4月30日 ゲスト:斎藤安弘さん
◆テーマ
『 深夜放送!みんなが同じ朝を迎えた あの時代 』
1940年生まれ、現在70歳――
ニッポン放送入社3年目の1967年にスタートした
「オールナイト・ニッポン」初代パーソナリティーの一人、
“アンコー”さんこと斎藤安弘さんが
土曜お昼の「ドコモ団塊倶楽部」に登場!
亀渕昭信さんとの“カメ&アンコー”として
深夜放送ブームを巻き起こした往年の名パーソナリティーと、
リスナーだった弘兼憲史さんが
あの時代を振り返りながら、ラジオの魅力を語る2時間となりました。
弘兼さんが手にしているのは
5月6日(金)までJR東京駅構内で開催の
「がんばろう、東日本。東京駅駅弁大会」で購入した駅弁の掛け紙
■深夜放送にラジオの革命
喋り手がラジオから語りかけてくるような・・・
1960年代に新しい深夜放送の登場――
弘兼 「土居まさるさんとか、深夜が ワッとにぎやかになった…
あれはある種“革命”でしたね」
“アンコウさん”が「オールナイト・ニッポン」を担当する際、
上司から受けた助言は
「相手役はおかない。
マイクが聴いている人だと思って、その人に話しかけるつもりでやれ」。
パーソナリティーが“自分の言葉”を発信し、
若者を中心としたリスナーの心をつかむ――。
より身近な存在のラジオ“深夜放送ブーム”が到来しました。
斎藤 「もっと生活に密着した、血の通っている、
一番“近くにいる”媒体として、番組をやるべきだ――
それが受け入れられて、社会的ムーブメントにつながっていって…
表現するなら“革命”であったかもしれない」
■放送自粛曲
1959年に民間放送連盟が定めた歌謡曲取り扱いの内規に
「名誉毀損」「差別的表現」「暴力」「猥褻」「その他」の5項目があり
深夜放送全盛時代は、内規に抵触する楽曲が数々登場。
北緯38度線で朝鮮半島の南北を分断するイムジン河――、
1968年、日本語でリリースされた『イムジン河』は
政治的配慮により、レコードは発売を中止、
放送局は放送を自粛し、局内のレコードは回収されました。
しかし、ザ・フォーク・クルセダー歌唱の
サンプル盤とカセットテープを隠し持っていたアンコーさんは
「こんないい曲をかけない手はない」と
「オールナイト・ニッポン」放送終了の深夜5時に近い時間に、
時々コッソリかけていたそうです。
斎藤 「会社の偉いさんが聴いてたらまずいだろうな、と思って
『この時間だったらねてるだろうな』という時間帯に
時々かけてました」
石川 「『かけちゃいけない』と周りから言われることはなかったんですか?」
斎藤 「なかったですね。
みんな知ってて黙ってたんじゃないですか」
フォーク・クルセダーズは
『イムジン河』発売中止を受けて、急きょ新曲を作曲。
サトウハチローさんに作詞を依頼する際に
イムジン河が発売中止となって“悲しくてやりきれないんです”と
心情を明かすと、サトウさんはメロディーを聴く前に作詞を快諾。
こうして「イムジン河」リリース予定から1カ月遅れて発売された曲が
『哀しくてやりきれない』――。
アンコーさんは、このエピソードのご紹介に続いて、
楽曲をお聴きいただこうと・・・
(副調整室のディレクターに)「すぐ出ますか?」
弘兼 「いま、(CDの)準備しているところですね」
石川 「生放送に慣れていらっしゃるので
『こう言えばいいんだ』と思いました」
(やり取りの間に準備が整って・・・)
斎藤 「では 『悲しくてやりきれない』・・・」 ~ ♪ 曲へ
この場面では、アンコーさんの 長年の経験で培われた
生放送中の対処に感服する石川アナウンサーでありました。
■生放送のハプニング
弘兼 「生放送は失敗するのがいい、というところもありますよね」
長時間の生放送にはハプニングもつきもの(?)
アンコーさんは、放送中、トイレに行きたくなった際には、
リスナーの方にわからないような工夫をこらして切り抜けていたそうです。
◆マイクのコードをトイレの個室まで伸ばした
◆演奏時間の長い曲をかけた
ピンク・フロイドの『原子心母』は23分台の長い曲。
弘兼 「長かったですね、あれは!」
斎藤 「『じゃあ、リクエストがあったから原子心母をかけるけれども、
24分あるし、コマーシャルがあるから、
先にコマーシャルをやっちゃうから』
『さぁ、24分たっぷり聴いてもらおう』――と
原子心母をフルでかけたんです。
だいたいジャズの曲、長い曲を選んでその間にトイレに行ってました」
弘兼 「(7年目の団塊倶楽部の生放送中に)
我々どっちかがトイレに行ったことはないですね。
でも、あったときは長い曲をかけましょう(笑)」
■ラジオの よさ
ラジオは非常に身近な媒体で、
つながってるメディアでありたいなと思ってるんです」
アンコーさんが“ファミリアな感じ”として例に挙げたのは
アメリカ・テネシー州ナッシュビルのラジオ局WSM-650が
全米に放送している番組「グランド・オール・オプリ」(The Grand Ole Opry)。
斎藤 「丘の上にあって、普通の応接室みたいなところが
スタジオになってて、ギャラリーがいっぱいいるんですよ。
『どこから来たの?』なんていうと、
とんでもない遠くから来てたりするんですね。
ああいう“つながり”っていうのを
ラジオは保ち続けなければいけない――、
『いつでも そばにいるよ』っていう媒体でありたいですね」
また、ラジオと、リスナーの生活サイクルが
密接につながっている点も挙げ
斎藤 「声を聴けば、CMを聴けば
『今はだいたいこの時間』と“わかる”っていうのがいいですね」
そのほかに話題に上った、
とりわけ「テレビ」と比較した「ラジオ」のよさは・・・
■洋服にお金をかけずにすむ
「深夜放送時代は普段着――Tシャツ、素足にサンダルでした」
■スタジオの広さは四畳半くらいがちょうどいい
「きれいなスタジオで、外が見えて、生放送というのがいいですね」
■お送りした曲目
◆水虫の唄 / カメ&アンコー
(弘兼セレクション)
◆トランジスター・シスター / 飯田久彦
(弘兼セレクション)
◆悲しくてやりきれない / ザ・フォーク・クルセダーズ
◆花のメルヘン / ダーク・ダックス
(RN・ヒロユキさんが初めて買ったレコード)
◆Ramona / ブルー・ダイヤモンズ
(斎藤安弘さんが初めて買ったレコード)
◆トランジスタ・ラジオ / RCサクセション
◇斎藤安弘さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。
◇過去の放送レポート バックナンバーはこちら