1月8日 ゲスト:藤波辰爾さん
◆テーマ:『プロレスラー 藤波辰爾 57歳 生涯現役宣言!』 ◆
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ゲストは今年デビュー40周年を迎えるプロレスラーの藤波辰爾さん。
プロレスへの熱い情熱と
アントニオ猪木さんへの強い憧れで
16歳でプロレスの門を叩いた
藤波辰爾選手――。
身長175センチ 体重62~63キロ
プロレス界に入るには細すぎる体に、
格闘技のバックボーンを持たないプロレス少年が
いかにして、スター選手への道を上り詰めたのか!?
放送7年目に突入した「団塊倶楽部」に初めてプロレスラーをお招きしたこの日――、
かつてテレビにくぎ付けになってプロレスを見ていた弘兼憲史さんが
若かりし日のプロレス少年にタイムスリップ!
■師匠・アントニオ猪木
アントニオ猪木さんに憧れてプロレスラーの道を志した藤波辰爾さん。
1970年、日本プロレスへの入門を直談判するべく
下関での試合後に宿舎を訪ねますが、
極度の緊張で、言葉を発することも、
猪木さんの前に立つこともできなかったそうです(当時16歳)。
日本プロレスへの入門が許可され、1971年5月、17歳でプロレスデビュー。
猪木さんの付き人を務め
その後、猪木さんが設立した「新日本プロレス」旗揚げに参加。
1988年には、新日本プロレスの象徴 IWGPヘビー級王座を獲得し、
チャンピオンとして、師弟・アントニオ猪木を挑戦者に迎え、
師匠が弟子に挑戦する――というプロレス史において異例のシチュエーションで対戦。
1988年8月8日(横浜文化体育館) IWGPヘビー級選手権試合60分1本勝負は
両者譲らず60分フルタイムドローに終わり、藤波辰巳(当時)が王座防衛!
藤波 「憧れた人と戦える…
僕がチャンピオンで、猪木さんが挑戦してくる――という
プロレス界の中であまり例がなかったことなので、
自分の中では“夢物語”ですね」
弘兼 「よく覚えてますよ。
(試合が引き分けに終わって)猪木さんが藤波さんの腰にベルトを巻いて、ね」
猪木さんが藤波さんの腰にベルトを巻くショットは
発売中の『藤波辰巳自伝 未完のレジェンド』の表紙を飾っています。(草思社/1,680円)
■第3スタジオでドラゴン殺法炸裂!!
大学時代までプロレスを見続けていたという弘兼憲史さんは
プロレスの話題とあって、
事前に、好きな技をメモしてくるほどの入れ込みよう。
放送では、往年の名プロレスラーや技の名前が次から次へと飛び出しました。
藤波辰爾さんの得意技といえば、オリジナルホールドはもとより、
従来から存在する技も、藤波さんが繰り出せば
ニックネーム“ドラゴン”の名が冠されるという
“ドラゴン殺法”の数々が有名――。
一部をご紹介すると… (■は藤波さんのオリジナル技)
■ドラゴン・ロケット(トペ・スイシーダ)
――リング上から、ロープの間を潜り抜けて場外の相手にダイブ!
■ドラゴン・スープレックス
――相手の背後から羽交い絞めにし、
後方ににブリッジをきかせて投げ、後頭部を叩きつける。
■ドラゴン・スクリュー
――立った状態の相手の片足をつかみ、自ら“スクリュー”のように回転することで
相手の体勢を崩す。受ける側は無理にこらえると膝にダメージ!
■ドラゴン・スリーパー
――尻餅をついた状態の相手の後方から、片方の腕で首を抱え込み、
もう片方の腕で、相手の片腕をロックし、締め上げる。
弘兼 「ほとんど、ここ(スタジオ)ではできないんですけど、
ひとつだけ『ドラゴン・スリーパー』は
ここでやっていただきましょう」
プロレスファンの番組スタッフ・イソベが技を受けました。
藤波 「本来は倒れた状態から、相手の顔の前に自分の右腕を巻き付け…」
(解説しながら技の体勢に)
弘兼 「もう痛そうですね!」
藤波 「左腕を(相手の左腕に)かけて絞るんです」
石川 「ナナメになって…血管が浮き出てる!」
▲画像をクリックすると拡大します
(イソベの感想)
もちろん、藤波さんは力を入れることはありませんでしたが、
それでも仕掛けられた瞬間から ねじられた首に痛みが走り…
さらに、視界を塞がれたことで、自分がどんな体勢なのか、
そして、このあとどれだけ締め上げられるのか?!という恐怖を覚えました。
あとで写真で体勢を確認して鳥肌が・・・。
弘兼 「イソベさんの一生の思い出になりますね。
藤波さんに技を掛けられて、ずっと飲み屋で自慢話すると思いますよ(笑)」
技を受けて喜んだのは、実はプロレスファンのスタッフだけではありませんでした。
藤波 「喜んで言っていいのかわかりませんけど、
力道山時代のフレッド・ブラッシーが引退する前に
戦ってたんです。噛み付かれました。
額を噛まれてロープに逃げましたけど、
力道山先生と戦ったブラッシーと対戦してると思うと…」
弘兼 「自慢になるわけですね。
僕も手塚治虫先生と話をした――というだけで自慢になります」
■最高の試合が縁結びとなった伽織夫人との出会い
藤波さんが自身のベストバウトに挙げるのが
1978年10月20日 大阪・寝屋川市民体育館で行われた
WWWFジュニア・ヘビー級タイトルマッチのチャボ・ゲレロ戦。
王者としてゲレロを迎え撃った藤波さんは、この試合でドラゴン・ロケットを避けられ
観客席に飛び込んで目の付近から大流血…。
この試合をプロレスファンの弟に連れて来られて観戦していたのが
その後、妻となる かおりさん(藤波伽織さん)。
試合後、病院にお見舞いの果物を届けたことが縁でご結婚されました。
その伽織夫人が結婚当初、プロレスラーの妻として つらかったことが
出会いのきっかけにもつながった“負傷”――。
とりわけ、流血する傷を負った際には、試合会場から帰宅後、
シャワーで血を洗い流す際に、お湯と一緒に流れる血液の匂いに困惑したそうです。
▲流血の際の状況を説明する藤波さん
なお、伽織夫人は自身のブログで
年末に胆石除去手術を受けたあとの最初の試合にして
13年5か月ぶりの激突となる大一番「藤波辰爾 vs 長州力」(出演2日後 1月10日)の
試合を終えて、心配の毎日だったという心情を綴られています。
藤波伽織 オフィシャルブログ「キッチンは伽織に聞け」をご覧ください。
■名勝負再び! ライバル 長州力
藤波さんから見て 年齢で2歳年上、プロレスキャリアで3年後輩
“革命戦士”の異名をとる長州力選手とのライバル抗争は
プロレス史に燦然と輝く“名勝負数え唄”として人気を博しました。
「俺はお前の噛ませ犬じゃない!」というフレーズで有名な
プロレス史に残る事件が起きたのは1982年10月8日。
アントニオ猪木、藤波辰巳(当時)とのトリオで出場した試合で
長州選手は仲間のはずの藤波選手に対して牙をむき、
試合中にも小競り合いを繰り広げると、試合後にマイクを使ってついに宣戦布告!
藤波 「あの時から いいライバルができたという感じですね」
藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスクの往年のスター3選手が立ち上げた
新イベント『レジェンド・ザ・プロレスリング』が1月10日に旗揚げされ
メイン・イベントでは“名勝負数え唄”藤波辰爾 対 長州力 が13年5か月ぶりに実現!
藤波 「プロレスの一番いい時代を見てきたファンのために
3人で集まって“レジェンド”のイベントをやろうと提案があって、
『久しぶりにシングルマッチをやってみようか』と」
しかし、大一番を控える藤波さんを予期せぬアクシデントが襲いました。
昨年末、胆石除去手術で1週間の緊急入院…。
藤波 「医者の先生はゴーサインを出せませんが、
僕は、長州力、初代タイガーマスクと3人でイベントを立ち上げて、
ましてや、僕と長州の戦いがメインイベントになってるんで、
僕の判断で“やるしかない!”ということですね」
【結果】 (2011年1月10日 東京・後楽園ホール)
○藤波辰爾(9分29秒 エビ固め)長州力●
藤波辰爾さんの最新情報は DRADITION・オフィシャルサイト
藤波辰爾 オフィシャルブログをご覧ください。
■お送りした曲目
◆燃えよドラゴン
(弘兼セレクション)
◆マッチョ・ドラゴン / 藤波辰巳
(弘兼セレクション)
◆スカイ・ハイ / ジグソー
(ミル・マスカラスの入場テーマ曲)
◆「ロッキー」のテーマ / メイナード・ファーガソン
(藤波辰爾さんのリクエスト)
◆ハートブレイク・ホテル / 小坂一也
(RN・パンジーさんが初めて買ったレコード)
◆高校三年生 / 舟木一夫
(藤波辰爾さんが初めて買ったレコード)
◆ザ・レスラー / ブルース・スプリングスティーン
(映画『ザ・レスラー』オリジナル・サウンドトラックより)
藤波辰爾さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。