2008年1月15日 雪山・・重さを知る場所
この冬は山の遭難ニュースが多い。雪崩、滑落・・・自然や自分自身に挑む登山者の勇気には敬意を表する。高尾山に登る者として、自然の美しさ、山登りの達成感・爽快感は理解できる。しかし冬山はレベルが全く違う。そんな魅力を知人に聞いてみたことがある。
彼曰く「山は人生そのもの。先ず空の青と雪の白!飛行機に初めて乗った時の空と雲のコントラスト、わかるだろ?それに朝陽が雪に降り注ぐ時、雪が恥ずかしがるようにピンクに染まるんだ!そんな瞬間に全てを忘れる。どうなってもいい!って思うくらいだ。まさに神々しいんだ。それと冒険心だな。雪山を見上げて、その頂に行ったらどんな気持ちなのだろう・・・って。腰くらいの雪中を進むのは辛い。でもそれを超えた後の爽快感を知っているから。マラソンをしていて、ランニングハイがあると言うよな。白い世界の、極寒のハイなんだよ。荒い息をしながら表情には幸福感が漂うんだ。何度か危ない目にもあった。しかしまた呼ばれちゃうんだ。妖精なのか神なのか・・・声なき声がする気がしてね。冬と雪と会話をしに行く感覚って言えばいいかな・・自分ともね。辛い時に何が大切なのかがわかるんだ。山はなめたらやられる。でも怖じ気づけば頂にはあがれないんだ。」
先月30日に山形・福島県境の吾妻連峰へ入山したまま連絡がとれなくなり、12日ぶりに自力下山した55才の男性が会見をした。入山の際、リフトの係員から「これから吹雪になる」と言われたが決行した。「長く登山をやってきて生意気になっていた。山はもうやめる」厳しい表情だった。山から出てこられた理由には2つ。1つは、遭難しても経験からパニックにならず、1日を計画的に行動し体力を温存した。そして2つめは、親子の絆が強かったこと。「介護を受けている母親がおり、自分が死んだら困る」歩きながらずっと考えていたと言う。親とは、時として神をも超える存在・・・・。短絡的な理由で親を殺めるニュースに驚かなくなったご時世に、改めて自然な子の思いを感じた。