11月20日 ゲスト:森 昌子さん
◆テーマ:『それは人生 これも人生
森昌子 大病乗り越え40周年へ!』 ◆
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中学一年・12歳で「スター誕生」初代グランドチャンピオン
13歳で歌手デビューし『せんせい』が大ヒット!
山口百恵さん、桜田淳子さんとともに
“花の中3トリオ”として絶大な人気を獲得。
1983年には『越冬つばめ』で
レコード大賞 最優秀歌唱賞を受賞。
今年5月には大きな手術に臨んだことを発表された
森 昌子さんが番組初登場!
スタジオは森 昌子さんの温かく、元気いっぱいの笑顔に包まれながら、
デビュー当時のエピソードや、父と娘の深い絆…、
大病をされた際の山口百恵さんからの励まし…、
美空ひばりさん自ら“ひばりの再来”と称したという
ひばりさんとの思い出話の数々を、
歌謡史に残る名曲の数々と共に たっぷりお聴きいただきました。
■歌手・森 昌子誕生!
中学1年、12歳で「スター誕生」に出場し、13歳で歌手デビューした森 昌子さん。
子供の頃――2~3歳の頃から、
お父さんの晩酌の時間には、しゃもじをマイク代わりに歌っていた というほど
歌が好きだった森 昌子さんでしたが、
将来は、歌手ではなく、体育の先生になりたかったそうです。しかし・・・
昌子さんの“内気な性格”を「明るくしたい」と考えた親戚の叔母さんが、
本人に黙ってオーディション番組に応募。
そして、ある日曜日“中学進学のお祝い”と称して
有楽町へ買い物に出かけると・・・
森 「赤いワンピースを買ってもらった記憶が…
そのあと『(ビルの)上で歌っていかない?』と
(会場に)強引に連れて行かれまして」
弘兼 「子供を騙すやりかたですね(笑)」
用意周到、譜面が用意されていて・・・『涙の連絡船』を歌うと、見事 予選通過!
さらに後日、テレビ収録もある決勝で 初代チャンピオンに輝きました。
森 「(歌手デビューに至る一連の経緯に)自分の意志はなかったんです」
ところが(親戚の叔母さんの思惑とは対照的に)ご両親は
“厳しい芸能界でやっていけるはずがない”と歌手デビューに猛反対。
森 「これが自分を変えられるチャンスなのかな、と思って・・・」
最後は、自らの意思により、芸能界入りを決意。
「学校だけはきちんと卒業する」という約束のもと、ご両親を説得。
こうして中学一年生の森 昌子さんは歌手の道を歩み始めたのです。
■父と娘
『お母さん・母親』をテーマにした歌は多いけれど『父親』を歌った楽曲は少ない――。
アマチュアで仲間と一緒に音楽活動に興じていたという、森 昌子さんのお父さんは
「歌手なんだから、お父さんのことをテーマにした歌を歌ってくれないか」と
愛娘に願い出ます。
森 「冗談かと思ったんですけど『いつ出るんだ?』と…」
そこでスタッフに相談し、制作された楽曲が
1978年(昭和53年)にリリースされた『
「やっと俺の歌ができた」と喜ばれたそうです。
放送で『父娘草』をおかけしている最中のスタジオでは・・・
「僕は歌ってもらえないな・・・」
ポツリつぶやく弘兼憲史さんの、寂しそうな姿に、石川真紀アナウンサーも必死のフォロー?!
■石川真紀アナウンサー興味津々!カラオケでの上手な歌唱法
発表当時と現在とでは「歌い方がかわった」――と
森 昌子さんが指摘するのは、12時台におかけした『立街岬』。
森 「当時の年代での歌い方と 今とでは“想い”が違う。
歌い方が多少変わっていて
今の『立街岬』のほうが好きです」
ここで石川真紀アナウンサーが お約束(?)の質問。
石川 「『越冬つばめ』と『立待岬』を
カラオケで上手に歌うポイントをお聞かせいただけますでしょうか?」
森 「とにかく自分が気持ちよく歌えれば、それでいいんだと思います。
(カラオケで)同席する他の人を意識せずに
“歌の世界”に入ってしまうのも手ですね」
ぜひ参考にしてみてください!
■お送りした曲目
◆先生のお気に入り / ドリス・デイ
(弘兼セレクション)
◆ナンシーの朝 (映画『ナタリーの朝』オリジナル・サウンド・トラックより)
(弘兼セレクション)
◆子供たちの桜 / 森 昌子
◆越冬つばめ / 森 昌子
◆父娘草 / 森 昌子
◆ダンシング・クイーン / アバ
(RN・愼ちゃんママさんが初めて買ったレコード)
◆立街岬 / 森 昌子
◆哀しみ本線日本海 / 森 昌子
森 昌子さんの名言・好きな言葉はこちらをご覧ください。