味で芝居部分を鳴り物入りでタップリと。「起きよ徳兵衛、大日丸」「はて心得ぬ。山城の国、井手の玉川冬枯れて」から芝居セリフの大きく立派なこと(ちゃんと幽霊と立役になってる)、「南無はったるやはらいそはらいそ」の印を結んで九字の真言を語る間の動きの的確で大きな事には大感心。サゲ(最近のサゲより短く無駄がない)でドッと受けたのも芝居の迫力との落差が大きく可笑しいからだろう。圓生師譲りか先代圓馬師譲りか知らねども、どちらの師匠も芝居掛かりはキッパリしてたから、直接ちゃんと教わっている世代の師匠は強いね。

★茶楽師匠『品川心中(上)』

今日はお染の感情が細やかに出た佳作。といって間を取る野暮はなく、時事的なギャグ(昨日の監禁事件など)も巧みに配して人情噺がからぬ辺りが巧いなァ。金蔵に死ぬ覚悟を告げるセリフ、食べ酔った金蔵を見下ろして「こんな奴と死ななきゃならないなんて」、妓夫に抱き止められての「死ななきゃならないんだ」の佳さは忘れ難い(茶楽師の妓夫がまた軽いシニカルさがあって良い)。また、金蔵を見下ろした形に色気があって良いのに感心。代わって金蔵は岡掘れした大馬鹿者で心中の後、親分のとこへ「金蔵です」と現れた場面の可笑しいこと。親分一家のてんわわんやも変わらぬ面白さ。やはり現代を代表する『品川心中』。

◆4月17日 第9回「春・Wホワイト」(北沢タウンホール)

白鳥・白酒「御挨拶」/白鳥『ナースコール』白酒/『山崎屋』//~仲入り~//白酒『草』/白鳥『黄昏のライバル』

★白鳥師匠『ナースコール』

声が草臥れてた。この噺、どうもサゲ近くでテンションが下がるのが気になる。吉田さんにサゲを言わせない方が良いのではあるまいか?緑ちゃん自身が言うとか(十三年前に入院した時の新人ナースに緑ちゃんそのまんまみたいな子がいたので私は結構リアルに聞けちゃう噺なのだ)。

★白鳥師匠『黄昏のライバル』

噺も面白かったのだけれど「“雲助の弟子で古典ひと筋です”なんて言いやがって、くのいちの噺演ってる方が『山崎屋』より活き活きしてんじゃねえか!」の洞察力にこそ白鳥師の凄さがある。

★白酒師匠『山崎屋』

雲助師の『山崎屋』を聞くと、手を入れて面白く工夫してるけれど、噺と一体化してないのが分かる。小満ん師の『山崎屋』を聞くと「落語を洒落た面白いものとして自分と一体化する」のには更に時間の掛かるのが分かる。

★白酒師匠『草』

先月下席の池袋演芸場の新作興行でネタ卸しした噺だと思う。ナンセンスな展開なのに話術が的確でキャラクターが立ち、当人が楽しんで演ってるから面白い。但し、誰が演じても面白い噺ではない。基本的な「語る技術」「落語の理解力」の必要性が嫌ってほど分かる(白鳥師のような他人の芸が分かった上で、自分の噺を批評的に表現しない“天才”は別よ)。

◆4月18日 池袋演芸場昼席

昇之進『善光寺由来』/柳之助『荒茶の湯』/鯉朝(紫昼夜代わり)『夜のてんやもの』/歌春『たが屋』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『宿屋の富』/遊三『お見立』/今丸/茶楽『線香の立切れ』

★遊三師匠『お見立』

少し行きつ戻りつはあったが、今日はキャラクターの感情表現の良い高座。杢兵衛大尽が墓の前で、こんなに自然に泣く『お見立』ってのは誰からも聞いた記憶が無い。

★茶楽師匠『線香の立切れ』

何時もより、ややユックリ目のテンポで間を取った分、逆に言い澱みや言葉支えがあったのは不思議。女将の登場からが本調子であるが、三味線の音はやはり立切れたい。

★楽輔師匠『宿屋の富』

名作落語大会の始まりで、トントン運んで軽いマンガになっていて愉しく、主任で聞いたときより面白かった。

◆4月18日 第四夜さん喬十八番集成(日本橋劇場)

さん若『代脈』/さん喬『転宅』さん喬/『百川』//~仲入り~//さん喬『おせつ徳三郎』

★さん喬師匠『転宅』

さん喬師からは初めて聞いた演目かなァ。全体に、気合いの入った「落とし噺」の時に顕著な高っ調子である。泥棒が本当に気の毒になるくらい、お菊が達者な手取りで、見事なまでにぶりっこなのに(だから余計に泥棒が可愛くみえる)、「泊まってく」と泥棒に言われて周章てふためく様子の可笑しさ、リアルさが凄い。小満ん師匠、雲助師匠と並んで、小里ん師の言われた「人情噺の上手い人は落語も面白い」というお手本みたいなもの。

★さん喬師匠『百川』

初五郎が最初に仲間と交わす口調が目白の師匠と似ているのに驚く。ちゃんと職人系の表現になっているのだ。『転宅』から引き継いだ高っ調子がこの噺でも活きている(いつもの『百川』より完全に調子が高い)。江戸の芸の本筋は團十郎系の高っ調子の世界だってのが分かる。初五郎が帰ってきた百兵衛を褒める顔で迎えるのは真に良い。二ツ目か若手真打時代からの売り物噺だけれど、小三治師と違って、実は河岸の若い連中に特色があるのだ。

★さん喬師匠『おせつ徳三郎』

50分。『刀屋』で「山賊に襲われたら」の件、「お茶漬けサラサラ」がないなど、少しカットされたかな。『花見小僧』も無駄な長さなどなく、また旦那が怒り狂ったりせず、柔らかく運んだ。そういえば徳三郎の着替えがなかった(あれは『百年目』に似ちゃうのと、おせつのはからいにせよ、花見の前から出来てる感じになる)。代りに二人連れ立つ姿が桜の花に包まれ、おせつにふりかかる花を徳三郎が肩や髪から払う件が入るのは艶麗。小僧の語る描写にしては綺麗過ぎるが一興。『刀屋』は刀屋主人のセリフが些か人情噺に傾くけれど、怒りっ放しでなく、途中から宥める感じに変わる。商人にしては稍堅めではあるが違和感はさのみ無い。徳三郎は恋に恋するような子供っぽさが残る前半と比べ、おせつと巡り合ってから常識人になり過ぎる感あり。刀の扱いの巧さ、怖さは流石。おせつは心中を自ら持ち掛ける辺り、美しきファムファタールっぼい。さん喬師のロマンティシズムが生んだ恋するお嬢様の怖さでもあろうか。サゲは「お嬢様が先程、お題目を唱えられましたから」で「お題目で助かった」より却って分かり難いように感じた。

◆4月19日 池袋演芸場昼席

昇之進『改名したい!』(正式題名不詳)/柳之助『寄合酒』/紫『奴の小万ん~生立ち』踊り・かっぽれ/歌春『お化け長屋(上)』//~仲入り~//陽昇(交互出演)/楽輔『錦の袈裟』/遊三『親子酒』/今丸/茶楽『三方一両損』

★茶楽師匠『三方一両損』

 珍しいといっても先代可楽師の十八番だから御弟子さんとしては当然の継承。二人の大家が、如何にも大家らしい品や世話人ぶりと喧嘩好きのバランスが取れた面白さ。吉五郎、金太郎も跳ね上がり過ぎない江戸っ子で好感が持てる。大岡様がまた捌けた人で、サゲの「たった一膳か?」は真に軽妙。こういう言い方の出来る下げなんだ!

★歌春師匠『お化け長屋(上)』

古狸の杢兵衛も結構、二人目の男に立ち向かうキャラクターになってるのが面白い。

◆4月19日 第4回文蔵コレクション四(落語カフェ)

文左衛門『山号寺号』/文左衛門『大仏餅』//~仲入り~//文左衛門『竹の水仙』

★文左衛門師匠『山号寺号』

山号寺号を新たに工夫してたりする分、テンポは落ちるが可笑しさはちゃんとある。

★文左衛門師匠『大仏餅』

 3年ふぶリに聞いた演目。稲荷町⇒文蔵師経由の直系。粗っぽいとこもあるけれど、金卯の子供が御膳を前に、狼狽えたように父親を仰ぎ見る表情は可哀想で涙が出た。稲荷町譲りの目立たさない巧さが受け継がれている。

★文左衛門師匠『竹の水仙』

『落語大百科』に書かれた『三井の大黒』に関する目白の小さん師の言葉、「三木助の甚五郎は粋過ぎるな」とはこういう事なんだろうな。甚五郎の職人気質溢れる悪戯小僧のようなキャラクターは『掛川宿』の甚五郎に通じる。また、大杉屋の養子亭主が呆れる程に良い奴なのが愉しい。

◆4月20日 第25回三田落語会昼席(仏教伝道会館ホール)

さん坊『金明竹』(骨皮抜き)/喜多八『鈴ヶ森』/扇辰『匙加減』//~仲間入り~//扇辰『野晒し』/喜多八『百川』

★喜多八師匠『百川』

百兵衛が慈姑の金団を喉に詰まらせるだけの脇役みたいな展開でいながら(目を白黒させる表情は正しくマンガとして絶妙)、終盤のリアクションの自然な可笑しさは柳家本道。八五郎以下、河岸の若い衆は「意気がり」の見本みたいで、そのテンションと対照的に構成された百兵衛の抑えた口調が独特の味わいになってきた。

★喜多八師匠『鈴ヶ森』

子分の可笑しさは当然乍ら、子分の言動に右往左往して困惑する親分のリアクションが絶妙に加味されて、益々面白くなった。先代圓遊師から志ん五師までの『鈴ヶ森』って、こんなに面白い噺だったっけ?

★扇辰師匠『匙加減』

大家の「底意地が悪く見えない智謀家ぶり」と、その智謀に嵌まる小悪党の可笑しさが濃く出ているので、面白さが派手になった。

★扇辰師匠『野晒し』

「撥が当たった」のサゲまで八五郎の「もてない男の狂態」が無茶苦茶に変な人で、それが発散しまくっているのが可笑しい。扇辰師は女を演じるのが照れ臭いのか、色気の出し方が時々極端になるが、今日は助平ったらしいのと矢鱈とブリッ子の両方に出た。それでいて時々は、山の小春やおなみのような綺麗さもちらつくから愉しい。

★さん坊さん『金明竹』

 マクラで話した実家の酪農家で飼っている牝牛の話で、その口調、喋り方、仕科が白酒師匠そっり.くりなのに驚いた。『金明竹』も白酒師から教わったのかな?マクラの調子が師匠以外の人に似ているってのは物凄く珍しい。

◆4月20日 第25回三田落語会夜席(仏教伝道会館ホール)

ゆう京『寄合酒』/三之助『南瓜屋』/さん喬『夢金』//~仲入り~//さん喬『禁酒番屋』/三之助『御神酒徳利』

※どうも書いた物に勘違いが多くて我乍ら恥ずかしい。プログラムに書いた文中、『按摩の炬燵』の按摩の名を「米市」て゜なく「富の市」と書いてしまった。それじゃ『言座頭訳』である。さん喬師匠、三田落語会さんには甚だ失礼な事で申し訳なく、御迷惑をお掛けしてしまった。

★さん喬師匠『夢金』

久し振りに聞いた演目。前半、言葉違えが割と多い。侍が低い声で「ここを開けろ」と問うのはサスペンスの始まりとして面白い。雪の降る感じも独特。「雪は豊年の貢というが」を船中で侍が熊に言うのもフレーズになり過ぎぬ一興あり。半面、圓生師系の三遊派落語から柳派落語への色合いの転換がまだ明確でない。

★さん喬師匠『禁酒番屋』

 これは物凄く久し振りに聞いた演目の筈(84年の『四季の会』で聞いて以降、聞いたことがあったっけな?)。高い調子で落語らしい。 番屋の侍が五合徳利の栓の臭いで酒と分かるのは独特でしかもわざとらしくない。全体に、分かりやすく演出されて可笑しい中に、酒を頼む侍・近藤と酒屋の奉公人たちのこれまでの関係が最初にチラッと語られて、「なんで酒を持ち込もうとするか」の気持ちを描いた面白い工夫である(『按摩の炬燵』の小僧たちみたいな仲間感覚がある)。

★三之助師匠『御神酒徳利』

長噺を聞いたのは初めてではあるまいか。圓生師、三木助師系の『御神酒徳利』って、長くて時間のかかる割には感じるとこのない噺だと思っていたけれど(鯉昇師くらいしか面白いと思った記憶がない。何か私には高慢ちきに感じられる噺なのだ)、比較的、運が良いだけで詰まんない人に聞こえ勝ちだった善六が好人物で、かみさんもでしゃばり過ぎず(『火焔太鼓』が出来るかもしれない)、綜体に面白く、50分の高座がダレずに聞けて面白かったのは立派。三之助師を起用した三田落語会の小澤さんの炯癌に驚く。荷羽屋稲荷があまり神々しくなく、如何にも日本の八百万の神様らしい人間味を感じさせるのも面白い。女中の名前を出さず、巾着紛失をあくまでも稲荷の仕業にしてしまう演出にも好感が持てる。「仏は三度」というサゲは助けてくれたのが稲荷だから、些か違和感。若手真打によくある「パワフル」な感じこそないけれど、筋物の人物に関しては『南瓜屋』の与太郎と違い、「描き過ぎない良さ」があった。一寸、「アクの無い一之輔師」というか、故・文朝師に感じの似た「表現の巧さを前に出さない巧さ」を感じさせる所があって(そういう印象を感じるとこは、今の扇好師とも似てる)、高座を追い掛けてみたくなった。ベテランでは南喬師や一朝師、小里ん師、若手真打では扇好師や柳朝師にもいえるけれど、「巧さを前に出さない噺家さん」の高座って長い噺を聞いても突かれ難いんだよね。

★三之助師匠『南瓜屋』

南瓜を売ってくれる裏長屋の男の「これで商売ってのもやってみると面白ェもんだな」(このセリフには目白の小さん師匠の感覚がある)「おめえが好きだから」などの良さに比べると、与太郎が類型的で、エヘラエヘラしてるだけみたいに感じるなァ。

------------------以上、中席------------------


◆4月21日 第309回三遊亭圓橘の会(深川東京モダン館)

橘也『転宅』/圓橘『看板のピン』//~仲入り~//圓橘『帯久』

★圓橘師匠『看板のピン』

 「圓生師演出かな?」という『看板のピン』で、迫力のある親分と腰の軽そうな若い衆の対照が面白い。若い衆の方に圓生師の面白いとこが出てる。

★圓橘師匠『帯久』

東京で生で聞くのは小南師で聞いて以来の演目だろうか。三三師で聞いているかもしれない。小南師は和泉屋が余りにヒィヒィ泣くので陰気だったが、圓橘師は筋物に相応しい「演じ過ぎない語り口」で「指政談」「五十年賦」からサゲまで面白く演じられた。尺も長過ぎず適切。筋彫りのように細かく人物描写されると噺の「嫌な部分」が目立って鬱陶しくなる(米朝師が良かったのも細かくなり過ぎないのが良かった)。大岡様に威厳あり、帯屋の傲慢は圓生師譲りか。こういうバランスが筋物には大切。

★橘也さん『転宅』

最近よく聞く『転宅』と違い、泥棒が食い散らかさず、煙管片手に脂下がっていたり、妾が高橋お伝とは無関係なお梅って辺り、先代小圓朝師型かな。小圓朝師の妾はもっとチャッチャカ喋ってた記憶があるが・・。泥棒の間抜けさはなかなか似合っているし、脂下がってる変な形も可笑しい。


◆4月22日 新宿末廣亭昼席

一九『都々逸親子』/正楽/正朝『ぽんこん』/小里ん『提燈屋(下)』/和楽社中/小満ん『猫の災難』

★小満ん師匠『猫の災難』

唄が二つ入ったりしてタップリ目(といっても小満ん師の『猫の災難』は脚が速い)。目白型の演出だけれど、酔って行く過程を聞かせるというより、酔って浮かれて更にだらしなくなってしまう熊さんの面白さが聞き所って辺りに四代目風を感じる。

◆4月22日 第32回ぎやまん寄席湯島編『扇辰・白酒 二人会』(湯島天神参集殿一階ホール)

ゆう京『道灌』/白酒『浮世床・将棋~講釈本』/扇辰『藁人形』//~仲入り~//扇辰『甲府ぃ』/白酒『笠碁』

★扇辰師匠『藁人形』

マクラで扇橋師の話をしたのは珍しい。本題もこの演目にしては前半のメリハリが強い。お熊の芝居っ気タップリのセリフ、酷薄さも印象的だけれど、圓生師的全面的悪婆にはならないのが扇辰師らしい。甚吉は口の聞き方だけでなく、肩の線が見事に職人体で、根っからの博徒っぽくないのが良い。前半は人情噺、甚吉が出てきてからは落とし噺の印象。

★扇辰師匠『甲府ぃ』

えらく前半のテンポが早かった。善吉は冒頭より三年経って江戸の水に馴染んでからが職人風で良い。豆腐屋主人は堅法華には見え難いが、侠気ある江戸っ子の点は徂徠豆腐の豆腐屋と似ている。最後、鹿島立ちする二人を見送って一寸泣くのも独特。割と左龍師に近いか。

★白酒師匠『笠碁』

目白系とは丸で違う、先代馬生師系変人奇人落語の色合いが益々強まった。凄く可笑しな二人の遣り取りの陰にあるのが「友情」に止まらず、「孤独」に繋がるのに、そんな事をおくびにも出さずに笑わせる辺り、先代馬生師の真っ当な継承だ。

★白酒師匠『浮世床・将棋~講釈本』

力任せでなく、「へもんが~」「なんだい?」の成り立つキャラクター造形がステキに可笑しい。先代馬生師⇒雲助師⇒白酒師と受け継がれた「江戸の暇人たち」の快作。


◆4月23日 第五回柳家小満んおさらい会改め『目白夜会~花守~』(目白庭園赤鳥庵)

なな子『やかん』/小満ん『蜘蛛駕籠』/喜多八『五人廻し』//~仲間入り~//小満ん『愛宕山』

※自分が主催する会なので感想は無し。『愛宕山』の本題が20分弱と凄く早かった。

◆4月24日 新宿末廣亭昼席

一九『寄合酒』/正楽/正朝『牛褒め』/小里ん『鶴屋善兵衛』/和楽社中/小満ん『小言幸兵衛』

★小満ん師匠『小言幸兵衛』

長屋廻りカットで豆腐屋の来訪から。久し振りなのかな、少し言葉違いが前半は多かった。仕立屋が来て、幸兵衛の妄想が「心中話」に集約してからはグッとテションが上り、饒舌になった幸兵衛の、ある種、「一人気違い」ぶりが酷く可笑しかった。細部の用語も小満ん師ならではの凝ったもので面白いけれど、それ以「心中話」というアナを見つけて仕立屋に攻め込むのが嬉しくとて仕方ない!という幸兵衛の表情が悪魔的に面白い(小言好き、ってより、アラ探しが好きで妄想癖が強いキラクターに見える辺りは『寝床』の旦那みたい)。こういう『小言幸兵衛』も他のから聞いた事ないなァ。

★小里ん師匠『鶴屋善兵衛』

柳家の旅ネタの御手本。病の真似をしてる男が「持病の癪が」なんて件の可笑しさだけでなく、道中日記風の暢気な遣り取り、三人の仲の良さが素晴らしい。

★正朝師匠『牛褒め』

前座時代からの得意ネタで、終始無邪気に馬鹿馬鹿しく愉しい。先代柳朝師譲りの一朝師、正朝師の与太郎の可愛さには柳家の与太郎ともひと味違う良さがある。

◆4月24日 柳の家の三人会(なかのZERO大ホール)

市助『垂乳根』/花緑『二階素見』//~仲入り~//喬太郎『高島町物語~同棲したい!』/市馬『黄金餅』

★市馬師匠『黄金餅』

終盤、家元の仕科の真似を入れたりもしていたが、「寿司も一度食ってみてェ」など、家元のセリフが却って市馬師と噺の一体化の邪魔になっている。一度聞いた事のある、金兵衛が壁にもたれて朝を待つリリカルな演出の『黄金餅』の方が市馬師には似合うと思うし、市馬師の調子を活かしてスイスイ運んでも良いのではあるまいか。品川の圓蔵師の快弁落語だから、あれよあれよと運んで良いだろう。家元型はドラマの要素を盛り込み過ぎる。餅屋を思い付くのもサゲ前でテンションが落ちる。

★花緑師匠『二階素見』

相変わらず面白いんだけれど、吉原オタクの可笑しさがタップリあった若旦那に、家元風の「意気がり」の手垢がついた感じで、若旦那らしさが今夜は落ちていた。

※『二階素見』と、みなもと太郎氏のマンガ『風雲児たち』がヒントになんだけれ
ど、「江戸時代の大名オタクが偶々、桜田門外の変に出くわして右往左往する歴史秘話風ドタバタ落語」という噺は出来ないかな?侍の話から、「城オタクの噺家が城主の亡霊に出会う『正太の怪談』」ってのもたった今、思い付いた(笑)。

★喬太郎師匠『高島町物語~同棲したい!』

市馬師がマクラで語っていたが、東横線の話に楽屋タイトルがあるとは知らなかった。『同棲したい!』は喬太郎師ならではの80年代ノスタルジーで変わらぬ面白さだが、尺の関係か、同棲してからが妙に短くなってたんじゃないかな?あと、奥さんがあんなに旦那の行動に批評的だったっけ?もっと可愛らしいキャラクターだった記憶がある。「やり残した青春」の面白さは変わらないんだけれど。今夜の『同棲したい!』はウッディ・アレンっぼいセンティメントを感じる、「見合いしてくれ」も些かテンション下がり加減じゃないかな?。

※倅が「同棲したいから両親は実家に帰ってくれ」という輪踊サゲはダメかしらん?


◆4月25日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』:木りん引っ張り出し//~仲入り~//一九『ぽんこん』/ホンキートンク/正朝『手紙無筆(上)』/小里ん『長短』/和楽社中/小満ん『天災』

★小満ん師匠『天災』

マクラの「その喧嘩なら三分で買う」で客席の食い付きが悪かったためか、序盤の八五郎のテンションが上がらなかった。名丸はニンも含めて、にこやかに八五郎の相手をして砕けた町人学者の雰囲気。帰宅してからの八五郎は職人らしいテンションで熊との遣り取りにも張りが出て面白い。惜しいのはやはり前半か。「真っ平御免ねェ」の調子が跳ねなかった。

★小里ん師匠『長短』

長さんが煙草をキューッと喫う表情のマンガ風な馬鹿な可笑しさなど、目白の小さん師匠と違うとこもありながら、見事に目白の『長短』を継承した友情落語の面白さを堪能した。小満ん師の八五郎は江戸っ子の町人、小里ん師の二人は江戸っ子の職人という芸風の違いが良く分かる。


◆4月25日 桂文珍大東京独演会Vol.6 楽日(国立小劇場)

福也『池田の牛褒め』/文珍・楽珍「リクエスト演目選択」/文珍『老婆の休日』/英華/文珍『軒付け』//~仲入り~//文珍『地獄八景亡者戯』(上)

★文珍師匠『老婆の休日』

マクラで語られていたように「『中沢家の人々』や『ガーコン』同様、年齢を重ね
ても演じ続けて行けるネタ」を持っている師匠の強みで、終始、気楽に屈託なく愉しませてくれる。単なる「作品派」には出来ない落語。

★文珍師匠『軒付け』

こちらは楽日の疲労もあってかヨレヨレ。『大井川』など浄瑠璃の段名が出てこないし、全体に陰気に感じた。

★文珍師匠『地獄八景亡者戯(上)』

興行街までのダイジェストだが、新装なった地獄の歌舞伎座に團十郎丈、勘三郎丈が出ているのは勿論(「三途川で勘三郎が“オーイオーイ”と俊寛さながらに船を見送って中々こっちに来なかった」という件は聞いてて涙が出た)、三國連太郎氏(川岸で釣をしてる)、田端義夫氏(「オッス!」と茶店の前を通り過ぎる)が出てきたりと、センス良く、ちゃんと手を入れてあり愉しい。センスの悪い演者だとボストンマラソンのテロ事件など入れかねない。おまけに、生塚の婆の身の上話をするオバサンが無意識のうちにちょいちょい先代文枝師の口調になる辺りが懐かしく嬉しい香辛料になっていた。

※この噺、白鳥師が演じると、どういう展開になるんだろう?

※話は全く変わるが、先日、末廣亭で紙切りの正楽師に「ボストンマラソン」と注文した上に、正楽師匠が取り合わなかったら「難しいのは切れないんだ!」と揶揄した非常識爺がいたのに驚いた(洒落が分からない所の話ではない)。正楽師が流石に「難しくはないんです。愉しくないでしょ」と呟いたら拍手が起きたので安堵したけど。


◆4月26日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』:木りん呼出し//~仲入り~//一九『黄金の大黒(上)』/正楽/正朝『蔵前駕籠』/正蔵『新聞記事』/和楽社中/小満ん『妾馬』

★小満ん師匠『妾馬』

今日の高座はリアクションが引き気味で、声も小さく受け難さを感じた。後半、八五郎が「御座り奉る」と言い出してから、漸くテンションが上がった感じ。

★正蔵師匠『新聞記事』

出来は悪くないけれど、小満ん師のトリへ繋げるヒザ前としては演目選択が違う。前の正朝師が『蔵前駕籠』でキッチリ聴かせて作った流れがワヤになる。


◆4月26日 浅草演芸ホール夜席

小痴楽『湯屋番』(昇之進代演)/コントD51/紫(文治昼夜替り)『出世の馬揃え
(上)』/歌春『垂乳根(上)』/真理(まねき猫昼夜替り)/夢太朗『おしくら』//~仲入
り~//ぴろき/小蝠『初天神・団子』/圓馬『隠居の無筆(上)』/ひでややすこ/桃太
郎『勘定板』/マキ/蝠丸『高尾』

★圓馬師匠『隠居の無筆』

南喬師とも違い、隠居が引き気味で胡散臭いのが凄く可笑しい。腕を上げてるなァ。

★桃太郎師匠『勘定板』

マクラの駄洒落羅列小噺からなだらかに噺に入って行ったけれど、尻を押さえて中腰になって苦悶する田舎者の表情がグレードアップしてる。桃太郎師の真骨頂発揮という感じの高座。


◆4月27日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』//~仲入り~//一九『そば清』/正楽/正朝『町内の若い衆』/小里ん『二十四孝(上)』/和楽社中/小満ん『らくだ(上)』

★小満ん師匠『らくだ(上)』

『らくだ』を寄席で小満ん師から伺うのは多分初めて。寄席サイスで月番との遣り取りカット。らくだの家の品物買いも簡潔。どちらかと言えば兄貴分の凄みは陰で割と静かなくらい。屑屋が腰の低い調子で大家・八百屋と遣り取りする可笑しさがメイン。屑屋は困っているけれど深刻過ぎない。呑み出して一杯目から味が分かるのは目白型。愚痴をぐだぐだ言わず、兄貴分にお追従を言っているうちに「四杯目を注いでくれにいのか?」と言って、コロッと態度が変わる。八百屋の件から遣り取りのリアクションが笑いを大きくして、呑み出してからサゲまでズーッと右肩上がりで笑いが大きくなったのに感心した。腕さえあれば、遣り取りだけで面白くなる噺なんだね。

★小里ん師匠『二十四孝』

孟宗までだが、八五郎の能天気さが軽くて、終始キッチリと受ける。目白落語ならではの愉しさに溢れていた。ちゃんと受けたのも当然。


◆4月27日 浅草演芸ホール夜席

可龍『のめる』/ぴろき/圓馬『反対夫婦』/歌春『短命』/まねき猫/夢太朗『置泥』
//~仲入り~//章司(青年団代演)/A太郎(小蝠代演)『お話中』(正式題名不詳)/文治『平林』/ひでややすこ/桃太郎『週刊現代に書いてあったこと』(漫談)/マキ/蝠丸『蟹』

★蝠丸師匠『蟹』

教訓的なセリフは残っているけれど、浪曲系甚五郎物に付き物の説教臭さを感じない愉しさがある。『三井の大黒』を聞いてみたいなぁ。

★桃太郎師匠『週刊現代に書いてあったこと』

兎に角、飄々と言いたい放題の典型で(字で残しちゃうとかなりまずい内容なので紹介出来ない)、息苦しいほど笑った。

★文治師匠『平林』

定吉の疑問の持ち方が滅茶苦茶に可笑しくて他愛なくて愉しい。

★夢太朗師匠『置泥』

大工が悠然としていて、泥棒がひたすら気の弱く面倒見の良い奴なのが可愛く可笑しい。


◆4月28日 池袋演芸場昼席

笑組/市馬『子ほめ』/権太楼『人形買い(上)』//~仲入り~//柳朝(代演)『お菊の皿』/志ん輔『夕立勘五郎』/仙三郎社中/圓太郎『小言幸兵衛』

★圓太郎師匠『小言幸兵衛』

かなり手を加えた。手を入れた所はそれなりに「理」として納得出来る箇所や可笑しさの増した箇所ばかりなのだが、半面、その前後で間が空くため、リズムが悪くなって受け難くなったりもしている。特に仕立屋の後半にそれを感じた。もう少しこの演出に慣れる期間が必要。

※『お菊の皿』で初めてお菊が現れる件で、柳朝師は調子を張ったのに下座から囃子が入らず、そのままお菊が皿を数えている途中から急に囃子を入れてきた。柳朝師も「キッカケは外すし」とアドリヴでボヤいていたが、「楽屋で高座を誰も聞いてないの?!」と呆れると同時に、中途半端に囃子を入れたセンスの悪さに驚く。


◆4月28日 浅草演芸ホール夜席

歌春『九官鳥~桃太郎(上)』/まねき猫/夢太朗『元帳』//~仲入り~//ぴろき/小蝠『人形買い(上)』/寿輔(圓馬昼夜替り)『生徒の作文』)/ひでややすこ/桃太郎『結婚相談所』(漫談)/マキ/蝠丸『御神酒徳利』

★蝠丸師匠『御神酒徳利』

 30分あるかないか。番頭の善六が女中を懲らしめようと徳利を隠すのは『占い八百屋』からの取り込みかな。但し、その部分は帰宅した善六のセリフによる説明のみ。占い用語は全てカット(確かに無くても分かる)。この噺に付き物のハッタリっぽくて仰々しい件を切り取ってある。「無くても良いこと」を残して「必要最小限」の修辞で展開するから、荷羽屋で女中を救うまでの早いこと!鴻池へ行って荒行をする辺りもやや簡略だが、稲荷の言い立てはキッチリするなど、ヒョワヒョワした語り口乍ら、「要」は守っている(変に大仰な張り上げ方はしない)。善六が同じセリフを言う際は気息奄々でと変化を付けるから、ダレない(同じセリフの繰返しは『金明竹』くらいで良かろう)。江戸に戻ると孕んでいたかみさんが無事出産しており、「お前さんが算盤を持って行っちまったから、安産(暗算)になった」とサゲる。目出度さ尽くしで終われて、過去に聞いた『御神酒徳利』のサゲでは一番良い。蝠丸師の『御神酒徳利』は昨年12月の池袋主任依頼、多分二度目だけれど、前回とは転回もサゲも違って、短期間に進化している。


◆4月29日 らくご@座・高円寺2013風薫る公演「さん喬 喜多八 男づくし
の会」(紀伊国屋ホール)

小太郎『弥次郎』/喜多八『居残り佐平次』//~仲入り~//小菊/さん喬『髪結新三』

★さん喬師匠『髪結新三』

冒頭、いきなり「かっぽれ」を踊って意表をついてから、紀伊国屋文左衛門と白子屋の繋がりを話して、お熊の話からポンと新三のセリフへ繋いで本題へ入る。拐かしまでは手短で(永代橋で鳴り物と「唐傘」を入れる)、善八がかみさんに報告して弥太五郎宅へ。その後も刈込み乍ら、大家が新三を手取りにした所までが本筋で、お熊の処刑を語って下げる。一番印象に残るのは弥太五郎の萎れ方と悔しさで、次が高っ調子の猫撫声で演じる大家(少し立派過ぎるとこあり)。善八はメソメソし過ぎで好人物というには違和感あり。お熊はちらっとしか出ないが艶麗さがある。全体に間の取り方が芝居的だけれど、生世話物や新劇ではなく、総体の湿り気の感じなどから新派っぽさを感じた。言い澱みや言葉違いがあったのは過去に演じた回数の不足からか。

★喜多八師匠『居残り佐平次』

一時間くらいであり、明らかに長い。マクラから長いが特に前半の妓夫を騙件が長過ぎるのと、佐平次をプロの居残りとして描くのは良いが、フィルム・ノアールじゃないんだから、キャラクターが重くて洒落っ気を感じない。色々と声の強弱、妓夫連中のキャラクター、お染の客の勝のおだて方や勝の浮かれ具合と面白く工夫はしてあるが、総体に廓噺らしい遊び心が乏しいのは喜多八師の真面目さ故か。小悪党ぶりをチラチラ見せ過ぎるのも却って野暮になる。『明烏』『ぞめき』以外の廓噺は重くなる傾向があるのかな?

★小太郎さん『弥次郎』

 今日、一番面白かったかもしれない。弥次郎のパァパァしたキャラクターに違和感が無い。


◆4月29日 浅草演芸ホール夜席

遊之介(文治代演)『六銭小僧』/歌春『九官鳥』/まねき猫/夢太朗『竹の水仙』//~仲入り~//マグナム小林/小蝠『豊竹屋』/圓馬『ん廻し』/ひでややすこ/南なん(桃太郎代演)『大安売』/マキ/蝠丸『鴻池の犬』

★蝠丸師匠『鴻池の犬』

多分、蝠丸師で聞くのは初めての演目。大筋は原作と違わないが、クスグリは変えてある。噺の本体も20分くらいか。鴻池の出店の男にちゃんと大店の奉公人らしい品がある。犬はみんな犬なりだが、クロは鯔瀬に近い筋肉質の感じがある。ブチが一番上、クロが二番目という設定。「暴走犬の仲間に入って夜中走り回っていた」というのは馬鹿馬鹿しくて可笑しい。シロの述懐で締め過ぎずに最後まで面白く運べるのは(「ここで鳴り物の入る予定なのに囃子さんが帰っちゃった」には、楽屋に少し呆れた)、シロが何処か剽軽で暗くないためだろう。「クロが周辺の仲裁役」と振っておき「(御両親の喧嘩の仲裁に呼ばれたけれど)夫婦喧嘩は犬も食わねェ」とサゲた。

★南なん師匠『大安売』

「相手が勝ったり、こちらが負けたり」まで。相撲取りのリアクションが些か陰だ
けれど、次第に笑いが大きくなったのは、相撲取りのキャラクターがちゃんと出来ているから。一寸俯き加減に早口でボソボソ喋るのが如何にも相撲取りらしいのに感心した。

※『大安売』は寄席で良く聞くが、キャラクターの造形が粗雑だと受けるのが難しい。近年では南喬師と南なん師しか面白いと思った事がない。初めて聞いたのは文枝師の三枝時代で35年くらい前。若い頃(24~25歳くらいか)の鶴瓶師のが滅茶苦茶に可笑しかった。それから小南師で聞いたのが東京の噺家さんでは最初だろう。過去に聞いた中で一番可笑しかったのはやはり鶴瓶師。圓都師から昭和40年代の上方若手に広まった噺だったかな?

◆4月30日 新宿末廣亭昼席

東京ガールズ/馬風『漫談』//~仲入り~//一九『桃太郎』/正楽/正朝『元帳』/小里ん『垂乳根』/和楽社中/小満ん『愛宕山』

★小満ん師匠『愛宕山』

正楽師に「愛宕山!」と注文があった所から予想された演目だけれど、以後の流れも良く、予想通りになったのは目出度い。目白庭園での口演より少しだけ長めだが総体で25分弱。最後の一八の帰還着地でやや調子の張りが下がったけれど、一八が谷底へ落ちてからは調子の張り方が素晴らしく実に面白かった。対照的に一八が景色を眺める件は鴨川、桂川を眼下にした「清遊」の長閑さがあって、前半・後半で趣の違う愉しさが味わえた。私は景色眺めの件が一番小満ん師らしくて好きだ。試みの坂登りから景色眺めへ掛けてが一八の幇間らしさ、芸人らしさも一番豊かに感じられる。マクラで語られる通り、「気配りの仕事」「雰囲気作りの役所」の一八である。

★小里ん師匠『垂乳根』

つまんで簡略型だけれど無類。大家さん、八五郎、千代、八百屋と人物が出て「葱やァ葱、岩槻葱ィ~」に朝の静けさがあり、その雰囲気を千代の大袈裟なセリフが破る。八百屋がキョロキョロする件でドッと受けたのも当然。原典の『延陽伯』が中ネタなのも分かる。前座さんで表現出来る噺ではない。私の知る限り『垂乳根』の最高峰。

※大家さんと八五郎の遣り取りする姿が目白の小さん師そっくりなのがまた嬉しい。

★正朝師匠『元帳』

正朝師では初めて聞いたかな?と思うくらい珍しい演目(調べたら27年前にテレビ放映で聞いてた)。しょっちゅう口喧嘩ばかりしているのに実は仲が良い夫婦、という雰囲気がある。亭主が納豆の残り粒をキチンと数える性格なのも可笑しい。

※この芝居の正楽・正朝・小里ん・和楽社中・小満んという番組は、先月の正朝・小満ん・仙三郎社中・雲助の番組と並んで「末廣亭を最も満喫出来る仲入り後名番組」だろう。馬風師が仲入りで全然力まず、サラッと降りちゃうのも仲入り後が一層活きる源となっている。


◆4月30日 らくご@座・高円寺2013風薫る公演「白鳥・三三 両極端の会」
vol.6(紀伊国屋ホール)

白鳥・三三「御挨拶」/三三『木乃伊取り』//~仲入り~//白鳥『子別れミミちゃ
ん』/白鳥・三三「次回課題発表」

★三三師匠『木乃伊取り』

手を加えてはいるが、何か若旦那と清蔵の食い違い方が陰気になる。清蔵が呑み出す前後、会場がシンとしたけれど、そんな重い噺かなァ。シニカルだから似合う筈の噺なんだけれど、清蔵は骨太な野暮でなく、若旦那も粋な人ではない。『山崎屋』などと違い、清蔵の存在がネックになっているのか? 『しの字嫌い』の権助と違い過ぎるんだよね。

★白鳥師匠『子別れミミちゃん』

つまりは「ミミちゃんシリーズ」の現代噺家版『子別れ』で、一時的に『笑点』に出
演したのがきっかけで売れて天狗になった、元々本格派の噺家・柳家ミミが番組の企画で落語を教えた(大笑)グラビアアイドルと出来てしまい、女房子を棄てた後、自分もタレントとして使い捨てられてしまい、戻りの前座から修業をしなおす。師匠と一緒に高田馬場から末廣亭を目指して明治通りを歩いている途中、自販機の釣り銭漁りをしていた倅と出会って元の鞘に収まる、という展開。『珍景累ケ真打』の初演同様、実名多数登場作品なので、このまんまの再演はしにくかろうが、白鳥師の強みで滅茶苦茶馬鹿馬鹿しいのと同時に、地味で売れなくて苦しんでいる本格派の噺家像に「虐げられし者」のリアリティが唸るほど出るので、矢鱈めったら面白く切ない。鶴瓶師に匹敵するくらいの「私落語」でもあるけれど、切なさがセンティメンタルに陥らない強さがあるのは白鳥師らしい。終盤、再会した夫婦が『だくだく』を使って「~と謝ったつもり」と遣り取りする可笑しさ、馬鹿馬鹿しさも一寸真似が出来ないだろう。

※『Wホワイト』で白鳥師が「驚いた!」と言ってた通り、最初に考えた設定で「女子アナに迷って女房子を捨てる噺家」という展開だったら、そりゃ生々し過ぎたろう。

※『愛宕山』から『子別れミミちゃん』まで、落語の幅広さを物凄く堪能出来た一
日。

 ※『白鳥・三三 両極端』は『白鳥・白酒 Wホワイト』と並んで、現在屈指の
「エキサイティングな二人会」だろう。次回は「三三師が、白鳥師の新作の中でも特に荒唐無稽な作品を演じる」というのが課題になったけれど、白鳥師の場合は作品の95%が荒唐無稽だから(笑)、何になるのかな?今から楽しみ。

---------------以上、下席----------------


石井徹也 (落語道落者)

23:40

2013年06月24日

石井徹也の落語きいたまま2013年三月号

久々の更新です!

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年三月号をお送りします。心待ちにしている御常連のみなさまには大変お待たせいたしました・・!稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、破竹の寄席レビューをお楽しみください。

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◆3月1日 上野鈴本演芸場昼席

ロケット団/小ゑん『鉄の男(上)』/菊之丞(三三代演)『町内の若い衆』/小菊/一朝『抜け雀』

★一朝師匠『抜け雀』

気合いか入って、少し長め。宿の亭主、絵師、老絵師のキャラクターが見事で、矢来町型の魅力を十二分に発揮している。特に今日は老絵師のくだけた雰囲気が良かった。講釈や浪曲、人情噺の巨匠風でなく、落語国のくだけた巨匠なのである。これを聞くと、一朝師の甚五郎物を聞きたくなったね。

◆3月1日 第二回圓太郎ばなし(日本橋社会教育会館ホール)

歌太郎『やかん』/圓太郎『紀州』/一之輔『味噌蔵』//~仲間入り~//圓太郎『薮入り』

★圓太郎師匠『藪入り』

55分。物凄く情の強い、その分の重たさもあるけれど、落語の範囲を越えない高座。力の差で一之輔師の噺が吹っ飛んだ(キャリアから言えば当たり前だ)。親父の情の深さ、職人気質の明確さ、時おり混じる人間的な可愛さが素晴らしい。亀が銭湯へ行くのを見送っての「(犬の)シロがついて行くよ‥‥シロになりてェ」には唸った。「シロがついて行くよ」の風景と情感、それを「シロになりてェ」で笑いに引き戻す演出と話術の鮮やかさ。亀が十五円をどうしたと問われて「財布を明けてみるなんて」の子供なりの悔しさ、親父に殴られてもワァワァ泣かず、懸賞で貰った金で、五円は主人に言われて店の仲間に分けたと語る演出も亀の成長を描いて素晴らしい。回数を重ねて40分くらいにまとまれば一寸他の噺家さんの敵わない十八番になるのではあるまいか(忠の不在を説くマクラは少し語りすぎだが、戦争未亡人の御祖母様が高校野球の黙祷を聞いて、戦死した夫と圓太郎師を間違える噺は、それだけで人情噺である)。

★圓太郎師匠『紀州』

マクラからタップリあったが、内容を少し変えて42分。講釈でなく、ナレーションでなく、「聞き間違い二題」を挟んで、一層詳細さを増した「徳川実記」風に語る、独特の地噺として形が整った。完全にトリの取れる地噺になっている。

★一之輔師匠『味噌蔵』

変えた部分と従前通りの件のバランスがまだ中途半端。旦那が前半では妙に優しいのが変で、「醤油を掛けた飯」や「パンの耳」を本当に御馳走だと思って奉公人連中が宴会をしてるのを帰宅した旦那が「贅沢だ」と激怒するくらい、「悪魔のようなカリスマケチ旦那と、その価値観に魅入られて人間性の歪んだ奉公人連中」の「飛び道具噺」に変えるべきではあるまいか(その意味では白酒師の『宗論』は徹底している)。一之輔師にも『茶の湯』や『団子屋政談』『らくだの子褒め』みたいな前例があるんだから(毎度聞きたいとは思わないがツーパターンあっても悪かァなかろう)。

◆3月2日 《噺小屋》弥生の独り看板第一夜・入船亭扇辰独演会(国立演芸場)

小辰『しの字嫌い』/扇辰『鰍沢』//~仲入り~//扇辰『百川』

★辰辰師匠『鰍沢』

最後、フッと間を取ってサゲを言われたが、ストンと私はそこで醒めてしまった。お熊の声が闇の中を細く伝わってくる良さ(月明りは言わない)、優しいというよりかぼそいお熊の声(江戸育ちの感じがしない。仙台より北の雰囲気)、お熊が月の兎花魁と知ってからの新吉の一寸軽率にも見えるほどの浮かれぶり、新吉や伝三郎がそだをくべる仕科の良さと、相変わらず良き所は多々ある。だからこそ、最後で落語の馬鹿馬鹿しさに戻るのも、「客任せ」で良かったものを、ちょいと定点越えをして「噺家さん自身が“なぁんだ”の先棒を担いでしまった印象で拍子抜けしちゃったのである。

★扇辰師匠『百川』

百兵衛が凄~く変な声の人(田舎の与太郎見たい)で、これに対応するように、河岸の連中は跳ねてんだけど、やや味付けが濃い。『扇辰・喬太郎』で聞いた時の「長い」しか印象の残らない高座とは違うけれど、長さや濃さを感じさせ過ぎる。会話のリアクションにいつも微妙な間合いのあるのがその原因か。扇辰師で言えば『三方一両損』の二人や大家たちみたいに、会話が登場人物のキャラクター通りスーッとは行かず、展開が筋追い・言葉追いになるのがまだもどかしい。ある意味、百兵衛と河岸の連中の両方にアクセントをつけたがために、人物像が平板になっちゃったのではないか。

◆3月3日 上野鈴本演芸場昼席

わたる(ロケット団代演)/小ゑん『下町せんべい』/三三)『しの字嫌い』/小菊/正朝(一朝代演)『井戸の茶碗』

★正朝師匠『井戸の茶碗』

 二ツ目時代から良かった演目で、先代柳朝師譲りらしいざっかけない愉しさが全編にある。また、鑑定家が三人同意見で井戸の茶碗と判明する、清正公境内掛け茶屋の一角が屑屋仲間の溜まり場になっているなど、近年の『井戸茶』にはまず無い、細かい設定、演出も多い。特に屑屋仲間のキャラクターがハッキリ違って聞こえたのは近年の『井戸茶』では珍しい(中の一人が権太楼師みたいなのも愉快)。卜斎の娘の美しさを清兵衛が高木に予め印象付けるセリフがあったりするのも面白い。良助の荒っぽさは先代柳朝師を思わせ、卜斉の物堅さと一面の「その方たちの迷惑になるなら」と折れる辺りは稲荷町の雰囲気を感じる。やはり芸系というものかなァ。

◆3月3日 第67回三三左龍の会(内幸町ホール)

三三・左龍「御挨拶」/小はぜ『垂乳根』/三三『紀州』/左龍『粗忽の釘』//~仲間入り~//左龍『花見の仇討ち』/三三『藪入り』

★三三師匠『紀州』

ネタ卸しとのひと。教わったまんまみたいな堅さで、噺というよりは講釈っぽくて、地噺にしても人間味が乏しくて面白くねェなァ。中に挟んだ小噺『御歴々』の蛙の方が遥かに面白いのは皮肉。

★三三師匠『藪入り』

親父が亀が湯に行く後ろ姿を見送って言う「何だかホッとしちゃった」の調子など、良くなった点もあるけれど、「職人」「情のこわさ」などが薄いのは弱味。亀も「健太くん」という感じで、佐藤紅緑の少年小説の主人公みたい。「奉公の匂い」がしない子供で岸田国士の戯曲に登場しそうな戦前山の手の「良い子」っぽいとも言える。

★左龍師匠『粗忽の釘』

ネタ卸し。亭主のキャラクターが抜群で特に前半、最近演じる人の少ない、箪笥を背負って豆腐屋に入っちゃう件のマンガ的な可笑しさは一寸真似手がない。豆腐屋から箪笥を背負って走り逃げる際、脚が車輪みたいに回転してるマンガが見えるてくる可笑しさがあった。後半では隣家へ行ってからの煙草の喫い方がやたらと可笑しい。また、お向かいの主人、隣の主人たちの呆然と主人公の相手をしているリアクションが何とも素晴らしい。全編、無邪気なマンガに出来る演目は強いなァ。『猫久』が聞きたくなった。

★左龍師匠『花見の仇討』

左龍師で聞くのは初めてのネタのようである(聞いた記憶が無い)。遊雀師と運びや演出が良く似ている。甚語楼師同様、三馬鹿トリオ的演目の登場人物が矢鱈と似合い、この噺の四人も本当にマジで馬鹿馬鹿しく愉しい。耳の遠い神田の伯父さんのキャラクターがピッタリだし、建具屋の熊が煙草の喫い過ぎでニッチャラニッチャラした顔で怒っているのも、マジな侍の無闇と気負う辺りもシリアスになり過ぎずに愉しい。因みに熊さんの扮する敵の役名は「橘家文左衛門」(笑)。

 ※言い訳になるけれど、今年初めからズーッと、午前中から午後3時半くらいまで何だか目に力が入らず、目を開けているのが辛くて弱っていた。花粉症(それも多少の原因の一部ではある)か、はたまた糖尿病が悪化したのかと思っていたら、どうやら、2009年から服用を続けている睡眠導入剤の影響らしいと昨日気が付いた。昼席の主任くらいの時間になればハッキリするけれど、兎に角、睡眠導入剤を体から抜かないと。昨夜は服用しなかったので朝八時まで眠れなかった。十一時に起きたが、その割に今日の昼間、聴覚はハッキリしていた。ただ、目をあけて高座を見ているのが辛く、上野の小菊師匠までは半眼で見ていた。

◆3月4日 雲助「お富與三郎」馬石「名人長二」連続口演第一夜(お江戸日本橋亭)

馬石『名人長二~仏壇叩き』//~仲入り~//雲助『お富與三郎~発端』

★雲助師匠『お富與三郎~発端』

「発端」を生で聞くのは1985年四月に民族芸能の会以来か。やはり、船頭扇太郎の小悪党ぶりと、関良助と扇太郎との遣り取り、世話味と切れのある良助の味わいに雲助師ならではの特色がある。水勢の増した大川の不吉な色合い、雪の堀端の夜、雪明かりの中に倒れる扇太郎の姿など、言葉を使わない雰囲気の描写も流石。

★馬石師匠『名人長二~仏壇叩き』

一寸短めかな。回を重ねて聞くと長二の短いセリフの呼吸は『火事息子』の「オイッ」など先代馬生師から雲助師が受け継いだ呼吸だと感じる。それだけに、馬石師独自の長二の呼吸はまだこれからの工夫だなとも感じさせられる。とはいえ、坂倉屋が仏壇を叩く呼吸には馬石師らしい「芝居の呼吸」があって面白い。禁欲的な長二のキャラクターにもう少し世話味が欲しく、坂倉屋の娘の心情や、坂倉屋が長二の家の前で書棚を叩き壊す件を聞いての心情が説明的な語りに聞こえるのは惜しい。

◆3月5日 上野鈴本演芸場昼席

金馬『権兵衛狸』//~仲入り~//わたる(猫八代演)/小ゑん『グツグツ』/三三)『垂乳根』/小菊/一朝『転宅』

★一朝師匠『転宅』

泥棒、お菊、共に可愛らしいキャラクターや運びは相変わらずの愉しさ。今日は珍しく細かい言い間違いが多かった。

★三三師匠『垂乳根』

寄席では珍しいんじゃないかな。花粉症なのか、鼻水を拭き拭きだったけれど、千代に色気のある辺りが面白い。八百屋相手の大仰なセリフの調子など、小里ん師に感じが似ている。

★金馬師匠『権兵衛狸』

 寄席でないと、こういう噺の愉しさは感じ難いし、ベテランが演ってこその小品の良さを感じる。「ゴ~ンベイ」の重くファンタジツクな調子を聴いているだけで和んでしまう。それくらい、一瞬にしてこの噺の世界が描かれる。稲荷町の「ゴンベイ」以降、最高の『権兵衛狸』なんじゃないだろうか。

◆3月5日 「人形町通ごのみ 扇辰・白酒の会」(日本橋社会教育会館ホール)

小辰『手紙無筆』/扇辰『匙加減』/白酒『天災』//~仲入り~//白酒『犬の災難』/扇辰『百川』

★扇辰師匠『匙加減』

大家の「こすっからい正義」の程の良い可笑しさ、加納屋のクサいけど狡賢そうな可笑しさが活きて、落語として面白い。『人情匙加減』ではないのが結構なのである。

★扇辰師匠『百川』

この時期に続けて2度聞く噺だろうか?という疑問もある。百兵衛はマンガで誇張の面白さがあるけれど、河岸の若い連中の意気がり方に力が入り過ぎていて重いのが辛い。長谷川町で道を教えてくれる人、鴨地先生は軽くて良いのに、跳ねようとし過ぎなんじゃないかな。変な言い方だけれど、「巧さが裏に回る」って奴で、河岸の若い連中に対するズームアップ的なキャラクター付けが強い分、噺の流れにクドさを感じるし、この演出だと「四神剣」の説明がそんなになくても良く、店が「浮世小路の百川」である必要も余り感じなくなってしまう。

★白酒師匠『天災』

名丸が目白系に近付いて、独特の乱暴さ、無知ぶりを発揮するを八五郎との対照が出るようになり、遣り取りや人間関係が自然に面白くなってきたと思う。『古今亭・金原亭』の『天災』が開拓されつつある印象。

★白酒師匠『犬の災難』

『猫の災難』より酒への執着が単的な分、あれよあれよと徳利(ちゃんと徳利になっている)の酒を飲み干してしまう可笑しさに違和感がない。結果的に志ん生師系のドライな人間の捉え方が巧く活かされていながらも、キャラクターが立って来る。これなら「隣への気遣い」が無くても成り立つんだね。

◆3月6日 上野鈴本演芸場昼席

柳朝『唖の釣』/ダーク広和(仙三郎社中代演)/金馬『長屋の花見』//~仲入り~//わたる(猫八代演)/小ゑん『即興詩人(上)』/三三『加賀の千代』/小菊/一朝『妾馬』

★一朝師匠『妾馬』

この八五郎が気質の点では一番好きだ。先代柳朝師の雰囲気。また、今日はいつもより矢来町を思わせる調子の場面も多かった。椎名町の気質に矢来町の調子だもんなァ。

★金馬師匠『長屋の花見』

ノンビリと馬鹿馬鹿しい展開が目白系とは違う「落語らしさ」を描く。中でも、大家に「酒を呑んだら顔を赤くしろ」と言われて、三人が「息みます」と息むのが可笑しい。「本物呑ませろ」サゲ。この芝居の金馬師、先日の『権兵衛狸』といい、膝の故障などものともせず、80代に入って寧ろ絶好調を維持している印象すらある。

◆3月6日 新宿末廣亭夜席

Wモアモア/松鯉『山吹の戒め』/茶楽『子は鎹』//~仲入り~//花助『薬罐舐め』/伸&スティファニー/金太郎『短命』/左圓馬『粗忽の使者』/ボンボンブラザース/栄馬『紺屋高尾』

★栄馬師匠『紺屋高尾』

圓生師の演出をほぼ踏襲。「王選手が国民栄誉賞を貰ったように」「マル優で三百両」なんてギャグは四十年くらい前のものか。『幾代餅』が今は大半だし、『紺屋高尾』も家元の純愛人情噺風演出が大半だけれど、全体の流れとして圓生師にこの噺を教えたおもちゃ屋の馬生師の演出力、地噺の上手い師匠だった、という事をを改めて感じさせる。人情噺でなく落語のほどに収まっているのだ。栄馬師の高座も「ベタな人情噺」なんて印象は全くなく、昔より更にモクモクした語り口乍ら、圓生師の持っていたざっかけない演出を軽めの愉しさとして感じさせてくれるのが面白い。

 ※家元の言っていた「圓生師匠の中に寧ろ馬鹿馬鹿しさを感じる」というのは事実だ。くっだらないくすぐりやギャグの愉しさが実はこういう、一見人情噺的な演目にもあったんだよね。

◆3月7日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第三夜(お江戸日本橋亭)

市助『垂乳根(上)』/馬石『谷中天龍院』//~仲入り~//雲助『玄冶店』

★雲助師匠『玄冶店』

最前列でメモを取り続けるお客のために気を殺がれたり、セリフを間違えたり、絶句したと終演後に聞いたが(雲助師や小満ん師の場合はお客さんにも節度ある態度を望まざるをえない。「落語は弱い芸」だから)、前半、源左衛門の迫力と貫禄は田舎の親分にしておくのは惜しいほど。松の端敵ぶりとのバランスも面白い(外伝めくが、源左衛門と松の流浪彷徨も聞きたくなった)。後半では安に面白さがあるのは相変わらずだけれど、鬱屈した與三郎に魅力があるのは雲助師ならでは。薬研堀の夜店辺りを抜けて(夜店の灯りとその灯りに身を隠す気分が分かる)、同朋町でお富を見掛け、うかうかと後を尾行てしまう「しがなさ」「うぶさ」「駄目さ」に一番若旦那らしさを感じる。お富はもう一つ、綺麗でありたい。ある意味、與三郎同様、鬱折した気分が強いのだけれど、横櫛のお富にしてはうぶが勝つかな?という風に感じる。最後は芝居掛かりになるけれど、「御新造さんへ」と入る調子の良さ、鬱屈の魅力を思うと素噺で聞きたい。

※「民族芸能の会」の頃は芝居掛かりを演ってたかな。「蓙莝松」の印象が強過ぎて「玄冶店」の事は余り覚えてないのである。

★馬石師匠『谷中天龍院』

 途中で携帯が鳴る不運はあったけれど‥余り登場はしないけれど、お柳が良いのは、馬石師らしい柔らか味の活きた特色か。兼松の面白さ、軽さも落とし噺で鍛えられた独特のものだろう。幸兵衛は雲助師の声音そのままの雰囲気。長二は禁欲的な雰囲気に加えて、実の親の不実を怒る辺り、幸兵衛殺しに繋がる気質を感じさせる。もう少し、堅い中に馬石師らしい二枚目ぶりが出ても良いのではあるまいか。

※全体に「師匠の前を務める」という気配を感じるのは勘違いかな。師弟の二人会の場合は仕方ないけれど。

◆3月8日 上野鈴本演芸場昼席

圓歌(金馬代演)『天覧』//~仲入り~//ロケット団/小ゑん『ステオク』(正式題名不詳)/三三『垂乳根』/小菊/一朝『天災』

★一朝師匠『天災』

「いつもより序盤の展開がユックリ目だな」と思ったら、名丸と八五郎の遣り取りになってから、名丸のリアクションにちらっと混じる感情とその変化の良い事と言ったらなかった。『七段目』で驚いた時と同じで、感情表現が全く笑いの邪魔にならず、人間関係の愉しさに奥行きを加える。「腹」の違いで、落とし噺は本当に結果が丸で違うなァ。

★三三師匠『垂乳根』

かなりスピーディーな展開で、それが八五郎の頓珍漢さ、千代さんの浮世離れを高めて可笑しい。「押入れに顔を突っ込んでる八五郎」ならば、もう少し千代さんにテレを見せると更に愉しさがグレードアップするかも。

◆3月9日 第九回らくご・古金亭(湯島天神参集殿一階ホール)

駒松『から抜け』/馬治『転宅』(ネタ卸し)/小里ん(ネタ卸し)『首ったけ』/馬石『崇徳院』/雲助『ずっこけ』//~仲入り~//遊雀『船徳』/馬生『今戸の狐』

※自分が主催する会なので感想は無し。それぞれ、『お富與三郎』、『名人長二』を連続口演中の雲助師匠、馬石師匠にはお疲れの所を申し訳ない。

◆3月10日 第三回柳家小満ん在庫棚卸し(橘家)

小満ん『石返し』小満ん『磯の鮑』~仲入り~小満ん『宿屋の富』

★小満ん師匠『石返し』

松公の可笑しさは立っており、明るいとこで声を掛けてきた客を断る遣り取り、門番との遣り取り、それぞれに面白い。細部まで演出は丁寧(朝之助さん譲りかな?)。石垣と溝に挟まれた番町の路地の夜景がもっと欲しいか。

★小満ん師匠『磯の鮑』

師匠の名前が梅村屋久兵衛、与太郎が飯匱を背負ったりしない、ギャグが違うなど、盲の小せん師型の小里ん師とは違いあり。久兵衛は洒脱な人で、廓の面々が与太郎の言う事に呆れないで、洒落たお客と勘違いするのかまた面白い。

★小満ん師匠『宿屋の富』

 前半、咳き込みが多く安定せず。亭主が去ってからサラサラと演じた。田舎者が結構性質の悪い割に嫌みにならないなど、目白系らしい、無駄な重たさの無い構成。

◆3月10日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第四夜(お江戸日本橋亭)

市助『手紙無筆(上)』/馬石『請地の土手』//~仲入り~//雲助『稲荷堀』

★雲助師匠『稲荷堀』

調子が柔らかく、圓朝系人情噺と落語の中間、雲助師の言われる「世話噺」の世界になってきた。大仰な奥州屋の硬いマジボケの面白さ、如何にも小悪党な富の面白さ、柔らか味を増して悪と色気の相伴ったお富の良さ、與三郎のうぶな面白さ(稲荷堀で傘を持ってズボッと立ってる形が若旦那でカッコ良さと間抜けさが入り交じっている)と、顔揃いの面白さ。お富と與三郎が稲荷堀へ相合傘をすぼめて走る描写のなかったのは残念。

★馬石師匠『請地の土手』

 えらく短く、20分一寸か。キレがあり、最後に酔って現れた長二にはデカダンスの香りさえあるけれど、全体としては「前講」の感じでタップリ感には乏しい。次回は雲助師が『茣蓙松』の長講だから『縁切り』の尺はどうするのだろう?

---------------------以上、上席-------------------


◆3月11日 第十二回射手座落語会(湯島天神参集殿二階座敷)

 扇『平林』/正蔵『安兵衛狐』/喬太郎『七両二分』/生志『柳田格之進』

 ※自分が主催する会なので感想は無し。


◆3月12日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第五夜(お江戸日本橋亭)

市助『狸の札』/馬石『縁切り』//~仲入り~//雲助『茣蓙松の強請』

★雲助師匠『茣蓙松の強請』

茣蓙松吉兵衛のケチで助平な可笑しさも愉しいけれど、掛合い人・伊之助の駆引きの面白さ、キャラクターが図抜けている。一種、江戸の「大家芸」の面白さ、人物像の裏表のある辺りにピカレスクの魅力があり、うぶ丸出しの與三郎のひ弱さとの対比も含め、『新三』の大家同様、場面の主役らしさを感じさせる。お富は茣蓙松をたらしこむ美人局の運びは巧みだと思う半面、昔と比べて、與三郎を懐に入れて可愛がるような年増の色気に乏しいと感じた。形容で美しさは感じるのだけれどね。

★馬石師匠『縁切り』

長二の作り物の酔態は、作り物としての迫力があり、裏腹な心底の思いも描けている。馬石師の二枚目ぶりが活かされて、肩から指先へ掛けて色気のあるのが「縁切り」の切なさを感じさせるのも特色だろう。一方、兼松(この役は長二が鞍馬天狗なら、杉作だね)が終始、長二を思う良さに比べると(兼松のセリフを聞いてて涙が出た)、清兵衛が長二の心底を推察する「腹」がイマイチ判然としないのは残念。あと、終盤、お政に口を聞かせるのは情味の分かりやすさでもあるけれど、同時に「男同士、職人同士の遣り取り」に女の情を入れる無駄、圓朝師匠の野暮さも感じた。これは馬石師の科ではない。

◆3月13日 池袋演芸場昼席

志ん輔『風呂敷』//~仲入り~//柳朝『宗論』/さん喬『浮世床・夢』/小円歌/正朝『三方一両損』

★正朝師匠『三方一両損』

運びはほぼ一朝師と同じだが、金が帰りがけにもブツブツぼやいていたりするのが嫌みにならず軽い可笑しさに感じられるのはキャラクターの良さか。金の大家がまた喧嘩好きの面白いキャラで、軽さもあるのが特徴。「もう少しパンチがあっても良いか?」とも思うけど、正朝師らしい軽い愉しさを薄めるのは勿体無いしなァ。

◆3月13日 第259回小満んの会(お江戸日本橋亭)

半輔『牛褒め』/小満ん『花見酒』/小満ん『粗忽長屋』//~仲入り~//小満ん『火事息子』

★小満ん師匠『花見酒』

二人とも酒が好き好きでで、ってのがちゃんと根っこにあるから、かなりシュールな遣り取りを二人が繰り返すのにも関わらず、背景はあくまでも長閑な花時分‥‥というのが流石の洒脱さ。『ゴドー』みたいで『ゴドー』より面白い落語。

★小満ん師匠『粗忽長屋』

「こんなことなら」と泣き出す熊に兄貴分の言った「男なら腹で泣け」が馬鹿に可笑しい。粗忽二人の会話が見事に馮仄が合っているのに驚く。「会話のリズム」でトントン行く、というよりキャラクターの的確さにブレがなく、あれよあれよと噺が転回しちゃう愉しさ。こういう『粗忽長屋』は珍しい。目白の師匠とはリアルさの方向が違うのも一興。

★小満ん師匠『火事息子』

マクラの丁寧な時代考証は小満ん師らしく、また気障ではない(多少、尺を延ばした気味もあるのかな)。入りは三木助師演出だが、稲荷町・金原亭・三遊亭も部分的に混じっているかな。小満ん師に相応しい江戸情話である。親旦那があまり意固地でなく、番頭に「よく言っておくんなさった」と涙ぐんで台所に向かい、「こっちへ来ないか!」とは言うが「今でも心配しているんだ」と優しい。そこに年取って出来た一粒種の雰囲気がある(両親が猫っ可愛がりした話を本題に入る前に振っている)。おかみさんがまた柔らかくて優しくて甘くて‥‥ある意味、若旦那が一番二枚目で凛々しく、世間に通用するキャラクターなのは、これから先の伊勢屋親子の仕合わせを予感させる。「ふた親は勿体無いが騙しよい」かな。

 ※六時半開演で八時半にはハネてしまう。この「充実してるけど楽」ってのが堪らないね。

◆3月14日 上野鈴本演芸場夜席「馬石渾身九夜」

小んぶ(交代出演)『そば清』/小菊/龍玉『鰻屋』/歌武蔵『不精床』/勝丸/白酒『馬の田楽』/雲助『千早振る』//~仲入り~//ホームラン/三之助『のめる』/アサダⅡ世/馬石(ネタ出し)『おせつ徳三郎』

★馬石師匠『おせつ徳三郎』

若き日の一朝師匠に「若いうちから大ネタばかり演ってると芸が堅くなるから止めな」と言ってくれたという先輩(誰なんだろう?)と、それを守った一朝師匠は偉いなァ。『名人長二』連続口演や『双蝶々』などの人情噺、今回の大ネタ中心のネタ出しなどの流れに巻き込まれたか、噺が堅~く重~くなっている。『花見小僧』の親旦那など完全に侍みたいだし、長松の調子もクドい可愛さになっていて、聞いていて胸焼けがした。長松が「植半」の奥座敷を覗きに行くというのも、この口調では「スケベ小僧」になってしまい後味が悪すぎる。『刀屋』になってからも、旦那にせよ徳三郎にせよ頭にせよ、みんな芝居になり過ぎ。「元の鞘に収まった」とサゲるなら、「徳や、お呑み」は必要ないだろうし、また水を掬って自分が呑み、徳三郎に「徳や、お呑み」と差し出す流れがサゲ前なのにダラダラする。「徳や、お呑み」は先代馬生師絶妙の件で、あの可愛らしい、大家のお嬢様らしい雰囲気がないと演る意味を感じられない。今回の高座に関しては、ある意味、40代の雲助師匠の落語が矢鱈と重くなったのを思い出した。折角、軽くて可笑しい『元犬』『鮑熨斗』『金明竹』『松曳き』が出来るのに、この手の重さに嵌ると抜けだすのに苦労しかねない。比べると、やっぱり、白酒師は噺家さんとして頭が良い。

★白酒師匠『馬の田楽』

久し振りに聞いた演目でかなりの進歩を感じた。高座尺が短いので長閑さを感じさせる面には物足りなさはあるけれど、以前の馬方の恐さはなくなった。馬方を噺全体の進行役に留める形に変えたかな。おんじいや茶店の耳の遠い婆はどちらもヨーダ系怪人で実に愉しく(『煮賣屋』が聞きたくなった)、気の長い男の大声は雲助師を思わせて非常に馬鹿馬鹿しく、酔っ払いのグズグズぶりも良い。子供はもっと可愛くなると思うけどね。

◆3月15日 池袋演芸場昼席

志ん輔『紙入れ』//~仲入り~//柳朝『黄金の大黒(上)』/さん喬『そば清』/ペペ桜井(小円歌代演)/正朝『明烏』

★正朝師匠『明烏』

今や懐かしい小朝師型。とはいえ、源兵衛・太助コンビのざっかけなさをはじめ、登場人物に変な芝居がなく、軽くて気楽な落語国のキャラクターになっていて愉しい。特にお茶屋で如何にもうぶな若旦那らしく挨拶した時次郎がサゲを言いながら愉快そうに微笑した変化・成長の妙が堪らなく可笑しく、愛しかった。

◆3月15日 第3回文蔵コレクション(らくごカフェ)

文左衛門『幇間腹』/文左衛門『開帳の雪隠』//~仲間入り~//文左衛門『化物遣い』

★文左衛門師匠『幇間腹』

 久し振りに文左衛門師から聞く演目。ラフファイト系の爆笑狙いネタだが、大分細部が抜けてたのは残念。

★文左衛門師匠『開帳の雪隠』

生之助師譲り。聞くのも生之助師以来。サラッとしているけれど、小品だけに一寸した言葉の無駄が耳につく。これを文左衛門師に「珍しい噺だから、六ちゃんのとこへ習いに行け」と言ったという文蔵師も面白い師匠である。

★文左衛門師匠『化物遣い』

白酒師型をすっかり抜けて文左衛門師の噺になっている。隠居の可愛く煩いキャラクターも愉しいけれど、隠居の目で見ている化物の可愛さが素晴らしい。『小言幸兵衛』が聞きたくなるね。

※文左衛門師は中ネタの少ない師匠だから、文蔵師の演目から寄席用の小ネタ、中ネタを演じて行く会なのは嬉しい。半面、文蔵師の演目一覧表から観客にリクエストを取るのは余り意味がないと思う。

◆3月16日 第23回赤鳥寄席桂文治おさらい会(目白庭園赤鳥庵)

音助『垂乳根』/文治『線香の立切れ』//~仲間入り~//文治『抜け雀』

★文治師匠『抜け雀』

オモチロイ!小柳枝師譲りというが古今亭直伝に近い雰囲気。古今亭系の講釈ネタが面白いのはキャラクターを志ん生師がおやかしているからだけれど、この文治師のおやかし方もひどく可笑しい。かみさんは亭主の顔を張り飛ばして痣を作る乱暴な女だし(「血頭の丹兵衛」「幼馴染みの菊之丞と一緒になれば良かった」には笑った)、亭主は盥で水を持って来るような気弱な馬鹿者だけれど正直である。若い絵師は傲慢だったのが最後は酒を止めて成長を感じさせる。父絵師は貫禄もある。また、筆遣いは荒っぽいが二人の絵師がちゃんと雀と鳥籠を描いているのが分かるのは珍しい。笑いの陰に細部の丁寧さを隠す含羞が落語らしい。十八番になる演目だな。

★文治師匠『線香の立切れ』

扇橋師譲りとのこと。若旦那、番頭共に些か無張った印象で前半が堅い。番頭の貫目や若旦那の「若い軽薄さ」はあるが、全体的にまだ柄が違う。小久の母は情に良い所のある半面、妙に扇橋師の表情や調子を真似しているように感じる所もある。もう少し文治師本人で聞きたい。

◆3月16日 白酒・甚語楼ふたり会(お江戸日本橋亭)

けい木『十徳』/白酒『浮世床・将棋~講釈本』/甚語楼『ねずみ』//~仲入り~//甚語楼『人形買い(上)』/白酒『山崎屋』

★白酒師匠『山崎屋』

スイスイ運んだが、少し急ぎ気味で言い間違いが多目。若旦那、番頭、親旦那のキャラクターの的確さだけでなく、番頭との比較で、親旦那の盲目的な親馬鹿ぶりやケチんぼぶりはもっと色が濃くても良いかな。花魁のしとやかさはかなりグレードアップしている半面、まだ最後の場面は付け足しっぽさが抜けない。この場面のためだけに仕込みも倍増するし、どうも小噺になっちゃうな。「倅が駄目ならわしが」のセリフから繋げるのに「親旦那は隠居して」と入るのが日常のスケッチにしては段取りめくのである。この噺、親旦那におかみさんがいちゃいけないかな?老夫婦と嫁の会話にするために。

★白酒師匠『浮世床・将棋~講釈本』

こういう噺は雲助師譲りでキャラクター表現が的確で、特別なギャグ無しでも非常に面白い。

★甚語楼師匠『ねずみ』

余り他に聞いた事の無い演出。甚五郎は非常に丁寧な口調で職人っぽくはない。良い町衆。卯之吉はやや作り過ぎか。卯兵衛は暗めの作りだが、世間話から改まらずスーッと回想談に入って行く。メリハリを余り付けないから面白さの弱い代り、卯兵衛の心の傷のような物を感じさせた。非常に人情噺的な独白。甚五郎が鼠を彫る気になるのがよく分かる。近隣の住人の暢気さも似合って愉しい。飯田丹下の恨み話はなく、割とスーッとサゲまで行く。二代目政五郎は所謂職人らしい。甚五郎が語り掛ける調子から鼠の返事までは一寸ファンタジックな良さがあり、間抜けな鼠が実に可愛い。

★甚語楼師匠『人形買い(上)』

『ねずみ』を引き摺らず、二人組、特に弟分の間抜けさは色々工夫があって馬鹿に面白い。小僧がちとクサ目で不気味。


◆3月17日 池袋演芸場昼席

柳朝『武助馬』/小里ん(さん喬代演)『磯の鮑』/小円歌/正朝『花見小僧』

★正朝師匠『花見小僧』

定吉が自分の悪さを喋るついでに「教えましょうか、番頭さんの悪事の数々を」と言い出して、旦那が奥にいる番頭の方をチラ見して気を遣う辺りの演出は無性に可笑しい。定吉は得意の小僧だし、旦那も終盤少し騒がしくなったけれど、悪く下世話になり過ぎず、長命寺の講釈もサラリと聞かせて、軽めの旦那として悪くない。番頭は「御注進番頭」という、一種お節介な雰囲気になっていて面白い。おせつと徳三郎がじゃれる辺りから「お長くなりますので本日は」とサゲるまで、リズムが良いのも特徴。安心して聞ける『花見小僧』である。

◆3月17日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第六夜(お江戸日本橋亭)

市助『ひと目上り』/馬石『御白州~大団円』・踊り「かっぽれ」//~仲入り~//雲助『島抜け』

★雲助師匠『島抜け』

鉄五郎の迫力が圧倒的な半面、與三郎のお富へのしがらみ具合を余り感じない。鉄五郎が断崖絶壁から身を投じる件が一番の聞き場であるものの、荒波を乗り越える辺りは普通の描写(といっても言葉に力があるから面白いんだけれどね)。三人が顔を合わせた桟橋から断崖絶壁へ掛けて雨嵐の吹き付けを感じないのは残念。源左衛門と同じで鉄五郎、松蔵の行く末の方が與三郎よりも気になる。今回の『お富與三郎』を通して、お富・與三郎は以前と違い、狂言回しの脇役っぽく、角場面に登場する悪党たちのピカレスクとなっているように感じる。

★馬石師匠『御白州~大団円』

原作のこじつけ的な解明と論理展開を喋るのがまだやっとの緊張感に終始した。この件は文字作夫婦と玄磧の三人を詳細に描き、これに奉行と配下の探索を『天一坊』みたいに入れないと面白くはなり難いだろうが、そうすると『政談物』になってしまって長二は脇役になっちゃうな。

◆3月18日 芸の饗宴「披く・落語」昼の部“醸”(池袋芸術劇場プレイハウス)

※余りにくだくだしい題名なので呆れた。

観世流「高砂」八段之舞 シテ・武田宗和/昇々『早生まれ』(正式題名不詳)/遊雀『悋気の独楽』/三喬『月に業雲』(正式題名不詳)/喬太郎『ハムバーグが出来るまで』//~仲入り~//白酒『松曳き』/昇太『花筏』

★三喬師匠『月に業雲』

初めて聞いた噺。『代書屋』の盗人版みたいだけれど、三喬師の軽い可笑しさが真に結構なもの。

★喬太郎師匠『ハムバーグが出来るまで』

近年聞いたこの噺では一番噺全体が明るかった。割と鬱というか、ダルな感じから入る噺だと思っていたけれど。

※昇太師が本題に入った所で関内へ向かう。昇太師『花筏』は大好きだけれど池袋⇒関内では時間が不安だったもので申し訳ない。会自体はダラダラ長い、締まりの無い流れだと思うとはいえ、遊雀師と喬太郎師の久々の共演を目に出来たのはもの凄く嬉しい。私は勝手に「喬太郎師の本当のライバルは遊雀師だ」と思っているので。

◆3月18日 第115回横浜小満んの会(関内小ホール)

半輔『寄合酒』/小満ん『羽衣』/小満ん『花見心中』//~仲入り~//小満ん『山崎屋』

★小満ん師匠『羽衣』

天女が伝法な口調に変わってからの可笑しさは出色。伯良の柄の悪さも愉しい。小品乍ら、真似の出来ない味わいである。

★小満ん師匠『花見心中』

 昔、正雀師で一度聞いた事があるかな。小満ん師で聞くとバタ臭さ、オー・ヘン
リー作品的な味わいが出るのは摩訶不思議。奇譚系の小品で愉しいが、『羽衣』同様、誰にでも出来る噺じゃあない。

★小満ん師匠『山崎屋』

番唐の「その目が“後を訊いてくれ”といっている」、若旦那の「エライッ!」、親
旦那の「バカァッ!」なんてセリフの面白いこと!なるほど『よかちょろ』から続く
噺だと頷けるように、スッキリとアクの抜けた、実に洒落た作品になっており、圓生師系噺の段取りの多い鬱陶しさを全く感じさせない。親旦那は志ん生師風のケチな人が黒門町の口調で喋ってるみたいで凄く愉しいし、番頭や若旦那にも変な後ろめたさ、悪党ぶりがなく、サラサラしている(若旦那が番頭の妾囲いをしつこく弄らないのがまた大店の若旦那らしくて良い)。その中で頭の江戸っ子口調がアクセントになっている。ラストの親旦那と花魁の場面もここだけが離れた小噺にならず、雰囲気がちゃんと繋がっているの素晴らしい。

※某落語会関係者(耳でばかり落語を聞いているせいかな?)のように、小満ん師を「言葉違えや言い澱みが多い」と買わない人もいるけれど、私が実際に高座を拝見した中では先代馬生師と並んで「言葉違え、言い澱み」なんてものが、ちっとも気にならないのは小満ん師である。言葉の前に噺の世界がちゃんと出ているからね。その意味では、黒門町・目白の御弟子さん乍ら、志ん生師・先代馬生師に近い芸風の師匠なのではあるまいか。

◆3月19日 池袋演芸場昼席

さん吉『漫談』/左龍『お花半七』/ダーク広和/志ん輔『片棒(中)』//~仲入り~//志ん彌(柳朝代演)『口入屋』/さん喬『短命』/小円歌/圓太郎(正朝代バネ)『藪入り』

★圓太郎師匠『藪入り』

マクラから45分程。パワフルさは変わらず、終盤、亀が親父を睨み返す辺りからサゲまでの「男の落語」らしさが更に加味された。


◆3月19日 第二期林家正蔵独演会その3「四季の正蔵~春の正蔵」(紀尾井小ホール)

正蔵『稽古屋』/はな平『黄金の大黒』/正蔵『伊勢屋稲荷』//~仲入り~//正蔵『明烏』

★正蔵師匠『伊勢屋稲荷』

『狐芝居』の書き換えだと聞いていたが実は違って、小佐田氏の全くの新作。『河内山』の玄関先のパロディを演じる割には、役者の化けるのが侍だったり、七五調のセリフに蛇足があったりと、趣向が一致しないなど、作品の欠陥がまだ多い。

★正蔵師匠『明烏』

二ツ目時代には演じていたネタで久し振り。非常にシンプルだけれど若旦那、源兵衛・太助、親旦那と大きな欠陥はない。若旦那に色気があり過ぎないのも長所。浦里が可憐。明るく愉しく持ちネタになる噺。

★正蔵師匠『稽古屋』

「道成寺」を教える手振り身振りの仕科が小さいので華やかさに欠ける。「立ち小便をしたら」を抜いたのは綺麗事好み過ぎないかな。

◆3月20日 赤坂青山寄席「志ん輔のシェイクスピアを楽しむ会」(赤坂区民センターホール)

半輔『寄合酒』/きらり『扇の的』/志ん輔『佐々木政談』//~仲入り~//小菊/志ん輔『婿入り天狗』

★志ん輔師匠『婿入り天狗』

多分に志ん輔師のキャラクターによる所は多いけれど、天狗になった平太郎の暢気な可笑しさが「曇り後晴れ」といった『テンペスト』の世界と落語の世界を結び付けて面白い。多少、手入れをして落語研究会などに出してみたらどうかな?

★志ん輔師匠『佐々木政談』

後ろの噺に気を取られてか、四郎吉に良い時の切れ味なく、言い間違いあって流れ悪し。ネタ卸し・目玉ネタは仲入りに演じるべきと知るべし。

◆3月20日 池袋演芸場夜席

小ゑん『フィッ』/伯楽(文生代演)『漫談』/仙三郎社中/小満ん『花見小僧』//~仲入り~//丈二『漫談』/さん喬(権太楼昼夜替り)『そば清』/正楽/白鳥(圓丈代演)『萩の月の由来』

★白鳥師匠『萩の月の由来』

寄席のトリで聞いたのは私は初めて。段々と枝葉が刈り込まれて、元ネタの『ねずみ』に近付いてきた雰囲気。馬鹿馬鹿しくて愉しい点は変わりがないけれど。

※丈二師の高座から感じたけれど、新作派って、繋ぎに掛かれる噺が殆どないんだな。『黄金の大黒』『浮世床』みたいに、何処で切っても良くてフルだと長いネタ。『歌謡曲の穴』の進化形みたいなのは必要だね。

-----------------------以上、中席---------------------

◆3月21日 上野鈴本演芸場昼席

文楽『六尺棒』/ダーク広和(のだゆき代演)/さん喬『そば清』//~仲入り~//のいるこいる/圓十郎(交互出演)『湯屋番』/市馬『長屋の花見』/猫八/歌武蔵(歌之介代演)『ボヤキ酒屋』

★圓十郎師匠『湯屋番』

物凄く軽く馬鹿馬鹿しい若旦那で、しかも愛嬌があって明るくて愉しい。これは売り物になる演目。

★市馬師匠『長屋の花見』

 市馬師で聞くのはかなり珍しい。長屋連中の細かいリアクションも良かったけれど、部分部分の工夫も活きていて良かった。特に「爺さんの骨上げ」から「次は大家の弔いだろう」や「“酔え”っ?!」の可笑しさは実に結構なもの。

★歌武蔵師匠『ボヤキ酒屋』

この噺に関しては、可笑しいけれど、妙に大間で何か聞いていて気が抜ける。はん治師の密度の高さとつい比べてしまう。


◆3月21日 落語協会特選会第54回柳家小里んの会(池袋演芸場)

けい木『十徳』/志ん吉『親子酒』/小里ん『ろくろ首』//~仲入り~//小里ん『お直し』

★小里ん師匠『ろくろ首』

 近年では珍しい演目。前半の伯父さんとの遣り取りで「おかみさんが欲しい!」と叫び出す前の煮詰まったような表情などはすこぶる付きの可笑しさ。「御尤御尤」で引っ掛かった辺りからリズムがやや狂い、御屋敷に行ってからも「左様左様」「御尤御尤」「なかなか」がこんがらがったのは残念。明るい与太郎、謹言実直な伯父さん、淑やかな乳母(これは実に良かった)とキャラクターは揃って良いだけに四月上席の主任での再演に期待したい。

★小里ん師匠『お直し』

落語の『お直し』の典型である事は揺るぎがない。客相手の口説から亭主相手の痴話喧嘩まで、落語らしい笑い、廓噺の愉しさを常に観客に感じさせる(神近市子的な価値観のお客には廓噺の洒落っ気や醍醐味は分かるまいが)。「廓暮らし」が骨の髄まで滲みた夫婦が織り成す形而下的な(だからこそ愛しい)夫婦愛の可愛さがあり、そこに廓の客の典型のような酔っ払いの面白さが絡む。「騙されるのが客の道」と分かっているような酔っ払いが言うから「直して貰いなよ」が洒落たオチになる辺りは独壇場だろう。

◆3月22日 新宿末廣亭昼席

小南治『鼻捻じ』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『鰻屋』/笑遊『好きと怖い』/うめ吉/鶴
光『善悪双葉松』(この演目は2度目だけれど、鶴光師が最後に言った正式題名の真ん中部分が聞き取れなかった。※後日ネットに出ていた題名を記す)


◆3月22日 第一回神保町グイグイ系(らくごカフェ)

宮治・松之丞・一蔵「御挨拶」/宮治『反対俥』/一蔵『らくだ(上)』//~仲入り~//松之丞『寛永宮本武蔵・山田真龍軒』『桑原さん』/宮治『宿屋の仇討』

★一蔵さん『らくだ(上)』

 兄貴分が猛々しくはないので静かな展開乍ら、ジンワリと聞けて面白く、しかも何処か明るいのは持ち味の良さか。屑屋のへり下り方には何となく馬桜師っぽさを感じたけれど、展開そのものはかなり違う。長屋連中や大家はデフォルメでなく、かなりリアルなキャラクター付けだけれど、リアル過剰の重さはない。漬物屋が屑屋に向かって言う「長屋の人間でもねえくせに」が全体のキーワードになっている。また、らくだに屑屋の苛められた回想話が余り長くもなく、重くもなくて、ちょうど「落語」の範囲に留まる程の良さがあるので、これなら火屋まで行っても聞きもたれはすまい。 『猫と金魚』の辺りから「演出力があるな」と感じていたけれど、構えが大きく、ジワリジワリと噺を作る来る辺りは柳朝師、一之輔師、朝也さんとも違う良さ。一朝師一門は雲助師一門、さん喬師一門に続く精鋭揃いになってきたかな。

★松之丞さん『桑原さん』

 自作の新作(らしい)。鯉八さんの噺の世界に似ているけれど、鯉八さんより世界が分かりやすく可笑しい。現代のかなり田舎の畦道で「自殺したい」と呟いていた「空気の全く読めない桑原さん」の少年時代のエピソードについて、呟きをたまたま聞いていた同級生(だと思う)二人が話している。ふたりの会話から浮かんでくる「桑原さん」の自己評価の勘違いぶりが、微妙な共感を呼んで(ここの所は鯉八さんと違うな)、微妙に可笑しい。完全に「落語」の世界であり、圓丈師以降の新作では異色の持ち味。圓丈師系の新作と比べても、決して聞き劣りがしないだろう。

★宮治さん『宿屋の仇討』

 昨年五月に聞いて面白さに感心して以来の演目。宮治さん的に噺を動かして来てはいるけれど、キャラクターの基本である江戸っ子三人の跳ねまくった大馬鹿者トリオぶりと伊八の困り方、侍の何か異様な迫力、噺の細部の演出は保たれている。特に源兵衛の色悪噺の速度とリズムのある締め方には聞き込ませる力がある。やはり面白い。

※7時半から始まり、力押しの高座の連続で10時まで。正直、聞きへばりがした。次回以降、7時開演で一席ずつで良いよ(『らくだ』と『宿屋の仇討』が並ぶ事はないだろうけど)。尤も力押しでも三人の力押しの色合いが違うのは面白い。


◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL“落語フェスティバル的な”2013
『大吟醸」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

さん喬・雲助・権太楼「鼎談」/市助『ひと目上り』/さん喬『幾代餅』//~仲入り~
//権太楼『猫の災難』/雲助『花見の仇討』

★権太楼師匠『猫の災難』

 こういうガランと間の抜けた空間の落語会だと、それを埋めてくれる権太楼師の華やかさ、明るさが愉しい。

★さん喬師匠『幾代餅』

人情噺系寄席主任ヴァージョンで安定感は抜群。

★雲助師匠『花見の仇討』

 出来は良いのだけれども、前もって浚ってきた時の雲助師に雰囲気が似ていて、切れ味と迫力に若干乏しい。結果的にさくらホールだと高座の輪郭が小さく見えてしまったのは残念。


◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL2013“落語フェスティバル的な”
「来温レーベルCD発売記念落語会」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

一之輔『眼鏡泥』/白酒『粗忽長屋』/生志『悋気の独楽』//~仲入り~//白鳥『初めてのフライト』/文左衛門『笠碁』

※上手の前の方で聞いていたら音響が悪く、どの高座もかなり聞き取り難かった。このホール、空間的には「音響の死角」があるのではないか?白酒師と文左衛門師は良い出来だったと思うけれど、聞き取り難くちゃ仕方がない。

◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL2013“落語フェスティバル的な”
「圓朝噺」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

馬石『大仏餅』(ネタ卸し)/小朝『死神』//~仲入り~//市馬『黄金餅』/小満ん『鰍沢』

★市馬師『黄金餅』

久々。明るく愉しい。噺の展開を軽く明るく持って行けるようになっている。半面、「市馬落語集」で聞いた、焼き場の戸にもたれて眠る金兵衛の良さはないけど、今夜の会ではそんな趣は不要か。

★小朝師『死神』

『誉れの幇間』に近い改訂乍ら、「優等生の考えた良い話」になっちゃっていて、
「落語」としては物足りない。感じる愉しさに乏しい。脱会以降の家元に似ていて、「落語の解説」をしている感じがしちゃうのだ。

★小満ん師匠『鰍沢』

序盤は命拾いした新助が、お熊が元は月の兎花魁と知って浮かれる気分中心。中でお熊が襟元をくつろげて傷跡を見せる仕科の色気がアクセントになっている。新助が玉子酒を啜るリアルさ、内外から温められた新助の火照り感も面白い。伝三郎の苦しみから序盤の暢気さが消え、ピカレスクの緊張感になる。終盤の言葉の追い込みは独特の面白さ。半面、ブロッサムでの市馬師との会に比べ、会場・観客の密度が高まり難いため、日本橋亭や赤鳥庵にも繋がる程の出来とは言い難い。

★馬石師匠『大仏餅』

 妙に巧すぎるくらいテクニックに長けた表現や可笑しさのある半面、人物はまだ余り出ていないように感じた(ネタ卸し故当たり前)。

※小満ん師と馬石師の高座に言えた事で、「感じる」よりも「理解しよう」としちゃ
う「渋谷に福来るの観客層」、まして、さくらホールでは(ホールというより間抜け
な講堂だから)、箱に慣れた小朝師のお局向き理屈、これは鉄板の武器である市馬師の明るさの方が絶対的に強い。その意味では、前の会の白酒師は小朝師、市馬師より、更に「このレベルの会」という見極めと、高座の展開に関する頭が図抜けて良い。応用力があり過ぎるくらいある。

◆3月24日 新宿末廣亭夜席

昇之進『大安売』/扇鶴/とん馬『稽古屋』/富丸『落語家の夢』/マキ/遊三『長屋の花見』/小柳枝『時そば』//~仲入り~//圓馬『弥次郎』/青年団(交互出演)/圓(松鯉昼夜替り)『近日息子』/蝠丸『幇間腹』/ボンボンブラザース/歌春『崇徳院』

★歌春師匠『崇徳院』

最近になく丁寧な流れを感じた『崇徳院』で、「瀬をはやみ」と大声を上げて道を歩くあたり以降、八五郎の了見が可笑しくて笑った。

★小柳枝師匠『時そば』

最初の男がハイスピードで二人目に掛かるとギヤチェンジして面白さが増すのに感心。二人目のそば屋が文句を言われてそっぽを向いてる、ってのも街角の風景として愉しい。佳作佳作!

※『崇徳院』『時そば』だけでなく、『稽古屋』『長屋の花見』『弥次郎』『幇間
腹』と骨格の確りした噺が続いて雰囲気が壊れず、良い流れの夜だった。芸術協会の夜席にはこういう「落語協会には少ない落語らしさ」が何より。

◆3月25日 噺小屋スペシャル弥生の独り看板『柳家小満ん・雪月花六』

市弥『高砂や』/小満ん『崇徳院』/小満ん『葱鮪の殿様』//~仲入り~//小満『佃祭』

★小満ん師匠『崇徳院』

若旦那がひよわで軽くて、親旦那がせっかちで、間に挟まった八五郎が気の毒なのがまた可笑しいという、暢気な江戸っ子揃いで、アクの抜けた馬鹿馬鹿しさ。最後の床屋で頭が「お坊さん」と声を掛けるとツルツル頭になった八五郎がへたばってるのが目に浮かんできて凄く愉しい。

★小満ん師匠『葱鮪の殿様』

「葱鮪が好物」という小満ん師らしい美味しい高座。殿様が無邪気で、煮売屋の大神宮様を拝するのが実に良い。三太夫には食べさせず葱鮪で二合飲んで雪見を忘れる御大名気質も嬉しいじゃないか。『目黒の秋刀魚』と逆に「三毛のにゃあ」だ「ダリ」だと言われた御膳部の家臣が廊下の隅で困ってる様子も愉しい。小満ん師が演ると『目黒の秋刀魚』とは別趣向の噺になるのは、人間関係の描き方が落語らしい、皮肉や風刺の無い人物の愉しさになっているからだろう。

★小満足ん師匠『佃祭』

「祭礼の中で佃の祭が一番好き」と言われる小満ん師らしく、先代馬生師以来の「全編が愉しい佃祭」。次郎兵衛さんの祭道楽ぶり、かみさんの焼き餅ぶりがまずクッキリと描かれ、佃の女房が次郎兵衛さんの前にピタッと手を付き、涙を流して礼を述べる姿が如何にも江戸、いや佃の健気な気質になっている。同時に「祭の根は鎮魂だと思うよ」という小満ん師匠の気質の現れでもあり、「人の生き死にを巡る騒動」の根っこになっている辺りは小満ん師の「祭ネタ」でも『百川』とは世界観の違う噺になっている。佃島の好きな師匠らしく、かみさんの亭主(今回は綱五郎)の家も、佃の船頭家の黒光りした様子(それは小満ん師の目に映った佃島の暮らし・風土・伝統ものの魅力にも繋がる)が次郎兵衛さんのセリフで活き活きと描かれる。神田お玉ケ池側では弔に集まった町内の連中の先っ走りな勝手さがまた可笑しく、次郎兵衛さんの衣装を帳付けしながら「欲しがったなァ」とボヤく奴の了見が落語としてステキに愉しい。「薩摩絣に茶献上の帯、お前の欲しがってた奴だよ」には笑った笑った。さんの語りも御法談臭くなく、与太郎が嵌まるのも分かるから、身投げ探しまでちゃんと噺が繋がっている。永代端の上で涙ぐんでいる若いかみさんの描写も丁寧で、与太郎ならずとも止めたくなる。先代馬生師以来の佳作佳作大佳作。

※『崇徳院』の上野の観音様、『葱鮪の殿様』の大神宮様、『佃祭』の住吉様と今夜は「参拝三部作」だな。

◆3月26日 新宿末廣亭昼席

米丸『夢のビデオ』//~仲入り~//小南治『九官鳥~モンキードライバー』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『粗忽の釘・ロザリオ編(下)』/文治『好きと怖い』/うめ吉・夜桜/鶴光『試し酒』

★鯉昇師匠『粗忽の釘・ロザリオ編(下)』

 この可笑しさが本日の出色。登場人物がみんな(というより主人公夫婦の変さ加減にみんな巻き込まれるのだが)マジに変だから、ロザリオが出てこようが何が起ころうが、ちゃんと落語として成り立っている。

※山はかからなかったけれど、何となく可笑しかった日。


◆3月26日 第294回県民ホール寄席桃月庵白酒独演会(神奈川県民小ホール)

志ん公『権助魚』/白酒『山崎屋』//~仲入り~//白酒『花見の仇討』

★白酒師匠『山崎屋』

人物のキャラクターはかなり固まってきたので面白く聞けるが、洒落っ気が全体に乏しいので、まだ噺に膨らみは感じない。

★白酒師匠『花見の仇討』

 巡礼兄弟役の二人のキャラクターが固まって来ると共に、枝雀師風の直解主義的な人物造型を取り込んで面白さが増した。半面、リーダー役の熊さんの仕切りたがり、お節介のキャラクターがまだ明確ではなく、割と単純なおこりんぼなのには食い足りなさを感じる。

※ホール落語や独演会でネタの偏りから来る質の低下を感じる。圓生師、志ん生師、彦六師、目白の小さん師、先代馬生師みたいに「他の人が演じないネタを一杯持ってる人」が揃わないと落語会ってのは成り立たないものなんだな。「半日か一日浚えば出来る」というネタが二~三百はあるくらいの噺家さんが数いないと番組が成り立たない。「違う演者が同じ噺をしてる」という状態が寄席だけでなく、落語会でも蔓延しているようだ。矢来町、家元、小三治師が持ちネタにしていた噺の少なさが、特に落語協会の中堅以降の噺家さんに祟っている。みんな、力の及ばない大ネタを、ネタの力に頼って演じ過ぎていまいか。その前提になる小ネタ、中ネタをちゃんと仕込んでおかなきゃ大ネタの出来る訳がない。そりゃ、小満ん師に目が行かざるを得ないのは当たり前である。

◆3月27日 新宿末廣亭昼席

桃太郎『勘定板』/圓『菊石妾』/章司/米丸『夢のビデオ』//~仲入り~//小南治『鼻捻じ』/ナイツ(交互出演)/圓馬(鯉昇昼夜替り)『粗忽の釘(下)』/小柳枝(笑遊昼夜替り)『時そば』/うめ吉・夜桜/鶴光『荒茶の湯』

★圓師匠『菊石妾』

生まれて初めて聞いた噺。おそらくは先代圓馬師譲りだろう。芸術協会の楽屋帳では『あばた小僧』という名になっているらしい。入り方は『権助提燈』の定吉版。本妻が妾と張り合うだけの小品だが面白い。三代目の染丸師匠に『本妻』という題名で演じられた内容不詳の演目があったけれど、噺の展開からするとこの噺かな?

◆3月27日 落語協会特選会第回圓太郎商店「独演その16」(池袋演芸場)

一力『牛褒め』/圓太郎『小言幸兵衛』//~仲入り~//圓太郎『お若伊之助』

★圓太郎師匠『お若伊之助』

本来の長編人情噺『因果塚の由来』の発端としての演じ方なので、耳慣れた『お若伊之助』とは若干違いがある。お若はファザコンで父の死後、気鬱になっている。それを張らそうと母に頼まれた頭が伊之助を、亡き親旦那も稽古していた一中節の師匠として紹介する。伊之助の面差しが亡父に似ている、というのが最初のフック。お若と伊之助の間に具体的な間違いはなく、母が二人の思いを察して別れさせる。お若は根岸に行ってからも寝込まないが鬱々としている所に狸の伊之助が現れる。お若は割と陰にしてあり、伊之助は侍上りの若い二枚目らしい。頭は落語的にせっかちで直情で面白い。伊之助とお若の逢瀬を二人で見た後、長尾一角が根岸まで頭を走らせて伊之助の自宅所在を確かめるのは多少理につむけれども、納得感はある。長尾一角は剣士というより侠客的だが堅さが生きている。怪異な人情噺として、圓太郎師の強い口調が独特の魅力を感じさせる。今回は狸の双子を葬る終盤だったが、あと、15回分くらいの続きがありそうで(子供が男女で成長して畜生道に堕ちる幕末的なデカダンス噺)、完演したい意図が圓太郎師にはあるそうだが、誰か場を与える御人はいないか?

★圓太郎師匠『小言幸兵衛』

幸兵衛が手強い一方でやや変化に乏しいのは惜しいけれど、幸兵衛の心中話に仕立屋が相乗りになり、二人掛け合いでセリフや下座を受け持って心中場面を展開する辺りは面白い工夫。その分、最後の花火屋が益々付けたりになる憂いもあるが。「太田黒杢太左衛門」という名前も初めて聞いたが妙に可笑しい。

◆3月28日 新宿末廣亭昼席

米丸『漫談』(立ち高座:洋服)/章司/圓『漫談』//~仲入り~//小南治『鼻捻じ』/陽昇(交互出演)/楽輔(桃太郎代演)『元帳』/笑遊『ん廻し』/うめ吉踊り:夜桜/鶴光『ラーメン屋』

★鶴光師匠『ラーメン屋』

 鶴光師では初めて聞いた演目。若い男の調子が軽く明るく、大阪弁の表現による味やダジャレ混じりの演出も加味されて、メソメソした感じのしない落語になっていた。時々、六代目松鶴師の調子や雰囲気が混じるのは上方市井物の味わいに繋がる。「人より三倍の綿食い」オチ。

※この噺は「新作人情噺」ではなく、人情味のある新作落語なんだね。


◆3月28日 第537回落語研究会(国立小劇場)

才紫『武助馬』/正蔵『安兵衛狐』/雲助『つづら』//~仲入り~//市馬『藪医者』/花緑『妾馬』

★市馬師匠『藪医者』

演じなれたネタとはいえ、平常心に満ちた明るさ、応揚さで他を圧して面白く、落語らしかった。市馬師の地力を久し振りに堪能した。

★花緑師匠『妾馬』

井戸替えから酔態まででかなり長い。八五郎は広間まではとって付けたような意気がりが似合わなかったけれども、広間で平伏した辺りから『傷だらけの天使』のショーケンみたいな、センティメンタルさのあるチンピラになった。これはこれで一つのキャラクターになっていたと思う。但し、八五郎の愁嘆に続いてオフクロの愁嘆が入るのは如何にもモタれる。どちらか一つで良い。赤井御門守、大家、三太夫などは口調や仕科の基本が曖昧でちっとも様になっていないが、まず八五郎をショーケン的に通してから、脇の造型に入れば良いと思う。「ここはさん喬師匠?」「ここは矢来町?」「ここは雲助師匠?」と感じるように、色々な演出が入り交じっているらしく、そのためだろうか、時々、修辞に問題、違和感があるのは、まだ仕方ないか。

★雲助師匠『つづら』

前に上野で聞いた時より、先代馬生師色の強い前半の重さが気になった。最後の番頭と亭主の遣り取りの洒落た味わいで前半を組立て直しても良いのでは?

◆3月29日 新宿末廣亭昼席

圓『悔み丁稚』/健二郎/米丸『パンツ』//~仲入り~//小南治『芸比べ』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『長屋の花見(上)』/笑遊『ん廻し』/うめ吉踊り:夜桜/鶴光『鼓ヶ瀧』

★鶴光師匠『鼓ヶ瀧』

やはり、鶴光師のように「住吉明神、人丸明神、玉津島明神が」と言った方が噺に箔が付くと思う。

★笑遊師匠『ん廻し』

鯉昇師の『長屋の花見』を受けた形で、今日は『長屋の花見』から疲れて戻った連中に木の芽田楽を振る舞う趣向に変えた(笑)。昨日トチった「金看板、銀看板」は速度を緩めて何とかクリア(笑)。昨日と変わらず、与太郎の『ミ~ンミンミン』が馬鹿に愉しい。笑遊師ならではの可笑しさがある。

★小南治師匠『芸比べ』

時間がなく、『地獄巡り』の芸比べを一寸演じた。

◆3月29日 J亭落語会一之輔独演会~冬~(J亭アートホール)

一力『小粒』/一之輔『長屋の花見』/一朝『淀五郎』//~仲入り~//一之輔『徳ちゃん~五人廻し』

★一朝師匠『淀五郎』

圧倒的。この一席で一之輔師の三席は見事に薙ぎ倒されちゃった。こんなに丁寧に、リズムを崩さず、仲蔵、團蔵の優れた先輩役者の了見を描きながら、それが分かりきらない淀五郎の若さを描けた『淀五郎』は一朝師でも珍しい。内蔵助が花道を出てくる際の、速さに頼らず、迫力のある表現にも舌を巻いた。

★一之輔師匠『徳ちゃん~五人廻し』

最近時々聞くけれど、一人の噺家さんが二つの噺をリンクさせて、その場の内輪受けを狙うのは感心しない。それより、『五人廻し』の江戸っ子の啖呵が単なる早口になって、ベースにある「自慢気」「いい気になってる奴の可笑しさ」を描く方が重要ではあるまいか。

★一之輔師匠『長屋の花見』

昼間の鯉昇師の『長屋の花見』を聞いた後では、人物の面白さがさっぱり出ていないのに驚く。それでも、中では長屋を出る辺りの大家と店子の温度差の面白さと、終盤、月番二人が酔っ払ってみせる辺りのキャラクターは面白かった。


◆3月30日 雲助蔵出し再び その十五 (浅草三業会館二階座敷)

つる子『手紙無筆』市楽『六銭小僧』/雲助『品川心中(上)』//~仲入り~//雲助
『山崎屋』

★雲助師匠『品川心中(上)』

お染が女郎女郎していて金蔵を心中に引きずり込む辺りが面白い。代わりに、お染が死のうと思い詰める切なさはない。金蔵はボワッとしたお馬鹿でお染に本当に惚れてるというより騙されやすい奴の雰囲気。親分のとこの若い連中の馬鹿馬鹿しさは出色。

★雲助師匠『山崎屋』

『よかちょろ』から通しで繋ぎの違和感はない。『よかちょろ』はこんなに黒門町っ
ぽかったっけ?若旦那は悪ぶっている割に意外と初心で番頭の口車に乗る。番頭は慌てている割に性根の据わった智謀家。親旦那は親馬鹿でケチで可笑しい。花魁は『よかちょろ』で若旦那の口から語られる程、鉄火ではないけれど、ラストでも割と女太郎女太郎していて繋がる。『よかちょろ』に阿っ母さんが出てくるので最終景の隠居所にいないのは何か違和感あり。一つ言葉を挟みたい。全体に「粋」な感じが意外と乏しいのは、メリハリの強さ重視の語りで(無言の仕科は絶妙に可笑しい)、全体のリズムがかなりユックリだったためだろうか。

◆3月30日 らくご@座・高円寺2013春うらら公演「落語事典探険部」(座・
高円寺2)

遊雀・彦いち・白酒・天どん「会意解説」/遊雀『薬違い』/白酒『喧嘩長屋』//~仲入り~//天どん『天狗山』/彦いち『徳利龜屋』

★白酒師匠『喧嘩長屋』

上方では先代文枝師が演じていたけれど、東京では先代馬生師以降、演者はいなかったかな?前に夫婦喧嘩の発端を付けたが、妙にシリアスな倦怠期の夫婦喧嘩でリアリティがありすぎ、白酒師の陰なとこが出てる。後半がナンセンスで可笑しいだけに、もっとくだらない、「喧嘩好き」ならではの些細なキッカケの方が良いと思う。

★遊雀師匠『薬違い』

馬桜師や圓遊師で聞いた『薬違い』より遥かに面白いのは遊雀師ならではのリアクションの可笑しさゆえか。冒頭、ブ男が隠居のとこへ相談に行く『色事根問』を付けて、当人が手製でイモリとヤモリを間違える方が自然じゃないかな。

★天どんさん『天狗山』

上方で、笑福亭福團治師から教わって五郎兵衛が演じ、今は文我師が演じてる筈の『高宮川天狗酒盛』。『三十石』を一番長く演じた際の最後の件だが、もう少し丁寧に演じた方が面白さが増すのではあるまいか。とはいえ、天どんさんや喜多八師みたいなキャラクターの立つ噺家さんには似合う演目だと思う。

★彦いち師匠『徳利龜屋』

 つまり、『リップ・ヴァン・ウィンクル』なんだけど、壺を持った老人など展開の
雰囲気は中国の説話っぽい。彦いち師が調べたという、「徳利龜屋」の子孫が現存するって話には驚いた。彦いち師も不思議な噺家さんで『長島の満月』やこの噺のように、笑いの少ない噺で聞き込ませる能力、魅力には驚かされる。主人公の体験する超時空性に何の違和感も感じず、聴き込んでしまった。

◆3月31日 鈴本演芸場余一会・柳家さん喬独演会vol.19(鈴本演芸場)

さん喬『御挨拶』/つる子『手紙無筆(上)』/さん若『鈴ヶ森』/さん喬『花見の仇
討』/松喬『お文さん』//~仲入り~//さん喬『百年目』

★さん喬師匠『花見の仇討』

狂言仇討になって、後半、殺陣がこんがらがる辺りの身のこなしの鮮やかな美しさ、可笑しさは無類。半面、その場に至るまで、稽古の件から「花見の趣向」に気負い立ち、浮かれる愉しさのテンションが低い。『八笑人』そのまんまな馬鹿馬鹿しさが序盤から欲しい。

★さん喬師匠『百年目』

松喬師の『お文さん』の直後だけに、上方商人感覚がベースにある『百年目』はちと損をした印象が強い。番頭が着たり脱いだりで一睡も出来ない場面は気分はリアルで動きがスラップスティックで面白く、旦那のセリフに「伜」が入るのは初めて聞いたが二番番頭だけを謗る感が無くなって良いなど、また動いて良くなった点のある半面、「熱い熱いと泣いたんだよ」のセリフから番頭の号泣までがどうも弱い。番頭の涙を嬉し泣きに感じさせてこそ、さん喬師らしいのではあるまいか。

※何だか今夜のさん喬師は初手からテンションが上りきらなかったようである。

★松喬師匠『お文さん』

ユッタリ、モッチャリと上方商人噺の面白さを堪能した。定吉の可愛らしい事は丁稚のお手本のようなもの。丸で柄違いに一見思えるお文や正妻のしとやかな良さも印象深い。手っ伝いの又兵衛の悪目立ちしない面白さも出色(巧さを全く目立たせない辺りは東京なら一朝師的)。親旦那が気の回らないせっかちな老人なのもまた可笑しい。「暖簾分け」と「暖簾を継ぐ」の違いのマクラから上方落語らしさを満喫した。病さえも取り込む松喬師の噺家ぶりにも感嘆した。

 ※「何でこの師匠が松鶴になれんかったのか不思議でならぬ」という位の味わい深さである。

------------------------以上、下席-----------------

石井徹也 (落語道落者)

22:08

2013年06月23日

「ビッグコミックスピリッツ」のコラムページを!


6月24日(月)発売の「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)の
コラムページ「in high spirits」に月亭八方一門というテーマで
原稿執筆をしました。(P396です)。

ご覧いただきたく、お知らせ申し上げます!

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松本尚久 (落語の蔵スタッフ・放送作家)

02:13

2013年06月02日

「天下たい平! 落語はやおき亭」 今後の放送予定です

  
 ◆天下たい平! 落語はやおき亭 放送予定◆

いつもごひいきを頂いております「天下たい平! 落語はやおき亭」の放送予定を申し上げます。


■6月16日(日) 立川談志「五人廻し」
1980年「にっかん飛切落語会」での収録テイクです。

■6月23日(日) 古今亭寿輔「地獄巡り」
陽気な地獄遊山で死ぬのが怖くなくなる!

■6月30日(日) 三笑亭夢楽「富士詣り」
はやおき亭、初登場の三笑亭夢楽。富士山の山開き(7/1)にあわせたオンエアです。

■7月7日(日) ゲスト・寒空はだか
東京タワーからスカイツリーへ。変遷する都市像を唄で解読します!!



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(白熱した都市論を交わす、寒空はだか(左)と林家たい平(右))

「天下たい平! 落語はやおき亭」は毎週日曜日の朝7時~7時30分。文化放送から放送中!
どうぞご期待下さい。

はやおき亭公式サイト

「天下たい平! 落語はやおき亭」スタッフ一同

19:28

2013年05月13日

石井徹也さんの企画する落語会のご案内

「落語の蔵」解説執筆者のひとり、石井徹也さんの主催する落語会が
今年の12月に開催されます。

<柳家さん喬一門師弟四人会>という豪華企画です。

みなさまぜひお出ましを。

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15:42

2013年05月12日

演奏会「祭りの風に誘われて」のお知らせ


お知らせです。

寄席囃子の演奏家として活動をされている太田その師匠、松本優子師匠
が参加をされている邦楽演奏家ユニット「随之会」の公演が5月30日に
開催されます。

今回のテーマは「お祭り」。江戸・東京をはじめ、日本各地のお祭りの
風情を唄と三味線で表現・・・とうかがっています。

その師匠、優子師匠は「浜松町かもめ亭」「人形町らくだ亭」にも度々
出勤をしてくださっていますが、寄席の下座演奏とはおもむきの違う
演奏会ではどんな藝を見せて(聴かせて)くださいますでしょうか?

お時間のあるかた、30日にぜひ江東区・深川江戸資料館にお出かけ
ください!

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落語の蔵 スタッフ一同

01:40

2013年04月27日

祝! 立川談修さん真打昇進

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立川談修さんの真打昇進披露パーティが4月27日、東京丸の内東京會舘
にてとりおこなわれました。

談修さんは、本年4月1日付での昇進となりますが、じつは談志師匠が生前
に真打昇進を認めていらっしゃいましたので、<談志認定最後の真打>
となりました(談志師匠が「早く昇進しろ」と提案し、談修さんがそれを先延ばし
にしていたような形でした)。

じつは「浜松町かもめ亭」の第一回公演(2007年1月開催)の開口が
談修さんでした。

このときの「かもめ亭」は前座さんによる開口一番が無かったので、
以下のような番組でした。

一、立川談修 「かつぎや」
一、林家いっ平 「御血脈」 (現・三平)
一、柳家喜多八「やかんなめ」
一、柳家喬太郎「すみれ荘201号」

トップに出たのが当時二つ目の談修さんで、「かつぎや」で文字通り
縁起をかついでくださいました。

第一回「浜松町かもめ亭」

その後も、たびたび「浜松町かもめ亭」「人形町らくだ亭」にご出演を
くださっています。

真打昇進にともない、ますますの飛躍を願わずにはいられません!

談修師匠! おめでとうございます!


落語の蔵・浜松町かもめ亭・人形町らくだ亭 スタッフ一同

23:52