2016年12月5日 高尾山紅葉
久しぶりに高尾山に登った。
「今週末に登ろう!」と決めると、いつも雨
そんな事が何回か続いた。
でもちょっと嬉しかった。
高尾の山を登っているときはいつも辛い。
ただ、頂きが見えた時の達成感は至福の瞬間。
自分の中で鬩ぎ合いの世界なのだ。
何故山に登るのか・・・
有名な問答がある。
「そこに山があるから」・・・
貴方はこれをどう理解するだろうか。
私は「自然が見守る中、己に勝つ瞬間がそこにあるから」と理解している。
もっとも、599メートルの高尾山しか登らない私に
こういった質問は一度もない。
「スカイツリーより低い山なんて、山じゃない!」
居酒屋で知人に言われたことがある。
にっこり穏やかに笑ってこう答えた
「だよなあ・・・」
知人の発言、頭にくるどころか、心中嬉しかった。
「こいつ、高尾山を知らないんだ・・・」
一方で、
「僕も、大して知りもしないのに、世の中、したり顔で語っていないか?」
反省した。
高尾山は、私にとって「自分を謙虚にさせる場」なのだ。
今回全てを味わったつもりでも、次回登ると新たな苦しみがある。
「他人(ひと)の心」ひいては「自心(じしん)」の人生そのものなのだ。
どうして、ゆっくり楽しみながら登らないのか・・・
それは自分でもわからない。
性分なのだろうか。
前後に人が見えないとペースが上がる。
視界に誰かが入るとその登山者に近づくペースになる。
いずれにしてもオーバーペースなのである。
「いつも不安の中にいるのかなあ」
自身を見つめなおす、私にとって良いチャンスなのだ。
だから辛いのだろう。
勿論、グループでわいわい言いながら登るのも楽しいはずだ。
高尾山だけではない。
古(いにしえ)から、人は様々な場面で自分を振り返って来たのだろう。
己が生きる目的を改めて心に刻むためにも。
頂上で前日買ったコンビニのおかか握り飯を頬張った。
コメはボソボソ、格別に美味かった。