2016年2月29日 あれから5年
あの、津波という悪夢のような現実から5年が経過しようとしている。
宮城県・気仙沼市を見てきた。
市の発表によると、平成27年12月31日現在東日本大震災による
人的被害: 1,359人
(直接死1,031人、関連死108人、行方不明者220人)
住宅被災棟数: 15,815棟
被災世帯数: 9,500世帯
これだけの被害を受けた気仙沼。
復興の進んでいる部分と、まだまだの部分がある。
機会を作ってお伝えしたいと考えている。
今回も様々な方に話を聞いた。
家を流されて、今も仮設住宅に住む女性。
会社で被災し、津波から逃げる途中
車ごと津波に襲われ、近くにあったコンクリート製の手すりに
奇蹟的に手がかかり助かった男性。
所有している釣り船を守ろうと海に出て津波と炎から
ギリギリの判断で生き残った男性。
酒蔵を営んでいて、その蔵まであと2メートル手前まで
水が迫り、水害は免れたものの、その後の停電で
発酵の熱を除けず危機に陥った経営者、等々。
中には、今後津波の心配がある場所に住んでいる、
また勤めている方もおいでだろう。
毎年、気仙沼にはお邪魔しているが
5年を経て、漸く津波からの冷静な逃げ方を聞いた。
その方はこういった
「私はあの日まで、津波が来たらなるべく海から遠ざかること、
これしか思っていませんでした。でも、そうではなかったのです。
どうすればよかったのか。
それは、津波が来たら、まず垂直に逃げるべきでした。
今回の津波で、コンクリートのビルは、多少壊れることはあっても
流されませんでした。2階や3階だと、場所によっては全て水没の
所はあるでしょう。そこはしっかり考える。
もっと高いビルがあったのなら、そのビルの上へ上へと非難する。
遠くに逃げようとしたから、私は大変な思いをしました。
気仙沼はその意味でも復興住宅に高層建築物を多く建てているのでしょう。
私が、あの時それを母に指示していれば・・・残念です。
大川にあんな津波が来るとは想像していませんでした。
今考えれば、川は海とつながっていますものね。
気仙沼の川は海と同じだった。
母は川を遡上してきた津波に車ごと流され命を落としました。
海に近い川、要注意です。
皆さんに伝えてあげてください。
もうあんな目に合うのは、僕たちだけで沢山ですから」
安波山の頂上で気仙沼市街を眺めながら、彼は言葉を絞り出した。