2008年5月19日 天国とは・・・・
仕事柄様々な本を読むチャンスに恵まれている。そしてどんな本にも、心に残したい「言葉」がある。その宝物を以前なら1週間は覚えていられた。しかし近頃は、翌日に忘却の彼方へと追いやってしまう輩が住み着いてしまった。なるべく書き留めておくようにはしているが、これも今年五十路のなせる技なのか。番組ゲストの著書は勿論だが、個人的に「兄貴」と慕っているさだまさしさんの四作目となる小説の言葉をご紹介する。
『「F孔」というのだそうだ』で始まる作品のタイトルは「茨の木」(幻冬舎・2008.5月21日刊)。主人公・真二は50手前の元編集者。定年前に人生を見つめ直そうと退社した瞬間に、妻から別れを告げられた。妻が人生を見つめ直す際、真二は必要なかったことになる。ショック。真二の実家は福岡の酒屋。1年前に店の将来を巡り、父や兄と口論になった。そのまま帰省もしないうちに、脳溢血で父が急逝。言いようのない後悔。そして、その半年後に兄から不意にバイオリンが送られてきた。父の形見である。バイオリンは、イギリス製。そこから、真二の旅が始まった。突然逝った父、喧嘩したままの兄、ロンドンで巡り会った「初恋の人」に似た女性・響子。父の形見のバイオリンを作ったR・Cクロフォードを訪ねる旅が教えてくれたのは、家族の絆と様々な愛だった。作中にあるフレーズ「雑草という名前の草がないように、気づかれないかも知れない程小さくとも、必ず植物には花が咲くのよ、人にもきっとね」素晴らしい言葉だ。これは帯にも載っている。さらに私が書き留めた言葉をもう一つ。「生きて死ぬことの先にあるものは、誰かの記憶の中に生き続けるということではないのか。天国は、自分を覚えていてくれる誰かの記憶の中にあるのだ」救われた気がした。この言葉を信じれば、我が父は『私の記憶という天国』に住んでいるのだから。結びにもう一つ。『言葉は心を伝えるための道具だが、大切なのはそこで語られる言葉ではなく、互いを行き来し合う共通の「心」なのだ。』一読をお勧めする。