2017年11月6日 稲わらの日
11月5日は「世界津波の日」
東日本大震災をきっかけに日本が世界に呼びかけ
142か国の共同提案で、2015年国際デーの一つとなった。
なぜ11月5日なのか。
安政元年1854年、安政南海地震が発生。
全国で2000から3000人が犠牲になったといわれる。
その大津波から人々の命を救った、
和歌山県広川町の村人、濱口 梧陵の逸話
「稲むらの火」に因んだからである。
この話には諸説ある。
今回は、かつての国語教科書や、
ラフカディオ・ハーンの小説でも伝えられなかった
稲むら火の館に伝わるあらすじを紹介する。
今から150年ほど前のある冬の朝、広村に地震起こった。
いつもと違う海に、村人たちは津波を心配して神社に避難したが、
被害がなかったことを喜びあった。
ところが次の日夕方の4時。前日の地震とは比べものにならない
大きな地震が起きた。
家が倒れ、ドーッという、大砲が轟く様な音が何度も聞こえ、
黒い筋雲がみるみる広がっていった。
そして大きな津波が押し寄せてき。
「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」
梧陵は波にのまれながらも必死で村人たちにそう叫んで、
神社へと避難を呼びかけた。
津波は川を遡り家や田畑を押し流した。
辺りは酷い有様で、大人も子どもも家族を探して叫びまわっている。
梧陵は、暗闇で彷徨っている人がいるに違いないと考えた。
とっさに、「勿体無いが、稲むらに火をつけよう」と、
積み上げられた稲の束に火をつけてまわった。
すると、逃げおくれた村人が次から次へと火を目指し
丘に上って来た。
「ああ助かった、この火のおかげや」村人が避難を終えたその時
さらに大きな津波が押し寄せ、稲むらの火も波に消されていった。
この先人の成功に学び、津波への関心を世界中で高め
津波から人々の命を守る対策を考えるきっかけの日である。
時は流れて、2011年3月11日。
東日本大震災では、幾つもの悲劇、奇跡があった。
そんな中、岩手県・釜石小学校の児童は
児童自らの判断で高台に逃げ、津波から身を守った。
現地の人に聞くと、「アレは奇跡ではない軌跡です」と答える。
小学校では、津波が起きた際、危険な場所や避難場所を実際に
歩かせて、地図に記入させた。
さらに、震災が起きる前までに3回避難訓練をし、
映像を取り入れた「津波防災授業」行っていた。
加えて、三陸地方の言い伝え
「津波てんでんこ」の効果も大きかったという。
「津波てんでんこ」についてと、
「稲むらの火」においてもう一つの偉業はまた次回としたい。
いずれにしても
「備えあれば憂いなし」
この言葉、改めて噛み締めておきたい。