2017年4月24日 花言葉は
ソメイヨシノが過ぎ
桜の花に代わるように,
ハナミズキが目立ち始めた。
遠くから見ると、
樹全体が白や淡い紅色の1つの大きな花のようだ。
ハナミズキが初めて日本 に来たのは100年程前といわれている。
明治時代中期に苗木を輸入された記録が残っている。
しかし、当時日本に根付かなかったようだ。
今,日本で見られるハナミズキの元は
1915年(大正4年)に桜の返礼として
東京市に贈られたものだといわれている。
現在では世界的に有名な桜の名所の1つになっている
アメリカ・ワシントンDCにあるポトマック河畔の桜並木。
1912年(明治45年)に東京市長,尾崎行雄が
第27代アメリカ大統領夫人の要望で贈った
3,000本の桜の苗木がもとになっている。
アメリカに桜を植えようという計画は
明治中期に日本を訪れ桜の美しさに魅せられて帰国した
アメリカの植物学者などで進められた。
これを知ったニューヨークに住んでいた科学者・高峰譲吉が
東京市長の尾崎行雄に伝えた事から実現されることになったという。
要請を受け,桜の苗木2,000本が横浜から船便でシアトルに運ばれた。
しかし,ここでアクシデントが。
苗木に害虫がついていることが分かり、全て焼却処分となった。
このことを知った尾崎市長は再び苗木を贈ろうと,
農事試験場に依頼して準備を始めた。
試験場で,病気や害虫の付いていない苗木を生産。
こうして生産した苗木6,040本を再度横浜港から送り出した。
贈られた苗木は検疫をパスし,半数はニューヨークに,
半数がポトマック河畔に植えられたという。
この桜の感謝のしるしとして1915年(大正4年)に
白花種のハナミズキの苗40本がアメリカから贈られた。
さらに2年後、ピンクの苗木12本も贈られ,
日比谷公園や都内の公園,植物園などに植えられた。
ところが太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」として,
その所在が行方不明となった。
終戦後、研究者がハナミズキの原木探しを精力的に行った結果,
東京都の都立園芸高校や東京大学小石川植物園などに
残っていることを発見。
今から100年前に海を渡った桜とハナミズキ
日本とアメリカでそれぞれ根付き,街を彩っている。
ハナミズキの花言葉は『返礼』
妙な「お返し(報復)」は欲しくもないが
厚意への返礼は互いの心を温めるはずである。
世界の無事を願う。