2007年12月10日 輪廻転生
近所の裏山で落葉が始まった。公園や庭園にある紅(くれない)や黄色の葉とは趣を異にした、里山に相応しい茶色く色づいた木の分身達。樹齢30年から100年。幹から命を掴もうと空に広がった幾多の枝。その太さも様々だ。どっしりもあれば、小鳥が留まったら折れてしまいそうなスリムなものもある。そんな大小のステーション1本1本に僅かばかり風が吹いた。それを切っ掛けにして、夥しい数の葉が旅立っていく。8メートルはあろうか。見上げる私の元に「ヒラヒラ」「クルクル」「フワ~」と舞い落ちる。枝から離れて地面に降るまで長くて10秒。思わずその場に腰を下ろした。周りに音は無い。聞こえるのはただ風の音。それは「サワサワ~」という木々のざわめき、歓送の詩だ。最近読んだベストセラー「ホームレス中学生」中、父の台詞「今日をもって解散!」を思い出した。小説の中ではあまりに唐突という意での使われ方だ。一方、幹と葉達の解散は毎年行われる「落葉樹定め」の光景である。私が目にしている解散式、悲しみは感じない。O・ヘンリー作「最後の一葉」では、残った最後の一葉を自分の命とオーバーラップさせていた。儚さと不安。しかし今見ている落葉は、寧ろ私に悟りをくれる。手にした1枚の葉が話しかけてきた。
「やあ!おはよう。見ての通り僕はたった今枝から旅に出た。君は僕が落ちてきたのを見てどう思った?リストラと感じた?確かに幹が冬を越すために僕は切られた・・それは否定しないよ。でも僕は輪廻転生を信じてる。今の僕は不幸じゃないしね。だってそれは落葉樹の葉に生まれた宿命だから。諦めとは違うんだ。僕もね、これからだって君の役に立つんだよ。それが証拠に僕達が地面に着く。風で飛ばされる仲間もいるし、その場で土にまみれるものもいる。はたまた燃やされる奴もいる。でもね、土に帰って新しい命の栄養になれる。燃やされても、人が暖をとったり、焼き芋を焼いて食べれば命は繋がるんだよ。灰になったらこれまた肥料。この世の中に無駄なものは何も無い。そう信じているから、こうやって風に乗って優雅にダンスが踊れるんだ。『お終いは、始まりと言う舞台の幕開け』なんだよ!だから僕は次のステージを楽しみにしてるんだ。それに見て!僕だけじゃない、こんなにたくさんの仲間が土に自然に帰っていくんだから・・・今度は何処で・・・」
「サクッサクッ」と言う音が近づいてきた。70くらいの老人だ。手には熊手、背中には身の丈に近い半透明のビニール袋。中には茶色、黄土色様々な枯葉がぎっしり詰まっている。思わず声をかけた。
「おはようございます!その枯葉、何処に持って行くのですか?」
「ああ、これ堆肥にするの!ほら、ここ降りたとこ、田んぼあるだろ。今は丁度土作りの時期。この葉がいいんだよね~」
手のひらに乗せた枯葉が少しだけ反り返って赤みを帯びた気がした。その葉を地面に置いた。持って帰りたかったが、それはやめた。姿は変わってもまた何処であえるはずだから。「自然に身を置くのは素敵なことだ」改めてそう思った。