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diary

2012年3月12日 不自然な佇まい

東日本大震災が発生してから1年が経った。
大地震後の津波・火災で壊滅的被害を受けた
宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区で先週取材した。
この辺りは今もJR大船渡線の線路が曲がったまま。不通である。
家はぎりぎり残ったが、工場が燃え、今後に不安を抱える女性。
家を津波で流され、現在仮設住宅に
思春期を迎えている中学生の息子と四畳半で暮らす女性などから話を聞いた。
1年経って、大分笑顔が戻ってきていた。
しかしあの時の事は、皆、克明に覚えている。
忘れたくても忘れられないのだ。
そんな中、焼けて利用不能になった歩道橋近くの1区画に
仮設商店街がスタート。
震災前店を営んでいた近所の人達が立ち上がったのだ。
徐々に生活の雰囲気は蘇りつつある。
さて鹿折というと、現在賛否分かれている事がある。
「第18共徳丸問題」
市街地に残る大型漁船を保存する市の計画に住民から反発が出ているのだ。
港から約800メートルのJR鹿折唐桑駅前の住宅地だった場所に
全長約60メートル「第18共徳丸」(約330トン)がある。
「場違い」・・・津波のパワーを改めて感じる光景。
福島県いわき市の会社所有で、震災時は定期検査で寄港していた。
気仙沼市内に打ち上げられた100総トン以上の大型船は17隻。
共徳丸以外は海に戻されたり、解体された。
移動には高額な費用がかかるため、共徳丸も解体予定だったが、
津波被害を象徴する船として残したいと所有会社に申し出、管理下に置いた。
市は後世に伝える意義を強調するが、
船に自宅を押しつぶされる様子を見た被災者の多くは
「記憶がよみがえる」と撤去を迫る。
「船が悪いわけではないが、あの船を見ると、悔しさがこみ上げてくる」  
高台から船が自宅を破壊していく様子を何人もの人が見ていた。
意見交換では、その姿から「ヤマト」と呼び、励まされる。
「後世に残そう」との意見が出た一方、
「いつまで置いておくのか」と強い反発もあるそうだ。
被災者の数だけ様々な思いがある。
被災者の心情と風化を防ぐ取り組み。難しい問題だと改めて感じる。
船に罪はないのに・・・。

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不自然な佇まい

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線路と船

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あの頃からずっと