2011年6月13日 生かされた命 あきらめない
東日本大震災から3ヶ月。
週末、津波被害の大きかった宮城県気仙沼市に行った。
「とてもとてもカメラのシャッターを押せなかった」
先日足を運んだ友人の芝田山親方が言っていた。
とてもよく分かった。
私達がカメラで撮りたい想い出は、悲しみではないということを。
惨状を職業や記録として後世に残す意義はある。
行ってみて感じた。
「これを私が撮ったら失礼に当たる」と。
だから目に焼き付けた。
この光景を、教訓を、何かに生かさねばと、凝視した。
鼻や耳や肌に刻み込んだ。
稲を植えるはずだった田んぼの真ん中に
車が植わっている光景が
3ヶ月経ってもそのまま。
あまりに被害が広範囲。
あまりに被害が甚大なのだ。
だから、希望や救いを撮った。
この花は、津波に襲われ、間違いなく自然の猛威になぎ倒された
場所に咲く花。
鼻を近づけた。
潮の香りがした。
そしてこの石像は、津波・火事に見舞われ、戻るところを失った
鹿折(ししおり)近くにある
興福寺の入り口に立っている。
この二つに私は救われた。
話したいことはたくさんある。
おいおいお伝えすることにする。
これだけは伝えたい。
被災地の人々の多くが、復興に向けて舵を切ったということを。