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diary

2013年3月4日 この先は

「1年2年じゃ花も咲かなきゃ芽も出ない。
でも10年待てば必ず実がつく。」

弁護士の宇都宮健児さんから聞いた言葉である。
苦労した父親の口癖だったそうです。
1つのことを10年やり続ければ、
その分野で誰にも負けない専門家になれるとよく言われる。
未来を信じて努力を惜しまない姿勢、大切だ。
この言葉を違った意味で実感しつつ、忸怩たる思いで暮らす人達がいる。
東日本大震災からもうすぐ2年。
週末、宮城県気仙沼市に行った。
津波が襲ってから3ヶ月後、
魚の腐敗臭漂う港近くを取材した。
警察官が棒を持ってぬかるみで不明者を捜索していた。
鹿折地区にもいった。
第18共徳丸が住宅街跡のコンクリート土台上に取り残されていた。
船体は一部焼け焦げている。
この船が浮かぶには最低でも6メートルの深さが必要。
津波の高さと激しさにショックを受ける光景だった。
2年後の今も共徳丸はいた。
ただ、大分痛みが進んでいる。
震災モニュメントとして保存するのか、解体して撤去するのか。
高台へ避難した住民のなかには、津波によって流されてきた漁船が、
自分たちの住宅を押しつぶす姿を目撃していた人もいる。
巨大な姿を見るだけで、当時の記憶が頭をよぎる人もいるだろう。
一方で、保存して、これだけの震災を、後世に伝える大事な資料という側面もある。
問題はそれだけでなく、維持費がかなり高く付くようだ。
市のレベルでは厳しい。
今回、仮設住宅に1人住む女性に話を聞いた。
命を奪われはしなかったが、家は波に持って行かれた。
先日78才になったトメコさん。
「いんやあ、命はたすかったけんど、さてさて、えがったのか・・・。
だって~、他な~んもねえのさ・・・。時計屋をやっていたんだけんど、
み~んな、流されちまった。ずっと、ここにいるんだろうねえ」
笑顔を見せながらも、刻まれた皺には不安もうかがえる」
2月26日が誕生日。自分で炊いた赤飯をお土産に持たせてくれた。
小豆色よりピンクに近い赤飯。
トメコさんは、桜の咲く春に思いを馳せている。
仮設を出ると、雪が舞っていた。
季節よ!早く、一刻も早く、白からピンク、緑に移れ!
そして、安心という実を、みんな心に宿らせてくれ!

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ハッピーばーすでー。
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