Feb23
2月21日(日)のゲストは・・・
株式会社はとバス 代表取締役社長 松尾均さん
「東京見物」の代名詞ともいえるポピュラーなバス会社「はとバス」。
「はとバス」の強みは、なんといってもバラエティに富んだコース設定。定期観光200、企画旅行600の中から随時50~60コースを運行し、顧客ニーズに応えています。
例えば、東京タワーや浅草を盛り込んだ定番の「東京半日コース」は50年間続く人気コースであり、新設の「江戸味覚食い倒れツアー」は寿司・天ぷら・うなぎを食べるコースで常に満員御礼の好評ぶりとか。
時代の風を察知するアンテナを張りつつ、歴史や文化のある「東京」の地の利を活かしたコース設定が日本人にも外国人にも受けている所以です。
現社長の松尾さんは、「東京都交通局長」を経て、2005年に「はとバス」代表取締役社長に就任しましたが、実は「はとバス」の前身「新日本観光」時代に東京都から遊覧バス事業を譲渡された経緯もあって多くの歴代社長が都庁の出身者なのです。
かつては半官半民の甘え体質もありバブル崩壊後には倒産寸前まで業績が落ち込みましたが、コスト改革・意識改革を断行し、特に「サービス研修」の名の下に社長からアルバイトまで徹底したサービス改善に勤め、現場の声を反映させるシステムを立ち上げて業績を回復させ、昨年は「過去最高の売上高」を記録しています。
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Feb19
2月14日(日)のTELゲストは・・・
2月14日(日)のTELゲストは・・・
NPO法人 ファザーリング・ジャパン 代表理事 安藤哲也さん
「ファザーリング」って何? Fathering(Father+ing)は、安藤さんの造語です。
Fathering=父親であることを楽しもう! ということです。ひと昔前までは、父親の役割といえば「外で働き」、「家事と育児」は母親の仕事と役割分担が決まっていました。
でも、時代は変わり、父親が積極的に育児をしてもいいし、実際にやってみると愉しいし、父親が育児の時間を持つことによって、仕事に対する意識も変わるし、もちろん、母親の負担も軽くなるし、子供の成長にも父親の育児参加が良い影響をもたらすという調査結果もあるそうです。
1962年、東京・池袋で生まれた“都会っ子”の安藤さんは、ロック大好き少年として“反骨精神”を培いながら育ち、出版社、書店、IT企業など9回の転職を繰り返して、2006年に父親支援の「ファザーリング・ジャパン」を設立。きっかけは「我が子の誕生」、少年期に刺激を受けたジョン・レノンの「子育て休業宣言」、そして反面教師としての「家父長然の実父の姿」などがあったそうです。
NPO法人設立後は“育児も、仕事も、人生も、笑って楽しめる父親を増やしたい!”と、企業や一般向けの「父親セミナー」、父親による絵本の読み聞かせライブ「パパ’s絵本プロジェクト」などで全国を飛び回っている3児のパパの安藤哲也さんです。
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Feb10
2月7日(日)のゲストは・・・
2月7日(日)のゲストは・・・
株式会社 創栄Group 代表取締役 加藤秀視さん
1976年、栃木県日光市で生まれた加藤さん。父親の家庭内暴力とその暴力に耐える母親の姿を目の当たりに怯えながら、愛情に飢えた少年期を過ごしました。荒んだ家庭の中から加藤さんが選んだのは、やはり「暴力」で相手を抑えつけること。加藤さんは非行少年の道をまっしぐらに進みます。
ドロップアウトした加藤さんを待っていたのはウラ社会。そこでも頂点を極めようとしますが、友人の事故死や自身の逮捕を機に、ウラ社会と決別。とはいえ、社会経験がなく人脈もない上に犯罪歴がある加藤さんに出来る仕事は?と考え、同じような境遇にいる仲間とスコップ片手に土木現場で働くことを決意。当初は受け入れてもらえず苦労しますが、やがて加藤さんのひたむきな態度に建設会社も徐々に受け入れるようになり、やがて公共事業も受託するまでになりました。
ウラ街道を歩んできた者だからこそわかる「立ち直ることの難しさ」や「社会復帰までの孤独」。
加藤さんは、いまその境遇にいる悩める少年少女、ニート、フリーター、目標を失った人などが「希望」を持てるように、少年施設への慰問や講演で語り掛けています。
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Feb01
1月31日(日)のゲストは・・・
1月31日(日)のTELゲストは・・・
山梨日立建機株式会社 代表取締役社長 雨宮 清さん
地雷は世界中で1億個以上が埋められていると言われています。内戦などが発生した国では現在も被害が後を絶たず、20分に1人の割合で被害者が出ています。
雨宮さんは94年に仕事で訪れたカンボジアで地雷被害者と知り合い「地雷除去機」の開発を決意しました。とはいえ地雷の知識ゼロからのスタートで、試行錯誤を繰り返し「一号機」の完成までに4年を費やしたそうです。
以来、建設機械の油圧ショベルをベースにした「地雷除去機」を次々に開発し、人手を使わない地雷除去作業を可能にして安全性を確保し、処理量も手作業の10~20倍と飛躍的に向上させました。
雨宮さんの会社で造る機械は、それぞれの国の地雷の状況を細かく調査して造るオーダーメイドが基本となっており、更に、現地の人々に対しては運転やメンテナンスの指導も行っています。
いままでにカンボジア、ニカラグア、アフガニスタンなど世界7カ国で70台が稼動しており、世界のメーカーの中でも群を抜く実績を誇りっています。
「かつての地雷原が、いまは農地に生まれ変わった」という報告を聞くのがなりよりも嬉しいという雨宮さんです。