2008年12月8日 懐かしの
師走に入った。今年もあとひと月。街を歩いていても慌ただしさを感じるようになった。ある商店の前で思わず足が止まった。店先に新巻き鮭が吊されている。あっという間に時間が40年巻き戻された。あの頃暮れになると決まって父と二人葛飾区亀有にある親戚の家を訪問した。そこには父方の祖母がいた。当時杉並に住んでいた私が祖母に会いにいくのには、片道二時間近いちょっとした旅行だった。晴れた日曜の朝9時には家をでる。普段背広姿の父はネクタイをつけない開襟シャツ。私はよそ行きの半ズボン。まさにお出掛け気分。私鉄国電を乗り継ぎ、席が空いていてもドアの窓に額をつけ、ひたすら流れる風景に目を輝かせていた。亀有駅に着くと魚屋に行く。そして父の目が真剣になる。吊されている何十匹という鮭から、これというものを選びだすのだ。私は父の目に憧れた。5分にも満たない張り詰めた時。大人の世界だった。
さらに、そこからタクシーに乗った。子供の私にとってタクシーは年に2度しか乗らなかった。今ほどサスペンションのよくない車に父が後から乗り込み、体が少し浮き沈みする中「大曲がりまで」と告げる。親戚宅の玄関に祖母は迎えにでていた・・・。90近い高齢ですでに視力の殆どが失われていたが、伝いながらそこにいた。着いた早々、「尚!よく来たねえ」と顔の輪郭を両の手で確かめる。指からは白菜漬けの匂いがする。「おばあちゃん!お父さんがね、鮭持って来たよ!お父さんがね、一番かっこいいの選んだよ!時間かかったんだよ!」「バカ!余計なことはいい!」父が私の興奮に水をかけた。祖母は閉じっぱなしの目尻から頬に川を作っていた。父は便所に消えた。中から鼻をかむ音が聞こえる。「やさしいねえ。」おばが一言呟いた。あれでよかったのだ、あれで。近ごろの新巻き鮭はハナから切れているものが多い。便利になったものだ。御歳暮の季節。二人は天国で鮭のやりとり、懐かしんでいるだろうか。